chapter13. critical turning point -見えない回帰点-
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「君が付けるポストは、用意が出来なかったよ」
人事部長の長谷川永一は、こともなげに言った。
「え?」
6月も終わる頃、昼休み前に会議室に呼び出された僕は、耳を疑った。
「……部長。何言ってんですか……そのうちって、何度も……」
「しつこいよ。無いモノは無いと、言っているんだ!」
最後は大声で、怒鳴られた。邪魔な物でも見るような目つきで、僕を睨む。
「それだけだよ、もう戻っていい」
「────!!」
戻れって……。
戻るトコなんか、有りはしない。僕は机さえ、まともに用意してもらってないんだから。
「部長……!」
食い付いた僕をまるっきり無視して、長谷川部長は先に部屋を出て行った。
一人取り残された第2会議室は、静まりかえっていて……僕の心臓の、破裂しそうな音だけが、響いた。
「なんで……」
愕然としながら、呟いた。
「僕が、何をしたってんだ……」
やっと会議室から出ると、プライベート用の携帯に、着信が来た。
「はい、宮村……」
『…Hello.マサ……見つけた』
僕はその声に、今度こそ地獄に、突き落とされた気がした。
手をすべり落ちた携帯は、ストラップに助けられて、胸の前で揺れた。
………グラディス……!?
日本に帰ってきて、携帯を増やした。
こっちの会社の情報は判ってるだろうが、二台目のナンバーまで聞き出せるはずはないのに。
………なんで!?
我に返ると、直ぐさま着信を切って、電源を落とした。
───二度と、聞きたくない声だったのに。
蒼白になった僕の後ろから、誰かが声を掛けてきた。僕は廊下に出た所で、立ち尽くしたままだった。
「おい、宮村?」
「……白石」
情報屋の白石……。振り返った僕の顔を見て、心配そうに眉を寄せた。
「なあ、今呼び出されたろ、人事に……」
「…………」
声が出ない。
ダブルショックで、僕は本当に頭が真っ白になっていた。
「オレ、ちょっとヤバイ話し聞いちゃったよ」
「……?」
「お前、まだ野球の試合……出てんだろ?」
───試合? ……先輩の?
僕の意識は、そこまでだった。
「お、……おいッ!?」
慌てた白石の叫び声が、何となく聞こえて。視界が真っ暗になった。
「…………」
目が覚めると、退室したはずの第2会議室だった。
会議用の長テーブルの横で、パイプ椅子を並べて、その上に横になっていた。
「おー、気が付いたか」
白石が、窓際に腰掛けながら、煙草をふかしている。
起きあがった僕に、軽く手を挙げた。
「………?」
僕は何がなんだか分からず、頭を振った。……酷い、頭痛がする。
自分に掛けてあったスーツのジャケットが、床に落ちそうになって、慌てて掴んだ。
「これ、お前が?」
白石が近寄ってきて、ジャケットを受け取った。
「ああ、そのまま寝かしとくと、風邪ひきそうで。でもよかった」
咥え煙草のままそれを羽織ると、開かない口の端で笑った。
「すぐ目が覚めたな。救急車を呼ぼうか、迷ったんだぜ?」
───あ……
思い出した。アイツから電話が掛かって来たんだ。思わず、口元を掌で押さえた。
「宮村……少し会社、休んだらどうだ?」
「え?」
蒼白になった僕を、心配そうに見下ろしてくる。
「スッゲー、体調悪そうだし」
「…………」
そうだ。人事部長からも、最悪なこと言われた。……白石も、何か言ってた気がするけど。
「……うん」
どうせ、仕事なんか無いんだ。休んだって辞めたって、もう同じコトかもしれない。
「吸うか?」
「ん、サンキュ……」
差し出してきた一本を、肺まで吸い込んだ。溜息と一緒に、白い煙を吐き出す。遣り切れない時、この一本は、かなり助かる……。
「………」
白石が何か言いたげに、そんな僕をジッと眺めていた。
僕は携帯に掛かってきたあの声に、気が動転していた。いつもなら気付いたかもしれない、こいつの妙な言葉や気遣いに、注意を払えなかった。
それに気が付いたところで、今更どうにも出来る事じゃなかったけど……。
もっと違った未来が、あったかもしれない。
今以上の悲劇は、防げたのかもしれない。
でも、そんな分岐点……誰が知ることができるんだろう。
そんなのは、みんな一生懸命生きていて、振り返った時、気が付くものなんだ。
僕は早引けの手続きもせず、マンションに帰った。
こんな真っ昼間に、自宅に帰るなんて……。バタンという、ドアの音に悲しくなる。惨めな思いが、僕を打ちのめした。
昨日もそうだった。仕事が無くて、こんな時間に帰ってきたんだ。
───なんで…なんで……
そればっかりが、胸を締め付ける。
僕が何をしたんだ。会社に背いたことも、裏切った事もない。僕なりに、一生懸命尽くしてきたのに。
どっから、間違ってしまったのか……7年前は、上手くいっていたんだ。辞令が下りるまでは……。
ソファーに座りこんで、ネクタイを緩めた。
「はあ……」
息を吸ってみても、酸素なんか入ってこない。
楽しかった頃の残像が、頭をチラチラ過ぎる。……異動を受け入れなきゃ、良かったのか?
でもそしたら、もっと早く辞めることに、なっていたかもしれない。
色々な後悔と迷いが、頭をグルグルする。胸の中に嫌なモヤが、溜まっていく。遣り切れなくて、克晴の部屋に入った。
今の僕には、克晴だけだ。克晴だけが、確かに僕の手の中で。
僕が欲しいと思って、手に入れた……唯一の宝物。
「克晴……」
ベッドに蹲って顔だけ起こした、その姿を視界に収める。
愛しい名を呼んで、指で触って、確かめる。
「や……」
一瞬拒否をしながらも、言うことをきく。パジャマを脱がせ、足を開かせ……
「ん……ぁあ……」
僕のモノである証を足首に煌めかせて、腰を捩る。
………あっ…!
それを見てやっと、思い当たった。アイツが、僕を突き止めることが出来た理由が。
───しまった! 痛恨のミスだと知った時は、もう手遅れだった。
その時は、克晴への欲情が押さえられず、散々抱いた。
「もっとイイ声で鳴いて」
いくら言っても、歯を食いしばっている。強情っ張りを何とかしたくて、もっとムリヤリ抱いてしまう。
「熱い……克晴の中……気持ちいい」
繋がった場所をぎゅっと締め付けて、体中を震わせている。クスリを使ったから、目が潤んでいて可愛い。
「あッ…ぅぁあ……」
打ち付ける度に漏れる、掠れた声…色っぽい呻き。いやいやをするように、首を横に振る。
その度に、前髪がサラサラ揺れて、悩ましげな眉と目を見え隠れさせる。
もっと声を……
そう思って、胸の尖りに手を伸ばした。ツンと立ったそこを、指の腹で転がすと、僕も気持ちいい。
「んんッ…、ぁあッ……はぁ……」
ビクンと肩を跳ねかせた後、更にきゅっと蕾を搾って、ますます僕を締め付けてくる。
「あぁ…克晴…気持ちいい…」
何度も何度も締め付けさせて、出入りを繰り返して、克晴の中で果てた。
彼も導いてあげる。
僕だけ気持ちよくて、克晴を触ってあげなかった。
体力が戻ってないから、ろくに動くこともできないでいるけど。
「……あッ」
熱く脈打つそれを、そっと掌に包んで上下に扱くと、今更のようにまた嫌がるんだ。透明な液体で濡れて、クチュクチュとヤラシイ音を立ててるのに。
「感じてる…嬉しいよ」
囁くと、真っ赤になって首を振った。僕は克晴の熱い体内に入ったまま、最後まで扱いてあげた。
「ん……イク…雅義……」
喘ぎながら、僕を薄目で見る。堪らない…この眼。
「いいよ、イッて」
「クッ……ぁ…ああっ」
悔しそうに歯を食いしばった後、絶叫する。
クスリで絶頂を迎えるときは凄い乱れるから、それも楽しみだった。最後は意識を失ってしまった身体を、抱き締めて泣いた。
「ごめんね……」
絶対、普段は言えない言葉。
「克晴……大好き」
……これも。
グッタリした身体を、いつまでも抱き締めて泣いた。
強情っ張りと、意地っ張り。僕たちはまだ、どこまで行っても平行線だった。
その夜、またアイツから着信があった。僕は覚悟を決めて、携帯に出た。
『マサ……久しぶりに聴く…お前の声』
僕は二度と、聞きたくはなかった。
「……何の用?」
グラディスは、あらゆる語学に長けている。仕事での取引が諸国に渡っているからだ。
僕は敢えて、日本語で対応した。
『あの店に、君の名前でオーダーが入ったことを知って、驚いていた』
……やっぱり。
大きな溜息をついてしまった。
「うっかりしたよ。アンタから教わった店だった」
顧客情報が漏れるってのも、コイツがまたあの店を使うってのも……考慮に入れるべきだったのに。
『マサ、……誰か飼っているのか?』
「関係ないだろ!」
『……今回は、仕事の提携の話しだ…』
グラディスの要求は、僕が手がけ始めた物流の手助けをしたいって事だった。
僕は少しずつ、用意をしていた。
そんなハズあっちゃいけないけど…会社に長く居れない危機感。出勤時間が少なくて、給料が入らない……同時進行で、稼がなきゃ。
向こうに行ってる時に学んだ物流系と、マネートレードの知識が役に立った。アメリカ時代のツテを利用して、小さいながらも会社を興していたんだ。
それさえも、グラディスに突き止められていた。
「手助けなんか、要らない! もう電話かけて来るなよ!」
乱暴に着信を切って、ベッドに携帯を投げつけた。
こっちの部屋なら、多少大声を出しても克晴には聞こえない。僕は、国際電話が掛かってくるたびにリビングから廊下に出て、自室で大声で叫んだ。
しつこいグラディス。
カフスプレートのオーダー表には、ここの住所が記されている。
『行こうと思えば、君に会えるんだ』
そう言って、脅してくるようになった。
何言ってんだ!
会えば、同じコトの繰り返しなクセに!
───僕が一番分かってるんだ、そんなの!