chapter14. take aim- 標的 -
1. 2.
1.
ぼくが柴田先生を探していたのは、本当だった。
でも、あの魅力的な少年をもっと間近で見ようと、あえて校門まで近づいていた。
眉がきりりと吊り上がり、切れ長の目が涼しいどころか鋭く光り、周りを警戒するように見渡している。口元もきゅっと結び、何かを耐えているように引き締めている。
……半年前に保健室に来たときも、危うい感じはあった。
でも、もっと子供らしい素直な空気が、まだ感じられた。
──彼に、何があったのだろう。
年相応の無邪気さを捨てたその顔は、柴田先生でなくても、気になった。
毎日天野君を、迎えに来る。そんなに大事なのか。……大事なんだろうな。
可愛らしい天野君。最近の彼の変わり様は、目を瞠るものがある。丈太郎にあの時言った言葉は、ぼくの感想そのままだった。
『天使が、羽をもがれないまま、生を受けたようだね』
本当に…天使が生を受けて、人間に生まれ変わったよう。それくらい愛らしいのに…。
ぼくは天野君の顔を、思い浮かべた。丈太郎にくっついて、ここに来る。その心配そうな顔や仕草、しゃべり方は酷くあどけない。3年前、初めてこの部屋に来た時と、それはあまり変わってない。
それなのに…あの色香は何なのだろう。瞬き、微笑み、吐息…。そんなちょっとした仕草に、どきっとすることがある。手足もすらっと伸びてきて、もう幼い子供ではなかった。
特に6年に上がってから、発するオーラが違う。気質は落ち着いて、子供っぽいどたどたした感じがなくなった。とても、滑らかに喋る。
それでいて、その顔は華やかな輝きに満ちていた。遠目でも彼は、すぐ目に付いた。
……丈太郎もかなりの、美形なんだけどな。
ぼくはどちらかと言うと、克にいや丈太郎のような鋭さのある顔が好きだ。その丈太郎に花を添えるような、美少年だったのに。
……今は、どっちが花だか。
ぼくは二人が揃ってここに来るのが、楽しくてしょうがなかった。
「今日は、何時に来ることやら」
呟きながら壁の時計を見上げると、昼休みが終わる頃だった。
……放課後かな。
椅子を立って、保健室を出た。3年生の実験の付き合いで、百葉箱の温度計を見に行かなければならない。柴田先生に頼み込まれて、仕方なく付き合うことにした。
「めんどくさいなぁ」
ぼやいてサンダルをつっかけると、花壇の方へ歩いた。
「あれ?」
天野君が一人で、花壇の縁に腰掛けている。
「めずらしいね、天野君一人なんて。丈太郎は?」
声をかけると、天野君が振り向いた。
「……桜庭先生」
見上げてくるその顔に、ぼくは目眩を覚えた。悲しそうに眉を寄せて、翳った目を潤ませている。
上気したように紅色に頬を染め、長い下まつげの縁までピンク色で…。
ふわふわの髪の毛が風になびいて、ぼくの白衣の裾もはためいた。
「……どう、したの?」
辛うじて声を出す。天野君は、もの言いたげに唇を僅かに開いたが、直ぐにキリ結んだ。目をぎゅっと瞑って、下を向いてしまった。
ぼくは、今の顔をもっと見てみたくてつい、そこに座り込んだ。
「どうしたの? 顔を上げて」
覗き込んでも、首を横に振るだけで、何も言わない。
「……」
どうしたものか…と、天野君の肩に手を掛けてみた。
ぴくんと身体を震わせて、顔を少し上げた。
この季節、春真っ盛りでとても過ごしやすい。天野君も、半袖シャツ一枚の格好だった。襟元から覗く鎖骨や首筋が、妙に艶めかしく見えた。
「……せんせい」
小さな唇が動き、もう一度ぼくを呼ぶ。
「ん?」
ぼくは、言葉の全てを聞き取ろうと、首を傾げて顔を近づけた。ちょっと怯えたように身じろいだが、ぼくを真っ直ぐ見てくる。
瞳がゆらゆら煌めく。
……この綺麗な目で何を見て、この小さな頭で、何を考えているんだろう。この子が今、直面している問題は…?
「……僕、わからない…」
整理しきれないようで、それだけ紡ぎ出した。
「うん?」
「僕、克にぃだけでいいの…、克にぃだけいてくれれば、それでいいの…」
潤んだ目から、涙が見る見るうちに溢れてきた。
「でも……」
そう言ったっきり、ぼくの白衣の前を掴んで泣き出した。
下を向いて、声を殺して。
「…ぅっ、………ぅぅ……」
奥歯をかみ締めて、静かに泣き続ける。止まらない涙だけが、幾筋も頬を伝った。
──こんな泣き方を、この子がするのか。
ぼくは驚いた。すべての感情と言葉を押し殺して、涙に変えて流し続ける。
ぼくだって、こんな泣き方しないのに。
「…天野君、ぼくでよければ、話し、聞かせて」
ようやく泣きやんだ頃、肩に手をのせて話しかけた。天野君は恥ずかしそうに顔を赤くして、しがみついていたぼくから、慌てて離れた。
「…先生、ごめんなさい。いつものクセで」
「癖?」
ぼくはふっと笑ってしまった。こんなこと普段なら、ぼくの前では言わない子だから。
「いつも克にいに、こんなふうに、しがみついているんだ?」
深い意味は無かったけど、ぼくのそんな聞き返しに、もっと顔を赤くしている。
「……天野君は、克にいがほんとに好きなんだね」
にっこり笑いながらそう言うと、天野君も嬉しそうに小さく笑った。
「…僕には、克にぃしかいないの」
「ふうん?」
「僕は、生まれた時から克にぃのものだから」
「…………?」
意味深なその言葉に、興味をそそられた。
「モノ、…なの?」
「うん」
やっと笑った顔が、また曇った。
「でも。僕は克にぃのものなのに…。克にぃは僕だけの克にぃじゃないの…」
小さく呟く。
「それが、悲しいの」
また泣き出しそうな、悲しい声だった。
「センセー、天野は?」
バンッとドアをあけて、丈太郎が入ってきた。
「お、来たね。奧で寝てるよ」
午後の授業が終わって、早速駆けつけてきたのだ。天野君は、とても授業に出れそうになかったので、保健室のベッドに寝かせて、担任の先生には報告しておいた。
初めて患者として、ここに来たわけだ。
「? …どうしたの。行ってあげれば?」
ドアの前で動かない丈太郎に、ぼくは声を掛けた。いつもの丈太郎らしくない。
「あ…、うん。…はい」
歯切れの悪い返事で、のろのろと仕切りの衝立カーテンに近づく。
「……天野?」
カーテン越しに呼んでみるが、返事が無いようだ。
「あれ? さっき、目は覚ましたけどな…。天野君?」
ぼくも立ってカーテンを覗くと、ベッドに起きあがってちょこんと座ってる、天野君がいた。
「おや」
その顔が赤く染まって、困ったように眉を寄せている。
「相棒が、迎えに来てるよ」
「……はい」
もじもじしながら、ベッドを降りた。……丈太郎とも、何かあったのか。だから、さっき一人だったんだな。
丈太郎に目をやると、同じように困ったような顔をしている。
「珍しいなぁ。ケンカでもしたの? さっさと、仲直りして帰りなさい」
出てきた天野君と丈太郎の頭をぽんと叩くと、そう言って送り出した。
「……ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をして子供たちが出て行くと、ぼくは椅子に座り直して、溜息をついた。
「……ふぅ」
どうしたことだろう。ぼくの心臓はどくどくと、早鳴りが止まらない。天野君の、ベッドに座り込んだ姿が目に焼き付いて、離れない。
椅子の背もたれに体重を預けて、寄りかかる。キィッと、音をたててパイプがしなった。その音を聞きながら、頭を反らせて天井を見上げた。
「……ふう」
──ぼくの好みは、丈太郎なのになぁ。
何度もそう思う。……いや、克にいか…克にいの影が、あの子を魅力的にさせているんだ。
「…克にい。…克晴、か」
声に出してみる。彼に、何があったのだろう。総てが彼に繋がっている気がする。ぼくにしろ、柴田先生まで…。そして、天野君…。
ぼくの思考はあらぬ妄想へと、発展していった。克にいの手が、天野君を触る。あの顔で、天野君の唇にキスをする。火照る頬、潤んだ瞳。
「……!」
ぼくは我慢できなくなってしまった。2枚並ぶ衝立カーテンを動かしてベッドをしっかり隠すと、その内側に入って腰掛けた。ズボンのファスナーに手を伸ばす。
シーツが寝乱れていて、さっきまでここに天野君が寝ていた跡が、生々しく残っていた。それに煽られて、ぼくは自分の熱くなってしまったものを握って、上下に扱いた。
「……んっ」
天野君と克晴の絡みが、鮮烈に思い浮かんだ。
「………はぁっ」
どさっと、そのままベッドに体を倒して大きく息を吸った。手にはべったりと白濁がついていた。
……ああ、もう。…学校ではやらないように、してるのに。
実はもう、3回目。天野君の顔を思い出すと、身体がどうしようもなく焦れてくる。
「丈太郎にするつもりだったけど…。天野君がいいな」
また声にしてみた。一人で喋るのは、この部屋ではスリリングだ。保健室というのは、公然の密室と言えるから。
3日後、チャンスが来た。また、天野君が一人でいた。放課後に百葉箱の温度計をチェックしにいくと、この間と同じように花壇の淵に座り込んでいた。
「天野君、どうしたの? また、一人だね」
「あ、先生…」
やっぱり悲しそうな顔を、ぼくに向けた。
「……元気、ないね。お茶でも飲む? 今から入れるとこだけど」
「……」
返事はしないけれど、ゆっくり立ち上がって、こっちへ来た。ぼくの手は、獲物に噛みつく毒牙のごとく、天野君の肩を捕らえた。