ぼくは、あっち。
 

 
 打ち拉がれて、下駄箱に向かった。
 廊下の向こうを浜中先生が歩いてきた。
「どうしたんですか? 元気ないですね」
 優しく微笑んでくれる。
「はまなかせんせい…」
 先生の名前を呼んで、胸がチクリとした。
 同じ呼ぶなら、……あっちの先生なんだな。
 あっちが、いいんだなぁって……
 
 僕は……濱中先生が……好きなのかな……。
 
 また胸が痛くなった。
 そんなこと気が付いたって、しょうがないのに。
 
 僕は、恐くなってしまった。
 僕が先生を好きになるのと、先生が僕に興味を持つのは、全然意味が違うんじゃないかって。
 
 濱中先生にとって僕は、入っては出ていく大勢の生徒の中の一人。
 僕にとっては、先生がたった一人なのに……。 
 通りすがりに、僕をからかっただけだとしたら。
 僕が、濱中先生から抜け出せなくなってしまったら……
 
 その先を考えると、ぞっとする。
 先生は、また新しい子を選んで…僕は独りで卒業していく……
 
 そう思い至って、背筋が寒くなった。両手で自分を抱きしめた。
「本当に、大丈夫? ……かなり、顔色が悪いですよ」
 浜中先生が心配して、覗き込んできた。
「…………」
 その優しい瞳を見つめて、ふと思った。
 この先生は…浜中先生は、どうなんだろう。そういうことって、あるのかな……
 
「…せんせいは……」
 
 つい、聞きそうになって、口をつぐんだ。
 ……こんなこと聞いて、なにになるんだ。
 見上げたまま、黙ってしまった僕に、浜中先生は眉を下げた。
「…預かった鍵は、さっき濱中先生に渡しておきましたからね」
「あ、ハイ! …お世話になりましたっ」
 先生の優しい声に我に返り、慌ててお礼を言った。
「ハマチュー!」
 他の生徒が、廊下の向こうから浜中先生を呼んだ。
「……元気出してください。気を付けて帰るんですよ」
 また、優しく微笑んでくれて、僕も笑顔で返した。
「はい、ありがとうございます。さよなら」
 ぺこっとお辞儀をして、下駄箱で靴を履き替えた。
 
 
 
「あ……」
 顔を上げると濱中先生がいた。
 
 ──え?
 ……部活は? ……小五郎は?
 
 さっきの映像が目に焼き付いていて、こんな玄関にいるのがウソみたいだった。
「せんせい……」
 見上げて立ちつくしている僕に、怒ったような顔で睨み付けてくる。
 
 
「姿が見えたから……追ってきたら」
 ぐいっと手首を掴まれた。
「!?」
 ──痛い!
 
 もう何も言わない。
 無言で僕をグイグイと引っ張って行く。
「せ……先生! ……濱中先生、痛いっ」
 
 腕が抜けそうなほど引っ張られて、連れて来られたのは、さっき僕が鍵を閉めた外倉庫だった。
 ガチャガチャとそこを開けると、中に引き込まれて、すぐに扉を閉めた。
「…………」
 先生の顔が恐い。
 はめ込みの小さな天窓から、光が少しだけ入っている。その暗がりで、僕をじっと見下ろしてきた。
 
 僕も先生を見上げた。
 先生とこうして、向かい合いたかった。
 
 濱中先生との接点が、僕にはまるでない。
 当番にでもならないと、喋るきっかけさえなかった。
 呼ばなきゃこの顔と向き合えない、この目に見つめてもらえないのに。
 
 覗いた体育館で、熱心に指導をしてもらってる小五郎が……僕は羨ましかった。激しく打ちのめされてしまった。
 …だって、小五郎は毎日ああやって、先生とスキンシップをとっていたんだから。
 ───”お似合い”だなんて……
 ホントにそうは見えるけど、……皮肉だった。
 小五郎はずるい、なんて思ってしまった自分がイヤだった。
 
 
「………………」
 濱中先生…。
 今、先生が僕を見てる。
 向かい合ってるんだ…先生と僕。
 
 吊り上がってる目。恐い。
 だけど、この目が僕は好きなんだ。
 この目が他の子に向けられて、微笑む………そう考えただけで、胸が痛くなる。
 
 
 
「野原が……そんなに節操無しだったとは……」
 先生が口を開いた。
 低くて、噛み殺したような声だった。
「…………?」
 ……セッソウナシって……?
「三浦と抱き合って……浜中先生に色目使って……」
 目がどんどん吊り上がる。
 
 
 
 ──────!!
 
 
 
 見られてたんだ!
 コートで泣いてたとこ……
 あれはまずい……さすがに僕でもわかる……
 でも……
 
「あれは──」
 先生が! そう言おうとして、言えなかった。
 強い力で引き寄せられて、また唇を塞がれていた。
 ───あっ
 さっきの子とのツーショットが蘇る。
「───やだっ!!」
 力を振り絞って抵抗した。唇を剥がすと、先生を睨み付けた。
 
 ──僕だけじゃなきゃ、やだ!!
 
 そう思ったんだ。
 さっきの子にキスして、その口でまた僕に……
 そんなの、絶対イヤだった。
 睨み付けた目から、涙が零れた。
 
「────っ」 
 
 ――濱中先生が好き。
 驚いた顔で見下ろしてくる、この目が好き。
 キスしてくれたときの、優しい声が好き……
 なのに……
 ここに、いるのに。
 せかく向かい合っているのに……
  
 ”はまなかせんせい”って呼ぶのが、好きだった。
 みんながハマチュウって呼ぶから。
 そんなことぐらいしか、特別気分になれなかったんだ。
 
「…せん……せい……」
 
 赤いジャージが、遠目からでもすぐわかった。
 あのキスの後――僕の目は、濱中先生しか見なくなってたのに。
 
「……ひどい。あんなキスしといて……」
 口の中で、小さく呟いた。
 
「誰でもいいなら……俺にもさせろよ」
 先生の目が、凶暴に光った。
「!!」
 誰でもいいなんて──!
 そんなはず、あるわけない。
 先生が他の子と…って、そう考えるのも嫌なのに!
 また、引っ張られて抱きすくめられた。
「……や」
 抵抗も抑えられて、唇が重なる。
「んんっ――!!」
 激しい、先生のキス。こないだのとは全然違う。
 舌が引っこ抜かれそう!
 目が回る……苦しい……。激しすぎて、息ができない。
「ん…んんっ~!」
 先生の舌が僕を絡め取る。
 あんなに身体が熱くなったのに…。抱きしめてくれる腕は、痛いだけだった。
  
 誤解が胸を締め付ける。
 ……誰でもいいはずない。それを知ってほしかった。
 
「───あっ!?」
 先生の手が、僕の制服の中に入ってきた。
 脇腹や、胸をじかに触ってくる。
「────!!」
 その感触にびっくりして、身体を捩った。
 足元がふらついて、倒れそうになった。それを追いかけてくる先生の身体。
 砂埃を立てて、地面にひっくり返ってしまった。
「──っ!」
 倉庫とはいえ、外用だから床が無い。
 剥き出しの地面に、直接倒れ込んだ。
 横たわる先生。その腕の中に僕はいた。
 
 ──先生、僕を庇って……
 
 一瞬湧いた思考は、掻き消された。
 先生の手が、僕の制服を剥がそうとする。
 
「あ……っ!」
 シャツをたくし上げられて、胸まで露わになった。
 そこに、先生の舌が這ってきた。
 腹筋から胸のラインを舐め上げて、胸の中心に吸い付いていく。
「っ───ぁあっ」
 思わず、仰け反った。
 反対側は、指がいじくる。
「やっ……やあ……」
 腰がゾクゾクする。背中を何かが這い上がっていく。
 ベルトに手が掛かった。
「!!」
 ………なに
 僕が止めようとする手なんて、間に合うはずもなく……
「…せんせい……!」
 前が開けられて、下着をズボンごと引きずり降ろされた。
「や……やだ」
 なにされるの…なにが起こるの?
 こんな未知なこと、僕は初めてだったから。ただ恐くて、震えてしまった。
「あっ、……ぁあ!」
 先生の口が、僕を咥えた。
 ───熱い…!
 腰から背中に衝撃が走った。
「せ……せんせ……っ!」
 あ、あ、…………ちょっとまって……
 舐め回されて、震えが止まらない。恐いだけじゃない感覚で、ビクビクと体が痙攣してしまう。
 
 ──やだ。こんなの、イヤだ!
 
 そう思っているのに。
 ──先生なんだ。僕を触ってるのは、濱中先生なんだ…。
 そう思って、嬉しがってる僕がいる。
 
 一瞬痛いほど吸われて、柔らかくしゃぶられた。
「あっ……ああぁ…!」
 心も痛い。
 なんで、なんであの後すぐ、こうしてくれなかったの!
 他の生徒のことなんて、知らなければ僕は……喜んで先生のものになったのに。
 ……こんなこと、もっと大事にしたかったのに。
 涙が止まらなかった。
 
 高められていく。先生の唇が、優しく激しくを繰り返して僕を扱く。
 両手で口を覆って、叫びだしそうな声を抑えた。
「ん……っ、ん……あぁ……ああ、せんせい……せんせい……」
 
 ビクンと、大きく身体が震えた。
  
「───あぁッ!」
 絶頂感で、高い声が漏れた。
 先生の口内に吐精して、細かい痙攣をくりかえした。
 
 
「…ぅっ……ぅぅ……」
 ぐったりしたまま、泣き続ける僕の横に、濱中先生が這い上がってきて寄り添った。
 悲しい僕の心が、涙を止めない。
 先生のさっきの言葉が胸にナイフを突き立てたみたいに、今もまだ刺さっている。
「ちがうのに………ちがうのにぃ……」
 両手で顔を覆って、泣き続けた。
 先生の手が、その手を剥がす。
「……だれでもいいなんて……ぼく……」
 覗き込んだ濱中先生の顔が、滲んでいる。
「………そんなの、あるわけないのに……ちがうのにい!」
 しゃくり上げながら、泣きわめいた。
 された行為より、信用を失って、さらに誤解されている。
 もうそのことが、きりきりと心を締め付ける。その音が、僕の中で泣き声より大きくなっていた。
 


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