その声、イイ
 

 
「お帰り。早くメシ、つくれ」
高明は横柄にそう言った。
「うん」
俺は文句を言う気分になれず、キッチンに向かった。
「?」
高明が眉を寄せた。
「なんかあった? 楽しくなかったんか?」
俺は高明を振り返りもせず、手を動かした。
「……俺ってカッコイイ?」
「……はあ?」
高明が素っ頓狂な声を出す。
「青野君が、メンクイだったって言うから」
「……はは、なにそれ、両思い?」
今度は乾いた声を出した。
「……彼ね、やっぱり声の仕事してた」
鋭いつっこみは無視して、俺は続けた。
「俺が前に、こんなとこで仕事してる場合かって言ったの、怒られちゃったよ。仕事は仕事だって」
「……そら、そうだな。つか、そんなこと言ったの、お前」
神妙な声で高明も頷いて、苦笑いされた。
「ああ……。あんな歩く凶器みたいな声してんのに、スーパーのレジ打ちしかしてないんなら、犯罪だって、思った」
「…………」
「レジ打ちが悪いんじゃない。声を生かす仕事をしてほしかったんだ。まあ、大きなお世話だったけど」
「……お前の声フェチも、そうとうなもんだな…」
溜息混じりに高明が言う。
「はは、なんでかな……」
野菜を切りながら、俺は笑ってしまった。
「……七尾」
「うわっ」
俺は耳を押さえて、飛び上がった。
「なに!? びっくりした」
いきなり耳元で囁かれたのだ。
高明だって、イイ声してる。そんな風に耳元で囁かれたら、焦る。
「オレの声は? 犯罪?」
にっこり顔を寄せて、笑っている。
「ばか高明! 存在そのものが、犯罪じゃ!」
俺は頭をごつんと殴ってやった。
「オレがいなかったら、家賃、倍だぞー」
頭を押さえながら、デカイ図体で口を尖らせる。
「う……」
もう、学生の頃みたいに貧乏ではないけれど、家賃全額払うのは痛かった。
「はいはい、家賃様、ご飯もうすぐ出来ますよー! ジャマしないでくださいね!」
高明をソファーに追っ払って、作るのに専念した。
「あ、そうだ。例のSAEKIテクノサービス、明後日行くことになったよ」
食べながら、思い出した。
「……七尾が行くのか?」
「ああ、……俺担当だからなぁ」
あの嫌味な顔を思い出すと、ウンザリする。
頭を横に振って、追っ払った。食事がマズくなる。
「……気をつけろよ」
「? ……ああ」
高明が真剣な顔をしたので、俺も神妙に答えた。
でもその真意は、わかっていなかった。
 
 
 
翌日、俺は必要がなかったけどスーパーに寄ってみた。
昨日の青野君の様子が気になったから。
「あれ?」
レジには誰もいない。
来てないのかな。自転車があるかと、店の裏に回ってみた。
「……?」
人の気配。何か言い合っている。
「───!!」
俺は信じられない光景を目にした。
高明がいた。それはいいけど……。
「……七尾…さん」
青野君もいた。
高明の腕の中に。
高明が青野君を腕に抱え込んで、キスをしていた。
「なに……何してんの、おまえら……」
高明の、しまったという顔。青野君の怯えた声。
二人して、俺を驚愕の顔で見る。
俺は、堪らずにその場から走って逃げた。
「七尾さん……!!」
後ろから、俺の名を叫ぶ声が聞こえたけど、もう何も感じなかった。
 
 
俺は初めて、自室の鍵を掛けた。
ショックで寝れなかった。ただ布団を被って、じっとしていた。
なんで、高明が? 青野君はなに? 誰でもいいのか? メンクイって、そういうこと?
何にショックなのかよく判らない。涙は出なかった。
「七尾、七尾!」
部屋のドアを叩く音が聞こえた。必死に俺を呼ぶ声も。
……聞きたくない! そんな声!!
俺は耳を塞いで、布団にくるまった。
ほとんど眠れないまま、夜が明けてしまった。
……高明と顔を合わせたくない。
俺は明け切らない朝靄の中、マンションを出た。
「───今日は、大変なクレーム処理だってのに……」
あくびを噛み殺して、早朝から開いている駅前のコーヒーショップへ入って時間を潰した。
どう対応したら解決できるか、頭を捻ってみたけれど。半端に眠いのと、今までにないパターンなので、何も思いつかなかった。
 
 
「それじゃ、行ってきます」
「あんま、無理すんなよ」
「……ハイ」
先輩と傾向と対策を練って、いざ出陣だった。
と言ったって、やっぱり大したことは思い付かなかった。
 
「失礼します……」
恐る恐る、通された客室のソファーに座る。
目の前には、佐伯社長がすでに座っていた。
「で? どう、責任とってくれるの?」
また同じ事を切り出す。
「恐れ入りますが、こちらでお見受けしたところ、不備はやはり無いようなんですが」
決まり文句を、俺も言った。
「何度も同じ事を言わせるな! 不備は確かにあったんだよ。今無いからって、アレを無かったことにされては、その時の損害を誰が保証するんだ!?」
これを言われると、結構困る。アフターケアも請け負っている。でも、損害に関しては、各会社が入っている保険の管轄になる場合もある。
今回、不備があったとしたら、そっちのケースになるはずだった。
「あんたが、そんな態度なら、もう結構! そんな製品いらないから、さっさと解約だ」
またまた同じ事を言う。俺は心底ウンザリした。
───解約したきゃ、すればいい。こんなのに関わっている方が、損だ。
最終的にはそれでいいと、先輩にもそう言ってもらっていて、少し気が楽だった。
じゃあ、こちらももう結構です。
……そう言おうとしたとき。
 
「七尾クンの会社の営業で、河村純って子、いるね」
 
「!? ……ハイ」
 
何を言い出すのだろう。初めての言葉だった。
「あの子が、ここに売り込みに来てね。それはもう、必死に日参して……」
「……」
「毎日、毎日。ここで土下座していくの。そうして、やっと漕ぎ着けた契約なのに」
「……!!」
「七尾クン、営業の苦労も知らないで、そんな簡単に功績を無碍にするの」
イヤらしく笑う。
「……」
営業の苦労は知っている。知っているつもりだけど、どこまでそれを大事にしなきゃいけないのか、わからない。
……でも、やっぱり無碍にはできない。
「……そう、仰っられましても……。私どもにはどうしようもできません」
俺はガラステーブルに頭が着くほど下げながら、言った。
「佐伯様は、何をお望みなのですか?」
いっそ高額な損害賠償を要求してくれれば、そういう対処でいけるのに。
「……ふ」
頭上で、イヤらしい声が嗤った気がした。
「……?」
顔を上げると、狡猾な目線に全身を絡め取られた気がした。
背筋がぞっとする。
───しまった!
クレーム処理の鉄則として、「何が望みか」は、決してこちらから出しては行けない言葉だった。
俺は疲れすぎて、根を上げてしまったのだ。コイツはそれを待っていた。
 
 
「こっちへ来なさい」
 
「…………」
 
蛇に睨まれた蛙のように、竦んで身体が動かない。
「わたしの隣へ座りなさい。何が望みか言ってあげる」
……いやだ。行きたくない。
「早く! 契約を破棄してもいいの?」
その言葉は、もはや俺には無視できなかった。
ゆらりと、立ち上がり佐伯の隣に座る。
「……良い子だね。河村クンも、最後は良い子だったよ」
「……?」
見上げた俺の顔を、佐伯の掌が掬う。
「……!」
気持ち悪くて、咄嗟に身を退いた。
「逃げてはダメ。ホントの良い子は、言いなりにならなければ」
顎を掴んで、顔を寄せてきた。
「や……、なにするんですか!」
俺は驚いて、本気で抗った。
手をピシッと叩いて、顔から剥がす。
佐伯の目がつり上がった。
「河村クンが、どうして契約を取れたか、教えてあげよう」
「……」
佐伯は、また俺の顎を捕らえた。
俺は出来る限り、身体を離した。
「わたしの口づけを、受け容れたからだよ」
「……!?」
「そこまでして身体を張って、取った契約、無碍にする?」
吊り上がっていた目が、イヤらしく三日月型に嗤った。
「正確に言うと、口づけだけじゃない。文字通り、身体の全てを張ってくれたのに……」
 
俺は、愕然とした。何言ってんだ、コイツは?
河村さんは知ってる。凄く営業を頑張ってる。
『……僕には、性に合わないみたいだけど…』
って、困ったように笑いながら、一生懸命ノルマを果たそうとしてた。
……こんなヤツに、こんなことされて?
「そう、良い子。じっとしていなさい」
悪魔の囁きのように、俺の上に降ってくる声。
俺は動けないまま、悪魔の口づけを受けた。
口ひげが気持ち悪い。
生温かい変なモノが、入ってきた。
……うわっ
俺は目を瞑って、耐えた。
「んん……」
苦しい。つい、声を上げた。
ふふ…と喉の奥で佐伯が嗤う。
……イヤだ。なんでこんな。
舌を吸われて、気持ち悪さに目眩がした。
 
俺が大人しいのをいいことに、佐伯は俺の首に手を伸ばしてネクタイを外した。シャツのボタンにも指を掛けてくる。
「……!」
一つ一つ外されていく。
スーツの前と、シャツのボタンは全て外された。
そして、中のアンダーシャツを、たくし上げた。
「や……」
さすがに、抗った。やっぱそこまでは……
佐伯は、俺をソファーに押し倒した。
「あっ」
肩に手が掛かり、全体重で押さえられた。
「動かない! じっとしていなさいって、言っているだろう」
「……」
俺は悔しくて、佐伯を睨み付けた。
その目が、また三日月型に細まる。
「河村クンもよかったけど、七尾クンはもっといいかも」
楽しげに、そんなことを言い出す。
何がイイのか知んねぇけど……!
気分が悪くて、聞いていたくなかった。
 
「んっ……」
 
胸の敏感な所を舐めてきた。
生温かい舌が気持ち悪い。
「やめ……止めてください!」
「いいけど…、契約破棄と、どっちがいい?」
「……!」
酷い。こんな要求をされて、河村さんは、全てを奪われたのだろうか。
俺が、ここの契約を白紙にしてしまったら、その陵辱と苦渋は全て無駄になってしまうのか?
頭の中に、グルグルそんなことが回った。
「あきらめなさい。わたしのモノになれば、全てうまくいく」
また嗤うと、更に舐めてきた。
「ふ……」
漏れる声を我慢して、俺は愛撫を受け容れた。
 
……悔しい、……悔しい!
 
もうそれしか、なかった。目からは涙が出てきた。
カチャカチャとベルトを外す音が聞こえた。
ファスナーを下ろす音も。
「……!!」
下着に手が掛かった時、俺は身悶えた。
やっぱり嫌だ!
我慢できるか、こんな事!
「やめろ! ……離せ…」
佐伯の手を掴んで、阻止した。
「そんな口を利いていいのか!?」
「……っ! ……もう」
ちらりと河村さんの顔が過ぎった。
「……もう知らない! 俺は嫌だ!!」
心から叫んでいた。
「離せっ! もうどうにでもしろよ! ……俺は絶対に、こんなのは嫌だ!」
 
「もう、遅いよ。ここまできて」
 
佐伯の力は強かった。
俺に完全に跨って、体重をかけてくる。
俺のネクタイを使って手首を拘束されてしまった。
「なにすんだ……このヘンタイ!」
その間中も抗ったが、拘束は呆気なかった。
「……や」
今度こそ、下着ごと剥がされた。
下半身が、冷たい空気に晒された。
──────!
恐怖が俺を襲った。三日月の目に吸い込まれてしまう。
もう、叫ぶこともできない。
「……!!」
目を瞑って、硬直した時───
  


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