chapter14. keep run -君という未来へ-
「───早く、恵の所へ行け!!」
そう怒鳴られて、俺は、はっと我に返った。
克にいが、言った。
「今は、頼む」……と。
その言葉…その顔……格好良すぎて、俺は見とれた。
降り続く雨は、俺も克にいの顔もびしょ濡れにさせていた。
痩せた顔に張り付いた髪の毛、吊り上がった眉、苦しそうに噛み締める口元。
天野が大好きな、克にい。
…そして、天野を大好きな、克にい。
俺に“頼む”なんて、何があったんだ。……その言葉に、息を呑んだ。
「天野を俺にください」なんて、言ってしまった。前なら殴られていたかもしれない。
でも、言わずにはいられなかった。
──克にいはもう、だめだ。……もう、天野に会っちゃだめなんだ。
そう思ったら、絶対俺が天野を守るって。守ってやらなきゃって、心が震えた。
何かを決心したような、克にいの眼。その目線が、俺の心を射抜いた。
俺を計るように。
俺を試すように…
俺は負けずに、見返した。
負けてたまるか! 俺だって……天野が大事だ!
睨み返した克にいの顔、あんなに拘束してた天野を手放す、克にい……。
険しい表情の裏側なんて、俺には想像もつかない。でも、その真っ直ぐな眼に、見とれてしまったんだ。
───早く、恵のところへ!
天野の名前で、俺は正気を取り戻した。
急に心配になった。学校にいる間中、心配で。早く帰らなきゃって、思ってたんだ。
「言われなくたって!」
捨て台詞のように怒鳴りつけて、もと来た道を戻ってしまった。
結局かなりの遠回りをして家に帰って、着替えを運んだ。
走ってる間、ずっと考えていた。
───克にいがカッコイイのは、顔だけじゃなかった。心が強いんだ。すごい自信で、天野を愛して、自分が守ると思ってて。
悔しそうな、怒りに満ちた眼、俺にじゃなかった。
他の何かに…まるで戦ってるみたいに。
そうだ、桜庭先生も言ってた。克にいが、変わったって。
俺も思ったんだ、目つきが鋭くなったって。
その後、交差点で蹲ってる克にいを見掛けた…リンチを受けたみたいに、ボロボロだった。
何かがあったんだ。
それで仕方なく、天野を俺に頼んだんだ…!
おかしいと、思ってた。ぷっつり姿を消しちゃって!
「───っ」
わけもわからず、俺は悲しかった。雨の中、走りながらずっと泣いていた。
天野の涙。
克にいの涙。
俺の涙。
みんなみんな、ホントはあっちゃいけないんだ。
悲しいことなんて、無ければ、泣かずに済んだのに。
なんで、克にいが居なくならなきゃいけないんだ? そのせいで、天野が泣く……!
俺はそれが、辛い。
雨だか涙だかわからない水滴を拭いながら、俺は走った。
──なんでなんて……思っててもしょうがないんだ。
……もう、俺が克にいになる。
克にいでいいから。
俺だって、わかんなくていいから。横にいて、笑っていてくれよ……天野!
家に着くと、風呂に入って、髪の毛も乾かした。天野に心配させるようなことは、したくなかったから。びしょびしょのまま行ったら、何か気にするだろう。
俺が克にいに会ったことは、俺の一生の秘密にしなければならない。
……克にいが、迎えにくるまでは。──そう、心に誓った。
「……きりしまくん」
うなされて起きた天野が、また俺に抱きついてきた。その瞬間は、やっぱり錯覚しているのがわかった。
俺は一瞬、怯んだ。
だけど、雨に濡れた克にいの顔をすぐに思い出した。
強くならなきゃ。俺も強くなって、克にいみたいに天野を守るんだ。
「…天野」
静かにそう呼んで、巻き付いてくる腕をさすった。
俺が克にいじゃないことに、驚かせないように、静かに、静かに……
「……きりしまくん」
俺と分かっても、天野は抱きついたままだった。
堪らず、俺も天野の身体を抱き返してしまった。天野……見た目より、抱きしめると…細い。
「俺がわかるんだな……よかった」
──俺の名を呼んでくれるのが、こんなに嬉しいなんて。
俺は、あのキスのことがあってから、本当に天野の目に映るのが恐くなっていた。
錯乱していること自体、見ていられないし…。俺の存在がまるっきり無くなってしまうのが、イヤだった。
天野の中には、ホントに100%、克にいしかいないなんて。
そして見せつけられる、学校じゃ見せない天野の素顔──
………でも。
俺は、更にきつく天野を抱きしめた。
これが、天野なんだ。克にいのためだけに、生きてきた。
……だったら、この天野も受け容れなきゃな…。
天野の柔らかい髪が、俺の頬をくすぐる。その耳に囁きかけた。
───俺は、精一杯の虚勢を張った。
「俺さ、天野の目に映るのが、怖かった」
「………」
「でも、思ったんだ。克にいの代わりでもいいやって」
「………」
天野は、俺に抱きついたまま、ただじっと聞いていた。
「俺のこと、ホンモノの克にいだと思ってても…」
「………」
でも、言えば言うほど苦しくなって……抱きしめる腕に、力を込めてしまった。
「お前の中に、…俺なんかいなくてもさ」
そう言った時、自分で言っておきながら、その言葉が胸に刺さった。
痛くて痛くて、涙が出てきた。
それでも、天野には、笑っていてほしかったんだ。声が出なくなったり、あんな変になっちゃう天野は、もう……見ていられないんだ。
「───天野……俺、お前を守りたい」
心から、そう思う。
この気持ちは、なんだ…?
「俺が守るから……ここにいてくれよ」
言わずにはいられない。抱きしめずにはいられない。
天野の背中をもっと強く抱きしめて、首筋に顔を埋めた。
「こころ……壊さないでくれよな……」
──お願いだから……
俺の心が伝わったのかは、分からない。
でも、天野も、もっと俺にしがみついてきた。俺だと分かっていて、腕に力を込めたんだ。
俺、めちゃくちゃ嬉しくて……その後泣き出した天野の涙のわけを、深く考えなかった。
無言で泣きながら、首を振り出す天野。何かを振り払うように……
馬鹿な俺は、また天野は克にいの不在を、否定しているのかと思った。そして、そんな天野を抱きしめたくなる。
「…天野! 大丈夫だから、俺がいるから!」
俺も必死で、天野にしがみついた。これ以上、壊れないように。
砕けてしまわないように。
でもなんだか、しがみつき返してくる天野が、ちょっと変だった。力が強すぎる。
「天野……どっか痛いのか?」
「ううん…平気」
心配した俺に、天野は微笑んで返した。……久しぶりの笑顔。俺も思わず、笑みが零れた。
「…僕、声が出てる」
やっとそれに気付いて、天野は落ち付きを取り戻した。
ほっとして俺も頷くと、また天野が微笑んだ。
─────!
胸が掴まれるように、痛かった。柔らかな、ふわっとした可愛い笑顔。
俺は、天野の笑顔が…こんなにも好きだったのかと。
心臓がドキドキした。
だから……間に合わなかった俺自身に、すごい後悔をしたんだ。
駆けつけるのが遅かった。助けてやれなかった……。
「霧島君が謝らないで……霧島君が泣かないで! 全部僕が悪いのに…」
天野もまた泣きだす。
「まだ、お礼も言ってなかった…僕。ありがとうね、助けてくれて…」
そう言って、また微笑んだんだ。泣き続ける、潤んだ瞳で。
今度こそ、ドキドキが聴こえてしまうんじゃないかと、思った。鼻がぶつかりそうなほど、顔が近くて……
あの顔を間近で見たとき、強く思ったんだ。そして、つい、言いそうになってしまった。
「俺は、天野が好きだ」……と。
持て余していた、俺の感情。
克にいしか見えない天野に、イラついて。
なぜこんなに守りたいと思うのか判らず、ただ、──胸が痛くて。
それで、一緒のベッドで隣で寝ようと言ってくれて、布団に入ったらドキドキしてるなんて言われて。……俺はもっとドキドキしてしまった。
何を期待したわけじゃないけど。そのドキドキは、俺と同じ気持ちなのかと思ったんだ。
そしたら、
「修学旅行ってこんな感じ?」
なんて、訊かれてしまった。
俺は、自分が情けない…というか、恥ずかしくて、笑い続けてしまった。
その後、しがみついて来た天野には戸惑ってしまったけど。
克にいになるって、決めてたから。そんなことで、天野が安心するなら……
俺は、“恵を頼む”と言った克にいの顔をまた思い出して、その言葉を大事に、胸にしまった。その時は本当に、克にいの代わりに、天野を抱きしめて眠ったんだ。
「なぁ、ねーちゃん」
「ん?」
「いちにんまえって、なんだかわかる?」
何となく、聞いてみた。
ホントはわかってるけど。
「はぁ? あんたって、いっつも唐突だね」
呆れて笑われた。
「あんたが一人前? はは! なんの時、そんなこと言われたの」
「………」
俺は、ぶすくれて、言うのがちょっと嫌になった。
「……ラーメン一杯、食べれるって言ったら」
ぶはは! とねーちゃんが噴き出した。
「そりゃ、確かに一人前だわ! つーか、3人前!?」
「……育ち盛りは、食って当たり前だろー」
顔を赤くして、言い返した。母ちゃんによく言われる「浅ましい」ほど、天野んちの夕ご飯、がっついていたのかもしれない。
「いちにんまえだったときが、一回ある、なんて言い方……変だよな」
「一人前のラーメン、食べたんじゃない? つまり、一杯分てこと」
「……ああ」
…やっぱ、そうだよな。後になって、そう思った。
あの時の天野は、無理して笑った。
そして、泣き出したんだ。涙だけ頬に伝わして。
俺は見てらんなくて、また抱きしめてしまった。……前は、そう思っても、触れることが出来なかったのに。
「なに、ニヤけてんだ。こらっ!」
また、首に腕を掛けて後ろから締められた。
「ぐえっ」
「イヤラシイ奴め! そんなに一人前が嬉しいか!」
「違うって…離せ、ねーちゃん……」
ヘタに何か相談できない。俺は自分の部屋に逃げて、畳みに寝っ転がった。
ふう、と溜息をついた。
一人前、って…。
いっちょまえってことかと思ってて、だからちょっと引っ掛かったんだ。天野は大人になりたがっていたから、そのことだとばかり思っていた。
“一回、いちにんまえ”
───克にいと、ラーメン食いに行ったんだな……
……それ思い出して、泣いたんだ。…たった一回の、思い出……。
俺、浮かれてて、あの時はすぐ気付いてやれなかった。天野んちの夕ご飯が楽しくて。
天野は、いつだって、やっぱり克にいのことばかりなんだってのに……。
時々、天野はとても辛そうな顔をする。何かを我慢しながら、笑ってるような。
今までは、ただその顔を見ていた。どうすることも出来なくて。
理由もわからなくて。
でも……
もうあんな顔、させておかない。いつだって抱きしめてやる。それで、天野が泣かなくて済むなら。
──俺が、克にいになってやる…
本当に、あの時そう思ったんだ。
俺はもう、迷わないし、恐れないんだ。
克にいに追いついて、追い越すまで。
俺は走り続ける。
もう二度と、俺が間に合わなくて、あいつが傷つくのだけはイヤだった。
天野が伸ばした手を、俺が握ってやれるように。俺が救ってやれるように。
天野が迷う分、俺がいつも先を走って、手をひっぱってやる。
───本当に、本当にそう思っていたんだ。
でも───
俺はただの子供だった。
同級生で、小学生で……克にいのまねごとを、やっていただけだったんだ。
天野の本当の苦しみなんて、俺はまったく判らなかった。
克にいと引き剥がされた天野。
天野を手放した克にい。
そして、天野を好きなことに気付いてしまった俺……
出会った頃には…4年前には、想像もできなかったことが、起こり始めていた。
天野は、遅いながらも、自分のことを自分でやり始めた。
俺は、目的をもって、天野を守ると決めた。
俺たちは今、自分の脚で歩き始めたんだ───
そして自分の目指すゴールへひたすら走りだす。そこに“未来”があると信じて。