ぼくは、あっち。
  

 
「……野原…抜くぞ」
「…………ハイ」
腕の中で、上目遣いに見上げて、小さく頷いた。
大きい先生のそれは、抜くときでさえ、刺激される。
「………ん」
圧迫感から解放されて、呻いてしまった。
「…………」
先生が横に並んで、僕の前髪を掻き上げた。
「凄い汗だな……。辛かったか?」
心配そうに、覗き込んでくれる。
僕は赤面した。そんな…面と向かって……
 
「…先生だから…濱中先生だから。……僕、頑張りました」
 
照れながら、そう言って微笑み返した。
気持ちいいとか、感じたとか、そんなのは恥ずかしくて言えなかった。
「――――――」
また抱きしめられた。今度は、息も出来ないほどきつく。
「………………」
 
「……誤解が解けて、よかった」
「……ハイ」
 
「学校じゃ、なかなかアレだから……放課後、外で会うようにしような」
「……はいっ!」
 
 
――ああ、その言葉……僕、欲しかったです。
 
 
僕だけ”特別”の証拠。
僕一人だけのための、先生の時間。
……もう不安にならない。
 
もう胸は―――痛くない。
 
 
 
 
 
 
 
 
泥だらけの僕たちは、こっそりシャワールームに行って、身体を洗った。
明るいところで裸になるのは、恥ずかしかった。
先生、もう一回大きくなっちゃうし……。
 
「先生。僕、秋の体育祭…実行委員に立候補します」
頭を乾かしながら、考えていたことを伝えた。
「えっ、おまえが?」
「……ダメですか?」
「いや……いいけど…」
「体育が大っ嫌いだったけど、先生のおかげで憂鬱には、ならなくなりました」
「…………」
「でも、運痴には変わりないから……」
情けなく、笑ってしまった。
「先生と少しでも一緒にいられる、接点が欲しいんです」
「野原……」
先生が眼を丸くした。
「俺も……そんなこと思って、お前に片づけをさせてたんだ」
「…え!?」
僕も、眼を丸くした。
「罰…だと思ってました。…あんまり運痴で使えないから…」
「そんなこと思ってたのか…いつも、一生懸命片づけるから、感心して見てた」
クスリと笑って、続けた。
「ちょろちょろと動き回って、子ネズミみたいだなあって」
「!! ……子ネズミ……」
そういえば、さっきも言ってた……ひどい。僕は声を立てて笑ってしまった。
「僕、ホントに………嫌われたくなかったから」
目を細めた僕に、先生も微笑んでくれた。
「……お前に言ってんのに、三浦がいつも邪魔だった」
「……え」
「いや、なんでもない」
誤魔化すように、僕を抱きしめた。そして小さい声で、溜息のように呟いた。
「…バスケ部のマネージャーになってくれればなあ」
「え! ぼ…僕でいいなら……!」
そんなこと、思いもつかなかった。
顔を輝かせた僕に、先生は苦い顔で笑った。
「いや、それもマズイ」
「えー……」
やっぱり運痴は、願い下げか。
「野原…」
ガックリした僕を上に向かせると、先生は真面目な顔で向かい合った。
「…出来ることを頑張っていれば、俺は必ず評価する」
「……はい」
「それは、”これがダメだからあっち”だけじゃなく、ダメでもトライし続ける事も含むんだぞ」
「………!」
「三浦が野原にパスをし続ける意味を、考えろ」
「………」
「少しでもプレイできるようになれば、楽しいだろ? 体育だって」
「……はい」
胸が熱くなる。
「俺は失敗を晒し者にしたりなんかしない。根気よく教えてやるから」
僕の左手を握って、目の高さに上げた。
「左利きってことを理由に、諦めるな。たとえ、最後の最後まで上手くならなくても、それが頑張った上でのことなら、いいんだよ。だから……もう逃げるな」
「………はい!」
目が潤んでしまった僕の頭を、よしよしと言いながら撫でてくれた。
「それはそれとして、実行委員をやってくれるのは嬉しいが…」
先生の顔が近づいてきた。
「……大変なんだぞ」
「ハイ」
「校内では、ひいきはしないぞ」
「…ハイ」
もう、不安にならないもん。僕は大丈夫。
至近距離に迫った先生の顔を、僕も真っ直ぐ見上げた。
  
優しい先生のキスが、じゃあ、ガンバレって、言ってくれていた。
 
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 
 
「小五郎? どうしたの」
 
今は秋。 
夏休みが終わり、久しぶりに会った小五郎の様子が、変だった。
どこか、上の空で。
「……あ、いや…なんでもない」 
小五郎にしては、歯切れが悪い。
慌てて顔を赤らめると、横を向いてしまった。
「……?」
以前は二人でべったりくっついて、僕はよく面倒を見てもらってたけど。
最近はあまり一緒にいなくなったから、よくわからないところがある。
しょっちゅう隣の教室に、行っているみたいだった。
 
「ミチル」
「ん?」
僕が見上げると、小五郎は眩しそうに目を細めた。
「……体育祭の実行委員になれて、良かったな」
「うん! 推薦してくれて、ありがと!」 
小五郎の、いつもの優しい笑顔。
僕も、笑顔で答えた。
 
「……ハマチュウとも……がんばれよ」
―――!!!
「えっ!? ……小五郎…なんで!?」
僕は、びっくりして大声を出してしまった。
教室の片隅。昼休みも終わり、喧噪がすこしづつ戻ってきていた。
「あいつ…ハマチュウに聞いたんだ」 
「…………」 
「俺、ミチルのことが好きだったんだぜ」
顔を寄せて、そっと囁かれた。
「―――!!」
………小五郎。
真っ赤になった僕に、また笑いかけた。
「おまえ見てれば、嫌でもわかるって。ハマチュウしか見てないんだから」 
「………うん…」
「…こいつ!」
申し訳なく頷くと、頭を小突かれた。
見上げると、小五郎の顔は笑っていた。
「…小五郎」
「そんな顔、すんな。……ハマチュウが正直に全部話してくれたから……俺より先に、ミチルに手ぇ出した詫びだって」 
「………」
「俺も、吹っ切れた。いつまでも、おまえ見てるの辛いしな」
「………」 
「だから、そんな顔すんなって。俺は大丈夫だから」
「……小五郎……」 
「俺、すごいモテるらしいぜ。あのスケベ野郎が教えてくれた」
「!!」
僕は、何かが判りかけた気がした。
「俺、まだミチルのこと好きだけど…気にすんなよ。そのうちミチルが心変わりしても、もう遅いかんな」
「……うん」
「…俺、今、おまえよりダメっ子の、面倒見始めたんだ」
「…………」
僕の脳裏に、僕を睨み付けた隣のクラスの子の顔が掠めた。
「……だからもう、今までみたいに俺がお前の面倒見れないから……ミチルは目一杯ハマチュウに甘えろよ」
「……うん」
……小五郎。
いつも通り、優しく笑う小五郎に、僕も笑い返した。
「ありがとう。……僕…自分のことばっかで……ごめんね」
「……う〜ん。やっぱ、もったいないかな」
「え?」
ぐぐっと顔を近づけてきて、小五郎が囁いた。
「最後に1回だけ、キスさせてくんない?」
「!!」
僕は赤くなって、顔を離した。 
「だっ、ダメ! これは、濱中先生のもの!」
手で口を覆って、必死に首を振った。
「はは、冗談だよ。そんなことしたら、こっちのヤキモチ妬きが泣く」
「………」
見惚れるような、いい笑顔で返されてしまった。
「……小五郎、バスケ頑張ってね。僕も体育、ガンバル」 
「……ああ。一緒に試合、出れるようになろうな」
「…うん!」 
  
 
 
 
 
 
 
「あっ、スミマセン」
職員室に入ろうとしていた、美術の安藤先生を呼び止めた。
「あの! ハマナカ先生を呼んでください」
僕の両腕には、でっかい段ボールの箱が抱えられている。中には、体育祭用の紅白ハチマキが大量に入っていた。
倉庫に保管するために、濱中先生に鍵を借りに来たところだった。
 
「ハマナカ先生?」
「はい!」
安藤先生は、職員室の中を見て僕に聞き返した。
「どっちの?」
僕も中を覗くと、手前に浜中先生が席にいて、奧のほうで濱中先生が背中を向けていた。
 
もちろん、僕が用があるのは一人だけ。
僕が声に出して呼ぶのは、濱中先生だけ。
 
 
 
 
 
  
「あっちの!」
奧を示して、答えた。
 
  
赤いジャージが、遠目にもかっこいい。
濱中先生が振り向いて、僕に笑う。
誰も知らないけど……僕だけの笑顔。
 
   
 
……先生……濱中先生。………大好きです。
 
 
 
僕も、微笑み返した。
誰も知らないけど、先生だけのための笑顔で。 
 
 
  
完  

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