「はあ~…」
 今日、何度目の溜息だろう。
 僕は朝っぱらから、トイレの住人になっていた。
 
 痛~…
 
 下してもいない下腹を摩る。
 先輩と直行出勤の時に限って、僕は何故か腹痛を起こした。
 
 ───マズイなぁ。今日で5回目だ。
 さすがにいい加減、遅刻出来ないよなぁ…
 
 今年入社した会社で、僕は営業に割り当てられた。
 僕を含め新人営業マンは3人。初めの頃は3人で束になって、先輩の後ろを着いて歩いていた。
 でもエリア分けされ、それぞれの担当地域を受け持つようになると、バラバラに活動するようになる。
 先輩との同行も、二人きりだ。これが僕にとっては大問題だった。
 
 同行も、会社からならまだいい。
 直行の場合が厄介だ。待ち合わせ場所に、約束の時間に行かなければならない。
 今日で5回目。
 その前の4日とも、僕は待ち合わせに遅刻していた。
 
 ───なんでだろう
 
 他に人がいる場合は平気だったのに。
 先輩と二人キリ、となったとたん、腹痛に襲われるようになった。
 いつも通りに出勤の用意をして、さあ、って時に、キリキリッと痛み出すんだ。
 お腹を壊しているわけでも、便秘でもない。
 ただ、痛くて立てなくなった。
 
「はぁー…参ったな」
 迫り来る待ち合わせの時間に、僕は焦った。
 今日も遅刻します~なんて、連絡入れたら……
 いい加減、優しい先輩の顔にも、青スジが浮くだろう。
 
 考えれば考えるほど、お腹は痛くなった。
 ───く~っ……!
 便座に座ったまま、身体を二つに曲げた。
 
 苦痛に目を閉じていると、先輩の顔が思い浮かんだ。
 先輩の決して怒りを見せない笑顔。
 一見、スポーツ選手かと思うくらい爽やかでカッコイイ。
 きりりとした眉、ちょっとつり目の二重。笑うとそこだけ風が吹いたみたいに、キラキラ光る。
 真っ白い歯のせいだ。
 
 ───はあ……
 
 営業4年目の、ベテラン先輩。歳も、きっちり4つ上。
 僕がどんなにヘマをやっても、他の同期がドジ踏んでも、いつもその笑顔でフォローしてくれる。
 ホントに絶対、怒らない。絶対に怒鳴らない。
 だから僕らは、失敗を怖がらずに臆することなく、体当たりで仕事に取り組めたんだ。
「新人なのに、度胸良いな」なんて、誉め言葉を当然のように貰って、調子に乗ってたのに。
 こんな基本のところで、だらしないようじゃ、呆れられる。
 ───今度こそ、注意を受けちゃうよ……!
 途方に暮れて、おでこを膝にくっつけて嘆いていると、急に外が騒がしくなった。
 
 僕の部屋は古いアパートで、玄関のすぐ横がトイレ。小窓が外の通路に面している。
 その玄関の外に誰かが来たらしく、激しくドアを叩く音が、室内と小窓の両方から聞こえた。
 同時に、僕を呼ぶ声。
「おーい西尾! まだいるんだろ?」
 
 ───先輩!?
 
 加賀先輩の声だった。
 
 ───なっ、なんで!?
 
 とにかく僕は、下着とズボンを引き上げて、トイレから出た。
「先輩──どうして……」
 ドアを押し開けながら、その顔を見て、ドキッとしてしまった。
 さっきからずっと、頭から離れなかった笑顔。
 明るいあさぎ色のスーツで、爽やかな二重が僕を見て、口元に白い光を零した。
 眩しすぎて、思わず目を細めた。
「やっぱりいたな、この遅刻魔め!」
 聞き心地の良い、響く声で笑うと、僕の頭を大きな掌でグリッと撫でた。
「…………!」
 このスキンシップが、危険なんだ。
 僕は驚いて、見上げながら心臓が早くなるのを、抑えられなかった。
「まだ寝てたら、起こしてやろうと思って」
 なんて悪戯っぽく笑ってから、先輩は僕の格好に眉を寄せた。
「用意はできてたのか? なんだ、そのへんちくりんな姿は」
 僕も苦笑いしながら、赤面した。
 上はカッターシャツに、スーツとネクタイ。
 下だけ夏用の室内着。ペラペラのショートパンツだった。
 トイレに籠もるとシワになるから、ズボンだけ穿き替えていたんだ。
 膝までのショートパンツの下は、ふくらはぎまでの黒靴下。
 我ながら、笑えると思う。
 
「まあいい、ほら、急げ。今日は遅刻出来ないぞ」
「あ、……ハイ」
 
 僕も我に返り、奧の部屋に行こうとした。
「……ぁ、痛ッ……」
 また例の腹痛だ。余りに痛くて、玄関前で座り込んでしまった。
「センパイ…スミマセン……ちょっと、トイレ……」
 切れ切れに言うと、心配そうな目が僕を覗き込んだ。
「大丈夫か? 毎朝、便秘に悩まされてたのか」
 ───え!?
「俺に任せろ、ちょっと上がるぞ」
 
 先輩は大きな体を、狭い部屋に無理矢理押し込んできた。
「せんぱ──違いま……」
「いいから、俺にまかせろ」
 
 ───!?
 
 加賀先輩……素敵だけどちょっとヌケてる。
 自分に鈍感、て言うのか。
 営業ならではの気遣いや優しさは、抜群だ。人の心の機微を読むのが上手い。僕をこんな風に迎えに来てくれちゃったり。
 ───でも自分の行動が、どんな効果を発揮するか、まったく気付いてないんだ。なんてったって、スキンシップが激しすぎる!
 今だって………
 
「先輩!? …何すんですか……」
 ”腹痛で、トイレ”と言っている人間を後ろから抱え込んで。
「いいから、じっとしてろ」
「──あっ……」
 先輩の手が、シャツをたくし上げ、ショートパンツの中に入ってきた。
 下っ腹に直接、掌を当てる。
「……………」
 じんわり先輩の体温が伝わってきた。
 その掌で、ヘソの下を中心に時計周りに撫で始めた。
「ん………」
 僕は変な声を出してしまい、慌てて先輩の腕にしがみついた。
 僕を抱え込む、反対の腕。首の前にまわして、僕の両肩を押さえている。
 その腕に口を押し付けて、息を殺した。
 ──あ…先輩の匂いだ……
 初めてこんな風に抱え込まれたのは、研修が無事終わった飲み会の時だった。
「よくがんばったな~」
 って、いきなり抱き締めてくれたんだ。
 その時はまだ、加賀先輩は管轄外の人だったから、ビックリした。
 あの時の匂い…。それっきり、僕の心臓は先輩に肩を叩かれたり、背中を押されたり、頭を撫でられたり──そんなことで、いちいち跳ね上がってしまうようになった。
 ───にしても……
 
「……せんぱい…?」
 ───ナニをしてくれて、いるんでしょうか?
 
「どうだ? 下っ腹が、グルグルって動いてこないか?」
「……は?」
「便秘の時は、マッサージが一番なんだ」
 
 ───便秘!!
 違うって、言ってんのに!
 
「えっ……えぇっと、違いますっ……僕…」
「まあ、まあ」
 慌てた僕を、先輩は宥めに掛かった。
 よっぽど恥ずかしがってると、思っているみたいだ。
「判ってるって。いいから心配すんな。ちゃんと出るようにしてやるゾ」
 
 ───してやるゾって、そんな素敵な声で~!
 
「僕、便秘じゃありませんから!」
 
 大声で言って、身体を捩った。
 先輩の手、危険すぎる!
 
 不意に先輩の腕が、僕から解けた。
 両肩を掴まれ、くるりと回転させると、正面に向かい合わされる。
「西尾……」
 僕は、こんな真剣に眉を寄せる先輩を初めて見ていた。
「先輩…………」
「便秘を甘く見るな! 現に今日で5日目じゃないか!」
 ガクッと膝が折れるかと思った。
「便秘じゃ…」
「恥ずかしがるな、ちゃんと克服しような」
 そう言うと、ダイニングの小さいテーブルの上に、僕を腰掛けさせた。
 両脇に手を差し込んで、ひょいと、持ち上げたんだ。
 ───うわ……
 先輩のこういう行動に、ドキッとしてしまう。
 男らしい……って、男の僕が言うのも変だけど。
 力強い腕は、動くとき迷いが無い。
 
「西尾、ちから抜いてろよ」
「………はぁ?」
 
 今度はなんだ、と思ってたら……
 テーブルの上に身体を横たえさせられた。
 何も置いてないから、それはいいんだけど。
「せんぱいっ!?」
 シャツを捲って、腹を出された。
 なんか、めちゃくちゃ恥ずかしい…!
「暴れるなって。痛くはないな?」
 さっきと同じように、下っ腹をマッサージしてくれるらしい。
 右手の甲に左手を重ね、親指の付け根の方から、力を入れて押してくる。
 押しながら、僕の下っ腹を右回りに動き出した。
「んっ…んっ…」
 押されるたびに、息が漏れて、変な声になってしまう。
 ───便秘じゃ無いのに──どうしよう……
 ふと見上げると、真剣な顔で、体重を掛けるように、真っ直ぐ腕を動かす先輩。
 前髪が顔にかかって、いつもの余裕たっぷりの先輩とは、どこか違って見えた。
「…………」
 胸がズキンと痛くなった。
 ───あッ……ヤバ…
 同時に、先輩の手が下腹部に近づいていた。
 そんな下の方を押したら……
「先輩……いいですっ! ほんと、便秘じゃないんですってば……!」
 僕は泣きそうになって、必死に訴えた。
 僕の声に、先輩はやっと手を止めてくれた。
「……本当に? 本当だな? 照れて隠すんじゃないぞ」
「……隠しませんよぉ、そんなこと…」
 顔が真っ赤になってしまったと思う。頬が熱い。
 先輩の片手が、その頬を包んだ。
「……なら、いいけど。我慢してると大変なんだ。──俺の同期が、それで病院送りになった」
 ───え?
 見開いた僕の目を、哀しげな先輩の目が見つめた。
「緊張し過ぎだったんだ。でも……誰にも…俺にも言わなくてな……」
「…………」
「だから後輩には、そんな思いして欲しくない……相談してほしいんだ。何かあったらさ」
  最後は、いつもの笑顔で、ニコリと白い光を零した。
  ───先輩……
  僕の見上げてた目が、潤んでしまった。
  先輩の優しさは、そう言うトコから来てるんだ。
  そう思うと、よけい胸が痛くなった。
「……でも西尾…じゃあ、なんで腹が痛いんだ? 今日も、その様子じゃ遅刻だったろ?」
  ───そうだった!
  僕は謎の腹痛で………
  でも、僕はもっと困ったことになっていた。
  幸か不幸か、腹痛はとっくに治まっていた。でも……
「ホントに腹か? 胃じゃないのか?」
  先輩の手が、心配そうな声と共に、身体を這い回る。
「や…、違いますっ! だいじょうぶですから……」
  僕はまた、泣き声を上げた。
  だって、僕のソコは……
「───!」
  先輩が気が付いて、身体を引いた。
  
  ──────!!
  ……ああ、最悪………
  
  先輩があんまり、生肌を触るから。
  先輩の顔がいつもに増して、近すぎるから。
  先輩の声が、優しすぎて……
 
  そんなの、理由にならないかな……
  僕は変なのかな……
 
  半勃ちになっているのが、ズボンの上からでも判る。
  恥ずかしくて、目をつぶりながら、僕はぽろぽろと涙を零してしまった。
 
「せんぱいが、さわるから……」
  やっと、それだけ言った。
  ほんとのコトだもん。
  でも、一瞬体を引いた先輩……それが胸をぐさりと刺した。
 
「西尾……」
  先輩の手が、また僕の頬を包んだ。
  ビクン、と揺れた僕の身体を、今度はぎゅっと抱き締めてくれた。
「先輩……!?」
  小さなテーブルの上で、膝を垂らして仰向けになっている僕。その上から、覆い被さるように先輩が僕を抱き締めている。
 
  ───気味悪がられたと、思ったのに……
 
「西尾……素直におしえてくれて、嬉しい」
  先輩は顔を起こすと、ほんとに嬉しそうに無邪気に笑った。
「こんなの、若い内はよくあることだから」
 
  ───ん?
 
「毎朝、こっちだったのか、俺が悪かった」
  なんて、頭を掻いている。
  ───なんか、誤解してる……?
「でも、遅刻するほどヤルなんて、やっぱマズイぞ、それは」
 
  ──えっ……えぇっ!
 
  先輩の手が、僕のズボンを引き下げた。
「な…なにすんですか!?」
  腕にしがみついて焦る僕に、先輩はにっこり微笑んだ。
「上手くヌケなくて、手こずってんだろ? 俺がやってやる」
  ───ちょっ!
  ”嫌悪された?”なんて、傷ついたのは、なんだったのか。
  ───それどころじゃない!
  先輩の手が、パンツの中に入ってきた。
「やぁ、……やめてください!」
  恥ずかしくて、ほんとに死にそうだった。
  叫ぶ僕を無視して、先輩の手は僕をまるまる包み込んだ。
「お前の…かわいいなあ」
 
「…………!!」
 
  ───えええぇ!! ……そ、それって、小さいってことデスか!?
 
  僕はまた、傷ついてしまった。
  先輩の手に翻弄されて……上下されて、めちゃくちゃ気持ちいいのに……
「ぁ……あぁ……っ」
  背中を仰け反らせて、刺激を散らした。
 こんな状況に混乱しながら、傷ついた僕が心のどこかで拗ねている。
「やめてください! 僕なんてどうせ……」
 泣きながら、イヤがってしまった。
 体を捩って、先輩から逃げる。
「なに言ってんだ。こんな可愛いのに」
「……可愛いって、なんですかぁ?」
 恨めしく思って、先輩を睨み付けた。
 力強い腕は、ちっとも僕を離さない。腰に与えられる刺激は続いて、息も絶え絶えだった。
「あ……あぁ…せんぱ……」
 ───ヤバ……いきそうだよ……
「せんぱい……手……離して…」
「……西尾…」
 唇を塞がれた。先輩の薄い唇が、僕に押し当てられていた。
「……ん!」
 ───ああ、ダメ……もう、イクッ…………
「……んんっぁ…!」
 腰を痙攣させて、僕は先輩の掌に吐精してしまっていた。
 ───はぁ………気持ち…いい……
 朦朧とした頭で、余韻に浸っている体を震わせた。
 
「西尾……」
 済まなそうに眉を寄せて、先輩の顔が僕を見る。
 ───うわ…近い……
 僕の心臓は、またドキドキした。
 
「ごめん」
 ───え…?
 辛そうな顔…。急に後悔したのかな。でも、僕は……
 まだ身体が、火照ってる。
 恥ずかしくて、先輩から目を反らせてしまった。 
 
「勢いで、キスしちまった」
 ───!! ……そこ!?
 思わず、先輩を凝視した。
 ───下は、もっと凄いことになってるのに……
 先輩は……掌が気持ち悪くないのかな……
 
「男とキスなんて、嫌だったろ?」
 ───だから、それ以前……いえ、それ以上ですってばぁ……
 僕はこの鈍すぎる先輩に、泣きたくなった。
 
 毎朝の生理現象なんかじゃない。
 僕は、先輩に勃っちゃってたのに。
 
 何も言えないで、見つめ返していると、
「西尾……可愛い」
 またそれを、言う。
「……なんですか……それ」
 どうせ、小さいですよ。ふんだ。
 身体は、そんなに小さいつもりは無い。先輩が大きいんだ。
 でも、どうせあっちは先輩のモノに比べたら、僕のモノなんてお子様ですよ!…きっと。
「……え? …あれっ?」
 先輩のを意識して、初めて気が付いた。
 先輩のも、大きくなってる……。
 僕は改めて真っ赤になって、先輩を見つめた。
「だから、あんまり可愛いから…つい、キスしちまって……」
 つい、大きくしちゃってるんですか? 先輩……!
「か…可愛いって、小さいってことデスか?」
 拘ってる僕は、えいっと、訊いてしまった。あんま繰り返されると、ホント傷付くし。
「小さい? ……うん、小さくて可愛い」
 じっと僕を見つめてきて、ギュッと抱き締められた。
 
 ───ああ、先輩! ……きっと、言ってること、違います!
 
 伝わらない焦れったさに身悶えしたけれど、この抱き締められてる状況は、とても気持ちが良かった。
 
 先輩のスキンシップは激しすぎて……普段の僕にはちょっとキツかった。
 こんな風に、素直に受け入れられなかったから。
 
 ───今、判った…僕の謎の腹痛の、理由。
 見つめられるだけでドキドキしてしまう、素敵な先輩。
 二人きりでいたら、どこまで先輩の鈍感さに付き合えるか判らない……。
 触ったり撫でられたり、その度に跳ね上がる心臓は、いつか破裂してしまうんじゃないか。
 その時僕はどうなってしまうんだろう。……何を口走ってしまうだろう。
 そんな不安から、知らずに緊張して腹痛を起こしていたんだ。
 
 ───こんなことまでされたら、…もう、緊張もないよなぁ……
 
「…先輩、僕、もう腹痛…大丈夫です」
 荒療治みたいだ。今後は多少のスキンシップでびびったりなんか、しないもん。
 そう思ったら、恥ずかしいけど嬉しくて、微笑んでしまった。
「…………」
 先輩の目が、細まった。
「僕……毎回遅刻して…済みませんでした」
 そうだ──今日だって、心配して迎えに来てくれて……
「……先輩は、どうして怒らないんですか?」
 つい、訊いてしまった。
 失礼かもしれないけど……あまりに、怒らなさすぎる。
 僕の度重なる遅刻は、普通、許されないと思うのに……
 
「──俺が」
 身体を起こした先輩の目が曇った。
「俺らが入社した時の先輩ってのが、酷いヤツでね。厳しいだけじゃない。怒鳴っては叱りつけて、俺たちは萎縮するばかりだった」
 ───ああ、だから同期の人は……
 僕は横たわったまま、じっと先輩の言葉を聞いていた。
「俺は、あんなやり方間違ってると思う。できることも出来なくなっちまう」
「……はい」
 素直に頷いた。
「だからさ」
 にっこり口の端を大きく上げて、先輩は笑ってくれた。
「俺は、誉めて伸ばすんだ」
「………はいっ!」
 僕はもの凄く納得がいって、大きく頷いた。
 胸が、熱くなる。
 ありがとうございます、先輩。
 僕たち、たっぷり伸ばして貰ってます!
 
「ぼく……余計な緊張してました」
 
 反省して、小さく呟いた。
 ───もっと素直に、先輩と接しよう。
 お兄さんと思えば良いんだ。僕から抱きつく勢いで、懐いてしまおう!
 そうすれば、先輩に触られたって、……もう平気だ。
 ちくりと、どこかが痛い気がしたけど、しょうがないよ。
 こんなに僕たちのこと思ってくれてる先輩に、僕もしっかり応えなきゃ。
 
 ………なのに、先輩ってば!
 
「緊張? 朝勃ちのことか?」
 ───え?
「そうだ。今後直行の時は、俺が朝迎えに来てやる」
「…………」
 ───なんで?
「俺が、今日みたいに抜いてやる! そしたら遅刻しないだろ?」
 
 ───えええぇぇっっっっっっ!!!!!
 
「や……、それはちょっと……いいですよ! そんなの!!」
 お兄さんて、思おうとしてるのに!
「でも、これ以上の遅刻は、さすがになぁ」
 ───うん、ボク、もうお腹痛くなんないから、平気です……先輩!
 こくこくと頭を縦に振りながら、僕は忘れていたことに気が付いた。
「先輩! 僕の世話なんかしてると、先輩が大変になっちゃいますよー!」
 先輩のそこ、まだ大きいじゃん!
 考えてみたら、僕だってお腹を汚したままだし。下着の中も気持ち悪いし。
 毎回こんな朝を迎えられるわけがない。
 
「西尾……」
 
 先輩のいつにない真剣な声に、僕は上目遣いに見上げた。
「………ハイ?」
「俺はお前の先輩として……お前を傷つけたくない」
「…………」
「──だけど、今回だけ。西尾を利用して……いいか?」
 僕の身体が、ビクッと震えてしまった。
「…………」
 頭の中で、グルグル回り出す。
 ───利用って……リヨウって何だろう? 心臓がドキドキ、頬や身体は、熱くなっていく。
 でも、先輩のコトだから……
「目、閉じててくれ。すぐ済ませるから。……音はカンベンな」
 予感は的中だった。
 恥ずかしそうに片目を瞑る先輩は、僕を単にオカズにしようとしているだけだった。
 そんな顔でさえ、優しさを感じる。ごめんなって、謝ってる。
「………先輩」
 先輩がイヤでなきゃ……僕……
 先輩に両手を差し出して、どう言おうか迷った。
 そんなこと、先輩はしたくないかもしれない。そこまでは、考えもしてないかも。
 ……今度こそ、気味悪がられるかも……
 ──でも、僕はもっと気が付いちゃった。自分の気持ち。
 ……僕は、きっと……
「センパイが嫌でなきゃ……僕の身体、……直接使ってください」
 真っ赤になりながら、とうとう言ってしまった。
 
「………直接?」
 
 羞恥と不安に耐えられなくなった僕は、上半身をおこして、先輩に抱きついた。
 その胸に、顔を埋める。
 引き剥がさないで! ……先輩……
 
「…………」
 先輩の腕が、優しく僕の背中に回った。
 耳にそっと、囁かれる。
「西尾……キスしていい?」
「…………」
 僕は、胸の中で無言で頷いて、顔を上げた。
 優しい、柔らかな視線とぶつかる。……僕の目は、涙で視界が歪んでいた。
 ───せんぱい……
「………ん」
 優しい口づけ。舌が唇を探りながら、入ってきた。
「んん…っ」
 ビックリして呻いてしまった。
 実は、キスなんて初めての僕。初体験のぬるっとした感触に、ちょっとショックを受けていた。
 なんてか、……生々しすぎる。
 口内で蠢く舌に、僕は恐怖した。……ちょっと軽率過ぎたかな。
「ん………んんっ……」
 でも先輩のキスは巧みで、吸い上げられ、絡め取られ、突き放され……僕はどんどん興奮していった。
 そのままゆっくり、再びテーブルに背中を着けさせられた。
「西尾……」
 ───先輩……
 ゾクリとする響く声に、身体を震わせた。
「…はぁ……」
 唇が解放され、僕の吐く息は、すっかり熱くなっていた。
 先輩の指が、僕のネクタイ、シャツの第一ボタン、第二ボタン…と、次々に外していく。
 少しずつ露わになる僕の肌。その指先を、ドキドキしながら見つめた。
「……ん」
 晒された上半身を、熱い唇が、首…鎖骨…胸…と滑り降りていく。
 ───ぁ……ぁあっ……
 ……やっぱ、ちょっと後悔。普段、想像していた感覚の、比じゃない。
 胸の中心を舐められたときは、全身が跳ね上がってしまった。
「ぁあっ! いい、……いいですっ、そんなトコ!」
「……俺が、必要なんだ。使って良いって言ったろ? ……この身体」
 ────!! ……言ったけど…
「んっ……はぁ……」
 胸を指先でいじりながら、唇は下に降りていった。
 汚れているお腹を通り越して、下半身に辿り着く。
「────っ!」
 一気に下着とショートパンツを脱がされた。
 そして、足をテーブルのフチにかけ、曲げた膝を外側に開かせられた。
 ───うわぁ、丸見え!
 思わぬ恥ずかしい格好に、後悔がますます募る。
 先輩はテーブルの前で床に膝立ちになり、丁度目の前の高さに来る僕のお尻に、顔を埋めた。
「あッ……ぁああ……!」
 腰がビクンと跳ね上がった。
 さっきまでの柔らかい舌は、硬度を持ち、後ろの中心を舐め回す。
「あっ……センパ……」
 嫌と、言いそうになって、慌てて両手で口を塞いだ。
 僕がいいって、言ったんだ。先輩に、哀しい顔はさせられない。
「んっ……」
 舌が、ソコを押し開いて入ってきた。ぬめぬめと動く。
 腰が震えて、くすぐったいような焦れったいような、変な感覚を訴え出した。
 ───あッ……
 指……先輩の指だ……。
 いつも僕を悩ました、優しい先輩の指。それが、僕の中に入ってくる。
 そう思うとなんだか興奮してしまった。
「せん……ぱい……」
 か細いけど、漏れてしまった僕の悲鳴。
 そろりそろりと出入りするそれを、つい締め上げた。
 ───あぁ……!
 お尻から背中にかけて、痺れがゾクゾクと駆け上る。
 萎えていた前の小さいのが、また血液を集め出していた。透明な露を、垂らし続けている。
「西尾……ほんと、かわいい……」
 そう言いながら、それを全部、口に含んでくれた。
 
 ───うぁあッ……あったかい……
 
 目眩のような気持ちよさに襲われて、僕はもう、先輩の言葉なんか気にならなくなっていた。
 咥内で右に左にと嬲られながら、後ろは指を増やされていく。
 突き上げられるたびに、テーブルから腰が浮いた。
「ぁあ……あッ……あぁッ……」
 ───どうしよ……気持ち良すぎ……
 たぶん僕は、笑ってたんだ。
 口を離して上がってきた先輩が、僕を覗き込んだ後、あの素敵な笑顔を見せてくれた。
 
 ───先輩……
 
 こんな状況でも、胸が痛くなる。……その笑顔に。
「…………」
 僕は、火照った顔を先輩に向けて、小さく頷いた。
「………西尾」
 指でほぐしてくれたそこに、先輩の熱い滾りが押し当てられた。
 僕はやっぱり、ちょっと後悔した。……怖い。
 震えた僕の肩を抱き込んで、先輩はこれでもかと言うほど、僕の身体を密着させた。
「んっ、……ぁあ……ぁあぁ……!」
 入ってくる。熱い先輩が!
 あまりに大きい質量に、息が止まった。
 押し開く、擦る、中を掻き分ける。
 その全てに、違和感と圧迫感と痛みと……快感が、生まれた。
「ああ……せん…ぱ……おおき……!」
 荒くなる息の中で、思わず言ってしまった。
「ニシオ……」
 全部を僕の中に埋め込んだ先輩は、ぎゅっと僕を抱き締め直して、熱い息を耳に吐いた。
「んっ……」
 またゾクリと、背中に快感が走った。
「……動くぞ」
「………」
 肝心なときに、声は出ない。
 小さく口だけ開けて、頷いた。
 
 ──うぁっ……痛っ……
 大きすぎる先輩の腰の動きは、挿入というより、ねじ込んでくる感じだった。
 
 ───ちょっ……先輩!……ムリッ
 ───痛すぎる……!!
 
 下から突き上げる、圧迫感。
 引き裂かれそうな痛み。
 奧歯を噛み締めて、目をぎゅっと瞑りたくなる。
 
 ……でも、そんな顔はできないから。
「…………」
 僕は先輩を見上げながら、微笑んだ。
 それはウソじゃない。だって、ほんとに嬉しいんだから。
 先輩と僕、繋がってる……
 そう思うと、また胸が痛くなった。……だから。
 涙が、目の端からぽろぽろと零れてしまった。
 
 ───優しい先輩……僕……大好きです。
 
「ぁあ、……ぁあぁ……」
 痛いだけじゃない、何かが湧き上がって来た。
「西尾……ごめん……ごめんな……」
 先輩が小さく、呟き続ける。
「はぁ…、はぁ…、ぁあ……」
 
 ───先輩……謝らないでください……
 
 それを聞く方が、僕は辛かった。
「性処理の道具にして、ゴメン」
 そう言われているようで…… 
 ───でも、たぶん本当にそうだから、……僕の気持ちは、言えない。
 拒否されるの、怖い。
 僕は、先輩の胸にしがみついて、声を聞かないようにした。
 何も考えない。今、この快感だけを感じるんだ。
 そう思うと、身体がどんどん熱くなっていった。
 
 芯を持ち直した僕のモノを、また掌中にされた。
「ぁあッ……んぁああっ……」
 我ながら、イヤんなるほど、甘い声。
「……西尾……西尾っ………」
 先輩も、僕を呼んでくれる。ずっと耳元で囁いてくれる。
 ───先輩、ぼく、勘違いしちゃいますよ……
 熱い刺激が、どんどん腰に集まっていく。
「あっ…せんぱい………」
 扱かれて、すぐ限界を迎えた。先輩の首に抱きつく腕に、力を込めた。
「西尾…俺も………イク」
 耳元で響く声。下っ腹が疼く。
 
 ───センパイ! ……あぁ…せんぱ……イイ…気持ちいい………
 
 痺れるような快感が、背中を幾度も這い上がっていく。
 
「……んぁああっ………!」
 
 ドクンと、全身が脈を打った。
 
 背中を仰け反らせて、先輩が放った全てを、体内で受けとめた。
 ───熱い……
 荒い呼吸を繰り返す。
 先輩の腕の中で、いつまでも僕は小刻みに痙攣していた。
 先輩の手は、また僕の白濁で汚れている。
 
「………」 
 それを見て、無性に罪悪感に駆られた。
 先輩の欲求と、僕の性欲は違う。
 先輩に汚らわしく欲情して、吐き出したものを、何も知らずに受けとめてくれたのかと思うと、哀しくなった。
 
「……にしお?」
「んっ………」
 泣き出した僕から、ゆっくり抜きでると、先輩は僕の顔を上に向けさせた。
「……ごめん、痛かったか?」
 心配そうに眉を寄せる。
 顎に触れる指が熱い。
 ───僕、今まで以上に緊張しちゃうかもしれない……
 首を横に振りながら、僕は泣き続けた。
 コレ以上ないくらい先輩と密着しちゃえば、あとは怖いモノなんかないと思ったのに。
 
 ───擦れ違ってるから、辛いと……気付かされた、だけだった。
 
 キリキリと胸が痛む。
 
「……西尾」
「…………」
 
 涙目で、先輩を視界に捕らえた。困った顔が、ゆらゆらと歪む。
「俺、お前が……かわいい」
「────────」
 
「泣かすつもりは、無かったんだ。ほんと、ごめんな」
「………………」
 
「今の、辛かった?」
「………………」
 僕は、無言で首を横に振った。
 
「……よかった」
 ぎゅっと背中に手を回して、抱き締められた。
 ───先輩……
 
「俺……西尾が困ってんの、助けたい。朝が大変なら、こうやって来てやるから」
「─────」
 
 
 ───やっぱ、先輩ってズレてる。
 胸の中で泣きながら、ちょっと可笑しくなった。
 
「……西尾?」
 肩を震わせた僕に、また心配そうに声を掛けてくれる。
「先輩……」
 
 ───どうしよう
 告白してしまいたい衝動に、駆られる。
 今なら、優しくキスをやりなおして、また繋がってくれる気がして。
 ”かわいい”が……”愛しい”に、変わってくれないかな………
 そんなこと、願ってしまう。 
 
 何も言えなくなった僕を見て、先輩はまた勝手に、自分街道を走り出した。
「恥ずかしいなら、言葉にしなくていいから。……直行の時、俺、必ず来てやる」
 ────ん?
 
「いや、いっそここに泊まろうか。いや、それより、俺んとこに来い!」
 ────はい……?
 
「そうだ、そうしろ西尾!」
「………!?」
「そうしたら、朝こうやって処理できてお互い困らないだろ? もう、遅刻しなくてすむゾ!」
 
 ───すむゾ! って、……そんな素敵な声で~
 
 先輩は自分が何を言っているのか、判っているのだろうか。
「先輩……先輩は、イヤじゃないんですか?」
「……なにが?」
「僕と……こんなこと……」
 汚してしまった掌が、まだ胸に痛い。
 
「……お前が、かわいいって、言ったろ?」
「………っ」
 僕は赤面しながら、上目使いに先輩の顔を、じっと見つめた。
 ──真っ直ぐな瞳……真剣な顔……
 そこからは、照れや躊躇のような恋愛感情を匂わせるモノは、まったく感じられなかった。
 
「だから、心配すんな!」
「……………」
「俺が、お前を立派な営業マンに育ててやる!」
 
 ソコは……心配してないですよ、センパイ。僕は泣きながら微笑んだ。
 困った先輩。
 こんなにカッコ良くて、生まれながらの営業マンみたいで。僕、先輩の下に配属になって、ホント良かったと思ってる。
 ……でも、この気持ちは、どうしたらいいんだろう。
 
「先輩……」
「ん?」
「田辺や……大森にも?」
 ひとつ、どうしても気になることがあって。
 僕は、同期の二人の名前を出した。
 先輩は僕たち3人に、分け隔て無いスキンシップを取っていた。田辺の肩に手を置き、大森の頭を撫でていた。
 あいつらのことも、抱き締めたんだろうか……。
 
「あ~、いや……流石に、内緒だな」
 先輩は、初めて照れたような笑顔を見せた。
「……やっぱ、これはマズイだろ?」
 自分を見下ろしてから、悪戯っぽく目を輝かせて、僕の顔を覗き込む。
 ほぼ全裸で、テーブルに寝そべる僕。
 ズボンを降ろして、下半身を出したまま横に立つ先輩。その腕は、まだ僕を抱き締めている。
「───」
 僕も、こくりと頷いた。
 
「これも内緒だけど。カワイイと思うの、お前だけだし」
 
 ──────!!
 ついでの様に何気なく呟いたその言葉に、僕の脳みそは反応した。
「ほんとは、ひいきになるから、こういうコトは……」
 まだなんか言ってる言葉は、もう聞こえなかった。
 
 ───それなら、いいや!
 ───ちょっとは僕、特別なんだ!
 
 思わず先輩の胸にしがみついて、匂いをかいだ。
 先輩のスーツの匂い。……大好きデス。
 
「今日は大幅に遅刻だなあ。でも次回からは、大丈夫だな!」
「………………」
「ちゃんと、泊まりに来いよ! 前の晩にしとけば、当日の朝は大丈夫だろ」
「………………」
「そんな顔すんな。ちゃんとやってやるから」
 にっこりと笑ってくれる。
 
 ───そんな顔って……どんなカオしてるんだろう? ……僕。
 
 嬉しいけど哀しく思いながら、見上げたんだ。
 直行出勤の前日は、先輩んちでお泊まり。
 愛のないセックスを、してもらうために──
 ……僕、そんなの耐えられるかなぁ。
 
 ───うう……しかも、ちゃんとやってやるって……センパイ!
 そんな恥ずかし気もなく~!!
 
 今更ながら、真っ赤になってしまった。
 
 でも、先輩の”かわいい”が、いつか”愛しい”に変わってくれるまで……
 この最高の勘違いを、リヨウしちゃおう。
 
 ドキドキしてもう一度見上げたら、見つめ合ってしまった。
 何気なく……さっきの続きのように、唇が降りてきた。
 
 ────あれ?
 
 そういえば、「この身体、使ってください」って、言ったとき、先輩…珍しく勘違いしなかったな……。
 
 ともあれ、謎の腹痛は、僕から消えるだろう。 
 ぼんやりと考えながら、唇を薄く開いた。
 
 新たな謎の、キスを受けるべく……
 
 
 
 
 
 
-終わり-  web拍手web拍手


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