1.ホテル 不夜城 
  
「なに……するんですか!?」
僕は急なことに対処出来ず、制服が汚れるのも気になって焦った。
「何すると、思うんだ?」
凶暴な笑いで、ソイツはいきなり僕の唇を塞いだ。
「……んんっ!」
目を瞑る瞬間、エレベーター内の鏡に、デカイ男に襲われている僕の姿が映っていた。
 
―――なに……これ!?
 
 
 
 
 
 
 
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―――うわぁ……。話しには聞いてたけど……凄いなあ。
 
 
第一印象は、それだった。
 
外観を見たことはあったけど、入ったのは初めてだったから。
大正時代に建てられたという、由緒正しいこのホテルは、全てが木造という重厚な作りのせいで、木の暖かみと重苦しさの両方を備えている。
その歴史が語るとおり、威厳と貫禄で圧倒されるばかりだった。
 
「よろしくね。急に頼んじゃって、ごめんなさい」
フロントマネージャーの朝倉さんが、申し訳なさそうに言う。
「いえ…こんなコトでもないと、他のホテルで仕事出来る機会なんて、ないですから!」
僕は、とびきりの笑顔で、答えた。
 
同系列のホテルから、急遽ヘルプとして、このホテルに駆り出されたんだ。
ベルボーイが一人欠けたからって。
 
 
 
「須藤! 久しぶりだな」
「先輩! 2ヶ月間、お世話になります!」
 
野立(のだて)先輩は、僕が研修生だった頃世話を見てくれた人だった。
「ヘルプ要請されるなんて、須藤も立派になったモンだな」
「へへ、先輩の初っぱなの仕込みのおかげです!」
ホテルマンのなんたるかを、この先輩が教えてくれた。
それと、まず楽しむこと!って。
 
「館内の説明するから、こっち」
「ハイ」
まずは更衣室。
 
「えっ! 下着まで指定なんですか!?」
……しかも、ふんどしみたいな……今で言う、Tバックだ。
そんなの、始めて聞くぞ。
ロッカーに準備された制服を広げて、青ざめてしまった。
「……ああ、すごいだろ」
先輩も困ったように、苦笑いをした。
……てことは、今、先輩もこれ穿いてんだ……。
思わず先輩の、ぴったりしたスラックスに目を遣ってしまった。
「こら、さっさと着替えろ」
カーテンで仕切られている個室を指して、促された。
僕は覚悟を決めて、着替えに行った。
「……キツイですよ」
ヘルプが決まったとき、全身の採寸をしたはずなのに。
やっとこ着込んで、カーテンから出た。
「似合う似合う! そんなにサイズが揃ってないんだ。皆、小さめで合わせている。我慢しろ。」
「……ハイ」
にっこり言われて、そう返事をするしかなかった。
「このホテルは、伝統を重んじてるから、制服の一着一着も昔から引き継がれた物を使っている。絶対汚さないように気を付けてな。これ一枚でも、ここの財産だから」
「……財産!」
着込んだ制服を、見下ろしてみた。
ワンタックの真っ黒いスラックス。
ベストはダークブラウンに、イエローの極細ストライプが10p間隔で織り込まれていて、生地はカシミア。
スタンドカラーが首の後ろを2/3取り巻いて、短いシルバーチェーンで首元を止めるようになっている。
胸元にポケット1つ。前はシングルでボタン5つ。
かなりきつめに、腰を締めるようになっている。
タイは細い黒のビロード。簡易なモノでなく、全部自分で結ばなくてはならない。
「めんどくさいだろ」
先輩が笑った。
「形が古くさいよな。今時、こんなぴっちりしたベスト」
「そうですね、僕のとこは、3つボタン。後ろは燕尾だから、ウェストは幅広で、楽ですよ〜」
厚手のカシミヤのベストは、かなり動き難そうだ。
スラックスも、動きにくいなあ。
ツータックの方が、余裕があって、カッコイイのに。
全体的に、身体のシルエットは、ストレートにスリムで、シャツの袖口のカフス部分だけが妙に大きい。
「このカフスボタン、すごいですね」
シャツも、古くさい形をしてる。
襟はウィングカラー。スタンドカラーの襟の端が少し外側に折れ曲がっているようなヤツだ。
袖もぴったりと、吸い付くように細い。
袖ぐりは、ターンナップカフスと呼ばれる折り返し。
そのターン部分が長い。15pはあるかな。
そして、問題のカフスボタンは、大きなラピスラズリが2つ。……重いよ、これは。
「そのボタン1つが、ン十万円もするらしいぞ」
「えっ!!」
「ホントかどうかは知らないけど、とにかく気を付けろ」
「……はい」
 
その後は、広い館内を案内してくれた。
別館、旧館、新館とあって、それぞれが10000台、20000台、30000台の部屋番号を割り振って区別されていた。
普段は長いから、下3桁でしか呼ばないらしい。
僕は、旧館のベルボーイとして、駆り出されていた。
旧館は、古くからのお馴染みのお客様用。
新館は最近のお客様用。
そして……別館は、かなり特殊だった。
 
ここは、前時代からの由緒あるホテル。
その昔は、著名な作家や大臣クラスの大御所が宿泊に利用していたらしい。
その名残があって、今でも作家、脚本家、作曲家などの様々な創作家達が、常時泊まっているのだそうだ。
何年も個室を借り切っている、老人作家もいるとか。
そのせいで別館の窓は、一晩中光々と夜の闇を照らし続けている。
別名、ホテル不夜城と呼ばれる由縁が、それだった。
その光は、坂の上にあるこのホテルへの、夜道を照らす誘導光となっていた。
 
サービスも対処も、まるで違う。
基本的に食事は全て、ルームサービス。
呼ばれたときしか、部屋に立ち入ってはいけない。
たとえ何日間、室内クリーニングが出来なくても、一切問い合わせたり、口出ししたりは、いけないのだそうだ。
 
「特に、bP01って呼ばれてる、10101号室のお客様は、超特別待遇。もう何年もずっといるよ。品の良い老紳士」
「何年も!? ……よっぽどの大作家ですね」
「まあ、あっちに呼ばれることはないから、気にしなくていいよ」
先輩は笑って、教えてくれた。
 
 
就寝場所は、ホテル内の従業員用仮眠室を、あてがわれた。
短期間のヘルプとして一時的にここに出張に来ただけなので、外の寮を借りたりするのは、手間だったから。
一応、2ヶ月間。
それまでに新しいベルマンが決まれば、その時点でヘルプは終了だった。
そして、戻ったら僕の月給は上がってるって約束だった。
頑張らねば!
 
 
……うわ。昔の女中部屋だな……まるで。
 
北側に、申し訳程度の明かり取りの窓が一つ。
あとは裸電球(いまどき!)が、薄暗く灯るだけ。
畳三枚分くらいしか、床面積はない。
作りつけの棚に、衣類などが一応詰まっていた。
中身は、サラシやら、浴衣みたいな寝間着やら……
「……使えないな〜」
苦笑いするしかない。
持ってきた着替えのバックを部屋の隅っこへ置いて、布団を押入から出した。
寝具は割と清潔らしく、クリーニングの良い匂いがした。
 
―――はあ。……とんでもない、時代錯誤な所に、ヘルプに来ちゃったなぁ
 
疲れた僕は、不安を覚えながらも、すぐに眠りについた。
 
次の日からは、大忙し。
基本的にヤルことは同じだから、それはいいんだけど。
この広い、迷路のような館の図面の把握が、大変だった。
フロントは共有なので、新館も旧館も、お客様の出迎えは、同じ場所からスタートする。
渡り廊下を渡り損なうと、旧館の奥の部屋へは、とんだ回り道になり、案内しているお客様に大迷惑を掛けてしまうのだ。
 
でも、僕はこの仕事が好きだ。
笑顔に笑顔で応えてもらえると、もう張り切ってしまう。
ちょっとのヘマくらい、それこそ笑顔で乗り切っていた。
やっと一息ついて、業務用のエレベーターに乗り込んだ。休憩室へ行くためだ。
このエレベーターが、恐ろしくのろい。
扉が閉まってから、昇降するまでのタメが、どんだけってくらいだ。
階段を登ろうか迷ったけど、ヘルプ5日目の疲れで、僕はこっちを選んでしまった。
それがマチガイの元だった。
 
 

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