ベランダの鍵貸します
 

 
 その目に、郡司はそっとキスをした。
「でもな、俺のために努力する奴なんか、いなかった」
 
「…………」
「みんな自分のためだ。俺のネームバリューで、自分のステイタスを上げようとしてるだけなんだから」
 また哀しそうに翳る名雪の目を、郡司はじっと見返した。
 
「……利害なんか考えもしないで、俺のこと、一生懸命になってくれたの、……名雪だけだぜ」
 
 
 
 
 
 
「だって……好きだから」
 
 
 
 
 
 
「────!」
 
 
 
「好きなら、……みんなそうじゃないの?」
 
 
 
 不思議そうに見上げてくる名雪に、郡司は目を丸くして笑った。
 二十歳も越えた青年と呼べる男が、子供みたいな表情を作って、そんなことを聞いてきたのだ。
 
「普通はな……たぶん。でも、お前の中で”名雪”が苗字なのが当たり前なように、俺の世界では”郡司”は強烈過ぎるんだ」
「…………」
「生まれた時から、フィルター無しでは、見てもらえない」
 
 眉根を寄せて、じっと聞いている名雪。
 身体の隙間から抜いた手を、そっと郡司の顔に這わせた。
「……そんなの、……辛いね」
 
「……ああ。当たり前すぎて……そんなもんかと思ってたけどな」
 
「でも…………やっぱり、羨ましい」
「? ……何が」
「郡司さんの……”彼女”」
 
 
「────!」
 郡司は、さっきの言葉の意味をやっと理解した。
 さっき名雪が言った”当然”は意味が、違ったのだ。
 
 名雪の身体を、ぎゅっと抱き締めなおした。
「ばか……そんなこと」
「………」
「俺だって、悩んだ」
「………」
「でも、好きになっちまったもんは、仕方ないだろ?」
「……うん」
 名雪も、下から郡司の背中に腕を回した。
「僕は……僕のために、鍵を貸してくれた郡司さんが……好き」
「……シャツも、貸してるぞ」
「……うん」
 クスリと笑って、顔を上げた。
「対等だと言ってくれた、郡司さんが……好き」
「…………」
「僕が、頑張ってるの……わかってくれた……」
 優しく細める目から、涙が溢れ続ける。
 
「……名雪……」
 その唇にもう一度、郡司は軽くキスをした。
「……もう、嫌がんない?」
「……うん」
 
 にこりと笑って、目をなくした。
 郡司はその笑顔が崩れないように、優しくキスをしながら、名雪の身体に手を這わせていった。
 濡れたシャツとズボンを、剥いでいく。
 大事に大事にそっと触れながら、手と舌を、真っ白い肢体に滑べらせていく。
「あ……」
 胸の中心に唇が届いたとき、名雪が声を上げた。
「ちょ……ちょっと、あの」
「……なんだ?」
 郡司が顔を上げると、名雪が眉を八の字に下げて、困り切っている。
「そんなとこ……舐めるの?」
 郡司は驚いた。奥手にも程がある。
「……ああ」
 それがまた可愛くて嬉しくて、愛撫を丁寧にさせた。
「アッ……あぁ……」
 名雪は上がってしまう自分の声に戸惑いながら、身体を熱くしていった。
 そして、唇は下腹部へと向かう。
 温泉浴場で見た名雪の裸体と違い、今は郡司の手に反応していた。
 
 郡司は、自分の暴走しそうになる下半身をなだめながら、名雪の熱くなっているそこに、舌を這わせた。
「うわ……ああぁ!」
 驚きながらも、腰を震わせている。
 すでに透明な液体が滴っていた。
「名雪……ずっと、こうしたかった……」
 ゆっくりと口に含んでいく。
「んっ、…あぁ……」
 高い声が漏れる。腰を反らせて逃げようとした。
 
「……じっとしてろ」
「……でも……」
 恥ずかしそうに、目を潤ませている。
「気持ちよくしてやるから」
 
「……うん」
 熱い息を吐きながら、不安そうに瞳を揺らす。
 
 郡司は、舌と唇で前を嬲りながら、後ろに指を潜ませた。
「……えぇっ!」
 途端に驚いた声。
「……なに?」
 今度はなんだと、郡司は再度顔を上げた。
 垂れた目を見開いて、その顔を見つめる名雪。そして遠慮がちに聞いてくる。
 
「……そんなこと、するの?」
 
 
「……ああ、するの!」
 
 今や、可愛くしか見えない名雪を、這い上がってぎゅっと抱き締めた。
 逃げられないように体重を掛けて、自分の身体と畳の間に押さえ込む。
 片腕で両肩を抱き込むように首を抱えると、再度キスをした。
「……ん」
 そして、反対の手でもう一度、指を後ろに這わせた。
 その腰がビクンと震える。
「うあぁ……」
「そんな声、出すな」
「だって……」
 慣れない感覚に、もう泣きそうな顔になっていた。
「……やだ?」
「……やだとか、そんなんじゃなくて……」
 これでいいのか、こんな事されていいものなのか……
 背徳心のような、罪悪感のような焦りがいなめない。
 
「そうだ、僕……バイト……」
 救世主のように思い出したことを口にした。
 
「──こんな時に、萎えるようなこと言うなよ」
 こんな状態で、ここまでしていて仕事に行かれたら、郡司は泣くに泣けない。
 必死に名雪をなだめすかした。
 
 
「…………」
「たまには、自分のために、休んでくれ」
 
 
「…………」
「これは、命令じゃないぞ。……お願いだ」
 
 
 名雪が、目を上げて、郡司を見つめた。
 
 
 
 
「……うん」
 
 
 目がなくなる笑顔ではなく、優しく目尻をちょっと下げるだけ。
 頬がピンクに染まった。
「名雪……」
「ん……」
 深いキスを繰り返す。
 そうしながら与えられる愛撫に、増やされていく指に、名雪の身体は、少しずつ開いていった。
 
 そして……
 
 
 
「えっ! そんなことするの!?」
「いい加減、覚悟決めろ!」
 
 
 
 
「やっ……ああぁぁ!」
 
 
 あてがわれた郡司の熱いモノが、名雪の中に入っていく。
 雨に濡れて冷え切っていた二人の身体から、仄かに湯気が立ち上り始めた。
 
「あっ……、ああぁ……」
 打ち込まれる後ろのモノに、名雪は体中を痺れさせた。
 
「名雪…お前の中……熱い……」
 
「ん……はぁ……ぐんじ…さんも……」
 
 名雪の潤んだ瞳に、郡司の腰は、更に早くなった。
 
 
 
「あッ! …やああぁぁ……!」
 
 
 
 狭い部屋中に、名雪の声が何時までも響いた。
 狭い狭い畳の上で、二人はいつまでも抱き合っていた。
 
 
 
 
 
 
 
==============
 
 
 
 
 
 
「真琴!」
 
 
 晴れ渡った青い空がどこまでも続いている。
 風が、適度に吹き抜ける。
 庭の隅で咲き出した花たちが、葉や花びらをひらひらさせて、光を乱反射している。
 そんな気持ちのいい、日曜の朝。
 
 ベランダから郡司が名雪を呼んだ。
 
「珈琲、入ったぞ」
 
「ありがと! すぐ行く!」
 干していた洗濯物の最後の一枚を、取り敢えず竿に引っかけて、名雪は郡司の待つベランダへと、向かって走った。
 
 窓は開け放たれた。
 中を見れば、レースのカーテンの向こうで、いつも郡司が自分を見ている。
 名雪は、嬉しくて郡司に飛びついた。
「お待たせ!」
 
 二人で室内に入ると、窓際のソファーに並んで座った。
「お疲れさん」
「うん! 頂きます」
 美味しそうに珈琲を飲む名雪を、郡司も嬉しそうに眺める。
「なあ、こないだも言ったけど」
「うん?」
「やっぱ、ここに住めよ」
 
 名雪は困った顔で、郡司を見た。
 本当は自分もそうしたい。
 どんなに、幸せかしれないだろう。
 
「でも……」
 それをしてしまったら、他のことまで、甘えさせられてしまいそうで、怖かった。
 大学の授業料と、奨学金。
 これは、絶対に自分の力で、払いたかった。
 それは、ここまで育ててくれて、入学させてくれた親への感謝。名雪には、とても大事なことだった。
 
 部屋代が浮くのは助かるけれど、それだけでは絶対済にまない。
 目の前の、このなんでもしたがり屋は、名雪の手には負えないところがあった。
 
「──わかった」
 頑なな名雪を見ていて、困らせたくない郡司は、やっと諦めたように溜息をついた。
 
「その代わり、ここに畳の部屋作ろう!」
「はっ!?」
「ベッドとか、布団とかなくても、ドタッと押し倒してすぐデキるあれ、すっげー良かった!!」
 
 
 
「…………」
 
 
 あれから何度も、郡司のベッドで身体を重ねていた。
 しかし郡司は、畳が忘れられないようだった。
 
 ここには畳の部屋がない。
 もともとあった畳の間は、必要ないからと言って、入居するときにフローリングに作り替えていた。
 そこには現在、高価なオーディオセットが設置されている。
 
 
「12畳もあれば、いいよな?」
 
 
「……この──ブルジョア!!」
 
 呆れて殴りつけた名雪の腕を、すかさず郡司は絡め取る。
「あ、孝……」
 その肩を抱きすくめて、唇を塞いだ。
「……ん」
 震え出す、一回り小さな身体。
 
「可愛い……真琴」
「……ん」
 
 以前、ここに座れないことを泣いた。
 それを思うと、名雪は今がとても幸せだった。
 
 
 
 
 
「僕、しあわせ」
「ああ、……俺も」
 
 
 今、名雪のズボンのポケットには、この部屋の玄関の鍵が、ベランダの鍵と一緒に入っているのだった。
 
 
 
 
END   


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