俺が初めてあいつを見たのは、学校があまりにつまんなくて、途中でフケた時だった。
 
その時間のその電車は、違う路線電車と平行して走る。
俺はその感覚が好きだった。
2本の長い電車が、30秒くらい併走する。
そして離れて、違うプラットホームに入っていく。
周り中の景色を置いて走って行く中、あの瞬間だけは、2つの箱が同じスピードで並ぶ。
それは不思議な空間だった。
それぞれの窓がかなり近づいて、一瞬、時が止まる。そしてふわりと離れていく。
その中に、あいつはいた。
こちら側の座席に座って、外を眺めている。横顔が、妙に印象的だった。
電車どうしが一番近づいた時、目が合った気がした。
そして俺の電車が、ゆっくりスピードを上げていく。
左から右へ。視線をその窓に貼り付けて、最後は見つめ合った。
離れた電車は、それぞれの方向へ走っていく。
違う駅から。
違う街へ。
違う制服。
まったく違う世界で生きているあいつと俺を、一瞬だけ巡り合わせる、電車の窓。
俺は、あいつを見たくて度々その電車に乗った。その姿は、必ず定位置にあった。
俺はサボりだけど、あいつは何なのだろう。
 
ある日曜日、俺は偶然あの顔を見つけた。
普段は降りもしない駅で、降りた時だ。
いつも窓越しでしか、見ていない顔。制服姿しか見たことがない。
でも、間違いない。
プラットホームのベンチで一人、ぽつんと座っていた。
少し寒くなってきたこの季節。早々と薄手のコートを着ていた。
声を掛けるのも、変な話しだし。
俺は一緒に降りた人達が階段に向かう人波の中で、一人立ち尽くしてその姿を見ていた。
ゆっくり振り向いて、視線を上げる。
……その顔は、いつも見る窓の中。
何も届かない…手も、声さえも。
時速80kmの疾走に包まれて、わずか30秒で離れていく。
その顔だった。
俺は、信じられない気持ちで見つめた。
向こうも、俺をじっと見る。
「…………」
黙ったまま見つめ合っていて、どのくらい経っただろう。
次の電車がホームに入ってきた。
降りてきた人波に飲まれて、姿が掻き消される。
人混みが切れた時、ベンチは空だった。
「…………!」
電車が、ホームからでていく。
俺はその中に、あの姿を探した。
 
――乗って行ってしまったのか?
……やっと、会えたのに。
 
そんな自分の気持ちに、ちょっと驚いた。
苦笑いして、階段を登ろうとして振り向いた。
「―――!」
彼が立っていた。恥ずかしそうに笑いながら。
「……乗って行っちゃったのかと思って、…焦っちゃった」
そう言って、笑う。
「……オレも」
俺も笑った。
「今、苦笑いしてた?」
俺の顔を覗き込む。
「……ああ。何でだと思う?」
反対に、聞き返す。
「せっかく会えたのにって、がっかりしたから」
「!」
「ぼくも同じだから」
また恥ずかしそうに笑う。
俺も、何が可笑しいのか、自分でも驚くほど吊られて笑った。
 
「ね、お腹空かない? 一緒にお昼食べようよ」
なつっこく話してくるので、俺も付き合った。丁度昼時だったし。
「いいね。でも、金がないからバーガーとかだぜ?」
「うん。そういうとこ、入りたかった」
「?」
入ったことねーのか?俺が変な目で見やると、
「ねえ、……名前、教えて」
と、頬を紅くして見上げてきた。
……名前か。
「ああ、……オレは、アキラ。九条彰」
言いながら、不思議な感覚に陥っていた。
顔しか知らず、決して交わることの無い空間。
それぞれが声を聞くことさえ、あり得なかった。
なのに今、目の前で喋り、名前を聞いている。
「ぼくは、平原悠。ユウって呼んで。よろしくね、九条君」
明るくて優しい声だった。
俺はまだ、戸惑っていた。
「……不思議。九条君が目の前にいる」
俺の心を代弁するように、ユウが言った。
俺たちは駅にくっついている、ファストフード店に入って座った。
「ぼくたちの時間が交じり合うなんて、思いもしなかった」
……同じコトを思っているんだ。俺はユウを見つめた。
「ぼくの想像してた通りの声。カッコイイね」
にっこり笑う。俺は赤面するのがわかった。
「お前も……。想像通りの声」
可愛い声。きっとこんな声だと思っていた。
優しい風貌。幼げな瞳。
痩せすぎなくらい細い線が、頼りなく見えるほど、儚い。
注文したバーガーセットも、殆ど食べなかった。
 
俺たちは、どちらからも帰るとか、今何時とかを口にせず、一緒にいた。
ユウがプラネタリウムを見たいと言うので、電車をいくつか乗り継いで、大きな観光ビルに入った。
「映像でも、星空って綺麗だね。本物はなかなか見れないから、一度来てみたかった」
真っ暗な中、背もたれに身体を預けて星空を見上げながらユウが言う。
「ああ。綺麗だな……」
俺もこんなトコ初めてだったので、結構感動した。
「水族館も見よう」
「えっ」
プラネタリウムを出た直後に、そんなことを言う。
けっこうな散財だぞ。冷汗ものだ。
しかし、それを言うのも無粋ってもんで、俺も楽しんで魚達を観た。
「ここまで観たら、あとは屋上でしょ」
「てんぼーだいって言え」
もはや、ヤケだ。もう、外も真っ暗になっていた。
展望台の360℃パノラマは、電車とは違って空中に停止していて、ぐるりと夜色のガラス空間を作り出していた。
「ここからは、さっきみたいな星空は見えないね。こんなに、空に近いのに」
ガラスにへばりついて空を眺める。
「ああ。その代わり、地上の星が見える」
「中島みゆきだ」
ユウが目を細めた。
「はは、意味は違うけどな」
俺も笑った。
きらきら輝く地上のイルミネーション。下から照らし出す地上の明かりは、ユウの顔も綺麗に照らし出した。
「……きれいだね」
そう呟いてガラスを覗くユウの顔も、添える細い指も、いっそう儚く見えた。
 
俺もそうだったけれど、ユウは特に帰りたがらない様子だった。
今のこの時間を、終わらせたくないと言うように、次々に俺を連れ回す。
最後は映画館だった。
ところが、上映中の2時間の殆どを、ユウは眠っていたようだ。
「おまえ、観てなかっただろ」
映画館のロビーで、ソファに隣り合って座った。もう店に入り直す余力はない。
俺が呆れて言うと
「うん。眠っちゃった。……もったいなかったなぁ」
本当に残念そうに言う。
「……また観りゃいいじゃん」
俺がそう言うと、少し黙ってからにっこり笑った。
「その時は、また付き合ってね」
その顔色は青く、かなり疲れた様子だった。
「ユウ……大丈夫か?」
さすがに俺も、終電を気にしない訳にいかない。
……もうそろそろ、帰らなければいけない。
その言葉を告げようとした時、
「ね、九条君。下の名前で呼んでもいい?」
変なことを言ってきた。
「? ……いいけど。はじめっから呼べば良かったじゃねーか」
「ううん。はじめは名字で呼びたかったの。九条君て、響きが好き」
俺は、また赤面したはずだ。
でも今更……。もう帰るってのに。
「ぅっ……」
その時、ユウが口を押さえて蹲った。
「おい!?」
俺は驚いて、その身体を支えた。見た目より、さらに細い。
吐く程のモノを食べてもいないが、トイレに連れて行った。
「……」
貧血を起こしているのか、ふらふらして便座の前にしゃがみ込んだ。
しばらく背中をさすっていると、嘔吐感も収まったようで、結局吐きはしなかった。
「ユウ……おまえ?」
俺は心配になって、思わず聞いた。……どっか具合が悪いんじゃないのか。
「ごめんね、彰君。ダイジョブ。時々ね、こんなになるけど。……慣れてるから」
俺の言葉を遮るように、説明する。
でもその様子は、息も絶え絶えだ。
「ダイジョブったって。やばいだろ。……もうそろそろ…」
俺は、別れの言葉を言おうとした。
柔らかい感触。
一瞬冷たくて、ほんわりと温かくなった。
俺は目を開いたまま、ユウのキスを受けていた。
間近の長い睫。頬を擽るユウの緩くカーブした髪の毛。
ユウ……。
ぐらつく身体を抱きしめて、キスを返した。
夜の映画館。誰も来ないトイレで、俺たちは、熱いキスを何度もした。
「……帰りたくない。帰らないで」
ユウが、合間に繰り返す。
何かを恐れているように、今のこの、二人の時間が切れるのを拒む。
「ああ、…
…帰らない。オレも……ユウを返したくない」
しがみついてくる細い身体を、愛おしく思った。
俺たちはとても感性が似ていて、大事にしたいものも、きっと同じだったんだ。

 

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