chapter1. time signal- 始まりの時報 -
1. 2.
 
1.
 
 天野克晴(あまの かつはる)
 
 これが兄の名前である。
 父がアマチュアの野球チームを作っていて、いつも晴れますようにってゲンかつぎも兼ねて、いろんな願いを込めて付けられた名前。
 愛されて付けられた名前。
 名前だけじゃなく、本当にとっても両親に愛されている。
 それに比べて僕ときたら。
 一人息子に満足してすべてを注いでいたのに、ずいぶん後になって僕が出来てしまったらしい。何もかも恵まれている家族にさらに恵まれてしまった子ども、ってことらしい。
 それで僕は、天野恵(あまの めぐみ)。
 よーするに、僕が恵まれた子どもになりますようにじゃなくて、恵みから溢れて出てきてしまっただけの子でした、と。
 余り物の結晶、嬉しい悲鳴。
 よく聞けば悪者ではないけど、結局のところジャマモノだ。
 両親が兄より僕を可愛がったことなど、一度もない。と言っても、8歳も離れているので、兄が小さい頃の事などもちろん知らないけど。
 でもその分、兄、克にぃ(かつにい)が僕をとても可愛がってくれた。勉強もスポーツもみんな付き合ってくれて教えてくれたから、克にぃみたいに、たくさんの塾や習い事を何一つさせてもらえなくても、大丈夫だったんだ。
 でも……。
 
 
 
 
「ん……」
 僕はお尻に違和感を感じて、目覚める。
「ん…や……克にぃ…」
 身体をよじって、違和感をふり払おうとした。無理なのはわかってても。
 寝ぼけた頭で、先に目覚めていく身体を持て余す。
 僕のパジャマのズボンがちょっとだけ下ろされて、克にぃの指が僕の中に奥深くまで入っているんだ。
 僕は毎朝こうやって起こされる。
「んんっ…」
「かわいいお尻」
 反対の手でお尻の柔らかいとこを、なで回す。
「起きて、恵。おはよう」
 起きてる…起きてるよう…。
 心の中で言いながら、目があかない。
「っぁ……やあ……」
 指が僕の中で暴れ出した。あちこちつついてかき回す。
「ほら、起きないともっと凄いことしちゃうよ」
「ん…ふぅ……」
 朝はあくびと決まっているのに、僕の場合は溜息だ。
(ほんとはアエギって言いうらしい)
 やっと身体を起こして、兄の呪縛から抜け出した。
 こんな朝を、もう2年以上も続けている。
 僕が8歳の時からこれは始まった。
 
 
  *********
 
 
「見て、メグ。今日からこれが俺たちのベッド!」
 僕の8歳の誕生日へのプレゼント。
 でもこれは、昨日まで両親が使っていたダブルベッドだ。
 しかも克にぃが欲しがっただけで、僕は一言も言ってないのに。
「よかったね、克にぃ。もう2階建てベッドは、小さすぎたもんね」
 本当にそう思っていたから、僕は素直にそう言った。
 16歳にもなる高校2年生で長身の克にぃは、僕に付き合って、ずっと2段ベッドの上段で寝ていた。
 子どもの僕から見ても、可哀相なくらいそれは窮屈そうだった。
「うん、ありがとな。これでメグの顔を見ながら寝れる」
 そう嬉しそうに笑って、見上げる僕の頭を優しく撫でてくれた。
 その兄の笑顔も優しい手も、その時は本当に頼もしく思ったんだ。
 
 昼間に模様替えをして、今日の夜からは広いベッドだと、朝教えてくれた。
 学校に迎えに来てくれた克にぃは、もうベッドは部屋に来てるよ、と嬉しそうに言う。
 よっぽど狭いベッドがきつかったんだなーと、僕は思った。
「ごめんね、克にぃ。僕に付き合って、たいへんだったね」
 僕なりに、感謝とごめんなさいを伝えた。
「何言ってんだ! 俺がしたくてしてたんだから、いいの! メグがそんなこと気にすんな!」
 背中から身体ごとぎゅっと抱きしめられた。
 僕はまだ全然ちっちゃくて、克にぃのおへそをやっと越えるぐらいしか、身長がなかった。
 だから、そんな風に抱え込まれると、まったく身動きがとれない。
「く、くるしい…にいちゃん…」
「ごめん、ごめん、あんまり可愛いこと言うもんだから」
 上から僕の顔を覗き込んで、
「俺がしてることで、メグのせいでどうのこうのなんて、イッコもないんだから。そんなこと心配すんなよな」
 逆さの兄ちゃんの顔も、格好良かった。
 
 ケーキを食べて、ハッピーバースデイの歌もうたって、寝る時間になった。
 昼間見たときも大きいと思ったけど、夜見たら、やっぱり大きかった。部屋のほとんどがベッドだ。
「すごいだろ? シーツの海みたいだな」
 バフンとベッドに腰掛けて、克にぃが言う。
「うん、すごい!」
 僕もまねして飛び乗った。
「ふふ、2段ベッドみたいに高くないけど、広い方がいいね」
「ああ。もうメグが落ちる心配もない」
「えー、そんなに寝相悪くないよ」
 文句は言ったものの、前に一回落ちたことがあった。僕がわがまま言って上で寝かしてもらった時だ。ハシゴから降りる時、ちょっと失敗しちゃったんだ。
「さ、寝るぞ。電気消そう」
「うん」
 僕はさっそく、四つんばいでベッドの奥に這って行った。
 壁側なら落ちないだろって、兄ちゃんが言うから。
「あれ、電気消さないの?」
 僕が寝っ転がって、克にぃが来るのを待っていると、壁からリモコンを外して、電気を消さずに戻ってきた。
「うん。もったいないから、後で消す」
「? なにが?」
 ベッドに潜り込み、布団を肩まで掛けてくれる。布団も2倍あるから、すごく大きい。
「こうやって、メグの寝顔を見ていたい」
「えー、僕も克にぃの寝顔が見たい」
 時々張り合ってみる。あんまりに子ども扱いするから。
「ははっ、10年早いよ」
 そう笑って頭を撫でてくれた。
 確かに8年離れてるけどさ…。
 優しくて、頼りになって、大好きだけど。
 僕を3歳か4歳の頃と同じように見てる気がして、時々何か言い返してしまうんだ。
 時間が合わないとき以外は必ず学校に送り迎えしてくれるけど、それもそろそろ恥ずかしく思うこともある。

「僕、8歳になったんだよ」
 克にぃを見てそう言った。一つ大人になったと、言いたかった。

「ああ、おめでとうな」
 おでこの髪を後ろにすいてくれながら、目を細めて祝ってくれる。
 僕がただ無邪気に喜んでいると思われたかな。ちょっとじれったい。
「早く、克にぃみたいに大きくなりたい」
「…いいよ。メグはそのままで」
 ちょっとだまってから、僕におでこをくっつけてきた。
「メグは今のままでいてほしいな。できたら、歳もとらないで、身長も止まっちゃってさ」
「ええー! やだよ! 僕、克にぃみたいに、でっかくなりたいもんっ」
 僕は学校でもかなりちっちゃい方だから、長身の兄がとっても羨ましかった。
「だってメグ、こんなにかわいいんだから。おっきくなるなんて、想像できない。したくないよ」
「かわいいなんて、やだ。カッコイイがいいー。霧島君みたいなさぁ」
 教室にいるんだ。カッコイーって思うのが。ああいうのが、克にぃみたいになるんだろうなって、いっつも思ってた。いいなあって…。
「霧島? あの生意気そうなガキンチョ! メグを迎えに行くと、いつも俺のこと睨みやがる。あんなののどこがカッコイイんだ?」
「えー、僕が克にぃに似てたら、きっとあんなだったよ!」
「だーめ。メグはカワイイからいいの!」
「僕…その名前やだ。嫌いだ…」
 布団に半分顔を埋めて、呟いた。
「女の子の名前じゃん、それ」
 そう言って笑うヤツがいるんだから。でも心配させるから、克にぃにそんなことは言えない。
「そうかな? 結構いるよ、男でも」
 ……僕の回りにはいないんだ。だから虐められるのに。
「僕、克にぃの名前がいい。かつはるってかっこいいもん」
 兄ちゃんはくすぐったそうに笑った。
「でも、取りかえっこして、俺がめぐみでもおかしいだろ?」
 ……う~ん。それは、そうかも。
「……」
 黙り込んでしまった僕に、優しく微笑んで、
「もう寝よう。明日は、ひとつ大人になったメグが見られるよ」
 そう言われると、ちょっと嬉しくなった。早く大人になりたい。
「うん、寝るっ」
 がばっと布団をかぶって、中に潜り込んだ。
 克にぃの体温でとっても暖かい。克にぃの匂いもする。大好きな克にぃの匂い。とうさんみたく、タバコ臭くないし。
(僕は克にぃのまねをして、とうさんと呼んでいる。みんな変な顔して笑うけど)
 
 あったかい布団の中で、僕はすぐに眠ってしまった。
 次の朝、何だか寒くて、ぼんやりと目を覚ました。おなかから下が、すーすーする。
「ん……?」
 お尻だけやんわりあったかい。克にぃの手みたいに、あったかい。
「かつ…にぃ……?」
 違和感で、ぼんやりしてた頭が、はっきりしてきた。
「メグ…。起こしちゃったね、ごめん」
 囁きが聞こえてくる。
「めぐ、動かないで…」
 そう言いながら、僕のお尻をなで回す。へんな感じはこれだったんだ。パジャマのズボンとパンツが、お尻の下まで下ろされていた。
「なに…?」
 寒くて、身体を丸めようとした。すると、克にぃの手が僕のお尻を広げて、真ん中を触ってきた。
「や! …克にぃ!?」
 僕はびっくりして、逃げようとした。だって、そんなトコ…。
「…動かないで、なんでもないから」
「…克にぃ…」
 なんでもないって…。こんなことするの、何でもないことなの?
 僕はどうしていいかわからずに、じっと動かないでいた。
「いい子、メグ…、いい子だね」
 克にぃが優しく言ってくれる。
「かわいいメグのお尻。ごめんね。見てみたくて、ついズボン下ろしちゃった」
 またやわやわと撫でてくれる。温かい手のひら。
「そしたら、こんなに小さいのにぷるんとして、柔らかそうで。可愛くて可愛くて、触りたくなっちゃった」
 あんまり撫でるから、お腹が変な気分。なんか不思議。お尻を触ってるのに…。
「ん……。克にぃ、くすぐったい…」
 身体を曲げたら、手で押さえられてしまった。
「だめ。このままでいて」
 お尻を上に向けて、うつぶせにさせられたままで、ちょっと苦しい。
「これを抱いていると、いいよ」
 克にぃの大きいまくらを縦にして、僕の胸の下に入れてくれた。
 僕は柱にしがみつくみたいに、まくらに腕をまわして、顔を横向きにくっつけた。
「あんまりくすぐったくて、声が出そうになったら、顔を枕に押しつけるといいよ。遊んでるだけなのに、父さんたちを起こしちゃ、悪いからね」
「…うん」
 僕は素直に頷いた。これって、遊びなの? ちょっと恐い気がした。
 優しいけど、いつもより真剣な克にぃの声。
「いい子。…そのままね。動いちゃダメだよ」」
 


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