真夜中のページ・ボーイ
 
15. 正 体 
 
「何を見ている」
 
 
 
 
 
 ギクッとして、身体が硬直した。
 
 背後で扉が閉まる音と、男の気配。原稿をめくるのに没頭して、気付かなかった。
 奧の部屋から出てきたのだ。
 
「勝手に部屋の物を触るとは……大したページボーイだな……」
 
 感情の無い、低い声。
 
 僕は首だけ、そっちへゆっくりと向けた。
 真っ白な顔をして、男が近づいてくる。
 
 
 
「………………」
 僕はもう、ここへ来るときから決着をつけるつもりだった。
 クビになったって、もういい。
 別館の掟に逆らって何が起きようが、今日みたいな事が続く方が、もう耐えられなかった。
 だから……
 
 
 
「あんた……カワギリ…ヤクモ………?」
 
 
 
 言葉なんか、選ばない。
 訊きたいことだけ、口にした。
「僕の痴態…ネタにして………出版なんかしてたんだ」
 
 
 
「──────」
 男は何も言わずに、近づいて来る。
 ………………!
 その目の色が、変わった気がした。
 ギラリと光って、凶暴なオーラを発し出す。
 
 
 ───また、捕まえてムリヤリ犯る気か?
 ………そうは、いくか……!
 僕は身体を引いて、逃げる構えで睨み続けた。
 
 
「その首のは、なんだ」
 
 
 予想に反して、男は僕の前で止まった。
 じっと見つめる先は、僕の首の横に貼ってある絆創膏だった。
 それはあの時、休憩室でチーフに付けられたモノを隠していた。
 わざとらしいけど、これしかなかったんだ。
 シャツを脱げなかった僕の耳のすぐ下……見える場所にキスマークを付けられてしまったから。
 僕は首に手を当てて、絆創膏を隠した。
 
「わかってて訊くんだ。……根性悪いね……」
 
 めざとい男に、何でか腹が立った。
 イヤミを言って笑ったつもりだけど……声が掠れた。
 
 何もかも、コイツのせいだ。
 こんなキスマークも、チーフにされたコト全部も……!
 
 
 
「答えなよ! ……あんたが、あの大作家 “河霧八雲” なんだろ!?」
 
 
 叫びながらも、まだ自分で信じられなかった。
 河霧八雲は……その作家だって、すごい古い人間の筈なんだ。
 僕が中学の頃には、官能小説の第一人者として、君臨していた。
 ポルノと言ったら、この人で。たいてい表紙に、赤いシミーズを来た女の人が描かれている。
 表紙からしてイヤらしいから、買うに買えなくて友達に借りたりしてたんだ。
 
 そんな古くからいる作家が、こんな若いなんて……
 あの作家が、今、目の前にいるコイツだなんて……
 
 
 ───でも、事実はそれしか有り得ないと、物語っている───
 
 
 届けられたような、数冊積まれた同じ本。
 あれを読んだチーフが、ここでのコトを知ったんだ………。
 散らばった原稿用紙の中身は、僕の目隠しされた姿が、生々しく描かれていた。
 ……そして挿絵だ、ショートの…。
 
 女の子として……性器や性感帯は違ったって…………あれは、僕だ。
 
 
 
 
「俺じゃ───ない……」
 男は唸るように、低い声を絞り出した。
 
 ─────!!
 ……なにを、この期に及んで……!
「あんたでなきゃ、誰だよ!? ……まさか、あの老紳士なんて、言うなよな!!」
 冗談で言ったつもりだった。
 
 
「…………」
 
 男が……頷いた。
 首を、縦に振ったんだ!
 冷たい眼で、唇を引き結んで……
 
 
「────!!」
 怒りで脳みその血管がぶち切れそうだった。
「あんたも、大したモンじゃん! ……あんな老人のせいにするなんて!!」
 怒りすぎて、笑ってしまった。
 よくも人のこと、侮辱できるもんだ!
 あんな老人で、重々しい歴史関係ばかり書いてきた大作家を捕まえてさ!
 ……しかも、その内容は……!! 
「僕にやったこと、そのまま書いてんじゃんか! オリーブオイルも、ディープキスも、目隠しも!」
 間近で見下ろしてくる男に、思いっきり怒鳴った。
「あれ、あんたがやったことだろ!?  ヒトのせいにすんなよッ!!」
 そこまで言って、腕を掴まれた。
「うるさい……静かにしろ!」
「────!」
 怒りに駆られて、僕は逃げるのを忘れていた。
 
「…………あッ」
 
 すぐ後ろのベッドに押し倒されてしまった。
「やめろ! ……もう、こんなこと沢山だ!」
 昼間のチーフへの怒りも、ぶり返した。
 辞めてやる───こんなホテル!!
「どうせクビなら、あんたのこと言い振りまいてやる! 何が秘密か知んないけど、僕の知ったこっちゃないっ!」
 抑えてくる手に抗いながら、噛み付く勢いで言ってやった。
 切り札は、僕が握ったと思ったんだ。
 ビデオと制服で脅されてたけど、今は僕が優勢だって!
 
「……この手、離せよ!」
 冷たい眼で見下ろしてくる男を睨み返した。
 
 ─────!?
 ……また、……この眼だ……
 
 時々見せる、意味不明の表情……。
 僕は息を止めて、その琥珀を見つめてしまった。
「……………」
 手首を顔の横で押さえ付けて、真上から見下ろしてくる。
 危険な琥珀──猛禽類のそれのように、ギラリと煌めいて獲物を狩る……
 それだけだったら、僕はこんなにもこの男に興味を持たなかった。
 凶暴なだけなら、憎んで、嫌悪して、……もっとさっさと、ここを飛び出していたかもしれない。
 
 危険、危険、と警報を鳴らす僕のセンサーに、もう一つ引っ掛かっていたもの。
 ………それは………
 
 
 
「なんで、そんなカオ……してんの」
 
 孤独な狼のような───
 
 凶暴さなど、カケラもない…………寂しくて、冷たい眼だった。
 
 
 
「今からベルボーイを犯そうってヤツが、なんでそんな顔してんだよ!」
 
 あの渡り廊下で見たコイツの姿は、正にそれだったんだ。
 傷ついたオオカミが、やっと歩いている様だった。
 その瞳は、哀しみでいっぱいってふうに、眉を寄せて───
 
「……うるせえ」
「───んっ!」
 急変した狼は、獰猛な狩人のギラついた眼になっていた。
 今まで見たこともない怒りさえ、孕んでいる。
 いきなり掌で口を塞がれた僕は、その眼光に射抜かれていた。
 
 噛み殺される───!!
 
 一瞬煌めく殺意……。
 ぞっとして、全身が硬直してしまった。
 
 ──えっ!?  ……ちょっ……!!
「んんっ……んーーーっ!!」
 男は、前後の見境が無くなったように、獲物となった僕の制服を剥がそうとしてきた。
 ───破ける……!!
 
「──ぬぐ──脱ぐから……待って………!」
 
 焦った僕は、チーフの時と同じように、自分から言うしかなかった。
「うるせえって、言ってんだよ!」
 男は僕の口を押さえ直して、強引にスラックスを引き下ろした。
「────んんっ!」
 インナーも剥ぎ取ると、乱暴にシャツの中に手を突っ込んできた。
「…………ッ!」
 ビクンと勝手に身体が跳ね上がった。
 まさぐってきた指先が、僕の胸の中心に触れて蠢き出したから。
 でもそれは、乱暴すぎて愛撫なんてもんじゃなかった。
 ───痛ッ!
 激痛と恐怖で、背中に冷や汗が伝った。
 
 ───あ……痛いだけの、アレは嫌だ……!
 
 本当に痛いだけで……何もかもが辛かった。
 あの悪夢の晩の行為を、身体が思い出して震え出す。
 
 恐怖に眼を見開いたまま、僕はされるがままになっていった。
「──あッ! …………ぁあ……ッ」
 後ろに指を押し込もうとする。
 なんの滑りもない今の状態では、すんなり入る筈がなかった。
「やめろ……止めろッ!!」
 必死で首を振って掌から逃れると、僕も負けずに琥珀の眼に挑んだ。
 鼻が触れあうような距離で、睨み合う。
「─────」
 お互いの荒い呼吸が、顔に掛かった。
 その間も男の指は、乱暴に動いて僕の中に入ろうとしていた。
「…………くぅッ…!」
 ───なに……なんなんだ、コイツの動きは? ……何をそんな……
 悔しくて呻きながらも、視線は反らさなかった。
 
「……………?」
 睨み返しながら、変な違和感を覚えた。
「………………」
 動きは怒りに駆られていて、あまりにもその手は凶暴すぎる。
 
 ───なのに……まただ……。
 ───僕の中の危険信号……
 
 真っ赤に点滅して、命の危険さえ感じて警告音を鳴らす。
 なのに、別のセンサーが、僕を踏みとどまらせる。
 
 
「なんで……なんで、そんな眼、するんだよ!?」
 
 
 僕はさっきと同じことを叫んでいた。
 その獰猛な眼光の中に潜む、悲しげな翳り。それが、コイツを100%危険人物にしないんだ!
 
 
「あんたがなんなのか、教えろよ!」
 コイツの中に、何があるんだ……!
 
 
 僕のどこに、そんな勇気があったのか──
 自分でも驚くほど、男に食らいついていた。
 
 ベッドに押し倒されたまま、後ろに片肘を突いて、上体をやっと少し起こして。
 それ以上は、動けない。
 異物の侵入のせいで、下半身は痺れているし……
 のし掛かかってくる男の圧力は、その下から逃げ出すことを、完全に阻止していた。
 
 指が蠢いて、イヤでも僕の恥ずかしい感情を駆り立てる。
「こんなこと、あの老人に教えて……僕がどこに感じて……どんな声で喘いだか。それで、あの本になったって!?」
 
 ───ふざけんなっ……!!
 あんな文章、口で伝えたって……書けない!!
 
「なんでそんなに、秘密なんだよ!? なんで誰もアンタのこと、気が付かないんだ!?」
 何度訊いたか、もうわかんない。
 いくら男の目を覗き込んでも、答えなんて、返ってきやしない!
 
「──────」
 
 悲しい眼をしたまま、黙っている。
 ……あんな横柄で、あんな凶暴だったクセに……!!
 僕は、もの凄い腹が立った。
 
「なんで、僕なんだよ!! ……なんで指名してるクセに、あの老人は僕を知らないんだよッ!?」
 
 
「…………………」
 
 
 黙ったまま、男の腕が伸びてきた。
 鋭く刺し貫くような、視線………
 ────あッ……!!
 僕の怒鳴った声を覆い隠すように、急に抱きすくめられた。
 頭を抱えて、顔を胸に押し付けて……男は両腕の中に、僕を抱え込んでいた。
 
 
 ─────苦し……
 
 
 
 
 
 
 
「俺を……助けろ」
 
 


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