カバン返して。
 
2.
 
「ほら、飯」
 
 俺はさっき買ってきた惣菜を皿に移すと、テーブルの上に並べた。
「えっ、ご飯も買って来たんですかぁ?」
 パックから出したまんまの四角い白飯を見て、また千尋が素っ頓狂な声を上げた。
「炊くのメンドイから、いいんだよ。文句あんのか?」
「…だって」
「何?」
 ウジウジ下を向いているから、凄んでやったら仕方なしに喋り出した。
「…もったいないですよぉ。お米だけは買って炊いた方が、安上がりなのに」
 俺の頭の血管が、またブチッと切れた。
「誰のせいで、こんなの買う羽目になってると思う?」
「!」
「少なくとも今日・明日くらいは、手作りおせちのご馳走があったんだぜ」
「ああぁ…ごめんなさい」
 向かいの椅子に座って、小さく肩を窄めてしまった。
 とっぽいんだか、繊細なんだか。
 俺はちょっと面白くなって、ずっとその姿を眺めていた。
「…あの」
 下を向いたまま、千尋が小さい声を出した。
「あん?」
 顔を覗き込むと、相変わらず下を向いたままうじうじしている。
 …ウゼェ。
「はっきり言えよ!」
 怒鳴ると、千尋は体ごと椅子から飛び跳ねて震えた。
「だって…」
「だってじゃねえよ、何だよ!?」
「そんな目で見ないでください」
「…はっ?」
「だから、そんな怖い顔で睨まないでくださいぃ」
 
 ───!!
 
 前髪で目も鼻も全部隠すほど俯いて、泣きそうな声を出している。
「……」
 確かに俺は短気だ。
 すぐ怒るって言われて、怖いとも言われてたけど。
「そんなに怖いか?」
 菜穂はもう付き合いきれないって、言ってた。
 もっと優しいヒトを探すんだと…
 
 俺が、放心したように聞いたもんだから、目の前の馬鹿も、表情を変えた。
「あっ、いえ! 怒ると怖そうなんです。でも、カッコイイ目です!」
「……」
 首を突き出してきて、言い訳した千尋の顔が、真っ赤になった。
「あああ…食べましょう! 冷めちゃいます!」
 
 ───温めてないけどな…
 俺は鼻から深い溜息を吐き出して、飯を食うことに専念した。
 
 美味しいですねーとおべんちゃらを言う男の言葉など、聞きもせず、俺は食べ終わると席を立った。
「あっ」
「?」
「だめですよー! ご馳走様、言ってません」
 ───!
 がくっと力が抜けた。
「それに…」
「? …なんだ?」
「いえ、その…一緒に食べてるヒトがいたら、最後まで一緒に座ってたほうが…その」
 
 箸の先を咥えたまま、目を潤ませている。
 
 ───まさか…寂しいのか? …その歳で…
 
 俺は呆れて見下ろしていた。 
「ボクなんかがお願いできることじゃ、ないですけど」
 
 その真っ直ぐな情けない目線に、俺の怒りも消えていた。
「…茶、淹れんだよ。飲むだろ」
 くるっと背中を千尋に向けて、俺は顔を隠した。
 下っ腹がむず痒い、変な気分になったからだ。
「…はいっ」
 見なくてもわかる、満面の笑みを湛えた声が、背中に届いた。
 
 
 ───なんていうか、千尋って男は、調子がずれる。
 以前の俺はすぐ怒っては、怒鳴り散らしていたのに。
 
 
 
「えっ! 一緒に寝ていいんですか!?」
 予想外な顔で驚いている千尋に、俺も呆れた。
「布団が一客しかねーんだよ! 嫌ならそこら辺で転がれ」
 こっちの夜は、電気毛布がなければ、寒くて寝れないくらいだ。
 拾ってきた以上、部屋の中で凍死されたら困る。
「…お邪魔します」
 貸してやったダボダボジャージで遠慮がちに隣りに入ってきた。
「………」
「…? …どうしたんですか?」
 俺が思わず息を止めたから、千尋も怪訝そうな顔を上げた。
「……べつに」
 ───久しぶりに、他人が横に入ってきたから……
 菜穂のことを、また思い出してしまった。女はそれっきり懲りて、それから3年間誰とも付き合っていない。
「いいから、さっさと寝ろ」
 寝返りを打って千尋に背中を向けた。
「徹平さん……」
 小さい声が後ろから追いかけてきた。
「……ありがとうございます。徹平さんがいい人で、ボク…助かりました」
 嬉しそうに、囁く。
 俺はまた下っ腹がむず痒くなった。
「寝ろ!」
「…はい。おやすみなさい」
 千尋はしばらくごそごそと、落ち着かない様子で動いていたが、そのうち柔らかい寝息が聞こえてきた。
 
(……はぁ)
 起こさないように、そっと溜息をついた。
 ───んだかなぁ。…何やってんだ俺。
 ガラにもない人助けみたいなことして…。
 俺は…そんなイイヤツじゃない。
 
 
 翌日は正月休み最後の日だった。
 本来なら、実家帰りの疲れを取るために一日寝潰してるんだが…
「あああ──っ! ない!」
 素っ頓狂な声に、たたき起こされた。
 朝っぱらから、布団の回りをごそごそ這い回る気配。
「…なにしてんだ?」
「昨日、ここに置いといたはずなんです!」
 前髪を掻き分けながら四つん這いになって、必死に畳を這いずり回る。
「ボクの眼鏡~!」
 
「……はぁーッ、ったく…」
 しょうがないから俺も起きて、顔を洗った。
 
「ほら、メシ」
 昨日買ってきた食材で、適当に朝食を作った。
 米を炊くのが嫌いだから、朝は大概パンと炒め物だ。
 ───ん?
 昨日の調子で喜ぶかと思ったら、千尋は食べ始めた途端俯いてしまった。
「なんだよ?」
「………」
 ちらりと俺を上目遣いで見る。
 眼鏡の奧で、モノ言いたげに瞳が揺れている。
 ウゼエ…。俺ははっきり喋らないで、もじもじ何か訴えてくるヤツが大嫌いだ。
 更に睨み付けると飛び上がって、観念したように喋りだした。
「…夕ごはん、ボクが作りましょうか」
「……は?」
「お…美味しくないですぅ」
 ───!
 そりゃ、俺は食に拘りってモノがない。
 だからってコイツに言われるほど酷いとは思ってなかった。
「おっ怒らないでくださいっっ」
 千尋は蒼白になって、テーブルの向こうで縮こまった。
「……勝手にしろ!」
 美味くないと言われて、これ以上作る気もしない。どうせ2,3日の我慢だ。
 
 
 
 それにしても、ちょっと気になるのは…
「おまえ、なんでそんな寒い格好してんの? こっちがどんくらい寒いか知らなかった訳じゃないだろ」
 バスに乗る時はまだ暖かい。3時間後に降りるともう、別世界のように寒いんだ。
 晩飯の材料を買いに、俺たちはまた昨日のスーパーに向かっていた。
「え、支給がこれしかなくて」
 千尋はふと自分を見下ろして、呟いた、
「支給?」
「あ、いえ…なんでもないです!」
 耳慣れない言葉に聞き返した俺に、笑顔で誤魔化した。
「慣れてるんで、寒くないです! それより夕ご飯、楽しみにしてくださいね!」
 
 
 
 
「…美味い」
 千尋の腕前は、言うだけのことはあった。
 見栄えもさることながら、メニューのバリエーションも味も、ちょっとやってたってレベルじゃない。
「んだよ、もしかして調理師?」
 そうならそうと、言やあいいのに。
「いえ…、あ…勉強する機会がたくさんあったんです」
 俺の誉め言葉に、照れたように、目をしばたかせている。
「でも、食器が少なくて…」
 よく見ると、ありったけの皿を使っているが、確かに似合ってはいない。
「…俺はそんなもん拘って、揃えたことないからな」
 困ったように笑っている千尋の手元には、ピンクの箸、ピンクの茶碗。
「これ、彼女さんのですよね。勝手に借りちゃいました」
「元カノだよ! 余計な気を遣うな!」
 未練がある訳じゃなく、捨てる必要がなかったからまだあっただけだ。
「はい!」
 千尋は嬉しそうに、ピンクのマグカップに入ったスープを啜った。
 
 
 
 その晩は当然のように隣りに入ってきて、ぴたっと俺に身体をくっつけてきた。
「おやすみなさーい」
 無駄に動くこともなく、すぐにすやすやと寝息を立て始める。
(いい気なもんだ…)
 他人がいると寝付けない俺は、千尋のサラサラ髪を眺めて、やはり溜息をついていた。
 菜穂とヤッた後、俺だけ寝付けなくて、よくイラついたもんだ。
 俺だけ動いて、俺だけ疲れて、なのに気持ちよさそうにアイツだけ寝コケやがって。
「…………」
 天井を見上げて、溜息をついた。
「…てっぺい…さん?」
 千尋を起こしちまったようだった。
「…遠距離が、問題じゃ……なかったんだよな」
 俺はかまわず、呟いていた。
「……」
 千尋は黙って引っ付きながら、俺を見つめていた。
 その後は、千尋の体温が眠りを誘ったようだった。
 珍しく俺は熟睡できていた。
 
 
 
 翌朝は千尋が来てから、3日目の朝だった。
 今年初の出勤日でもある。
「おまえ、仕事どうすんだよ。連絡は?」
 スーツを着込みながら聞いた。あまりにお気楽な顔で、カバンだけ待ってるから。
「…いいんです。去年の春入社したけど……辞めたんです」
「へえ、もったいねぇな。正社員?」
「…一応」
 ネクタイを巻きながら鏡越しに、俯いてる千尋を眺めた。
「つか…そんな前髪で、よく入社できたな」
「…はい……まあ」
 うっとおしそうに掻き分けながら、眼鏡の奧で、また笑う。
 こんな歯切れの悪い返事、以前の俺はすぐ短気を起こして怒鳴り散らした。
 特に…なんでか菜穂のちょっとしたことを、俺は許せなかった。
 同じことをしていても、千尋の困った笑みは俺の怒りを持続させない。
「ほんじゃ、行ってくる。カバン見つかったらさっさと出てけよ」
「あっ、待ってください! これ」
 差し出してきたのは、タッパに詰めた弁当だった。
「なんだこれ」
「お弁当箱が見当たらなくて」
 ダメ? とでも言いたげに、見上げてくる。
「……ああ、さんきゅう」
 一瞬突っぱねようと思ったが、今朝と昨日の味を思い出して、受け取ってしまった。
 


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