chapter4. behind time- キミに追いついて -
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 8歳の誕生日の節目。
 そんなものが、たったそれだけのことが、人をここまで変えるとは思えない。それだったら、俺だってとっくにそうだ。
 
 何が天野を変えたのか。
 なぜそんなに速く、変化し続けるのか。
 俺は嫌だった。
 クラスの誰もを…俺さえ、置き去りにして。一人でどんどん違う世界に行ってしまうような、そんな気がしたんだ。
 
 でも、あの平林の馬鹿は、相変わらず天野にちょっかいを出している。アイツときたら、まったく変化がない。
 天野の変わりようさえ、気付いているのかいないのか。最近は言葉だけじゃなくて、暴力が出そうで気が気じゃなかった。
「なあ、こんど平林に、悪口やめないと滝下にオマエが好きなことバラすぞって、脅してやろうか」
 俺は天野にもちかけた。
「えっ」
 ビックリ目で俺を見る。
「最後の切り札。暴力ふるってくるなら、言ってやる」
 絶対そんなことさせない。
 こないだ天野が突き飛ばされているのを見た時、俺は頭がどうかなるかと思うほど、怒った。平林にも、自分にも。俺がこいつを守りたい。
 それから……、
「それまでは、この事…滝下と平林のことは、二人だけの秘密な」
 天野の目を見て、そう言った。
 二人だけの秘密。たいした内容じゃないけど。そうやって、つなぎ止めて置きたかった。
「うん、秘密!」
 天野はめちゃくちゃ嬉しそうに顔を輝かすから、俺も嬉しかった。せめて、俺の隣からは離れて行かないでほしい。
 
 そうやって俺たちは、いつも一緒にいた。
 天野は口を開けば「克にい」だった。それだけは変わらない。授業で“将来の夢は”なんて書かされても、“兄みたいな大人になりたい”とだけ書いていた。俺は笑った。
「おまえやっぱ変わってない、そういうとこは」
 自分が何になりたいのか、そんなものはまだ無いらしい。俺だって、大したことは考えてないけどな。
 
 4年生の終わり、3学期になった頃、俺にも変化があった。
 変化というか、異変だ。
 
 いつだったか、体の成長のことで、女子は別室で説明を受けたりしてた。
 クラスの男たちは、それをそわそわして知りたがる。俺はねーちゃんがいるから、何となく知っていた。だから余計、ねーちゃんはオトナに見えたんだ。
 でも、俺は…俺たちは? どうしたらオトナなんだろう? そんなこと、ぼんやり思ってた。その時は大して気にもせず。
 
 でも最近、夜寝るのが怖くなってしまった。
 覚えてないけど、夢を見る。良い夢か悪い夢かも、覚えていない。でもそれを見たあとは、必ずうなされて汗びっしょりで起きる。その後の気持ち悪さと言ったら、言葉では表せないくらいだ。
 胸の中にもやもやが広がって、体中をすっぽり覆いこむ。息苦しくて、怖くなる。
 俺は普段、何も怖いものなんて無いのに。ねーちゃんだって、おっかないけど、怖くはない。だからそういう気持ちになることが、もう嫌だった。
 そんな風に寝れない夜が、ずいぶん続いたと思う。病気とは思わなかった。たまたま自分がそんな変なになってるだけだと、思っていた。
 でも、あの夜。
 …俺は、お漏らしをした。
 本当にそう思ったんだ。寝ててまたあの夢を見た気がした。
 ああ、厭だ!って思って、起きなきゃって頭で思ってて。でもそれは、起きる瞬間にそう思っただけだったみたいだ。体の異変に気付いた時には、何もかもに目が覚めた。
 この年で! って、その瞬間、ゼツボウにも似たショックを受けた。自分のプライドってのが、もうあるんだ。でも、お漏らしじゃなかった。それはそれで良かったんだけど。
(……これは何だ?)
 もっと、違うショックを受けた。恐怖に似た。今度こそ病気かと思った。いくらなんでも、これは変だ。
 俺に兄がいたら、きっと直ぐに相談した。でもねーちゃんに知られたくないし、親に言うのもなんとなく気が引けた。こっそり着替えて、パンツは捨ててしまった。
 明日はもう寝れない。怖くてそう思った。夢どころじゃない。
 こんなのもう嫌だ。でも、誰かに聞いてみたかった。こんなコトって、あって平気なのかって。俺だけなのか。他のヤツもそうなのか?
 ……天野は…天野もこんなことになるのか?
 俺の頭に、克にいと柴田先生の顔がよぎった。相談するなら、どっちかだと思った。
 でもできなかった。天野に、兄ちゃんに会わせてくれなんて言えない。なんで? て聞かれるから。
 いっそ天野に聞いてみようかと、思うこともある。でも呼びかけて、振り向くアイツを見ると、それ以上なにも言えなかった。天野に知られたくない。あいつとくらべて、俺は自分がとても穢らわしいものに感じた。
 俺はまるまる一晩寝ないで、起きたりしていた。毎晩アレがあるわけじゃなかったけど。眠らなければ大丈夫だったから。
 柴田先生は……なぜかわからないけど、天野ばかり見ている。でも、天野に直接用があるようにも見えない。よくわからないけど、こんなヤツに相談しても、真剣に自分と向き合ってくれない気がした。
 俺は家の「家庭の医学」とか図書館の本を読んで勉強した。学校の図書室はロクなものがないから、外の大きい方へ行った。何を見たらいいのか見当がつかなくて、とにかく判るものからただ読むだけだった。
 そして、やっと“夢精”という言葉にたどり着いたんだ。『体の変化の途中に起こる現象』すぐ収まると書いてあって、俺は安心した。
 そしてちょっとショックだった。
 ……俺、知らないうちにオトナになってたんだ。
 天野に変わらないでほしいなんて思っていながら、自分は変わってしまった。なんだか分からないけど、その夜は一晩中泣いてしまった。
 この変化を怖いと思うのも、嫌だった。
「ハイ、この線を一歩越えれば、今からアナタはオトナです」
 ってくらい、判りやすければいいのに。覚悟もあるってもんだ。それすらなかったのが悔しかったんだ。
 
 
 俺は誰にも言わずに、それを乗り越えた。誰かに聞けば簡単だったと思う。もっとよくわかっただろう。でも俺には、その環境と知識が、その時はまるで無かった。自分なりに納得して、夜も眠るようにした。
 天野は、俺の煮え切らない態度に不思議そうな目を向けただけで、それ以上踏み込んでは来なかった。
 そうして、俺たちは次の学年に進級していった。
 
 ──成長するって、なにかを捨てていくって気がして、怖い。
 身体の変化が嫌でも自分に判らせる。俺は声変わりを初めている。もうあの甲高い声は出ない。顔の丸みがとれていく天野を見てても、思う。
 成長するっていうのは、いいことも悪いこともある。……何かを置き去りにしていくような、この罪悪感はなんなのだろう。
 俺だけなのか。なぜこんな不安に駆られるか、分からない。
 
 5・6年も、天野とは同じクラスになれた。すごく嬉しかった。
 担任の柴田先生は、最後まで天野に何か言いたそうな顔を向けていた。そう見えたのは俺だけか? 天野はそんなに、気にはしていなかったけど。
 
 
 5年生の夏、横を歩く天野の頭が、だいぶ俺と並んでいることに気付いた。
「天野、背ぇ伸びたな」
「うん、僕もそう思う。毎日ね、目線が高くなるのがわかる」
「へえ」
「机の上とか棚の上とか、見えなかったモノが普通にしてて見える様になってきて、面白いよ」
「あ、それは俺もわかる。椅子に乗んなきゃ見えなかったものが、立ってるだけで見えるんだよな。いつの間にか気が付くんだけど」
「僕ね、毎朝わかる。面白いから探すの」
 嬉しそうに話す。天野は成長することを、楽しんでいる。俺はいつの間にか変わっている自分に、戸惑うばかりなのに。
 大人になりたくないわけじゃない。将来何になりたいか、なんて、考えただけでワクワクする。でも、それとこれとは別なんだ。
 
 まるくって、ちっちゃかった天野。
 今は頬の丸みも大分とれて、あごもしっかりしてきた。もう幼さはあまり残っていない。手足が伸びて、俺に追いつこうとする。
 俺は思った。天野の先を歩こう。俺を追い越そうとするこいつの一歩先を、いつも歩くんだ。
 俺が先に成長する。俺が世の中を先に知る。そして、あとからこいつが俺を追っかける。俺は迷わないように、不安にならないように、天野の手を引いてやるんだ。
 それが、先に何かが変わってしまった天野と、対等で居られることだと思った。
 
 天野だけ変化して、どっかに行かせやしない。
 
 ……俺が本当の意味で、大人になった瞬間だった。
 
 でも、くやしいけど俺に役目は、あまり回って来なかった。だってあいつには「克にい」がいたんだ、8歳も年上の! たかだか半年違いの俺に、何ができるというんだ。
 天野は何の苦しみも俺には打ち明けず、そんなことがある素振りさえ見せずに、いつも笑っていた。
 どんどん綺麗になる。俺はただ、ドキドキした。
 結局、天野が“大人”になったのか、なってないのか、俺にはわからなかった。そんなことは実際どうでもいい。
 俺みたいに独りで泣かなきゃ、それでいいんだ。
 
 俺ももう戸惑ったりしない。そんなヒマは、なくなった。天野より先に、俺が克にいみたいになるんだ。
 


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