1.
 
「ちょっと待って、待って!」
 
 
 慌てた大声が、俺と俺のカバンを掴んだ。
「それ、ボクの! ボクのーっ!!」
 
「はぁ!?」
 俺は、自分のカバンを引ったくられないように、引っ張り返した。
 
「あっ! 返してください!!」
 俺はいい加減ムカついた。
「だから、何だってんだ!? これは俺のだよ!」
「えーっ! ボクのです! ネームタグがついてるじゃないですかぁ!」
 
 俺は、それをじっくり見て、このマヌケ男をついでにじっと見た。
 
 俺よりは年下っぽいけど、立派に社会人であろうに。
 情けないほど必死な顔をして、見返してくる。
 長い前髪の間に隠れた丸眼鏡の奧は、潤んでいて今にも泣きそうだった。
 
「ああ、確かに付いてるな。俺のネームタグが」
「えっ!!」
 びっくりしたこのオッチョコチョイは、またカバンを引っ張った。
「ちょっと、見せてください! ……ああ!!」
 今度は、真っ青になった。
「ホントだ! じゃあ、ボクのカバンは!?」
 責める目つきで、俺を見上げる。
 アホか、こいつは。
「俺が知るかよ」
「そんな! 全財産、入ってるのに!」
 今度は、真っ白になっている。
「俺は関係無い。判ったら、手ぇ離せよ」
 カバンも俺も、掴んだままだった。
「あっ! ごめんなさい!!」
 今度は、真っ赤になった。
「…………」
 忙しいヤツだ。次は紫か?  なんて思いながら、眺めてしまった。
 
 
 3時間の長旅の末、高速バスを降りて、格納庫から自分の荷物を取り出したところだった。
 ここは終点だけど、途中の停車場で降りた客もいた。
 おおかた、そいつらの誰かが間違えたんだろう。
 
 バスから降りてきた他の客達が、バラバラと散っていく中、ソイツは一人ぼーぜんと立ち尽くしている。
 
 
 しょうがないヤツだな。
 俺はバスの運転手に、荷物が途中ですり替わったかも知れないことを告げて、立ち去ろうとした。
 
「あっ! 待って!」
 俺の背中を慌てて追いかけてくると、懲りずにまたカバンを引っ張った。
「中身は、ボクのかもしれないじゃないですか!  確かめさせてください!」
「───はぁ!?」
 何言ってんだ、コイツ…!!
「ちょ、おい、やめろ!!」
「わあっ!!」
 無理に引っ張られ、フタが開いてしまった。
 
 俺の着替えや、俺の土産物が、そこら中に飛び散った。
「────」
「ああーっ! すみませんっ」
 おろおろして、バカ男は、それらを拾い出した。
「やっぱり、ボクのじゃなかったぁ」
 いい加減、ぶっ殺してやろうかと思うくらい、脳天気な声が響く。
 俺の額には、ぶっとい青筋が浮いているだろう。
 
「で? どう、落とし前つけてくれるんだ?」
 しゃがみ込んでいる迷惑男を見下ろして、けっ飛ばす勢いで睨み付けた。
「お・れ・の! 荷物を、ぶちまけやがって!」
 母親が、俺が要らないっていうのに無理矢理持たせた、手作りの数々。タッパごと、路上にぶちまかれている。
 ───これ見たら、泣くなぁ。
 余計、怒りが込み上げた。
 
 
「………落とし前っていうか」
 天然男は、きょろっとした目で、眼鏡の奧から俺を見た。
「ボクを拾ってください」
 
 
 
 
 
 
「──は!?」
 
 
 
 
 
 俺の頭が真っ白になった。ついでに言うと、目は点だ。
 
「全財産が、なくなっちゃったんですよ! ボク、どうしたらいいんですか!」
 
「────」
 
「あなたに見捨てられたら、ボク野宿です! 死んでしまいます!」
 
 俺は限界を超えた。 
「勝手に、死ねっ!」
 可哀想な土産物の残骸をかき集めると、俺はとっととその場を離れようと踵を返した。
「ああっ! 待ってくださいよぉ!」
「あ、コラ、君! 遺失物届けを書きなさい!」
「あぁっ、ハイっっ!」
 
 
 運転手に捕まった奴の声を背中にして、俺は自分のアパートに帰った。
 どかっと床に置いたカバンからは、無造作に詰め込んだ衣類やタッパが、はみ出ている。
「ったく!」
 
 どんなに要らないと言っても、こんなもの持たせる親心が、俺はなんだかんだ好きだった。
 大卒で就職した仕事先が地方だったから、両親を都会に置いて俺だけ逆流した。
 もう四年になるけど、なにかにつけ寂しいと嘆く母親。
 親孝行も兼ねて、四季の大型連休には必ず帰るようにしていたのだ。
 
 
 
「なんも、ねえなあ」
 空っぽの冷蔵庫を覗いて、溜息をついた。
 しばらく留守にするときは、当然のことだった。
 ぶちまけてさえいなければ、俺なりのご馳走があったのに。
 おせちの残りもあった。
 マイペース男の顔を思い出すと、胃が痛くなる気がした。
 
「はぁ、買い出しに行くか」
 一人呟いて、アパートを出た。
「さみ…」
 切れるような冷たい空気に、思わず首を縮めた。
「うわ、冷てー!」
 ハンドルやサドルが凍ってるかの様に冷たい。俺は堪らず、出しかけた自転車を元に戻した。
(……しょうがねぇな)
 チャリだと風をもろに受けるし、寒すぎる。少し遠いけど、歩いていくことにした。
 
 隣の街で雪が降っているのか、風に乗って粉雪が時々舞ってくる。
 この地方は豪雪地帯と言われているが、俺が住み着いたこの市は比較的降らないらしい。
(降んなくったって、この気温じゃな)
 足元で解けない粉雪が、サラサラと風に流されていた。
 
 着く頃はもう夕暮れ時で、商店街の明かりが点きだしていた。
 冬の澄んだ空気に、きらきらと瞬いて、コレを見ると「帰ってきたなぁ」と思うようになっていた。
 
 ───げっ、まだあんなトコにいる!
 
 スーパーの入り口横のベンチに、ぽつんと座っているあいつが見えた。
 
 今時珍しい大きな丸眼鏡に、ストンとした長めの髪の毛が表情を隠している。
 所在なげにしょんぼりとした姿は、妙に哀愁を誘う。
 
 ────知るか!
 
 
 もう関わり合いたくない俺は、それを横目に店に入ろうとした。
 
 
「おにいちゃん、ひとり?」
 
 
 
 ……ん?
 
 自動ドアを通り抜けたとき、後ろでそんな声が聞こえた気がした。
 戻ってベンチを覗いてみると、ガタイのいいおっさんが、あいつに何か話しかけている。
 困ったように首を横に振り続けるヤツの腕を、おっさんが掴んだ。
「はっ…離してくださいっ!」
 
 ───おいおい、スーパーの横で、オッサンが男をナンパかよ。
 
「ちょい……そこの。俺の連れなんだけど」
 俺もガタイはいい方なんで、オッサンに負けないよう胸を張って、睨み付けた。
 驚いた顔で振り返ったオッサンは、慌てて掴んでいた手を離した。
「なんだキミ…、一人って言ったじゃないか」
 バツが悪そうに、文句を付けながら逃げていった。
 
「ふう……」
 二人で、溜息をついてしまった。
「お前なあ…。あんなの、軽くあしらえよ」
 睨み付けると、腰を抜かしたように座ったまま俺を見上げて、えへへと笑った。
 申し訳なさそうに、頭を掻く。
「ありがとうございます」
「……ほんとに行くとこ、無いんだな」
 俺は呆れを通り越して、関心してしまった。
 この寒いのに。
 店にも入らずこんな所にずっといるなんて、凍死覚悟でなきゃ出来ない。
 しかも、よく見るとかなりの軽装だった。この寒さに耐えられるコートじゃない。
 セーターを着てなければ、マフラーもしてなかった。
 
「だって……」
 言いかけて、言いよどんでいる。
「なんだよ」
「……財布も、携帯も……全部カバンの中だったんです」
「───!!」
「カバンが見つかっても、教えてもらう手段がないんです。……だからバスの営業所の近くで、こうやって待ってるしかないんです」
 遠慮がちに喋り出して、最後は困り顔で笑った。
 
 ”ボクを拾ってください”の意味が、やっと判った。
 ……どんだけ困った状況か、もっとハッキリ言やぁいいのに。
 
「──俺が拾ってやる」
「……えっ?」
 驚いて、俺を仰ぎ見る。
 邪魔そうに、長い前髪を手で払って。
「俺の携帯を、連絡先にすればいい」
「……いいんですか?」
「しょうがねぇだろ……見つかるまでの間だけだぞ!」
「わあ、ありがとうございます!!」
 眼鏡の奧で、ニッコリと目が細められた。
 
 ここで見捨てて、本当に凍死されたら、夢見が悪くてしょうがない。
 俺は本当に、そう思ったんだ。
 他に頼り方を知らない、不器用なヤツ……
 
「俺は…」
「はぎのてっぺい!」
「───あん!?」
「カバンのタグに、書いてあったです! ボクはちひろ、水澤千尋です!」
 
 ───こいつ…素早いのか、ヌケてんのか……
 
「…………何歳だ?」
「え……22です!」
「その歳で、漢字も読めないのか」
「?」
「はぎのじゃねえ、おぎのだ!」
「…えっ!!」
「俺は、荻野徹平!」
 
「……わあ、ごめんなさい!」
 顔を真っ赤にして、謝りだした。
 
 まあ、あの状況でそれだけ読み取って、しかも覚えてたんだから……大したモンなのかもしれんが。
 
 
「それじゃあ、よろしくお願いします! 徹平さん!」
 前髪の隙間から、嬉しそうに目を輝かせた。
 
 
「徹平さんは、何歳ですかあ?」
「…26」
「やっぱり! ボクより上だと思いましたー」
 買い出しを終えた俺は、さっさと帰路に着いていた。
 はぁはぁと息を弾ませながら、早足の俺に着いてくる。
 ……やぱりって。コイツ自分を何歳だと思ってんだ?
 
 
「一人暮らしなんですね。彼女さんはいないんですかぁ?」
 安アパートに着くと、しげしげと部屋を見回しながら、千尋はのんびりとした口調で聞いてきた。
 奥の部屋の畳に、ぽつねんと正座する格好が、とても22歳の男には見えない。
 手前の台所は4畳しかないから、客が来ると、部屋の狭さを痛感した。
 
「ほっとけ! オマエこそ家族はどうすんだよ」
 彼女なんて、遠距離になったとたん、いなくなっちまった。説明するのも胸糞悪い。
 俺は自分の携帯を尻ポケから掴み出すと、ヤツに突きつけた。
「心配するだろ? ほら、連絡しとけよ」
「……………」
 …ん?
 携帯をじっと見たまま、動かない。
「…いい」
「…は? なんで?」
「…え…えっと」
 困った犬みたいに眉を下げて、眼鏡の奥で瞳が揺らめく。
 ───なんか訳ありか?
「まあいいけど、荷物見つかったらさっさと出てけよ」
「…はい」
 能天気な声に、のんびりした仕草。
 なのに、なんとなくピリッとした空気が漂った気がした。
 
 …変なモン、拾っちまったなぁ。
 


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