ベランダの鍵貸します 
 

 
「それはそうとさ」
郡司は慣れた手つきでミルで粗挽いた珈琲をドリップすると、自分も向かい側のソファーに座り、改まって聞いてみた。
「はい?」
「名雪は何でそんな、バイト三昧なんだ?」
そこまで、バイトバイトで、大学の内情を知らなすぎるのも、どうかと思ったのだ。
「僕の家……、前も言ったけど、母子家庭で」
「ああ……」
「奨学金で、大学に行かせて貰ってるんです」
「…………」
「在校中の授業料も必要だし、卒業したら、僕は自分で返金したいんです」
「……なんで?」
「母が僕にしてくれた、最大級の子供孝行なんです。大学は。……ありがたく受け取って、感謝を返したいと思って」
「…………」
「だから、あちこちで働かせて貰ってます。一つに搾らないのは、そこがコケても、他で継続出来るようにしてるからです。何があるか、わかりませんからね」
「……へえ」
「短時間で区切ってると、合間に雑多な用事も片づけられますし」
にっこり笑う名雪に、郡司はまた、見惚れてしまった。
目がなくなってしまう程、細めて笑う。
 
「……なんですか?」
自分をじっと見つめる不可解な視線に、名雪はその都度ドキドキした。
音が聞こえてしまうんじゃないかと、緊張してしまうほどに。
 
 
「いや……親なんて……子供に金を使うモンだと、俺は思っている」
前髪を掻き上げて、名雪を真っ直ぐに見た。  
「それに……、俺は働いたことないから、お前凄いなと思って」
率直に、思ったままを口に出した。
 
 
 
「…………!」
(また……このヒトは!)
”金持ちで、派手な生活に、好き勝手やり放題。いけ好かない奴”
そう聞いたけれど、全然違う。
外見の格好良さとは釣り合わないくらい、素直だと思った。
「郡司さんも、凄いですよ」
「え?」
「こんなお金持ちなのに……全然スレてません」
 
「…………!」
ふと郡司の顔が曇った。
「?」
「お前だからだよ……」
「…………」
「小さい頃から、俺の周りは”郡司”って名前に寄ってくるハイエナどもばっかりだった。じいちゃんが議員をやってたからね」
「……ああ」
権力に群がる大人の行動なら、名雪もよく知っていた。
どこの会社も、仕事場も、上下関係は全て同じだった。それは、社会の縮図だと思っている。
「それを言うなら、僕もその一人です」
「どこが?」
「この言葉使い……。大人達に…上司や目上の人たちに気に入られるように、取り入って、へりくだって。染みついちゃいました。僕なりの処世術です」
「そんなのは……!」
郡司は、目の前の柔らかく笑う青年が、どれだけの苦労をしてきたかを、推し量った。
「……俺の前では、普通に喋れよ」
「………」
「俺たち、同学年だぜ。……対等なんだよ」
 
「…………!」
 
「な?」
 
「…………うん」
照れくさそうに笑う、細められた目尻から、綺麗な水滴が光った。
「価値観なんて、自分次第なんだから……。卑下するのは、よせ」
生きるための処世術は、自分に這い寄ってくる”欲”のためのおべっかとは、似ても似つかない。
郡司にはその涙が、今まで自分が見てきた何よりも、重みがあるように思えた。
 
「……うん。ありがとう……何で僕、泣いてんのかな……」
ぽろぽろと涙を零しながら、お礼を言い続ける名雪に、郡司は胸が掴まれる思いだった。
 
二人の間にあるローテーブルが邪魔だ。
隣りに座って、抱き締めてやりたい。
”そんなに、無理すんな”と、涙を拭いてやりたかった。
 
(――――でも……)
 
先日の宿屋でも、辛うじて郡司を押しとどめた、越えられない一線。
そこに、理性が引っ掛かっていた。
 
(名雪は、男なんだぞ……)
だから何だと、叫ぶ自分もいる。
 
(もうちょっと、待ってくれよ……)
自分の身体の反応に戸惑って、後から理性が着いて来ない。
 
(俺の波瀾万丈な人生……いろいろあったつもりだけど……こんな事は初めてだ)
欲しいモノは欲しいと言い、すぐに手に入れられた。
気にくわない人間は歯牙にもかけず、言い寄ってくる人間を好き勝手に選別していた。 
でも、同性にここまで気を惹かれたのは初めてで、そんなことに戸惑う自分を、郡司は持て余していた。
 
その後は、バイトの時間が来たと慌てて泣きやんだ名雪を、送り出した。
事なきを得た……と言う思いで、郡司は応接用ソファーに戻って座り込んだ。
目の前の珈琲カップを、見つめる。
「………」
無意識に、それを掴み上げていた。
(俺……何でこんな、ドキドキしてんだ)
名雪が唇を付けていた場所に、自分の唇を重ねてみる。
腰が、ずんと疼いた。
 
(俺らしくねぇな……)
熱くなる身体を、持て余した。
身体の欲求ばかりが、先に立つ。
(違う……違うんだ……)
温泉宿屋で、のし掛かってしまった時の……
さっき庭で、振り向いた時の……あの顔……
あんな泣きそうな、怯えた顔で…………嫌がられたら――
 
胸が、搾られるように痛くなる。
  
 
 
………名雪は……アイツは、どうなんだろう……?
 
――こんな想い、俺だけか……?
 
 
 
 
 
 
 
次の日曜日は、夕方前から雨が降ってきた。
名雪は、バイトの合間を縫って、郡司の庭に駆けつけた。
「うわわーーっ!!」
急いで、洗濯物を取り込む。
(半分は濡れちゃった……かもしれないなぁ)
籐籠の中に押し込めた洗濯物を見つめて、溜息をついた。
 
名雪自身も、取り込むのに何度も往復したせいで、頭からつま先までびしょ濡れになってしまっていた。
(……ああ、どうしよう)
ベランダの内側から空を見上げると、先ほどから本降りになった雨は、当分止みそうに無い。上から下へ叩き付けるように威力を増して、雨は手摺りにも激しい音を響かせ始めた。
(次のバイトに行かないと、いけないのに……)
ベランダに立ち往生で途方に暮れてしまい、溜息をついては、空ばかり見上げた。
 
しかし名雪は、後ろを見る気は全くしなかった。
ガラス窓と、レースのカーテン。
その中に郡司が居るかどうかなんて、判らない。
ただ、覗くなと怒鳴られたことよりも、あの光景がショックで。
(あんなの……もう見たくない……)
女の子といる所を、また見せ付けられたくはなかった。
もし中の郡司に呼びかけて、隣りに誰か居たら……
そう思うと、どうしても振り向く気には、なれなかった。 
 
 
 
「――――え!?」
郡司は、リビングに入って、ベランダの人影に驚いた。
(名雪!? ……何、やってんだ?)
びっしょりになったまま、ベランダの端っこで立ち尽くしている。
急いでガラス窓を開けて、名雪を中に引き入れた。
「俺を、呼べよ! ぼんやりしてないで!」
俯いたままの名雪の肩を掴んで、揺すった。
「……覗くなって、言ったでしょ」
名雪は、髪の先から滴を垂らしながら、小さく呟いた。
「――――!」
言葉を詰まらせた郡司は、ベランダの籐籠の中からタオルを掴みだして、名雪の頭を包んだ。
「だったら、頭ぐらい拭けよ!」
「……人様の洗濯物で、拭けるわけ……ない……」
「!?」
よく見ると、今日の洗濯物は郡司の物しか無いようだった。
(……今日は、俺のしかなかったのか……)
それでもわざわざ、朝干しに来て、今取り込みに来たのだ。
(俺、部屋に居たのに、雨にちっとも気が付かなかった)
まるっきり名雪任せだったことを、後悔した。
「……悪かった!」
タオルを被ったまま俯いているその身体を、抱き寄せた。
腕の中で、頭をガシガシと拭いてやる。
「とにかく、着替えろ。風邪ひくぞ!」
手を襟元に掛けて、ボタンを外そうとした。
「えっ――! ……じ……自分で脱ぐから…!」
瞬時に真っ赤になった名雪に、郡司も慌てた。
「あ、……そうか、すまん!」
照れ隠しのように、籐籠に顔を突っ込み、乾いている服を引っ張り出して、名雪に渡した。
「……ありがとう」
後ろ向きで、手早く着替えると、郡司に向き直った。
「あは……大きい」
郡司は自分のシャツが、名雪には袖一つ分長い事に驚いた。
伸ばした指先のその先に、カフス部分が垂れ下がっている。
「名雪、そんなに小さかったか?」
「え?」
だぼっとした自分のシャツを被って、そこにいる名雪を、郡司はとても可愛く思ってしまった。
「いや……なんか……」
すぐ反発するし、自己主張はハッキリしてるしで、存在感が大きかった。
だから、普段の名雪をそんなに小さくは感じていなかったのだ。 
 
(でも、そう言えばそうだ。風呂場で、簡単に抱えられたな……)
温泉宿では必死だったせいもあり、深く考えてはいなかった。 
 
「……これ、着心地いいね……」
袖の中で両手をすり合わせて、生地を楽しんでいる。
郡司の理性は、最早限界だった。
 
「……名雪」
抱き締めようとしたとき、玄関の方で音がした。 
 

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