1.
 
ガタガタンッと、隣の部屋でけたたましい音がした。
しばらく空だった隣室に、誰か引っ越してきたらしい。
……静かでよかったのに、また五月蝿くなるな。
俺はベットに寝転びながら、ぼんやりと考えた。
 
安普請のアパートで、ただでさえ音が響く。話し声も然り。テレビなんて、なんの番組か判るほど聞こえてしまう。
それに加えて俺のベッドは、間取りの関係上、壁を挟んで隣室の玄関の隣りに置かざるを得なくなっている。寝っ転がって右の壁を見たとき、その向こうは隣室の玄関のタタキってわけだ。
出入りのガタガタバタンッて音を、年がら年中、耳の横で立てられていた。
折角退室しててここ最近、平穏だったのに。
 
……うん、それでね、そうなんだよ。あんときは、さんきゅーね。………
延々と携帯する声が聞こえている。まるっきり筒抜けだが、そんなこと、気付きもしないのだろう。若い男の声で、随分明るい。
でも、内容を聞いていると、引越しを手伝ってくれるはずの友達がドタキャンしてきたから、手伝って欲しいんだけど……あちこちに片っ端から頼んでも捕まらないらしい。
 
俺は深夜のバイトのために、大学から帰ると一度仮眠を取る。
寝なければ保たないんだから。
……しかし五月蝿い。
 
……だめ? どうしても? ……こまったなあ……ううん……しょうがないから……
 
延々、延々と聞こえて来る。
はあ……。
溜息をついて、起き上がった。寝れないな、これじゃあ。
簡単に着替えてジャケットを羽織ると、靴をつっかけて隣に行った。
「もしもーし」
コンコン、とドアを叩く。インターフォンなんて上等なものは付いてない。
「はい?」
ほとほと困っていたのだろう。顔を上気させて、汗だくの顔が出てきた。高校生かな。
「俺、隣の桐生ってんだけど。人手足りなかったら、手伝おうか?」
「えっ、いいんですか!?」
目がまん丸に見開かれて、嬉しそうに笑った。
あ……八重歯。
 
「僕、染谷忍(そめやしのぶ)っていいます! 宜しくお願いします!!」
かっぱり、半月型に開けて笑うその唇からは、見事な八重歯が覗いていた。
それが随分顔の印象を、幼くしている様だ。
「ええー! 高校生で一人暮らしは、しないでしょう。ふつー」
笑いながら、やんわり非難されてしまった。
「そういや、そうだな」
荷物を解きながら、俺も笑った。
「僕、これでも大学生ですよっ。2回生」
「ん? 関西方面出身? もしかして」
「はい! でも、よくわかりますね〜。ちっちゃい頃ですよ。もう標準語のつもりだけど……」
「いや……”回生”って言ったから。こっちじゃ、あんま言わないだろ」
「あ、兄貴は今も向こうで。そう言ってるから、移っちゃってて」
また、にかぁーっと八重歯で笑う。
その顔を見ていると、こっちの口の端まで、両側に上がりそうな気分だった。
 
「はあーっ、疲れた!! ありがとうございましたぁ!!」
あらかた片付いて、引っくり返った。
茶色く染めて、シャギーをかけている長めの髪が埃まみれだ。
「そいじゃな、あとは自分でできるよな。俺、バイトの時間だから」
時計を見ながら、立ち上がった。
「ええっ、すぐ行っちゃうんですか? なんか夕飯でもご馳走させてくださいよ!」
ガバッと起きて、申し訳なさそうに言う。
その姿があまりにボロボロだったから、笑ってしまった。
頭をぽんと叩いて、「ああ、こんどな。がんばれよ」と励ました。
 
 
 
……うん、うん、そいでさーっ、あははは、なんだそれ!………
 
五月蝿い。
五月蝿すぎる。
あれから一週間。ずっとこの調子だ。
部屋にいる間は、絶えず携帯で騒いでいる。
他の部屋の住人は心得ているから、騒いだり五月蠅い物音を立てたりはしない。
だから却って、どれだけ聞こえるか判らないのかもしれないが。
昼間だからあんまり文句も言えないが、これはちょっと酷いぞ。
やや寝不足ぎみが続いて、俺は機嫌が悪かった。
 
……ほんじゃね!
というのが聞こえた。電話を切ったようだった。
俺はやっと、邪魔された睡眠を少しでも取り戻そうと、うとうとしかけた。
ドタドタッ、ガチャン、バタン!
すさまじく五月蝿い音を立てて、ドアの開閉の振動まで伝わってきた。出掛けたようだ。
これで本当に眠れる、と思ったら、
「桐生さーん、桐生さんっ、いるーっ?」
ドンドンドンッ、と激しく俺の部屋のドアを叩きながら呼んでくる。
「……………!?」
「桐生さーん!」
なおも続く。
俺は頭を押さえた。なんであんな歩く騒音マシーンなんだ。
「……なに?」
寝てたそのままで、ドアを開けた。
「あ、やっぱりいた! あの、これから、この間のお礼をさせてください! 美味しい料理屋を見つけたから、桐生さんと行きたくって!」
 
俺は頭が真っ白になった。
どう見ても、寝ていたとしかみえない俺のこの格好。眼鏡もはずしているし。
これを見て、なんとも思わないのか………?
「夜バイトって言ってたから、今ならいると思ったんだ。バイト何時からですか?」
一応頭は使っているらしい。しかし、お礼をしたいなら、気を使えよ……。
犬っころみたいに、寄ってくるその顔を、ねめつけた。
でもその笑顔の口元をみて、俺の機嫌は直っていた。
「用意するから、待ってな」
これ以上は寝れそうにないから……。しかたなく仮眠をあきらめた。
明日は最大級の寝不足になるな。
 
染谷が俺を連れて行った料理屋は意外と美味くて、感心した。
「よく見つけたな、こんな洒落たとこ」
「ここら辺、わかんないなりに探したんですよー!」
時間が早いしその後バイトってことで、今日は食事だけだったけど、今度は飲みに来るのもいいかもしれない。
「僕、早くお礼したかったんです。もう一週間も経っちゃってるし」
ずっと気にしていたのか、ほっとした顔で笑った。
「こんなじゃ、お礼になんないかもしれないけど。そのうち僕もバイト見つけて、もっと財布膨らましときますね。また、一緒にご飯食べてくださいー」
「別にいいよ、お礼なんて。飯食うのはいいけどさ」
それより静かにしてくれ。
「わ、ほんとですか! 時々誘っちゃいますよ!」
嬉しそうにそう言う。俺は見え隠れする八重歯を見ながら、自分の口元を無意識に押さえていた。
「んじゃ、ご馳走さんな。そろそろ時間だわ」
「あ、はい」
ちょっと寂しそうに見えた。
実家から出て、慣れない一人暮らしが、寂しいのだろうか。
だから携帯を切れないのかもな。
一人で食べる飯は、味気ない。まあ、たまに付き合ってやるか。
「あ、染谷おまえな。もうちょっとドアは静かに閉めてくれ」
これだけは、言っておかねば。
 
次の日から、ドアの開閉は静かになった。
しかし、携帯は相変わらずで、会話までよく聞こえた。
「桐生さーんっ!」
時々俺を呼びに来ては、早目の夕飯を一緒に食べた。
染谷といると……というより、あの八重歯を見ていると、ついつい笑顔につられた。
バイト先で、俺がよく笑うようになった、なんてひやかされたりもした。
 
 
 
「桐生さん、聞いてください! 僕、彼女ができましたー!!」
染谷が引っ越してきて、一年が過ぎていた。
目を輝かせて、そう報告してくる。
「はじめてなんです。女の子と付き合うの! ずっと彼女を作りたかったんです、ぼくっっ」
俺は片眉を上げて、聞いていた。
「かわいいなぁと、思ってたんです。僕も。そしたらこないだの飲み会で、メルアドくれて」
「なにそれ。”彼女”が欲しいから、付き合うのか? 好きでもなんでもないじゃん」
意地悪く言ってやると、頬っぺたを膨らました。
「えーっ、せっかくのめでたい時に、なんてこと言うんですか!」
「ほんじゃ、好きなの?」
「ええっ、……す……好きですよ、そりゃ……。めちゃ、嬉しかったし」
ごにょごにょ言っている。
「今度、桐生さんにも紹介しますね!」
 
それ以来、染谷は俺の部屋にぱったり来なくなった。
週に2度か3度は人の予定を聞きもしないで、押しかけて来ていたのに。
昼間は自室にも帰ってこない。久しぶりに、静寂が戻ってきた。
染谷待ちの生活スタイルになっていた俺は、なんとなくヒマを持て余した。
俺は、彼女なんて作ってできるもんじゃないと思っている。そんなのただのセフレだ。
好きになって、好かれて、はじめてパートナーになるんじゃないのか。
まあ、だから今も一人身なのだが。
のめり込むほど好きになる女の子がいないのだから、しょうがない。
 
面白くない気分でベッドに寝転んでいると、隣が帰ってくる気配があった。
女の子の声も聞こえる。
彼女を連れてきたのだ。初めてのことだ。
そういえば、俺にそのうち紹介するとか、言ってたな……。
「桐生さーん! いますかーっ?」
ドンドンドンッ!
早速、ドアを叩いてきた。
久しぶりのその音に、俺はなんとなく笑ってしまった。
染谷の顔を見るために、俺はゆっくりとベッドから立ち上がった。
  

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