chapter17. reveal the love -到達-
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 4
 
「なに……してんだ?」
 半狂乱になって左舷に向かって走り寄ろうとする、チェイスの手下達。それを阻止するように、黒衣装の青年達が、殴り倒している。遠目に判りにくいけれど、5.6人はいるようだった。
 ───さっきの3人目は…このために、呼びに来たのか。
 
 双子や三つ子どころじゃない。全員が同じ顔、同じ衣装……まるで見分けが付かない。その一人一人が、数人を相手に戦っていた。
 暴力慣れしているはずの図体のでかい男達が、煙に撒かれるように翻弄されながら、次々と鉄板の上に倒れていく。
 黒い影は、叩きのめすのが目的のように、動く男達に取り付いていた。
 
 
「助かりたくて、わたしの船に押し寄せようとしている。……鬱陶しいことだ」
 顎で指しながら、海に視線を飛ばした。
 すぐ横に寄せていたのであろう、グラディスの船が、少し離れた場所で主人の帰りを待っていた。
 船内から煌々と灯りを漏らし、黒い海にそれを映している。
 こっちの危機感とは無関係のように、静かにたゆたう姿は、ひどく頼もしく見えた。
 
 ……え…?
 視線を戻したとき、まさかと思う光景が目に入った。
 デッキの手摺りに縋る人影の中に、メイジャーの船員達もいた。
「な……なんであの人達まで!!」
 俺は思わず、叫んでいた。
 黒い影は、相手を選んでなどいない。動ける者を駆逐するためだけに、引き剥がしては、殴りつけている。
 
 
「余計な者など、誰一人として乗せはしない」
「─────!」
 驚いて仰ぎ見ると、彫刻のように美麗な顔が、そこには何もないみたいに甲板の惨状を眺めている。
「余計なって……メイジャーの船員をそんな風に…!」
 俺は、メイジャーの部下は助けるとばかり、思っていた。……敵はチェイス一派だけの、はずだろ?
「奴らは、主が替わればそれに従う。───助ける価値もない連中だ」
「………は…」
 
 
 その時、嫌な気分が、心臓をざらりと撫でた。 “誰一人”って───
 
「シレンは……?」
 銀の眼を見上げて、もう一度訊いた。
「グラディス…あんたが助けてくれたんじゃ、ないのか?」
 
 “積み荷が消えた”
 “シレンがいない”
 次々に叫びながらの、報告。
 ───あとは…まだ何かあったはずだ。総てはあれから、始まったんだ。
 だからてっきり……
「………ッ」
 一瞬でも甘い考えを持ったことに、後悔が襲ってくる。
 寒風だけじゃない…心の内からゾッとするものが込み上げて、全身に鳥肌を立たせた。
「…シレンは何処だよ、何か知ってるんだろッ!?」
 オッサンを抱えている腕に、詰め寄った。銀の髪が流れ、俺の動揺などまったく意にも介さない様子で、冷たい目線が見下ろしてくる。
 
「……もうカタが、ついているだろうさ」
 思案するように間を置いて、グラディスは吐息を吐いた。最後は、どうでもいいように切り捨てるような、言い方だった。
「……カタ…?」
 その示唆する意味が判らずに、俺は冷めた目を見つめながら、繰り返した。
 
「最下層の格納庫からも、爆発が起こるとは……見込み以上の成果だった」
 フ…と、薄く笑みを零して、
「復讐は……カツハル…お前が、やり遂げたようだが」
 
 ───────!
 
「その後、何を考えて行動するかなど───わたしには、興味もない」
 表情を戻すと、恐ろしほど冷たい声で言い放った。
 
 ガンと、頭を殴られたようなショックだった。
 この男の思惑と、容赦の無さに。
 人の心を利用して……非道なまでの、コマ扱いだ。俺も、シレンも……チェイスと船を沈める、道具だった───?
 そして、必要がなくなったらその命さえ、どうでもいいのか。
 
「……そんな…じゃあ、まだ…船のどこかに、いるってことだろ?」
 最後に見たのは、薬でボロボロにされて、床に倒れていた白い身体。
 俺は2回目の投与は免れた…でも、シレンには……
 あんな状態で、一人で船底のどこに……
 
 思わず振り返った、船橋楼の階段。船内からの煙は、さっきより激しさを増している。
 
 
 
「カツハル…今ならお前を、わたしの船に乗せてやる」
「……え?」
 グラディスに視線を戻した。
 背後の甲板では、すでに動く者は、ほとんどいない……。黒い双子が、戻って来るところだった。
 左舷の海には、主人を認めて大型クルーザーが寄せてくる。
 
 
「この事故が公になる前に、我々は早々にこの海域から姿を消す」
「───事故…?」
 
「……事故だ」
 銀の瞳が妖しく光った。微かな冷笑と共に、断定の言葉。
「船員の不手際で暴発したボロ船が、レスキューも間に合わずに、沈没する」
「……………」
「そこに不運にも乗り合わせていた、チェイス一味──もっとも、その名前すら、公にはならない。この界隈で完全に水没したら……見つかりはしない」
 
 声だけ聞いていると、淡々と…事例だけを述べるニュースのようだ。
 恐ろしい計画の実態───
 あくまでも自分は関わっていないのだというスタンスで、そして、完全なる証拠隠滅だ。
 
 でも、次々と判ってくる事実に、愕然としている暇はなかった。
「この船は間もなく、本格的に沈み始める…大渦が巻き起こるだろう」
「………………」
 それは俺にも判った。尋常じゃない爆音が、いよいよ立て続いている。重油タンクに引火するのも、時間の問題だって───
「巻き込まれる前に、直ちにここから離れる必要がある」
 
「……待て、待てよ」
 急に話しを進められて、一番大事なことを思い出した。
「シレンを連れてくるから、待ってくれ…!」
 オッサンを抱える腕に、掴みかかっていた。
 どこかにいるなら、探さなければ───判ってて、置いていけるかよ……!
 
 
「無理だ」
 ぴしりと一言、いつもの冷徹な眼ではなく、何を言っているのかと、目を瞠って見下ろしてくる。
「……シレンを…死なせられない」
 頭の隅っこで、ずっと消えないでいる約束───
 守れる自信なんてなかった。シレンにとって、何が一番良いかなんてのも、判らない……でも……
「────」
 グラディスを睨み見上げながら、カシミアを掴んだ手に、力を込めた。
 
「すでに一刻を、争うのです」
 それをやんわりと解きながら、左側の青年が、俺に言った。
「移動したら、直ちに離れます。もし、沈む前に連れて上がって来られても…貴方を待つ船は、ありませんよ」
 
「……………!」
 
 くそッ……
 
 ───どうしたらいいんだよ……?
 払われた手で拳を作った。握り込んだ両手が震える。
 このまま、船を下りてしまったら……
 メイジャーとシレンの顔が、フラッシュバックする。
 “死なせないでくれ”
 そう言ったメイジャーの言葉……俺はまだ、伝えることもしていないんだ……
 
「…………」
 ……ハァ…
 無呼吸のように、息苦しい。口で息をしながら、何も言えずに、グラディスを見上げた。“一緒に行く” とは、言えなくて───
 
 
「……今乗れば、お前だけは、助かるものを」
 奇異なモノでも見るように、少し眉を上げて。
「好きにすればいい…あと10分で船を出す。それまでに間に合わなければ、お前を置いていく」
 
 ────10分
 間に合うわけが、ない。
 絶望的なタイムリミットに、もう一度、階段を振り仰いだ。
 
 
 
「あ…」
 言うが早々、グラディスは背中を見せていた。もうこっちには感心が無いとばかりに、無言で歩き出している。
 
 腕の中のオッサンは、とうとうぴくりとも動かなかった。
 いくら筋力があったって、こんなに長い間、それを抱えて……
 抱き直すたびに、胸や肩にまで雅義の血痕が擦り付いて、白いコートを汚した。
 白い顔も、煙ですすけてさせて───
 
「グラディス…!」
 思わず叫んでいた。
 ここで終わりかも知れない。この何処までも腹の立つ……会う前からむかついていた天神に、もっと言いたいことがいっぱいあった。
 ───でも、もうそれも出来ないかも……。咄嗟にそう感じた俺は、喋り出していた。
 
 
 
「俺は……オッサンや、アンタのやり方は……愛だなんて思っていない」
 
 絶対に振り向かない人間に執着し続けて、幸せになんかなれる訳がないのに。
 それを、そんな言葉で無理やり、行為を押しつけて……
 
 
 足を止めて、振り向かないままの背中。
 双子だけが横顔を見せた。その向こうで、腰まである長い髪が揺れる。
 
 
 でも…自分では手を下さない…それを徹底しているはずの、この男が───
 あそこで俺が“変わった”と自覚した時、……グラディスにもそう、感じた気がした。
 あの時俺は、それを言おうとしていたんだ。
 
「下まで、一人で迎えに来た………その愛は、本物に見えた……」
 
 
 ゆっくりとグラディスが、振り向く。
 頬を煤で汚した顔が、斜めに体をこっちに向けて……
 フ…と、紅い炎の中で雅義を抱いたまま、月光が零れるように美しく微笑んだ。
 
 
「一人に執着しすぎるというのは……世界を歪めかねないな」
 
 
 
 それだけ言うと、ついと体を戻し、手摺りの方へ歩いていく。
 今度こそもう、振り向くことはないだろう。
 双子の片方だけが、気掛かりそうな横顔を、チラリと見せた。
 
 
 
 
 
 
 
「……………」
  
 凍てつく闇と炎の狭間に俺は一人、取り残された。
 
 急がないと───でも…探すって言ったって……
 階段や甲板奥の船尾の方まで、視線を彷徨わせた。宛もなくうろつくには、時間が無さ過ぎる。
 戸惑ったところへ、青年の一人が、戻ってきた。
「早く、急いで……おそらく、メイジャーの寝室です」
「………!」
 ぶっきらぼうに早口でそう言うと、身を翻して、定位置の右側に帰って行った。
 
「─────」
 俺は感謝の言葉も言えないまま、もう一度、船橋楼の入り口を見た。
 ここを再度下りていくなんて、正気の沙汰じゃない。誰もがそう思うだろう、爆煙と火の粉が、階段から噴き上げている。ゴウゴウと得体の知れない呻りも、聞こえてくる。
 
 ───メイジャーの寝室は、下の下まで降りて、そのずっと奥だ。
「……………」
 ここに、入っていくのか───怯んだように、膝が震えた。
 
 やめるなら、まだ間に合うぞ……ちらりと脳裏を掠めた。
 バカなことだと、諦めてしまえ。
 ……恵はどうするんだ……何のために、意地を張ってきたんだよ?
 
 心が、必死に止めようとしていた。
 でも反面、どうしても動かし難い気持ちが、消せなくて……
 
 
 メイジャーとシレンの顔が、煙の中に交互に、浮かんでは消える。
 俺なんか、どうしてって……今だってそう思う、見せつけられたベッドシーン。
 常に横に寄り添っていた。会議でも、寝室でも。
 あのシレンの微笑みを思い出すと、じわりと心の底が、熱くなるんだ。
 染み出てくるようなそれが、何なのか、わからない。
 
 でもその熱が、もう一つの声となって、俺を駆り立てる。
 
 あの二人を………今行かなかったら、俺が見捨てることになる。
 そんなの、駄目だ……って。
 メイジャーが守れと言ったシレンを、俺も守りたい。
 残された想いを、守りたいんだって。
 
 
 
「─────」
 グッと拳を握りしめた。
 もう…
 心は、決まってんじゃないか、俺……
 
 
 
 
 
 
 
 ───メグ……ごめん……
 
 雨の中、霧島丈太郎にメグを一時託した……あの時のと同じ、願いを込めて。
 
 
 ──今だけ、ごめんな──
 
 
 
 
 息を止めて、階段の中に飛び込んで行った。
 


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