夜もカエサナイ
 
2.
 
 それにしても”誰にも見せない”と言っても、限界はあった。
 俺も千尋も、同じ様な場所を骨折していたのだが……。
 退院後は、一緒に隣町の接骨医院へリハビリに通っていた。
 そこはかなり大きな施設で、同じ様な事故の後遺症を抱えた人たちが、毎日通い詰めている。
 いつも混んで、待たされていた。
 
 患部を微量電流で温めて、マッサージでほぐしていく。
 器具を使っての牽引もある。固まった間接が今まで通り動く様になれば、それでOKだった。
 
 俺は千尋を抱きまくって、自然に身体がこなれていたらしい。俺だけ先に通院が終わってしまった。
 千尋は俺がバックから攻めるときも、まだ手を突けずに、肘で上半身を支えていた。
「待ってる間、隣りの客には気を付けろ」
 俺は気が気じゃなくて、口うるさくそう言っていた。
 
 
 
「ボク、今日は通いです~」
 千尋だけが通院し続けて、2週間が過ぎる頃、朝の出がけにそんなことを言い出した。
 靴を履いていた俺は、その手首を捕まえて、グルグル回してみた。
「痛いか?」
「いえ……」
「まだ通う必要、あるのか?」
「……はい」
「この間、もう終わりますって言ってたよな」
「……手首じゃなく、肩が」
「ん?」
 困ったように頭を下げて、右手を背中に回した。
「背中……掻けないんです」
 情け無い顔で、小首を傾げて笑う。
 よく見ると、後ろに回した右手が、腰より上に上がらない。
 左手は、肩胛骨まですいっと上がるのに。
「普段の生活では、まるっきり気が付かなかったんですけど、この間痛いことに気付いて……」
「はあ……こんな後遺症って、あるのか……」
 俺は驚いた。
 確かに千尋は、肩から指先まで固定していた。
 肘と手首だけの俺とは、ギブスのハメ方が違ったんだ。
 
「もう終わりたかったけど……とうぶん通いかも…です」
 落ち込んだように下を向いて、手首をさすっている。
「そうか、大変だな」
 その頭にポンと手を置いた。
「……はい~。でも、徹平さんが帰るまでには、ちゃんとご飯作りますから!」
「無理すんな、包丁も気を付けろよ。じゃ、行ってくる」
 
 軽くキスをして、俺は会社に向かった。
 
 
 
 
「おっす、荻野!」
「おう!」
「昨日出したアレ、何か来たよ」
「やっぱ! ……急いだからな。ちと廻ってくるわ」
 
 朝、出勤するやいなや、昨日納品した商品に不具合があると、連絡が来ていた。
(急ぐと、ろくな事ねぇな……)
 会社での業務も、だいぶ休んでしまった俺は、リハビリ的な仕事をしていた。
 夢の中で行かされた2ヶ月の出張は、現実ではさすがに無かった。
 でも、似たような遠方攻略はあったので、少しは役に立つ企画書を提出できた。
『キミの的確な指示とアドバイスが、今回の成功の鍵となった』
 社長から絶賛されてしまった。
 
 ───あれも、千尋の親父の置き土産な気がした。
 あんなの、実際に経験してなきゃ、出せるアドバイスじゃない……。
 
 
 
 取引先に行って商品メンテと交換を終え、時計を見ると午後四時を廻っていた。
(どうすっか。社に戻ってもいいけど……)
 そこから、接骨医院が近いことに気がついた。
 この時間なら、いつも会計待ちをしている頃だ。
「…千尋、拾って帰るか」
 携帯で事務所に直帰する旨を伝え、接骨医院に車を向けた。
 
(……ん? まだ終わってないのか)
 広い待合室には、数人の患者。
 受付には、お姉さんが3人。
「すいません、千尋、来てますか?」
 もう顔見知りになった、手前の受付嬢に聞いてみた。
「あ、お兄さん、こんにちは!」
「もう帰ったかな」
「いえ、今日は最終検査で、レントゲン撮る手配になってますよー」
「レントゲン?」
「はい!」
 
(……最終検査……レントゲン?)
 
 にっこり教えてくれるその顔を横目に、俺はそっちに向かっていた。
(今更…? 俺はそんなの撮らなかったぞ。それより、まだ通院は続くんじゃ……)
 何か嫌な予感がした。
 千尋のあのポーズ…
 こっちに背中を見せて、後ろ手に回して…『普段なら気が付かなかったけど、痛い』なんて。
 普段じゃない、何があって、そんなこと気が付いたんだ?
 下を向いて、手首を庇うようにさすっていた姿が、妙に胸騒ぎを誘った。
 俺は夜千尋を抱く時、無理はさせなかった。
 感じないような痛さがあったって、楽しくない。
 だからこそ、その後遺症に気が付かなかったのに……
 
 白壁の階段を駆け下りて、地下のレントゲン室に走った。
 自分の足音だけが響き渡る、白い廊下。薄暗い照明。
「2番」と札の下がったレントゲン室の前で、どうしようか困った。
 ドアは閉じていて、中はまるっきり見えない。
「……………」
 むやみに入るわけにもいかないから、気配を探ってみた。
(気にしすぎなだけなら、いいんだ……)
 
『ぁあっ……イタ…』
『こっちの角度は?』
『先生……痛いです…』
 
 話し声が聞こえる。
 診察か……? こんなとこで?
 
『……離してくださいぃ』
『ダメだ。言うことを聞く約束だよ』
『約束なんか……してません……』
 
 ───!? ……千尋!?
 
『いいから、一枚写真を撮らせてくれればいいんだよ』
『イヤです……そんなの』
『そんなこと、言わないで。キミがこっちの人間なんだって、判ってるんだから』
『こ……こっち、って……?』
『……通い始めた頃、キミの膨らんだ股間を見たときは、目を疑ったけどね』
『は……離してください……痛い』
『ふふ…まだまだリハビリが必要だね。ほら、あっちを向いて』
 
 
 
 
 ───何……やってんだ?
 
 写真って……レントゲンなんかじゃないよな…?
「千尋!!」
 俺はもう構わずに、ドアを叩いた。痛がっているか細い声も、気になる。
「千尋!? いるんだろ!!」
 ドアノブを回したけど、鉄製の分厚そうな扉は開かなかった。
 俺の叫び声と、ガチャガチャいう音が、再び廊下に響き渡る。
 
『てっ……徹平さん!?』
 
 中から、驚きと救いを込めるような、叫び声。
 
『ぁあ……助け…ッ』
 
 急に声が途切れた。
 もみ合うように動く気配。
「千尋!? ……おいッ、どうしたんだ!? 何やってんだよ!?」
 俺は焦燥感にかられて、ドアに体当たりをした。
 
『止めなさい』
 
 中から鋭い声が聞こえた。
 
「…………!」
 
 
『お兄さんだね?』
 
 
「医院長……?」
 
 40代前半くらいの、背の高い男だ。
 一番初めの診療と、最後だけは、コイツに看てもらった。
 後は、たくさんいる若いマッサージ師達が、日替わりでリハビリの手伝いをするというシステムで……
 俺は客や看護師達に気が行って、コイツのことは眼中になかった。
 まさか、医院長が直接……
 
 レントゲン室の左隣りのドアが、がちゃりと音を立てた。
『入りなさい』
 
(───!!)
 俺は咄嗟に、その扉に飛びついた。
 飛び込むのと同時に、右側にある、隣室への直通ドアが閉まった。
「チッ!」
 そこにも飛びついたけど、既に鍵を掛けられてしまった。
「おい、開けろッ!」
 ガチャガチャノブを回して、鉄扉を力任せに蹴飛ばした。
 びくともしないそれは、衝撃をそのまま俺の脚に返した。
(───痛ってぇー……!)
 
『徹平君。無茶をしてはダメだよ。……君だってまだ、完全じゃないんだから』
 扉の向こうで、笑いを抑えた涼しげな声。
 
「医院長……! クソッ!!」
 俺は悔しくて、もう一度鉄扉を拳で叩いた。
 
 室内を見渡すと、薄暗い灰茶の、ボンヤリした照明が灯っているだけの小部屋だった。
 隣の部屋とは、腰高の大きな一枚の嵌め込みガラス窓と鉄扉で仕切られている。
(レントゲンの操作室……?)
 操作パネルのようなものが、窓ガラスに向かって並んでいる。
 機械の隙間を縫って窓を覗くと、こっちからの照明で照らされた薄暗い室内が見えた。
 真ん中にベッド。
 天上からレントゲン撮影用の、大きなアーム。
 手前に着替用の衝立カーテン……
 その影から、医院長とその腕に抱えられた千尋が姿を見せた。
「千尋!」
「徹平さん……」
 辛そうに顔を顰めて、後ろ手に捕らえられている。
 
「医院長……なに考えてんだ……千尋をどうすんだよ!!」
「……徹平君にも、後で参加してもらおうかな」
「……!?」
 俺を舐めるように見下ろして、ニヤリと医院長が嗤う。
「今からショーをやるから、キミは観客として観ていたまえ」
「なに……」
 
 千尋の体を俺の方に向かせると、顎だけ掬って無理矢理キスをした。
「やっ……」
「千尋ッ!」
 
 身悶える身体を押さえ付けて、シャツのボタンを外し始めた。千尋の胸をはだけていく。
「やめろッ!!」
 俺はガラスを叩いた。
 
「……何…するんですか……!」
 怯える千尋に、医院長は舌なめずりをして、厭らしい声で喋り始めた。
「君にまた、勃起を見せてもらう。今度は、直接ナマのをね」
「……え」
「さぞ綺麗だろうと、思ってね。それを写真に収めたいだけなんだ」
「や……やです………ぁ、痛…!」
 身体を捩って逃げようとするが、押さえられた右手が痛いらしい。
 変に胸を反らせて、腕の曲がりを庇っている。
「君の膨らんだ股間を見た時は、本当に驚いたよ。それで、よく観察していたら……」
 千尋の肌を楽しんでいた医院長の眼が、すいっと俺に向いた。
「この子の視線は、徹平君だけを追っていた」
「………!」
「君たちの関係を推察した私は、千尋君にとても興味が湧いてね。……こんな可愛い顔して…綺麗な肌で…」
 千尋の頬を撫で回した。
「や…離し……あ! 痛っ……」
 逃げようとして、また腕を捩られたらしい。不自然に身体を反らせた。
「前回の診療で、写真を撮ろうとこの子を押さえ付けたら、あまり痛がるから」
「……いたい……先生……」
「これじゃ通院は終わらないから、また今度ねって、約束したんだ」
「約束なんか……それに、こんなことは一言も……」
 痛みに顔を引きつらせながら、千尋も必死に抵抗する。
 
「離せよ! それでも医者か!」
 俺はがむしゃらにガラスを叩いて、叫んだ。
 
 嫌な予感が的中したのが、悔しかった。
 今朝、もっと早く…俺が千尋の様子に気が付いてさえ、いれば!!
 
 ──割れればいい! こんな邪魔なガラス!!
 
 渾身の力を込めて殴っても、ダンダンッと、激しく音を弾ませるだけだった。
 割れる気配なんか、まったくない。
 
「……クソッ!!」
 


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