真夜中のページ・ボーイ
 
22. 二人で
 
「晃也……それは俺が、決めたことだ」
 
 
 僕の手首を掴んで、叩くのを止めさせた。
「なんで!? 勝手にやるなよ、そんなこと!」
 泣きながら、僕は叫んだ。
「頼んでないだろ!! ……こんなこと、誰が望むと思ってんだよッ!!」
 
 そんなことなら、さっきの言葉も撤回だ!
 愚かな要望を軽はずみに言った自分を、繰り返し心が責める。
 
「レンの馬鹿野郎ッ! 勝手に……勝手にッ!」
 胸に顔を押し付けて、僕は叫び続けた。
 
 
 ベルマンを辞めるのは、ほんとはちょっと辛い。……総てを捨てて闇世界に飛び込むのも、不安がある。
 僕まで裏の世界に、入り込んでしまったら……
 レンがもしおかしくなった時、冷静な判断が出来ない──僕だけでも、外の世界と繋がっていなくちゃいけない気がするんだ。
 この迷宮から、抜け出すためには──
 
 でも……でも────
 哀しい瞳。
 レンに、そんな顔、させたくない。
 
 
 
「晃也……顔を上げろ」
 優しい声に目線を上げると、困ったように眉を寄せているレンがいた。
「俺もお前と同じくらい、お前にそんな顔……させたくないんだ」
 両頬を掌で挟まれて、覗き込まれた。
「…………」
「狩谷を俺は許せなかった。……お前に、そんな顔させてまで、ベルボーイを辞めさせたくはない」
 
 …………………。
 
「……そっちの方が、15年間保ってきた俺のプライドより、ずっと重い。───ただ、それだけのことだ」
 
「───でも……!」
「うるせえ」
 
 まだ反発しようとしたら、ギロリとした眼で睨まれた。
「俺の言うことを聞け!」
 
「…………………」
 凄んでみせるレンを見つめるけど、……もうちっとも怖くないよ、そんな顔……
 
 また、涙が溢れてきた。
 頬に触れるレンの手が、大きくて、温かくて……
 
 
 
 
 
「レン…………僕の人生……レンにあげる……」
 
「…………」
 
 
 
 
 
「だから、今回また……心を潰すことになっても……悲しまないで」
 
「…………」
 
 
「手に入れた代償の方が、絶対大きいから……」
「────」
 
 揺らいでいた双眸が、細められた。苦しげに眉が寄せられて。
 僕にどれだけの価値があるかなんて、わからない。
 そんな偉そうなこと、言っちゃっていいのかも……
 でも……
 
 
「……僕、毎晩来るよ。……レンのために」
 
 深夜零時から、わずか一時間くらい。
 毎晩、そこがレンの癒しになるように……
 待ち続けたこの男が、いつか救われるまで……自由を手に入れるまで……
 
「僕も……一緒に待つ」
 
 それが、何よりの代償のはず。
 もう、独りじゃないんだって……いつも、実感して欲しい。
 
「……一緒に、この無限回廊を、抜け出るんだ」
 
 
「───晃也」
 しがみついて泣き続ける僕に、レンも抱き返してくれた。
 肩口に額を押し当てて、顔を埋める。
 
「お前が……俺の鍵になる」
「……うん」
「なにがあっても、俺が俺で居られるのは、お前がいてこそだ」
「……うん」
「俺が俺のまま、中埜御堂に成り代われるなんて、思いもしなかった」
 
「……うん」
 そこは……諦めてないんだ……。
 ──復讐を誓う男。……その眼は、やっぱり哀しい。
 
 
「……死んじゃったら」
 成り代わるって言ったって……
「死んじゃったら、……それで終わりじゃないの…?」
 僕の疑問…僕の、最後の不安────
 
「──────」
 レンの眉が、激しく顰められた。
 悔し気に口を歪めて、挽きつぶすような声を、奥歯の隙間から出した。
 
「この世界は…ヤツの死を望んではいない」
「……………」
「このホテルは死をも隠す……そして、作品は産み出され続け、ヤツの権利だけは…生き続ける」
 燃えるような煌めきで、その眼は嗤った。
「名実ともに、俺がアイツになるッ」
 
 ──────!!
 
「わかった! もういいッ、…わかったから……!!」
 また、あの高笑いが出るかと思った。
 レンがおかしくなる! 僕は必死にその首にしがみついた。
「ごめんね……蓮……ごめん………ごめんね…」
 何に謝ってるのかわかんないくらい、悲しかった。僕はまた馬鹿なことを言ってしまった……それだけを後悔して、泣き続けた。
 謝りながら泣き続ける間、レンはずっと無言で動かなかった。
 
 
「泣きやんだか?」
 そっと頭に手が触れる。
 だいぶ時間が経っていた。泣き止んではいた……けど、怖くて顔を上げられなかった。
「………」
 ゆっくり視線を上げると、柔らかな琥珀……狂気を感じたあの光は、消えていた。
「…よかった……」
 戻ってくれて……よかった。
「────お前が俺の、(キー)だ」
 
 …………!
 
「……うん」
 嬉しくて、もう一回胸に顔を埋めた。
 
 
 
「鍵って言えば……」
 僕は身体を起こして、レンの顔全体を視界に入れた。
 謎だった男を、じっと見つめる。
「…………」
「僕……答えは……シークレットキーは、レンそのものだと、思ってた」
「…………うん?」
 
 不夜城の迷路は……総て№101のこの男に繋がっていると、思った。
 “謎の男”という鍵さえ開けられれば、出口の扉は開くと、思ってたんだ。
 その外側に、もう一つ罠が張られていたなんて……
 
「この迷宮の出口……。鍵である、レンが彷徨ってるなんて……想像も付かなかった」
 眉間にシワが寄るほど、顔を顰めてしまった。
 
「だから……お前に……」
 レンも、目を細めた。きらきら入れ替わる黄金と明茶……
 
 その色は、寂しくなかった。
 暖かい、喜びの光……
 
 
 
 ……僕の、オオカミ……
 
 
 
「……わらった」
 
「──ああ……」
 
「初めて、見た……」
 
「───15年振りだ」
 
 また、笑った。今度は白い牙まで見せて──
 
 僕の狼───
 これからどうなっていくかなんて、わからない。
 あまりに背後が大きすぎて。
 
 でも……
 真のキーポイントは、あの老人だと思う。
 レンをゴーストとしてこの不夜城に縛り付けている、諸悪の根元……
 アイツがどうにかなれば……織部一族だって、変わるんじゃないか。
 
 だって───
 こんな一匹狼に、何が出来るって言うんだ───
 
「レン……」
 その瞳を、真っ直ぐ視界に捕らえる。
 ウェーブする前髪を、そっと掻き上げて、その奧を覗き込んだ。
「レンに会えて、よかった」
 この魂を救えるのが、僕で……
 
「この目をした蓮が……大好き」
 
「…………」
 大きく見開かれた琥珀は、また光を多く取り込んで、いっそう輝いた。
「俺もな……威勢ばっかりのお前が…………」
 
 ───えっ!!
 
 僕は赤くなって、身体を少し離した。
「それ……嬉しくない」
 それを言うなら、レンだって、とんだ強がりの見栄っ張りのゴーストだった。
「レンが……怖かったよ……」
「……ごめんな」
「……うん」
 
 抱き締められて、耳に熱い息がかかって……
 いつまでも、離れられなかった。
 
 タイムリミットは、アイツが起きてしまうまで……
 五感全体で、部屋の奥の物音に神経を尖らせながら……
 
 僕たちは、毎晩こうやって、抱き合うんだ。
 
 
 
 
 
 僕は、真夜中のページ・ボーイ
 
 
 
 僕だけの主人のために、毎晩オーダーを運ぶ。
 僕が来たよ、と、主人を呼び出す…………
 
 繰り返される、夜毎の天国と地獄の饗宴。
 
 
 ホテル不夜城は、この先もずっと、そんな客たちを静かに見つめて、飲み込んでいく。
 その懐に、何もかも隠して。
 音さえも漏らさず……
 
 ただ光だけを、煌々と照らし続ける。
 丘の上への誘導光を、放ち続ける。
 新たな獲物を、呼び寄せるように────
 
 
 
 
 
 そして僕は今晩も……№101の扉を叩く───
 
 用意周到に、準備するために。
 二人が幸せになるために。
 
 
「失礼します。ルームサービスをお持ちしました」
 
 
 
 
END   


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