「いらっしゃいませ」
その声に、えッ! と思い、思いっきり顔を上げてしまった。
相手もびっくりしている。
そりゃそうか、俺は、思いっきり挙動不審だったことだろう。
 
その声は、余りにもカッコ良すぎた。
低くて響く……でも余韻が甘い。
背中にゾクッときた。一発でイチコロだ。
 
 
ところが、顔を上げたその先には、なんとも可愛い顔があった。
「えっ!?」
今度は声に出してしまった。
ギャップが信じられない。
そんな俺を余所に、店員は、レジを済ませていく。
「1,111円になります」
また声を発した。
やっぱり。間違いない。この声は本物だ。
 
「キミ、なんでこんな仕事やってんの?」
 
俺は思わず声を掛けてしまった。
別にスカウトマンでも業界人でもない。
でも、この声でこんなへんぴなスーパーのレジをやってる場合じゃ無いだろう。
「なんでって……」
ムッとした怒りを孕んで、その声は言い返してきた。
―――あ、ダメだ。聞いていられない。
俺は、精算を済ませたカゴを荷詰めカウンターに持って行き、無意識に商品を入れ始めた。
「ちょっと、お客さん! ヒトに質問しといて……」
その声が追いかけてきた。
―――うわっ。ダメだって、その声は犯罪……それ以上、俺に聞かすな!
俺は逃げた。
「あ、ちょっと、お釣り……」
えっ! お釣り? そう言えば、財布から出したのは一万円だったな……。
頭の隅で考えながら、俺は結局スタコラ逃げた。
あんな声、聞かされてたら、ブチ切れて何してしまうかわからん。
 
マンションまで逃げ帰って、鍵を掛けた。
「はぁ……」
溜息をついた。
「どうした?」
部屋の奥から、家賃をシェアしている男が顔を覗かせた。
「……ああ、もろ、クリンヒットのコ、見つけちゃった」
「……はは。また、”イイ声”?」
俺は黙って、頷いた。
 
そうさ、俺は、声フェチ。
男女問わず、”イイ声”は大好きだ。
女の子の嘘くさい甲高い甘い声だって、芯からのイイ声は、とても聞き心地がよい。
反対に、男の低く響く声は、俺の身体の中に響き渡って、あちこちを擽る。
顔じゃない。声さえ良ければ、その存在を許した。
 
「とにかく、上がれよ。何買ってきた? 夕飯なんだ?」
シェアは家賃と光熱費と、食費。
だから、給仕分担して、今日は俺が作る日だった。
「あ……えと、八宝菜。白菜たくさん余ってたから」
二人とも、それぞれの田舎の親から野菜を送ってもらっていて、(いや、勝手に送りつけてくるんだけど)野菜は、比較的豊富だった。
「お、イイじゃん。早く作って」
「はいはい」
急いでスーツからラフに着替えると、手を洗って、エプロンを付ける。
「タカアキ、今日は遅いんじゃなかったの」
俺は、図体のデカイ同居人に聞いた。
同じ大学だったこいつ、近藤高明と、在学中にルームシェアをするようになった。
卒業して違う会社へそれぞれ就職した今も、同居生活は続いていた。
慣れた生活スタイルを、壊すまでもなかったから。
「ああ、会議中止。書類が揃わなくて」
「へえ。俺んとこは、そんなことで中止になったりしないなあ」
俺は、大手の堅い商社営業マン(営業っても、クレーム処理班だけど)。ヤツはクリエイターだから、社長一人、社員三人という少数精鋭のシステム管理会社に入った。
俺はある程度、時間は決まっていたけれど、高明は仕事がある時は出来上がるまでヤル。無い時はナイ。という、超不定期シフトだった。
 
「お、美味い! やっぱ、七尾の料理はウマイなあ」
俺の作った八宝菜をパク付きながら、高明は満足そうに言った。
「で? そのクリンヒットはどうすんの?」
箸を銜えながら聞いてくる。
「どうするって……」
声を聞いただけで、腰砕けだ。お釣りも貰えず逃げ帰ってくるようじゃ、話しにならない。
俺は溜息をつきながら、ビールの缶を開けた。
「七尾のその目で、一言も喋らせず悩殺すれば」
高明がニヤリと笑う。
「何いってんだか」
俺は赤くなった。高明は時々、俺の目はヤバイと言う。
「実際、お前が見つめるとコロリじゃねーか。大学時代の浮き名は伊達じゃあないね」
「やめろって。高明だって、すごかったじゃん。取っ替え引っ替え。その点、俺は付き合ったりはしなかったぞ」
「だからさ、浮き名が付くのよ。悩殺の七尾――ファシネイト、なんてね。殺しといてほっぽりっぱなし。付き合って捨てられるなら諦めもつくけどさ」
その名前はよく言われたけど。困ったもんだ……自覚ないし。
「そういう、もんか?」
付き合って捨てられる方が、問題はないか?
「……そういうもんだ。期待し続けちゃうだろ? もしかしたらって」
「だから高明は、一人一人に責任持ってたわけ?」
俺は目を丸くして聞いた。バカか? コイツは。
「あほ。お前とは違うつーの。俺は付き合ってから殺す。落とすの」
「ふ〜ん?」
「先に相手に興味を持つか、自分が相手に興味を持たれるか、その違いだよ。お前は後者なわけ」
「……よくわかんねー。俺、興味もつじゃん。イイ声に」
「……ああ、そうだな」
高明はへんな顔をした。
「声ってば、高明もイイ声だよね」
俺は、ビールを飲み干して言った。
「その声で誰か落とせば? 嫁さん探せよ」
仕返しに、言ってやった。
 
 
次の日、俺はまたあの店に行ってみた。
……! いた!
遠くから見てみると、やはりイイ声で、レジ打ちをしている。
「う〜ん、もったいない」
そう思わずにはいられない。
”声”は、天性の才能の一つだと思う。
整形出来ない分、タレントなんかより本物だ。
 
「……」
しかし、俺の場合、イイ声を見つけてもナニをするわけでもない。
高明みたいに、口説いたりできない。
ただ、ずっと聞いていたいと思い、見つめてしまうのだ。
「あ、お客さん!」
うわ、気付かれた! 店の端っこに隠れてんのに!
俺は緊張して、動けなかった。
客が途切れたのか、レジをほっぽって、こっちに走ってきた。
「お客さん、お釣り! 僕、困ってたんですよ!」
貸与エプロンのポケットから、じゃらじゃら小銭とお札を出す。
俺は、言葉ではなく、声を聞いていた。
低く響く。
格好いいのに、余韻が柔らかく甘い。
頭に響いて脳髄を刺激する。こういうのを悩殺って言うんだ。
俺はまた、クラリと目眩がする。
 
「もっと……」
お釣りを差し出す両手を掴んで、言った。
「もっと話して。声、聞かせて」
 
「……えっ?」
掴まれた方は、びっくりだ。
俺は構わず、続けた。
「その声、俺に聞かせて」
目を丸くして見上げるその顔を、真っ正面から見つめた。
声とは裏腹の、かわいらしい顔。そのギャップが未だに信じられない。
「……声って…」
顔を真っ赤にして、困っている。
「は……離してください!」
掴まれた手を捩って、解こうとした。俺は咄嗟に力を入れて、逃がさないようにしてしまった。
「……あ」
激しい音を立てて、小銭が床に散らばる。
両腕を拘束されたまま、床を振り返ってそれを見つめるその子。
声が俺から遠ざかった気がした。
「痛っ!」
強引に腕を引っ張って、自分に向かせた。
「何するんですか、離してください! ……ヒト呼びますよ!」
何か危機感を感じたように、叫び出した。
「えっ」
俺は、我に返って、手を離した。
痛そうに手首をさすりながら、睨み付けてくる。
「お客さん、散らばったお釣り、拾ってください!」
見ると、足下にかなりの小銭が散らばっている。
「……ああ、ごめん」
「お買いあげ、1,111円! そのお釣りだから、8,889円です!」
怒ったように言いながら、小銭を一緒に拾ってくれる。
 
「……きみ、名前は?」
俺はその子を呼びたくなった。そしたら返事してくれるのかな。
「……はぁ!? 僕に、なんか文句があるのなら、お門違いですよ!」
こんなことになったのを、俺が怒っているとでも勘違いしているのか。
「早く拾ってください! 僕、レジに戻らなきゃ」
困って俺を振り仰ぐ。
屈んだエプロンの胸に、ネームプレートを見つけた。
「青野……君て、いうんだ」
「!」
ネームプレートを片手で隠しながら、青野君は真っ青な顔で俺を見た。
「あなた、ストーカーですか? あんまり変なことするようだと、警察呼びますよ!」
拾い集めた小銭とお札を、俺の胸に押しつけてきた。
「これ、僕が盗んだとでも言われたら、堪りませんから。ちゃんと勘定して、確認してください! 足りなかったら、そこら辺の下に入っちゃってますからね!」
よく喋ってくれる。俺は心地よいその声に、聞き惚れてしまった。
押しつけられたお釣りを、とりあえず受け取る。
青野君は、ホッとしたように俺の手の中の小銭を見つめて、踵を返した。
カッコイイ声なのに、本当にかわいらしい顔をしている。
俺は小銭の確認もせず、ポケットに突っ込んで店を出た。
  

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