真夜中のページ・ボーイ
 
2. 「 ナンバー ・ イチマルイチ 」
 
「あッ!」
 閉じかかった扉に滑り込んで、誰かが入ってきた。
「あ……危ないじゃないですか!」
 大事故になったら、大変だ。僕はその人を見て、もっと驚いた。この人、私服だ。
「このエレベーターは、業務用です。お客様は、隣のをお使い下さい」
「うるせえな」
 その男は、開口一番そう言って笑った。
 
 
「……はっ!?」
「うるせえって、言ったんだ。勝手知ってんだよ」
「勝手知ってるって……どちらの……何号室のお客様ですか?」
 正体をつきとめねば……怪しいヤツじゃ、ないよな?
 僕は必死に食い下がった。
 お客様を疑ったり、失礼なことを言ってはいけないけど……。
 
 ──コイツは危険──
 
 僕の直感が、そう言った。
 常日頃から危険人物と出くわしたら…という想定のもとに接客をしろと、指導を受けている。どんな急な事にも冷静に、対処出来るように。
 そして、そのセンサーにコイツは引っ掛かった。
 全身から醸し出すオーラが、なんか怖かったんだ。
 僕は170㎝以上ある。ベルボーイとしては恵まれた体格な方だ。その僕より、頭一つ高く、厚みは2倍。
 そして何より……その瞳がインパクトありすぎ。
 
 ──アンバー……
 
 ……琥珀色のそれは、野獣の目のように凶暴に光っていた。
 
 
「俺の部屋は……ナンバー101」
 
 
 ───えっ? ……イチマルイチって……
 
「そんな筈……痛っ!」
 いきなり腕を掴まれて、身体を引き寄せられた。エレベーターの奧の鏡に身体を押し付けられて、動けなくされた。
「ちょ……なに……」
 危険信号が僕の中で、激しく点滅する。
 
 ───なに!?
 
 顎を掴まれると、上を向かされた。
 ギラギラと光を放つ琥珀色の両眼が、僕を射抜く。背筋がサァっと、寒くなった。
「なに……するんですか!?」
 激しく抗って、制服がどうにかなるのが気になった。
 ただでさえ動きにくいのに……。
「何すると、思うんだ?」
 凶暴な笑いで、ソイツはいきなり僕の唇を塞いだ。
「……んんっ!」
 目を瞑る瞬間、押し付けられた鏡に、デカイ男に襲われている僕の姿が映っていた。
 
 ───なに……これ!?
 
 首の後ろと顎を固定されて、身動きが取れなかった。
 ───や……やだ……!
入ってくる舌を拒絶して、首を振った。
「んん……んっ……」
 ───う……ぅあっ……強引!
 舌が絡め取られる……奧を探られる……呼吸もままならなくて、目眩を起こしそうになった。
 首を固定していた手が、僕のスラックスの後ろへ這っていった。ぴったりしたズボンが、触感を生々しく伝えてくる。
「やっ……やめ……」
 ───何してんだ、コイツ!
 でも、やっぱり制服が気になる。破けたりしたら、どう責任とっていいのか……
 硬直していると、男はやっと唇を離した。
 
「後ろも……手を退けてください!」
 尻を撫でまわす掌が、しつこく蠢く。まだ近い顔に、用心しながら睨み付けた。
 
「いいケツしてんな……また遊んでやるよ」
 ギラリとした目を妖しく光らせて、男は音も無く開いたエレベーターの扉から、すっと降りて行った。
 
 …………な……なんだ、アイツ!!
 
 エレベーターが停まったのは2階。別館への最短通路が、そこから続いている。
「…………」
 ……ナンバー・イチマルイチって……
 僕は胸ポケに挿しているポケットチーフで口をゴシゴシと拭いて、休憩室に向かった。
「野立先輩!」
 休憩室から入れ違いで出てくる先輩を捕まえた。
「先輩……あの……№101のお客様って、品のいい老紳士……ですよね?」
「ああ? そうだよ。会ったの?」
「いえ、そうじゃなくて……」
 なんて言ったらいいんだろう。
「あの、もう一人、います? その人の他に…」
「いや、一人だよ」
 先輩は変な顔をした。
「№101が、どうかしたか?」
 …………!
「いえ! ……なんでもないです! ありがとうございましたっ」
 まさか、そこの客に痴漢されたとか、言えるはずがない。
「あ~その部屋なら、塩崎(しおざき)に聞けよ。あいつ、担当だから!」
 先輩もそれ以上は付き合っていられないとばかりに、急がしそうにフロントに戻って行った。
 
 ──塩崎さんかぁ、懐かしいな……。
 野立先輩と一緒に、僕を面倒見てくれた人だった。
 あれ以来、会っていない。
 
 
 
「あ、塩崎さん!」
 仕事が終わって、更衣室で着替えようとしていたら、タイミング良くその人が入って来た。僕より少し小柄で、可愛い顔をしている。それでも僕より二つ上だ。
「お久しぶりです。研修の時はお世話になりました!」
 ……変わってないなあ。
 ちょうど良かった。101のことを聞いてみよう。
「あの……」
「────」
 僕をちらりと一瞥すると、塩崎さんは着替えもしないで踵を返し、出て行ってしまった。
 バタンッという、乱暴に閉められたドアの音が、心に変な余韻を響かせる。
 
 ────!?
 なに? 今の……
 
 塩崎さんも、人当たりの良い笑顔の可愛いヒトだったはずだ。
 あんな……冷たい視線で……
 一声もないし……。
 僕はちょっとショックを受けてしまった。あんなふうに無視される、意味が判らない。
 
「須藤、……伝言」
 狩谷(かりや)さんがメモを片手に、入ってきた。
 ベル課のチーフで、今回僕にいろいろ教えてくれている人だった。口数が少なく、ベルとしては愛想がない方だと思う。
「たった今、塩崎から。須藤ご指名で、ルームサービス」
「……? ……ルームサービス? ……何号室ですか?」
 
 
「ナンバー・イチマルイチ」
 
 
 ─────え?
 手に取ったメモの字を目線がなぞるのと、狩谷さんの声が一緒だった。
 
 
「……なんで……だって、担当は塩崎さんじゃ……」
 狩谷チーフを振り仰いだ。無愛想な一重が、どうでもよさそうに僕を見下ろした。
「オレは知らない。塩崎が直接そう言われたらしい」
 ───知らないって……
「…ああ……それで、さっき……」
「? ……ここに来たのか?」
「ハイ……挨拶したら、出て行っちゃいましたけど」
「んだよ……自分で渡しゃいいのに」
 ───僕に、怒ってたんだ。担当外なのに、指名なんて…
「えっ、ちょっと、待って下さい! こんな時間!?」
 そこには、深夜零時にチェックが入っていた。
「僕、ナイトじゃないですよ!」
 時間外もいいとこだ。そんなの深夜組がやるべきなのに。
「別館は特別だからな。……明日の仕事に、支障きたすなよ」
「……そんな」
 言うだけ言って、狩谷チーフは出て行ってしまった。
 
 
 ───101……?
 
 
 またそのナンバーを、頭の中で反芻する。今日、何回目だろう。
 ───なんで、僕なんだ。
 ちらりと、あの琥珀色の双眸が脳裏を掠める。何故か、背中が寒くなった。
「───っ!!」
 頭をブンブン振って、アイツを追い出した。
 ───塩崎さんと、話せれば良かったのに!
 冷たい塩崎さんの一瞥を思い出して、心が暗くなった。
「…………」
 僕は、無情に渡されたメモを握ったまま、着替えることも忘れてそこに立ち尽くした。
 
 


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