カバン返して。
 
3.
 
 それにしてもこの、水澤千尋という男……
 冗談抜きで、調子っ外れたヤツだった。
 
 俺が短気を起こすと、泣き声でごめんなさい~と謝る。
 その半べその顔を見ると、怒りもバカバカしくて消えた。
 2,3日も一緒にいると、だいぶコイツの性質がわかってきた。
 能天気なようで、酷い怖がりだ。俺の挙動にいちいちビクッとする。
 それでいて、変に懐っこい。
「徹平さん!」
 と、何気なく俺を呼ぶときの顔の近さに、ぎょっとする時があった。
「オマエ、近い! もっと普通に話せよ」
「…だって」
「何だ!?」
「狭いんですぅ。この部屋…」 
 ────居候の分際で!
 俺は背中を蹴っ飛ばした。
「嫌なら出てけ!」
「あぁっ、イヤなんて言ってません~っ」
 
 
 そして、恐るべきうっかり野郎でもあった。
 モノをちょっとどこかに置いたまま、忘れて、すぐ失くす。
 
「ああっ、ない~!」
「またかよ!」
「ボクの眼鏡ーっ!」
「そこら辺に適当に置くなよな! カバンも実はバスに積み忘れてんじゃねーだろうな」
 胃が痛くなる思いで、どうせここだろってとこに行ってみると、やはり洗面台の棚に置いてあった。
「おい、あったぞ」
 言いながら摘み上げて、気が付いた。
 ────!?
「ああっ、ありがとうございます!」
「……おまえ、それダテなのか?」
 レンズなんか入ってない。よくできたプラスチックだった。
 最近はプラスチックで度を入れるのが主流になっているけど…これは削ってないただのプラ板だ。
 両手で受け取って、大事そうに眼鏡をはめていた千尋が、ピタリと動きを止めた。
「はい…よくわかったですね。でもボクには必要な眼鏡なんです…」
 前髪のせいで、口元しか見えない。
 いつもの笑いが、そこにはなかった。
「俺、カメラのレンズ加工するトコで仕事してんだ。ま、扱うのはガラスだけど」
 もっとすぐに判っても良かったのに。プライドが疼いた。
 まともにコイツの顔なんか、見てなかったからな!
 
 そんなふうに、時々影を落としたように俯いて、陽気さが消える時がある。
 俺も菜穂のことを思い出しては、つい溜息をついていた。
 
 
 
「あ! コイツ、またそれ引っ張り出しやがって!」
 土曜日の夕方、会社から戻ったら、千尋があの旅行カバンをゴソゴソやっていた。
 時々諦めきれないように、押入から勝手に出しては中を探っている。
「ごっごめんなさい……だって」
「だってじゃねえ! これは俺のなんだから、何度見たって同じなんだよ!」
 引っぺがしてカバンを取り戻すと、押入の奧に押し込んだ。
「ボクのカバン~」
 例のごとく、目が潤みだしている。
「知るか! また問い合わせてみろよ!」
 着替えながら横目で、睨み付けた。
 しょぼんと首を垂れたまま、畳に座り込んでいる。
「今日聞きました。…もう諦めたらって言われました」
「……」
「もう一週間になるんです。出てこないよって…」
「しょうがねぇなあ」
 その途端、千尋がガバッと顔を上げて、俺の腰に飛びついてきた。
「ボクをずっと置いてください~! 見捨てないでッ」
 半泣き状態で、ほっときゃ鼻水まで垂らしそうだった。
「泣くな! いい大人が!」
「ああっ」
 けっ飛ばすと、畳にドタッと倒れて、またすぐに起きあがってくる。
「…ダメって言わないってことは、イイってことですよね」
「……」
 そのゆるい笑い顔に、俺は渋々頷いた。
 
 
 
 
 拾った後捨てたら、持ち主は俺ってことになるよな……
 その夜、風呂の中で、真剣に考えてしまった。
 マジで凍死されたらヤバイし。
 それにしても、なぜ捨てたいかって……
 一人暮らしってのは、独り気ままってのが何よりの特権だったのに。
 要するに、オナニーもやり放題だった、ってことだ。
 四六時中くっついている千尋がいては、何かの隙にってわけにもいかなかった。
「徹平さん、お風呂上がり、ビール飲みます?」
 ドアの外から、大声で話しかけてくる。
(ったく、これだもんな)
「ああ!」
 すぐ返事をしないと入ってきそうだった。
 明日は、今年初の日曜。
 今までなら酒飲みながら、DVD観てるところだ。
 俺は一計を企んだ。
 
「明日、買い物? ボク一人でですかぁ?」
 ビールを片手にきょとんとしている。
「自分の使う物くらい、自分で買ってこい!」
「! ……はいっ!」
 ぱあっと明るくなったヤツの顔を見て、俺も内心ニヤリとしていた。
 
 
 
 次の日、午後過ぎに千尋は喜び勇んで飛び出していった。
 俺も久しぶりの時間を楽しもうと、念入りにDVDを選んだ。
「さってと…」
 どかっとテレビの前に腰を降ろし、映像もスタートさせた。
 ボリュームを調節しながら股間のブツに右手をヒットさせる。
 ……その瞬間、家電が鳴った。
「んだよ、こんな時に」
 渋々出ると、ヤツだった。
『てっぺいさぁん、どこにあるかわかんないですぅ!』
「ああ!? 入り口入ったら、すぐ左の……」
『違います! 店がどこにあるかわかんないんです!』
 ────!!
 俺は時間を作るために、普段は行かないかなり遠い店を指定していた。
「ボケッ! そこら辺にいる奴に聞けよ!」
『……はい』
「じゃあ、切るぞ」
『あ…』
 言い終わらないうちに受話器を置いてしまった。
 万が一のため、千尋が一人で出歩くときは、俺の携帯を持たせるようにしていた。
 それが仇になった。
(……くそっ)
 それでも俺は気を取り直して、DVDを再スタートさせた。
 
「………ん」
 右手も良い具合にフィットして、今度はイイ感じだった。
 映像もかなりエロいとこまで行っている。
 
 ピロロロロロ
 
「──────!!」
 二度目のベルが鳴った。
 ───まさか…
 俺は何も言わずに、受話器を取った。
『てっぺーさーん! どこかわかんないですよおー』
 思った通り、間の抜けた声。
「まだ、迷ってんのか!?」
『お店には着きました~。でも広くて…』
「店員に聞け!!」
 ガチャンッと激しく叩き付けて電話を切った。
(……はあ)
 溜息をついた。横では画面の中の女がアンアン声を上げているのが聞こえてくる。
 予定では、俺だってとっくに喘いでいるところだ。
 それにしても……俺は嫌な予感がした。
 2度あることは3度あるってやつだ。
(でも、…なかったら、この時間がもったいないよな…)
 俺は欲望に負けた。再度DVDに集中する。
 
 ピロロロロロ……
 
 ブチッ
 頭の血管が切れる音がした。
 受話器を掴み上げると、奴が何か言う前にと、大声で怒鳴りつけた。
「オマエな、いい加減にしろよ! 店の奴に聞けって言ってんだろ! 俺が言った通りの物を言えば選んでくれんだよ! もう掛けてくんなッ!」
 返事も待たずに切ろうとした。
『…あっ、あのっ!!』
 本体に置く寸前の受話器から、聞き慣れない声が響いてきた。
「? …はい?」
『千尋君の保護者の方ですね。僕は店の者です』
「………?」
『聞いたんですけど、何を欲しがっているのか、よく分からなくて……』
 涼やかな声は、やたら落ち着いているように感じた。
「…布団一式」
『泣きじゃくっちゃってて、困ってるんですけど』
 俺の声が聞こえないのか、言いたいことだけ言っている。
(あーくそッ!)
 こんなんじゃ埒が明かない。もはや、俺の自由時間は泡となって消えたことを悟った。
「今から、そっち行きます!」
 怒りで震える手を抑えながら、受話器を戻した。
「あんのアホ! 結局無駄じゃねぇか、何もかも!」
 今となってはムカツクだけのDVDを止めると、チャリを出して、量販店に走った。
 
 駆けつけると、従業員の控え室でホントに泣きじゃくっている千尋がいた。
 そしてその頭に手を置いて、宥めている男がいる。
「…………」
 俺は何となく、その手にムッとした。
 親切面で千尋の顔を覗き込んでいる、その仕草も気にくわない。
「…甘やかさないでください。そいつ、すぐ付け上がるから」
「────」
 その店員は顔を上げると、俺を睨み付けた。
「何をこの子に注文したって?」
 ……なんだコイツ。
「…布団一式」
「聞き間違いじゃ、ないんだ」
 視線は鋭いまま、口の端だけ上げた。
「ボク、何度もそう言っているのに~」
 脇で千尋が泣き声を出した。
 ───はぁ? …どういうことだ?
「あなた、こんな小さな子にそんな大きな荷物を、運ばせるつもりですか?」
 千尋の頭を撫でると、再度俺を睨み付けてきた。
「布団一式って言ったら、もの凄く大きいし結構重いです。それを車も荷台もなく、山裾の町まで!?」
「…………」
「そんな所から歩いて来たって言うし…。僕は信じられなくて、どんな人がそんな命令をしたのかと、顔を見たくてあなたを呼び出したんです」
 最後の方は怒りで震えた声だった。
 なんだ、コイツ……もう一度思った。なに怒ってんだ?
 でも、怒りなら俺だって負けねえ!
「保護者がどうしようと、俺の勝手だろ! 自分で使う布団くらい、自分で運べってんだ!!」
 だいたいハタチを越えた男を捕まえて、”小さな子”もないだろう!
 何言ってんだ、この男!
 青筋を立てている店員の顔を、よく眺めた。
 こんな力仕事の多そうな量販店の店員のわりには華奢で、妙に綺麗な顔をしている。
 ……? 他の店にいたかな?
 なんか、見たことがある気がした。
「…来てくれたから、もういいですよ。スミマセンでした。ご来店ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げて、店員は愁傷に謝った。
 
 ……まあ、もういいけど。
 そんな風に謝られては、俺もそれ以上の言葉はなかった。
 せっかくの計画は、とっくに諦めがついてたし。
 


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