僕のお仕事 index/novel
3.ペア解消  1.2
 

 
 その時、事務室の扉が開いた。
「こら、そこ! なに戯れてんの!?」
 パン! と軽く両手を叩く。
 
 僕は救われた気持ちで、スミマセンと小さく言いながら、社長を見た。
 腰に手を当てて、笑っている。
 僕は赤くなりながら、自分のデスクに急いだ。
 光輝さんは、まだ腑に落ちないという顔つきで、僕を見ている。
「彼は、あんたが居ない間に、かなり大人になったのよ」
 意味ありげに笑いながら、社長が言った。
「しゃ……社長!」
「!?」
 僕と光輝さんは、同時に社長を睨み付けた。
「いろんな玩具があることを知って、ビデオで使い方を勉強したのよ。ね」
 にこっと笑って僕を見る。
「しゃちょ~」
 僕は恥ずかしくてヘコんだ。
 観ながら自慰こそしなかったけど、勃ってしまったのだ。
 どんなシーンで興奮したか…勃起したか、レポートしろという宿題が出されている。
 
 固まっていた光輝さんが、はは、と笑った。
「そうか、大人にね。えっちビデオで興奮したか?」
「こっ、光輝さん……!」
 恥ずかしくて、目を伏せた僕は気づかなかった。
 その時の僕を見る光輝さんの瞳は、暗く光っていた。
 
 
 
 
 僕は神妙な顔で光輝さんの正面にすわっていた。
 廊下の反対側の個室に移って。間取りは前回と同じで中央にでっかいベッドがあった。
 腸内洗浄も、何とか済ませてきた。今は僕だけバスローブ。
 今日は何をヤルのか。どんな指示が出るのか。緊張して光輝さんの顔を見ていた。
 でも、光輝さんは、ちょっと機嫌が悪い感じがした。
 今朝の優しい笑顔が、今は少し引きつっている。
 ………僕が変な態度を、取ったからかな……
 気をつけなければ。気を引き締める。……嫌われたくない。
 そんなわけで、ベッド脇に腰掛ける光輝さんにちょっと遠慮して、僕は正面にパイプ椅子。
 
 
「……おまえさ、なにで興奮した?」
「………え?」
 おもむろに聞いてきた光輝さん。睨み付けてくるような視線に、戸惑った。
「エロビデオで、勃起したんだろ。どの道具だ? それともプレイヤーにか?」
 イラッとした口調で矢継ぎ早に出てくる言葉に、僕は唖然とした。
「……光輝……さん?」
「どのビデオだよ? どの男が良かったんだ?」
 暗い視線が見下ろしてくる。時々出る、あの怖い視線……。
 僕は息を飲み込み、言葉を詰まらせた。
 チッと舌打ちが聞こえて、はっとする。
 光輝さんの手が伸びてきて、僕の腕を掴む。
 すごい力でベッドに放り上げられた。痛くはなかったけど、びっくりして息を詰まらせた。
 光輝さんも一緒に乗り上がり、僕に覆い被さった。
「……っ!」
 跨られて動けない。両腕も頭の上で抑えられていた。
「……意味が……ごめんなさい……。聞かれてる意味が…わからなくて」
 それでも、何とか声を出す。
「………」
 真上から僕を見下ろす光輝さんの瞳が怖い。じっと僕を見つめる。
 また首を…? 何かされそうで、本当に怖くて唇が震えた。
 それでも、必死に見つめ返し続けた。強く押さえられている腕が痛くて、無意識に力を込めた時、光輝さんの瞳に、光が戻った。
「………ふぅ」
 ため息を付いて、僕の上から退いてくれた。
 掌で右目を隠すように覆い、頭を振る。
「すまん………また、やっちまったな」
「……………」
 この変貌振りが、僕には理解したくても出来なくて、心が痛んだ。
 後悔し出す光輝さんの表情がいたたまれない。僕の何がそんなに光輝さんを苛立たせるのか、心底知りたくなった。
 上半身を起こし、肌蹴たバスローブの前をきちんと合わせる。投げ出している光輝さんの膝に手を掛けて、顔を覗き込んでみた。
 びくり、と膝が跳ねる。僕もつられて、ビクンと身体が強張ってしまう。
「あ……こう……」
 唇を奪われた。腕を掴まれ、強引に引き寄せられていきなり。
 僕は中腰の無理な体勢で仰け反りながら、激しく絡めて吸い付いてきた舌を、必死に受け入れた。
 喉の奥の奥まで吸い上げ、角度を変えてまた攻めてくる。目が眩む。激しすぎるキス。
「……んんっ」
 苦しくて悲鳴をあげてしまった。
 でも泣きたくなかった。また光輝さんに後悔させたくない。
 こんな辛いキスでも、またしてほしい。
 僕を突き離さないで。そばにいさせて……。
 僕の舌はいつの間にか、自分から必死に光輝さんに絡めた。押し付けて、奥を探る。
「………!?」
 途端に、身体ごと唇を毟るように剥がされた。
 光輝さんが驚愕の目を僕に向ける。
「………あ」
 僕はまた、失敗したと思った。弾む呼吸で光輝さんを見返す。
 自分から仕掛けるのがいけなっかたの? わからない。もう何がなんだか。
 ただ、そんな眼で見てほしくなかった。なんでその顔は、笑ってくれないのか……。
「……こうき……さん」
 あんな濃厚なキスの後なのに、喉と唇が乾く。絞り出した声が掠れた。
「お願いします。僕に解る言葉で……。僕……駄目人間だから、理解が遅くて」
 目を吊り上げて、睨み付けられた。
「光輝さんの質問の真意……、何が光輝さんを怒らせるのか……。僕、ほんと、わかんなくて」
 光輝さんの笑顔が好き。この切れ長の涼しい目が、笑うと嘘みたいに優しくなる。
 僕にもその笑顔が欲しくて。それで道端で止まって見惚れてしまったんだ。
 あの笑顔が自分に向いてくれたら……。
 それなのに、僕は怒らせてばかりいる。暗い光を宿らせて、後悔させて。
 ……なんでなんだろう?
 心が物凄く痛くなった。キリキリと音を立てる。
 痛みに耐えられず、涙が滲んだ。
「……ふ」
 一瞬の嗚咽と共にぽろりと零れてしまった涙は、後は止め処なく頬を伝った。
 泣きながら見つめる僕に、光輝さんは苦しそうに顔を歪める。
 何かを言いたげに、口を開きかける。でも、すぐにグッと噛みしめる。
 そして、そっと手を伸ばしてきた。
 優しく頬に触れて、親指で涙を拭う。
 その手があったかくて、尚更悲しくなってしまった。
「僕じゃ……迷惑だったですか? ……人選ミスしたんですか?」
 顔が酷く歪むのがわかった。もう目を開けていられない。
 くしゃっと、顰めて泣き出してしまった。
「駄目人間でごめんなさい……。僕……やっとここが決まって嬉しかった。初めて仕事内容じゃなくて人間関係に救われて、続けられると思った」
 下を向いて嗚咽に咽ぶ。
「でも……でも、やっぱりダメなんですね。……ここでも………僕は嫌われる」
 光輝さんの息を飲む気配が伝わってきた。
「僕……いっつも、わかんないんです。何がダメなのか……説明してもらえないから」
 心が痛い。今まではしょうがないと思ってやり過ごした。
 次を探さなきゃって。……でも今回は何か違う。知りたい。何故僕じゃ駄目なのか。
「お願いです……。突き放さないで……、見捨てないで……。教えてください」
 顔を上げて、それだけは目を見て言った。
 光輝さんの表情は愕然としていた。驚いて何を言っていいかわからない……と言う風に首を横に振る。
「………すまない……いや……、お前のせいじゃない……」
 自分のこめかみに掌を当てて、ぐっと抑える。
「お前が悪いんじゃないんだ……。泣かないでくれ……」
 放心したように、僕を見てそう言う。
 僕は、光輝さんに身体を寄せようと近づいた。抱きしめてほしかった。骨が軋むほど。
 大丈夫だよって、僕が安心するように頭を撫でて、抱え込んで欲しかった。
 でも、光輝さんは身体を後ろに引いて、僕から遠ざかった。
 まるで、触れるなとでも言うように……。
 
 
 
「指導員を、変えてほしい……?」
 社長が、眉を吊り上げて、聞き返した。
「はい……僕、嫌われてるんです」
 項垂れて、社長室に頼みに入ってきた僕に、怪訝な目を向ける。
 僕は、光輝さんに拒否された後、どうしていいかわからず、自分から逃げてしまった。
 ごめんなさい、とだけ言って、あの部屋を一人で出てしまった。
 とにかく自室に戻って、洋服に着替えた。
 バスローブを脱ぐ時、光輝さんが見繕ってくれた物だと思い出して、その場でしゃがみ込んで泣いてしまった。
 
 ……僕は光輝さんに嫌われるのが、物凄く辛い。
 それだけは、身が刻まれるほど思い知らされた。
 
「………でもねぇ。巽君に合う指導員は、今のところ彼しかいないのよね」
 いつか僕は許されるかもしれない……と言う可能性に縋って、ここを辞めなくても済む善後策をとろうとした。
「下手なのをあてがって、キミを変えられちゃ困るしね」
「そんな……お願いしますっ……! 僕、どんな方でも頑張ります」
 必死に訴える。
「だから、キミの問題じゃないのよ……。ていうか、そこは頑張っちゃだめなの」
 困ったと言う風に、頭を振る。
「どう言ったら、わかるかしらねえ? タイプの違う指導員じゃ、フィーリングが合わないから、感じるオーガズムが歪むの。私はレイプの感想を欲しい訳じゃないのよ」
 手招きしてすぐ横に僕を引き寄せると、解る? というように僕を覗き込んだ。
「それにね、無理して調教みたいなことをして、SがMになっちゃったりしたら、君である意味がなくなっちゃうわけ。巽君、あなたのいい所を見込んで採用してるんだから」
「………僕の、いい所?」
 心が、揺れた。
「そうよ、素直で、感じたことをちゃんと表現できるし。感性がいいのよね、面白い視点から感想が出てくるの。創作意欲をそそってくれるのよ」
 肩に手を置いて、にっこり微笑んでくれる。
 
 ………僕のいい所……
 僕は、さっきとは違う心の痛みを感じた。
 
 ───認めてくれた
 ───僕という人間を
 ───だから採用したのだと……
 
 涙が溢れた。熱い涙。僕はその場で声を殺して泣き続けた。
 
 僕は……僕の……存在意義を、欲しがっていたんだ………。
 矢野巽という人間が……、僕が僕であるから、ここにいていいのだと、
 ここに居ることを、許されているのだと。
 


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