カバン返して。
 
16.
  
駆けつけた医師と看護師によって、ケガの具合を調べ直された。
 
バスが転倒した時、割れた窓から放り出されたらしく、全身切創、全身打撲。左前腕骨折、左足首複雑骨折、頭部強打による脳内出血の恐れ有り、等々……。有り難くない怪我名を、たくさん付けてくれた。
 
ギブスと包帯のグルグル巻きでベッドの上から一歩も動けず、意識も朦朧としていた。
数日間は、虚ろに寝たり起きたりを繰り返して、母親を心配させた。
でも……もう、どんなに眠っても、千尋の夢は見れなかった。
真っ暗い意識から引き戻される時、ここがどこなのか……
何が現実なのか判らなくなった。
錯乱した俺のうわごとは、事故の後遺症として医者を唸らせ、頭蓋骨の中までスキャンされた。
 
 
  
俺は必死に探っていた。 
手も足も動かず、思うように喋ることも出来ない間、
自分の記憶を……アレは何だったのかと……
 
思い当たる違和感。
千尋の姿が、いつまで経っても変わらなかった。
太りも痩せもせず…そうじゃない。……髪が伸びなかったんだ。
それは俺も、同じだった。
「変わらないな」って俺が言うたび「徹平さんも」って、アイツ…言ってた。
 
出張から帰ったときに感じた、あれは―――?
同じ冷気、同じ空の青。
見慣れた袋小路の角に咲く花は…
四季を賑わしていると思っていたあの花は、いつまでも山茶花じゃなかったか?
千尋と何度も見に行った、あの連峰は………
夏でも、頂きは真っ白だった。 
 
(――――!!)
 
俺は、愕然とした。
なんで、気が付かなかったんだ。
七夕だ、夏だ、などと言っていても、風景は真冬のままだった。
アパートの他の住人は……行き交う通行人は……?
俺たちが必要とした場所にしか、他の人間はいなかった。
(……そんな事って……あるか?) 
二月の終わりから、七月になるまで……俺は何をしていたんだ?
千尋が、今日はイベントの日ですねって言うと、カレンダーは季節をめくった。
―――俺は、その合間を覚えていない。
 
……なんだか判らない。
何がなんだか……
まるで、事故ったその日の中に……
止まってしまった真冬の一日の中で…… 
  
俺たちは、ちゃんと生活しているつもりでいた。
自分たちで、季節を動かしていたのか……? 
 
―――でも…止まった時間の中で、少なくとも”心”は時を重ねていた。
毎回リセットされているような千尋の外見。
でも俺に心を開いて、甘えるようになって……。
繰り返す俺たちの会話と、身体の繋がりは……千尋を笑顔に変えていった。
 
―――俺たちは、確かにあそこで生きていたんだ。
 
 
 
それにしても…
……千尋……
お前は、いったい……
 
 
 
めぐり続ける思考は、いつもそこでストップだった。
”千尋”
それ以上、なにも解らない――
あの哀しい魂は……
なぜ、俺と一緒にいたんだ?
どこに行ってしまったんだ―――? 
  
 
 
 
「ハーイ。まずは重湯からね」
看護師さんが、配膳トレーをベッドの上の台に置いてくれた。  
内臓は無事だったおかげで、意識がハッキリとした一週間後には、食事の許可が下りた。
「へえ……これが、オモユ?」
粥の上澄みだけのような液体を、なめるところから始まった。
「がまんしてね、荻野君。固形物はまだダメよ」
「ありがとうございます……ほら、徹平も!」
なにかにつけ、母親はぺこぺこお辞儀をしていた。
 
何日か様子を見ながら、俺に取り付けられていた様々な管も取り除かれた。
「いやあ、よかったです。若いから、目を覚ませば回復は早いですよ」
先生もホッとしたように、そう言って母さんを励ましていた。
 
父さんを独り家に置いてきて、こっちで泊まり込みの看病をしてくれる母さん。
その取り乱しようも、心配する様子も、世話をしてくれる気遣いも……
何もかもに、感謝する思いだった。
「母さん…心配かけて、ゴメン…」
枕元でパイプ椅子に座って、うつらうつらしている母親に、思わず言っていた。
「やだね、この子は…。ガラでもない!」
照れて、笑う母さんを見ていて、心から思うこと……
こんなふうに、無条件で心配してくれる。面倒見てくれる。
そんな家族がいるってことが、どれだけ有り難いことなのか。
千尋の話を聞いていなかったら、それに気付かなかったかも知れない。
この世の中で保証され、守られている。
それがどういう事か……つくづく実感した。
「母さんがいて、…よかった」
「なんだい、この子はっ! どうしたって言うんだか……頭打って、おかしくなったのかね!」
「それが、一人息子に言う台詞か!」 
確かに俺は、こんなふうに礼なんか言うガラじゃ、なかった。
(………………)
ふと、千尋を想って口の端を上げてしまった。
俺を変えたのは、千尋なんだ。
俺の中には、アイツがいるんだって……。 
 
「今度はニタニタ笑いかい。本当に大丈夫かね…」
呆れながらも母さんは、何かを思い出したような顔をした。 
「そう言えば、あっちの子はどうしたかねえ」
「え?」
「この事故で、もう一人いたんだよ、意識不明の子が」 
「…………!!」
「あんたと同時に運び込まれたんだけど……身元不明らしくてね。保護者が現れなくて、病院が対処に困ってるって……」
そこまで聞いて、俺はもう、いてもたってもいられなくなった。
 
―――千尋だ!!
 
確信に、揺らぎはなかった。
「母さん! ……それ」
俺は自分の血相が変わっていくのが、判った。
「なんだい、怖い顔して」
「そいつ……どこだ!?」
こんなとこで、守られて寝てる場合じゃ無い!!
俺は、自分の鈍さを呪った。
同じバスに乗っていて、一緒に事故っていたなんて!
この病院で、今も眠っているなんて……
(…………)
まだ、歩けないのは解ってる。でも……!
 
「クッ……!」
俺はベッドから降りようと、ギブスの脚を引きずって、端に移動した。
「何やってんのあんた! まだ動けないでしょッ!?」
母さんがビックリして、俺の肩を押さえた。
「痛ッ!」
左腕のギブスが揺すられて、激痛が走った。
「ほら見なさい! 何やってんだか徹平!」 
「……ッ!」
呻いて蹲って、俺はベッドから転げ落ちそうになった。
 
 
 
 
―――――えっ!?
 
 
 
 
自分の見た物が信じられなくて、一瞬俺は頭がおかしくなったかと思った。
「母さん……なんだよ、これ」
 
「何がだい?」
俺の視線につられて、一緒にベッドの下を覗き込んだ。
 
 
そこには、あのカバンが……俺のカバンが、二つあった。
 
 
「……なんで、二つ……あんだ?」
 
 
押し殺した俺の声に、母親が怪訝な顔をする。
「ああ…、一つはアンタのだと思って、掴んで持って来ちゃったんだよ」
「…………」
「そしたら、アンタのタグの付いたカバンが出てきたって、後から連絡あって……」
その当時を思い出したように、放心した顔になった。
「母さん……アンタのことが心配で…もう一つのを返すどころじゃなかったんだ……」
その顔を見て、責める気にもなれず……俺も黙り込んでしまった。
 
コピーしたように同じカバンが二つ。そこに並んでいる……。
千尋があれだけ、拘っていたカバンだ。
俯いて座りこんでいた後ろ姿が、思い出される。
 
――胸が痛くなった。 
……本当に、俺が持ってたのかよ……
  
 
(……返してやらなきゃな)
俺はもう一度ベッドから降りようと、身体を動かした。 
「母さん……頼む。そこに…そいつんとこ、連れて行ってくれないか」
 
 
 
母親に肩を借りて、カバンを転がしてもらって……
俺はやっと、その個室の前に辿り着いた。
ドアを開けると、薄手のベージュのカーテンを閉めた小さな部屋。
その淡い薄暗がりの真ん中に、ベッドが一つ。
  
「…………」
 
こないだまでの俺と同じ。
鼻から管を通した、酸素吸入の丸い頭が見える。
点滴やら何やらで、いっぱい繋がれている。
ピクリとも動かない、布団に埋もれたその顔は……
  
 
…………千尋
 
 
「母さん…ゴメン。こいつと、二人きりにしてくれ……」 
 
 
 
「……徹平…」
母さんは何も聞かずに、俺だけ中に入れると、ドアを閉めた。
 
「――――」
誰も看病しに来ない病室は、あまりにも寂しく感じた。  
枕元まで近づいて、顔を覗き込んでみた。
真っ白い顔に、ガーゼがいっぱい貼ってある。
長い前髪も頭を包帯でグルグル巻きにしてあるから、枕の後ろに流れている。 

でも……
その顔は、毎朝俺の横にあった、あの顔だった。
 
「……千尋……見つけた」
 
胸に熱いモノが、込み上げてくる。
夢だけど、夢じゃなかった。
千尋は、いたんだ。
腕の中に抱いた温もりが、蘇る。
……上目遣いの照れた顔が、俺を見る。
 
「……千尋」
 
堪らずに、頬に触れていた。
動かない瞼。
「……俺は、起きたぞ……お前も、起きろ」
千尋の顔に、滴が垂れた。
俺の眼からこぼれた、水滴だった。
傷だらけの頬を撫で続ける。
「おい……起きろよ! ……カバン、返しにきたんだぞ!」 
頬を叩いて、肩を揺すって……。
「ちひろ! ……千尋!!」
 
 
俺の大声を聞いて、外で待っていた母親が、驚いて飛び込んできた。
「何やってんの! 徹平!」
「千尋……千尋ッ」
「血迷ったのかいッ! そんなことしたって、起きないよ!」
 
 
 
母さんに抑えられて、俺はやっと千尋から手を離した。
 
「こいつ……どうなる……?」
 
「知らないよ! …身元引受人が出てこなきゃ、……可哀想だけど……」 
 
 
母さんも、気の毒そうに千尋を見下ろした。
 

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