chapter1. begins to turn  もう一つの引力
                        -廻り出す衛星-
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「ねーちゃん」
 
 最近彼氏を連れてくるようになった、ますます俺と差を付けていく姉貴に、声をかけた。
 
「お帰り。どうした?」
 がさつなところは、変わりゃしねぇ。
 奥の部屋で畳に足を投げ出して、扇風機に吹かれながら、顔だけこっちに向けた。
 俺は冷蔵庫から冷えた麦茶を出しながら、短いスカートから伸びた足を眺めた。
「どうしていいかわかんない時って、どうしたらいいのかな」
「……はぁ?」
 立ち上がってこっちに来ると、俺のコップを取り上げて、残りを飲んでしまった。
「あ、おい!」
「なんだなんだ? また悩んでるな! 小学生~!」
 俺の首に腕を巻き付け、後ろから引っ張り上げた。
「うっ……苦し……」
「このアタシに相談してくれるの、嬉しいね!」
 本当に嬉しそうに笑いながら、喉を絞めてくる。
「チョ…チョーク! 反則だ! ねーちゃん」
「バカめ! これはレッキとしたスリーパーホールドだ! 頸動脈締めてんだから」
「あほーッ! 脳みそ死ぬから、離せ!」
 
 狭い台所で、二人で揉み合って離れた。
 このクソ暑いのに、ねーちゃんはすぐ技を掛けてくる。最近は柔道じゃなくて、プロレスや格闘にハマッているらしい。
 
「ったく、手を抜かねーんだからよ!」
 喉をさすりながら、台所のテーブルに座った。まあこの遊びのおかげで、俺もケンカが強かったんだけど。
 注ぎ直した麦茶を一気飲みして、怪物オンナを睨み付けた。
 ねーちゃんもニヤニヤしながら、正面に座った。
「まあまあ、んで? ……何がわからないの?」
「……ん」
 空になったグラスを手の中で動かしながら、どう言っていいか迷った。
「嫌われたと思ってたのに、そうじゃないかもしれない…」
「……うん?」
「でも、たぶん…仲直りはできない」
「なんで?」
 肩まである髪を揺らして、首を傾げた。
 髪と同じ真っ黒い眼で、じっと俺を見る。
「わからない」
「……?」
「だから、わからないんだって!」
 上手く言えなくて、つい強く言ってしまった。
「何も言わないんだ! センセイにばっか頼ってんのかと思ったら、そうじゃなかった」
 売り言葉に、買い言葉……。
 俺が怒り出すと、いつもならねーちゃんも語気を荒くするけど、今日は違った。
「……ふうん」
 両肘を突いて、テーブルの上で腕を組んでいる。
 ちょっと傾げた顔を乗り出して、俺を覗き込んでいた。
「その子、前に声が出なくなった子?」
「あ……うん」
 俺はなんとなく、赤面してしまった。
 天野のことは、家族にハッキリ話したことはない。家に連れて来たこともない。
 でも、一番の友達だってことは多分判ってる。
 
「アタシなら……何度でも、直接訊くかなぁ」
 
 ねーちゃんはちょっと困った様に眉を寄せながら、口を尖らせた。
「……何度でも?」
「うん…だって、それしか判らないでしょ」
「本当に、嫌われるかもしれないんだぞ」
「……」
 俺の反発に、今度は驚いたように眼を見開いている。
 そして、ふと笑った。
「本当に、嫌われたくないんだ」
「……当たり前じゃんか! ……友達なんだから」
 俺はまた顔を熱くしながら、睨み付けた。
「じゃあ、尚更だよ。仲直り出来るか…いっそ嫌われちゃえ!」
「は!?」
「その方が、スッキリするじゃん」
 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべている。
「アタシの可愛い弟を、そんな邪険に扱うヤツは、友達じゃなくていい!」
 ぽんと頭に手を置かれた。
「わかった? わかんないときは、直接訊くに限るよ!」
「……簡単に、言うなあ」
「はは、ヒトゴトだもん!」
「コイツ……」
 呆れた俺に、年上に向かってコイツとは何だと、また技を掛けられた。
 最後はドタバタ格闘になって、いつものようにむちゃくちゃになっちまったけど。
 ……まあ、相談してよかったのか。
 公園からの帰り道よりは、気分がマシになっていた。
 
 
 
 
 
 
 ───あれ……!
 新学期が始まって、登校初日から驚いた。
 桜庭先生が大怪我をしてる。片腕を吊って、頭には包帯を巻いて。
 
 
 久しぶりの朝礼で、全校生徒が校庭に整列して、校長のながーい話しを聞いている中、俺は退屈であちこちを見回していた。
 まずは天野。小さいからかなり前の方で、見えにくいけど。
 ひょこひょこ揺れ動く頭が並んでいる中で、あいつの柔らかな髪は、じっと動かない。
 ……なんかこの距離が、すごく遠く感じた。
 
 次に目に入るのが、緒方だ。見たくもないけど目の前にいるし。
 俺の方がチットばかし、背が高かった。夏休みの間に、俺はまた背が伸びていて。緒方も伸びてたけど、俺が勝った。辛うじて、最後尾を守れていた。
 並んだ時、“よ!”なんて爽やかに、挨拶しやがって。
 ───あの後コイツは、天野に会ったのか……?
 
 つまらないことばっか想像してしまい、先生達に目を移したら、その姿が見えたんだ。
「センセー、どうしたの?」
 朝礼の後駆け寄ってみると、先生は変な顔して笑った。
「ちょっと事故に遭ったんだ。大丈夫だよ」
「…………」
 何か言いたげで、言わない笑い。……天野を思い出した。
「天野は? ……知ってんの? 先生の怪我」
「うん……でも、心配させたら可哀想だからね。他の生徒にも。あんまり騒がないでね」
「……はい」
 
 
 教室に戻って、自分の席から天野を眺めた。
 一学期の終わりよりは、顔色がマシな気がする。
「………………」
 ───なんか、また雰囲気が変わったな。
 ふわふわの髪が少し伸びて、首にまとわりついている。頬にまでかかる前髪が、俯く表情を隠している。
 斜め後ろからだから、もともとそんなに顔は見えないけど…。
 ピンと伸びた背筋。細い肩。両肘を机について、どこかをじっと見つめている。
 幼い天野…。ちっちゃくて、何もわからなくて……
 そして、必死に自分で動き出そうとしていた。
 たどたどしく動くあいつは、とても同い年には見えなかった。
 ───でも、今の天野は、すっかり独りでそこにいるのが、当然のように見えた。
 ぷくんと膨れてたほっぺたも、今は頬骨と顎の方が目立つ。
 
 ……緒方のヤツ、嘘付くなよな。……一度も俺を、振り向きゃしない!
 
 眺め続けていて、それに気が付いた。
『本人に、訊くのが一番だよ!』
 姉貴の言葉が、何度も俺の頭の中で繰り返される。
「……はぁ」
 ───訊くったってなぁ。
 あん時みたいな拒絶は……もう心底嫌だった。
 
 担任の佐藤先生が入って来た。
「みんな、今から配るプリント、よく読んでおけ!」
 前から回されてきた紙を見ると、柴田先生が作ったお知らせだった。
 
『救急相談センセイ』
  ─なんでもいいから、センセイに話してみよう!─
  ─なんでも質問に答えてあげるから、メールで相談してみて!─
 
 子供が困った顔をして、センセイに話しかけているイラスト付きだ。
 
 ……くっだらねー!!
 それを見た瞬間、思ってしまった。
 お気楽に相談出来るようなことなら、先生なんかに聞かないよ。聞いたところで、何を解決してくれんだか!
 
 姉貴に相談しておきながら、先生にはそんなことを思った。
 それに俺は、ケータイなんて持ってねえし。
 最近、クラスの奴らが見せびらかしては、授業中も弄くって怒られてるけど。
 …………。
 なんか差別されてるみたいで、スッゲー気分が悪くなった。
 
 
「おっし、じゃあ恒例の席替えすんぞ!」
 佐藤先生が、小さく折った紙が沢山入った箱を出した。
「クジ作ったから、端から順番に取りに来い!」
 
 わっとみんなで群がって、クジの引き合いになった。
 俺は廊下側の一番後ろ。
「霧島イーナー。替わってくれよ」
 一番前になったヤツが、羨ましそうに言う。
「ざけんな」
 適当に茶化しながら、目線で天野を探した。
 本当ならスッゴイ楽しいイベントなんだ、席替えなんて。俺はいつも天野の隣りに、なりたかった。
 
 ────あ……
 窓側の一番前。対角線上で一番遠い場所に、その姿はあった。
 そして、その後ろ。
 ……緒方
 ヤツが天野の真後ろに、座っている。
 
 ───なんだ、この席替え……
 
 戸惑いながらも、微笑む天野。あからさまに笑顔の、緒方。
 
 ───つまんねー……!
 
「……………」
 頬杖をついて、天野の笑顔を眺めた。
 ───笑ってる。
 やっぱ、可愛いな……天野は。
 困ったように眉を下げながら、一生懸命、緒方に返事をしている。
 大きな目がくりくり、あちこち彷徨って。真っ白い顔の中で、頬と唇がやたらと紅い。
「……ちぇ」
 つい、舌打ちしてしまった。
 俺があそこに座れても、二人で苦しいだけかもな。……なんて、思ってしまって。
「ジョータロー、おまえこの席でナニが不服なんだ?」
 前の席のタカシが、振り返って呆れた声を出した。
「もしかして、お目当てが遠かったな? …どの子だよ」
 ニヤリと笑って、声を潜めてくる。最近はみんな色恋ネタで盛り上がるようになっていた。
 おれは図星を言い当てられて、赤くなってしまった。
「うっせー! なんでもねぇよ!」
 
 それからの毎日は、マジできつい。左斜め向こうの二人を、嫌でも見せ付けられることになった。
 
 そしてこれが、やっぱり俺の胸を一番痛くする……
 天野はその日からまた、保健室へ通い出していた。
 


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