カバン返して。
 
15.
 
「徹平さんの誕生日、もうすぐですねぇ〜っ」 
 
嬉しそうな声がのんびりと、そんなことを言い出した。
「お、そうか」
もう、そんなに経つのか…。
 
 
 
千尋が俯かなくなって、俺の仕事も落ち着いていて、特別なイベントもないまま過ごしていた。
日々同じ様なことを繰り返しているうちに、もうそんなにも経っていたようだ。
  
 
 
あの後すぐっだったと思う。千尋が散々泣いたあの晩。
その何日か後、俺に聞いてきた。
「徹平さんの誕生日って、いつなんですか〜?」
「俺の?」
……まあ、いつかは聞かれると思っていたが。
「……7月7日」
「えーっ! 七夕じゃぁないですかぁー!」
想像通り、目の前の顔が輝いた。
その後は笑い出すのが、目に浮かぶ。
「似合わねぇだろ!」 
睨み付けて横を向いた。大抵噴き出されるんだ。乙女チックすぎるだろ!って。
「そんなことないです! 徹平さん、牽牛星の彦星みたいにカッコイイです!」
そうきたか、と力が抜けた。
「……彦星ってカッコイイのか?」
「はい! ボクが優美に読んであげてた、絵本の彦星みたいです!」
「……絵本」
俺は苦笑を隠せなかった。まあ、いいけどな。……久しぶりに腹の底が、むず痒い。
千尋は、家族のことも少しづつ話すようになっていた。 
「ボク、織り姫〜! 徹平さんのためなら、一生懸命働くのになぁ」
洗濯物をせっせとたたみながら、溜息をついている。
俺から見りゃ、スッゲー働いてると思うが。”外で金を稼げない”ということが、精神的に辛いようだった。
 
俺は笑って、座りこんでるその頭を抱き寄せた。
「バカ。そんなのに例えんな。一年に1回しか会えないんだぞ」
「あっ! そっ……そんなの、ダメです!」
たたみかけのパンツを放り出して、俺の腰にしがみついてきた。
「でも、ボク……なんにもプレゼントできないです…」
自分は、食器1セットを揃えてもらったのに……と、しがみつきながら、小さな溜息をついた。
 
「…お前」
「………え?」
「お前のカラダがいい」
「えぇっ」
 
そこは…千尋が顔を埋めているソコは、俺のナニがある場所で。
暖かい溜息にヤラレてしまった。
「てっ、てっぺいさん〜〜っ!!!」
 
俺は時期を待たずして、プレゼントだけすぐその場で、貰ってしまったのだった。
 
 
 
 
 
「―――――――――」
 
「? どーしたんですか?」
「…………」
「徹平さん、顔が真っ赤ですよぉ」
思い出して、自分の情けなさにガックリきていた。
「……いや」
「短冊作りましょう! 願い事、書くんです!」
―――願い事?
俺の顔に、千尋もハッと口を噤んだ。
「……あは、ボク…昔を思い出してたら…つい」
”家族を返して欲しい”
それ以外は、願わないって、泣いていたんだ。ずっとそうやって生きてきたって……。
あの時から比べて、どれだけ笑うようになっただろう。コイツは。
「……千尋、一杯短冊書こう。叶う願いばっかり、書くんだ」
「……叶う願い?」
哀しげに翳った瞳が、キョトンと見開かれて、俺を見る。
「ああ! 例えば、……明日は鍋が食いたい…とか。」
「……鍋!」
「何でもいいんだよ、叶いそうな事を書け! 叶うから!」
「!! ……はいぃっっ! そうします!」
輝きを取り戻した千尋の目に、俺の口元も緩んだ。
その後、これでもかってほどどっさりと短冊を用意してやった。
「片っ端から書け!」
「はい! ありがとうございます〜!」
嬉しそうに顔を俯かせたまま、せっせとペンを走らせ続けた。
俺はその姿が妙に健気に見えて。
…アタマ撫でたり、肩を抱きたくなってしまうが、邪魔しないように我慢した。
そんな俺の心(身体)も知らず、千尋はのんきな声を出していた。
「てっぺーサンも、書いてくださいよ〜!」
片肘突いて眺めている俺に、時々視線を上げながら。
 
「ささのは〜、さーらさら〜」
鼻歌まで歌って、買ってきた竹笹にヒモで結び付けた。
 
『徹平さんとキスしたい』
『徹平さんの腕枕で寝たい』
『徹平さんとお風呂入りたい』
『徹平さんの笑顔を見ていたい』
『徹平さんの胸が好き』
『徹平さんの腕が好き』
 
……なんだこりゃ。
隣で、吊された短冊を眺めていて、可笑しくなった。
『明日はすき焼きです。ごめんなさい』
「ぶっ」 
とうとう俺は、噴き出してしまった。
「願い事だろっ? 謝ってどうすんだ! 好きってのも違うだろ!」
「ああっ! 見ちゃダメですよぉーっ!」
顔を真っ赤にして、千尋が笹の前で手をバタバタさせた。
「ずるいですっ! てっぺーさんのも見せてください!」
「はは……わりぃ!」
笑いすぎて、申し訳なくなった。
まだ飾っていなかった、たった一枚だけ書いた俺の短冊。
『千尋の笑顔をずっと』
それを千尋に渡した。
「お……さっそく、叶った」
受け取って頬を紅く染めた顔が、優しく微笑む。
「……ボクもです」
目を瞑って首を伸ばしてきた唇に、俺は自分のを重ねた。
 
七夕当日までには、若干早いが。
2度目のプレゼントを、その場で頂いた。
 
「……ちひろ……すまん、朝だ」 
俺とヤッた次の日は疲れるのか、千尋は寝過ごすことが多かった。
口を薄く開けて、軽い寝息を立て続ける横の身体を、抱きしめて起こす。
耳に囁いて、朝を告げる。
「あっ、あぁ〜っ! ごめんなさい! すぐ用意しますッ!!」
耳を押さえて飛び起きる千尋に、俺はキスをしてやる。
「ひゃーっ! お…おはようございます……」
しどろもどろ、照れながらも微笑む。
 
やっと、心から笑うようになった。
文句も言うようになった。
俺も千尋も、毎日が幸せだと、思っていた。
お互いの痛いところを解り合って、蓋してた過去にケリをつけて。
お互いが居れば、それだけでいいと思っていたんだ。
  
このままで、いいはずはない。
まだ闘わなきゃいけないことは、ある…。
でも暗黙の了解のように、俺たちはそれには触れなかった。
この幸せな時間が壊れないように…それだけ考えていた。 
季節のイベントを渡り歩いて、遊び尽くした。
「正月、節分、七夕、誕生日……みんなやっちゃった!」
「ああ、次はなんだ?」
「えーと、クリスマス!」
「気が早いな。まだ夏だぞ!」
「う〜ん、じゃあ、お月見!」
「それ、イベントか?」
「なんでも、いいんです! 記念日になれば!」
そんなふうに、カレンダーを塗り潰しては、身体を繋げて。
理由を作っては、お互いをプレゼントしあったんだ。 
こんなに幸せでいいのか……時々そんな顔をする千尋を、俺は抱きしめてやった。 
 
 
  
 
 
 
なのに――――
  
 
 
「……ちひろ……?」
 
  
 
耳をつん裂く急ブレーキ。
鉄の塊り同士のクラッシュ音……悲鳴……
  
 
「千尋ッ」
すぐ後ろにいたはずの千尋が、視界にいなくて。
のろのろと見下ろした道路の横で、アイツが倒れていた。
他にも何人も倒れている。
飛び散って粉々に砕けた、ガラスの破片。
おびただしい流血の泉。
転がったトラックから立ち昇る、白い煙と炎。
―――すさまじい爆裂音。
 
「――――!!」
 
一瞬で、何も見えなくなった。
なに…何が起こったんだ!?
 
(……うそだろ……)
 
真っ白になった頭で、千尋をもう一度探した。
立ち込める黒煙の中で、千尋の身体は転がったままだった。
体中、真っ赤に染まっている。
「千尋ッ! 千尋ッ!!」
駆け寄って抱き起こした。
揺さぶるけれど、垂れた手はアスファルトに投げ出されたままだった。
 
ちょっと、待てよ……
なんで千尋がこんな目に遭うんだ……
開かない目は、毎朝の穏やかな寝顔とは、似ても似つかない。
動かないそれを、俺は必死に揺さぶった。
「千尋! ちひろ!! 起きろよ!」
 
なんで…なんでだよ……!?
やっと、前向きに歩き始めたんだぞ!
コイツは、生きようとし始めたんだ!
なのに、なんで……
「千尋ッ! 起きろよ……死ぬなッ! こんなとこで死ぬんじゃねえよ!」
 
俺は動かない身体を、抱きしめて叫び続けた。
ひでぇ……! こんなの、ねえだろ!
千尋の痛みが、俺にも伝わってきた。
頭痛で目眩がする。体が一瞬で自分の物じゃ無くなった。
血が流れていく。
……痛え! 痛えッ!
「くっ……」
呻いて千尋を、抱き直した。
血だらけのその体は、俺まで全身真っ赤に染めた。
「死ぬなッ! 死ぬなッ!」
声で叫んでいるのか、頭の中で叫んでいるのか、もう判らなくなった。
絶叫し続ける俺の頭に、自分の声に交じって、何か聞こえた、
  
「だめですよぉ」
 
(…………!?)
 
「死んじゃだめです〜!」
 
 
 
――千尋……!?
 
―――なに言ってんだ…死にそうなのはお前だろ? 
 
 
 
「ダメですよぉ! 徹平さんっ! 死んじゃダメですよお!」 
 
「徹平! てっぺい!」 
 
 
 
? ……なんだ……
 
 
 
「徹平…! 徹平…! しっかりしてッ」
 
 
 
 
…………母さん?
 
 
 
 
 
体中痛い…
血だらけなのは、俺か?
 
 
持ち上がらない腕から、動かない体から、血が流れ出していく。
地面に投げ出されて、見上げた空には、黒煙が立ち昇っていた。
横倒しになったバスの窓ガラスが割れていて、中からいつまでもモクモク……
 
ふと見下ろすと、俺がいた。
(…………?)
いつの間にか俺は、上からそこを見ていた。
惨状が一望できるような、空の上だ。
 
俺が血だらけで倒れている。
俺だけじゃない、たくさんいる。
離れた場所には、散乱した荷物。
俺のカバンは中身が飛び出て、着替えやタッパの中のおせち料理がぶち撒かれていた。
 
……この光景は……
  
 
 
 
――徹平さん……
――カバン、持っていてね。ボク、取りに行くから……。
 
………ちゃんと返してもらいに、行くから――――
  
 
 
 
(……千尋!?)
 
 
「徹平! 徹平!」
―――母さんの声。
  
俺の声、千尋の声、母さんの声……他にも俺に呼びかける。
―――しっかりしろ! いい加減起きろ!
悲鳴や喧噪……救急車、消防車のサイレン。
俺の頭の中に、一気に流れ込んできた。
 
「てっぺい!?」
「…………」
「起きたの! 気が付いたんだねッ!?」
 
 
 
「……?」
視界が殆ど利かない。眩しい……
 
「よかった! よかったあぁっ……!!」
いきなり横で泣き崩れている母親……
 
……? なんだ?
…………千尋は?
 
「徹平! 聞こえてる? 母さんが解る?」
ボーゼンとしている俺に、心配そうに顔を寄せてきた。
「…………」
俺は、頷いてその顔を見つめた。
疲れ切った、表情。ボロボロな格好。
「……俺は…?」
 
「あんた、正月が明けて帰るとき、家から出た後、バスで事故に遭ったんだよ!」
「――――!!」
「母さん、こっちにすぐ駆けつけてアンタのことずっと、看病してたんだ」
「……ここは?」
「地元の病院だよ。大事故でねえ…とにかくここに担ぎ込まれて……」
また泣きだした。
「あんた、それっきり目を覚まさないから…ッ」
 
 
ちょっと待て……
俺は……
 
 
「今日は、……いつだ? どのくらい…」
 
口の中も唇も、渇き切っている。まともに喋れない。
鼻に突っ込まれているチューブも邪魔だった。
「あんた、2週間も意識不明だったんだ……! ちょっと辛抱してな、今先生呼んでやるから…」
枕元に垂れ下がっていた、ナースコールのボタンを押した。
スピーカーから、看護師の声が返ってくる。
「ハーイ、荻野さん、どうしましたー?」
母さんはそっちに向かって、息子が眼を覚ましたと、大声で泣き叫んでいた。
 
 
二週間……?
嘘言うなよ……俺は千尋と、半年以上一緒に……
 
そうだ……あいつは?
 
 
 
―――カバンを持っていて。
……返してもらいに、いきますからね……
 
 
  
起きる寸前、そう頭に響いた言葉が、蘇る。
カバンって……
最後に見た光景。
あのぶち撒かれた荷物の様子は……
千尋が自分のだと言い張って、カバンを開けてしまった時と同じだった。
 
 
 
――――なんだ…なにが起きている? 
アイツは………
あの半年間は……なんだ? 
 
 
 
放心している俺を心配して、母さんが何か話しかけてくる。
でも、俺の心はそれどころじゃなかった。
胸の中をザワザワと何かが駆り立てる。
(幻……夢……そんな……)
そんな、生優しいモンじゃない! ……アレは… 
 
まだ手に温もりが残っているようだ。
サラサラの髪も…触ると一瞬震える肩も。
抵抗なくすっぽりと腕の中に収まる、身体も……
―――そんな……
  
 
 
 
――――― 千尋……ッ!! 
 

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