chapter4. lost world -落ちた天使-
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───メグ
───メグ…
克にぃが、僕を呼ぶ。
ん……。
克にぃの手が、僕を触る。
朝の内緒事の時間。僕、この秘密、大好き……。
────克にぃ、抱きしめて。
ああ、……温かい。気持ちいいよ。
────克にぃ、キスして。
んん……柔らかい。……触れるだけ?
もっと……もっと……
抱きしめて、もっともっと。僕がつぶれちゃうくらい。
なにか、とても悲しいことがあったんだ。
覚えてないけど……僕はずっと泣いてた。
泣いてた。
でも、もう忘れた。だって克にぃがいるんだもん。僕の不安なんて、吹き飛んでしまう。
キスして。甘すぎる克にぃのキス。
優しくて、温かくて……僕はとろけて無くなっちゃうんじゃないかと、思う。
そんなキス……早くして……
ん、……そんなに焦らせないで。僕まだ、ちゃんと目が覚めてないんだから。
お願い。身体だけ先は、いや……
あ……
やぁ、まだやめて……
僕はまだ、抱きしめて欲しいのに。もっともっと、克にぃの体温を感じていたいよ。
やだ…
やだってば、指、……そんなに入れないで。
あ、あ…
まだ早いよ……。
そんなに舐めないで……お願い……僕を待って……
こんなに言ってるのに。
いつもなら、僕が嫌がればすぐ止めてくれるのに……!
ん……キスもいいけど……後ろはやめてって……
────えっ!!
なに!? 違う!
こんなキス、克にぃじゃない!
……止めて! そんなきつく吸い上げないで!
痛いよ、苦しい……
誰……誰……だれ……
僕は、このキスを………知ってる?
やだ……克にぃじゃないのに……僕にそんなコトしないで
あ……
んっ…!
あ、指がすごい……あぁ……あぁ……
やだ、僕いきたくない……
やぁ……あぁ……あぁ…………!!
「───っ!!」
がばっと、身体が跳ね起きた。自分の叫び声に驚く。
身体を起こしたまま、動けない。目に映るのは、真っ暗な部屋と、カーテン越しの仄かな街灯の明かり。
自分の部屋だった。
───夢!?
僕は愕然として、肩で荒い呼吸を繰り返した。
泣きながら寝ていたみたいで、頬が濡れていた。その上に、新たな涙が伝う。
「………っ!」
下着の中に、違和感があった。
こんなの、初めて精通したとき以来だ………僕は夢精をしていた。
ひどく気持ち悪い感覚が、胸じゅうに湧いてくる。
こんな事にならないように、いっつも克にぃが僕を毎朝気持ちよくさせてくれてた。
僕の身体を、僕よりも分かってくれていたんだ。
……あんな夢、見たせいだ。
思い出して、胸が痛くなった。
克にぃの夢だった。
……久しぶりに見た。大好きなあの顔、僕を呼ぶ声、抱きしめる腕……。
僕は腕を伸ばして、闇を抱きしめる。
なにもない、誰もいない。
宙を掻いた腕を、そのまま自分に巻き付けて、ベッドに突っ伏した。
克にぃ…
会いたいよ…。
「ぁ……」
「はは、おっきいアクビ」
思わず出てしまったアクビに、霧島君が笑った。
変な夢のせいで、あの後眠れなかったんだ。汚れた下着を履き替えて、洗面台でちょっと洗って洗濯物に出した。
克にぃがいたら、きっと褒めてくれる。
「おっ、すごいなメグ、自分でやれたのかー!」って。抱きしめてくれるのに……。
つい思い出して、目が潤んだ。霧島君がそれに気付いて、眉を寄せた。
克にぃが帰って来なくなって、今日で4日目だった。
学校で僕がおかしくなった次の日の朝、ウチまで霧島君が迎えに来てくれた。
僕はもう、行きたくなかった。行ったって、迎えがこない。
そんなとこ、行く必要なんかないよ。
でも霧島君は、無理矢理僕を連れて行こうとした。
「着替えろよ、天野!」
布団の中で動かない僕を、引きずり出した。
「………やっ、離して」
僕は動きたくない、喋りたくない。そんなことしたって、笑い返してくれる克にぃはいないんだ。
「とにかく、着替えろって!」
手を引っ張るけど、僕は動けない。
「天野!」
霧島君が僕の顔を覗き込んできた。
「俺を見ろよ! 頼むから着替えてくれよ」
僕は泣きながら、首だけ振った。引っ張られている、手首が痛い。
もう離して。僕を放って置いて。
何も考えたくない、何も知りたくない、こんな世界、あるはずない。
「……いない。……はずないのに……」
「……天野?」
僕の口は、昨日の晩から言い続けていたことを、また繰り返し始めた。
「いないはず……ないのに……なんで?」
霧島君は引っ張るのを止めて、呆然と僕を見た。
ベッドで半分起きあがったまま、呟いてる僕を。その僕の肩を掴むと、激しく揺さぶった。
「天野、しっかりしろ! 克にいは、いるから! 大丈夫だから!」
身体を揺り動かされた僕は、霧島君を見た。
「居なくなるはず、ないだろ!? こんな天野を残して!」
必死な目が、僕を見つめる。
「……ぼくを……のこして……」
「そうだよ、帰ってくるって!」
「……いつ? いつ? ……いつ帰ってくる?」
「───ッ」
僕は、霧島君の腕を掴み返した。
「ねえ、いつ? ……教えてよ、なんでなの」
「…………」
「僕、わからないんだ! なんで何も言ってくれないの!」
「天野……」
「何で説明してくれないの!? 克にぃも、とうさんも、かあさんも! みんなみんな、取り上げてしまう、奪ってしまう! それだけなんだ!!」
僕は叫びだした。悲しみと憤りが止まらない。
「こんなの、もうやだ! 僕はこんなとこにいたくない!」
「──天野! 天野、落ち着けッ」
「やだやだ! 克にぃ、克にぃ……っ」
あまりに叫びすぎて、喉がつまった。声が、ひいひいと音がするばかりで、それ以上出ない。
僕は霧島君の腕に縋り付いたまま、顔を伏せて泣き続けた。
「……天野?」
最初に異変に気付いたのは、霧島君だった。泣き声がおかしい。僕も気付いた。
───声が出ない。
喉の奥から、ひゅうひゅうと音がするばかりだ。
「天野、喋ってみろ。俺を、呼んでみろ」
霧島君が蒼白になって言う。
「ぁ…………」
喉から漏れる空気が、声に………言葉にならない。
口だけ、ぱくぱくさせた。
「……嘘だろ……」
立ちつくして、霧島君が呟いた。僕の腕を振り解き、もう一度肩を掴んでくる。
「おい、声出せ! なんでもいいから、克にぃでもいいから呼べよ!」
克にぃでもいいから…
僕は霧島君を見上げて、首を振った。──出ない。
「────ッ!」
目を吊り上げて、唇を噛んだ。僕はその顔を見上げて、やっぱり思う。
……ああ、本当に克にぃに似てる。
その瞬間、また涙が一筋零れた。
「天野ッ!!」
霧島君が、僕を抱きしめた。背中に腕を回して、きつく抱え込む。
僕は押しつけられた胸の中で、ぼんやり考えていた。
そのうち何も見えなくなって、何も聞こえなくなって、本当に動けなくなってしまうのかな……。だって、こんな世界、ほんとにいらない……。
「天野、学校に行こう! こんな所にいたら、駄目だ!」
霧島君は、僕のパジャマを脱がし始めた。
やめて……っと、叫んでも、その声は音にならない。手を振って抗った。僕はもう、ここから動きたくない。
「天野、お願いだから聞いてくれよ!」
必死に霧島君は、僕に話しかける。
「こんなところ、辛いだけだろ? 思い出ばっかりだろ?」
僕は、動きを止めて言葉を聞いた。
「学校にいたほうが、気が紛れるって。遊んでれば声もすぐ出るから」
僕の目を覗き込む。
「……なっ?」
僕はその顔を、ずっと見ていたくなってしまった。
「……」
こくんと、小さく頷いた。
「……天野」
ほっとしたように、霧島君が笑顔を零した。その顔に、また胸が掴まれる。涙が勝手に零れる。
ひっ…嗚咽にならない声が、喉の奥から絞り出される。
克にぃだったら……克にぃだったら……。この顔が…優しく僕を心配するこの人が、本物の克にぃだったら…。
そんなことまで思ってしまう。
………霧島君、ごめんね……
───二重に胸が痛い。
僕はその後、霧島君に連れられて学校に行った。霧島君は、声の出ない僕を一生懸命面倒見てくれた。
「一時的だよ、……心配しなくても大丈夫」
桜庭先生も、そう言ってくれた。
「元気になれば、すぐ戻るよ。よく登校したね」
頭を撫でてくれた。……温かい手。
その日も次の日も…僕はずっと待ってたけど、克にぃは帰ってこなかった。
そして昨日の晩、あの変な夢を見たんだ。
飛び起きた時、僕は叫び声を上げていた。
声が……出ていた。
でも、それっきり。その後試したけど、また掠れた音しか出なくなってた。
それでも、そのことは霧島君に伝えなきゃ。そう思いながら、僕はもう一つの気がかりに気を取られた。
………あれはなんだったの…よく覚えていない。
でも、克にぃじゃない誰かが、僕を触っていたんだ。
それが、とっても怖かった。