chapter3. on time- それぞれのピリオド -
1. 2.
 
1.
 
 3年2組
 出席番号2番
 霧島丈太郎(きりしま じょうたろう)
 
 彼を知ったのは、2年前。
 小学校3年に上がるときのクラス表を見た時だった。
 二年ごとにクラス替えがあるため、新学期の前に新しいクラス表が配布される。
 
 3年2組 出席番号1番 天野 恵
 3年2組 出席番号2番 霧島 丈太郎
 
 僕の次に書いてあるその文字に、目が留まる。
 ……かっくいー名前だなあ。
 一目で名前に、惚れてしまった。こんな、カッコイイ名前を付けてもらえるなんて、いいなあ。どんなコなんだろう。
 そして表の最後の方にある名前にも気付き、心が重くなった。
 平林健二。
 僕が数々の虐めに遇うはめになった元凶だ。これだけは、克にぃにも言っていない。
 
 新学期初日。
 僕は、僕を守ってくれる女の子達と、教室の奧で座っていた。1年の時、名前が原因で平林君に虐められていた僕を、庇ってくれてたコ達。
 女の子は強い。また一緒になれて嬉しかった。
 座ってぼんやり入り口を眺めていたら、克にぃに似てる子が入ってきた。
 うわぁ、かっこいいな。
 思わず見とれた。真っ直ぐな髪。眉もきりっとしてて、顎がつんとしてる。
 僕はぽっちゃり顔だから(よく克にぃがそう言ってほっぺをつつくんだ)、細い顔が羨ましい。
 だって、克にぃがホントにそういうカッコイイ顔なんだもん。
 あんまり見とれたから、眼が合ってしまった。
 あ……
 しかも、座った席が僕の席の後ろ。
 じゃあ、あれが霧島丈太郎かあ。
 始業のチャイムが鳴ったので、僕も自分の席に向かった。
「よろしくね」
 そう言いながら前に座る僕を、はっと顔を上げた霧島丈太郎は、目をまん丸にして見つめていた。
 
 
 次の日。僕はとうとう下駄箱の所で、あいつにつかまってしまった。
「おい! めぐみちゃん~、女子トイレはあっちだぜ!」
 ……平林健二だ。
「なんか言えよ。守ってくれる女子がいないと、何もできないのかよ」
 目をつり上げて、僕をからかう。
「…………」
 僕はなんでコイツが、僕を目の敵にするかわからなかった。
「…めぐみって、…おとこの人でもいっぱいいるんだ!」
 克にぃがいつも説明してくれる。僕がその名を嫌がるから。
「そんなこと言うと、その人たちみんなを馬鹿にしてんのと、同じなんだぞ!」
 克にぃに言われた通りのことを、言ってやった。
 平林健二は、びっくりして僕を見た。そして、悔しそうに更に目をつり上げた。
「こいつ…、女のくせに!」
 あっという間に僕に掴みかかってきた。
 ───!
 殴られたと思った。床に叩き付けられて、体が痛かったから。
 でも床に手をついて、見上げた先には、霧島丈太郎の背中が見えた。僕と平林健二の間に立って、僕に当たるはずのパンチを止めてくれていた。
「……霧島君」
「チャイムが鳴るぞ。さっさと教室行けよ」
 スゴイ静かに僕に言った。
「……うん、ありがとう」
 僕は慌てて立ち上がって、教室に走った。
 ドキドキした。怖かったから。転んで痛かったから。
 
 霧島君はすぐに、何でもない顔をして、教室に入ってきた。
 僕の周りにはすでに女の子たちがいて、賑やかだった。僕がお礼を言おうと顔を向けたら、何故か冷たい顔でそっぽを向かれてしまった。
 ちょっと落ち込んで席に着くと、後ろから小さい声で話しかけてきた。
「天野さ、あんま女子と仲良くしてない方がいいよ」
「え?」
 驚いて振り向くと、真剣な目にぶつかった。
「平林のヤツさ、滝下が好きなんだよ」
 ……え? 好き?
「なに…好きって」
 僕は目を丸くして、聞き返した。
 霧島君はもっと、目を丸くした。
「天野って、やっぱニブイな」
 僕はもっともっと目を丸くした。
 ニブイって…。え? いくら僕だって“好き”が何かくらいは知ってる。
 平林君が滝下さんを好きだからって、なんだってんだよ。
「おまえがいっつも側にいるの、面白いわけないだろ。しかも自分からお前を庇ってるんだ」
 滝下さんは、一番最初に僕を助けてくれた女の子だった。今年も同級生。
「天野ってさ、自分で何とかしようと思わないの?」
「?」
「人に助けてもらって当然て顔で、そこにいるから」
「! …なに、何それ! 別にさっき助けてなんて言ってないよ! それにお礼を言おうとしたら…」
 ゴチっといきなり上から、頭を小突かれた。
「ハイ、そこまで。喧嘩なら後でやんな」
 とうさんぐらい背の大きな先生が、前に立っていた。
「出席取るぞ。俺は柴田だ、しばたおさむ。君たち3年2組の担任だ、みんなよろしくな」
 黒板に大きく“柴田修”と書きながら、教室中を見渡す。
 恐いかと思ったけど、その様子はなんだかとても優しげだった。そして出席簿に目を落とした。
「まずは一人目…天野恵。読み方は、あまのめぐみでいいな?」
「…はい」
 分かり切ったこと聞くなぁと思いながら、返事をした。
 その態度が気に入らなかったのか知らないけど、先生は僕の名前を呼んだ後、じっと僕を見て動かなくなってしまった。
 ジロジロ上から下まで、観察するみたいに見る。
「……?」
「せんせーい。俺、2番の霧島丈太郎。きりしまじょうたろうであってまーす!」
 霧島君がふざけて手を上げなら言った。わっとクラス中が笑い出す。
 僕はまた助けられた気がした。点呼が進む中、後ろを向いてきっちりお礼を言った。
「ありがとう、霧島君」
 ぶっと、霧島君が噴き出した。
「目が三角になってる! そう言うのは笑って言うもんだ」
 けらけら笑うのにつられて、僕も笑った。あんがい良いヤツかも、なんて。そしてまたゴチンとやられた、今度は二人とも。
 
「さっき言ったのはさ、下駄箱でのことじゃなくて、普段の天野のこと」
 給食を食べ終わったあと、霧島君と、校庭の隅に歩いて行った。
 花壇や百葉箱のある場所で、他に人があまり来ない。教室にいると女の子達がかまってくれるので、都合が悪かったから。
「なんか見てると、周りが動くのにあわせて、ただ揺られてるみたいでさ。もっと自分で何かしたいとか、こうでなきゃイヤだとか、ないわけ?」
 言われてみると、そうかもしれなかった。
 僕は克にぃが迎えに来るまで、ただココにいる。僕の居場所は克にぃの横だから、ここは一時的に居なきゃいけないだけの場所。
 だから、友達も先生も僕にはあまり必要無かった。居心地が悪い人の近くには行かず、構ってくれる人の側でじっとしてる。そうすれば克にぃが迎えに来てくれるから。
「僕、別にしたいことないし。克にぃがいれば、それでいいから」
 思ってる通りのことを言った。
「はあ? 誰、カツニイって」
「8歳上の兄貴」
 また霧島君がぶっと噴き出した。
「アニキ! そんな言い方すんだ天野って! 似合わない!!」
 げらげら笑い出す。僕は似合わないと言われて、むっとした。
「とうさんとかあさんもそう言う。似合わないってなんだよ」
 ブスくれてそう言うと、更に笑い出した。
「とーさん! かーさん! はっはっはっ!!」
 体を二つに曲げて大笑いしている。
 僕は顔が真っ赤になるほど、恥ずかしくなった。
「そんなに、にあわない?」
 涙を拭きながら、こっちを見る霧島君。少し済まなそうに眉を下げた。
「うん、似合わない」
「う~」
「なんか、ムリしてるように聞こえる。なんで?」
「…克にぃが、そう呼んでるから」
 カッコイイ克にぃのまねをして、僕もカッコよくなりたかったんだ。
「へえ。俺、ねーちゃんいるけど、姉貴なんて呼んだら殴られるよ。生意気だって」
「お姉さん、いくつ上?」
「みっつ。天野は8歳上だっけ? すごいな。想像付かないよ」
「うん、すごいよ。親の変わりに僕の面倒全部見てくれる」
「…?」
 僕の言葉に、複雑なものを感じ取ったらしい顔をした。
「僕は、余計モノだから、親がホウキした僕を克にぃが全部引き受けてくれたんだ」
「…放棄って。…へえ、以外」
 霧島君は驚いた顔で僕を見た。
 そんな顔もやっぱり、克にぃに似てると思った。
「天野って、両親にめちゃめちゃ甘やかされて、何も一人でできないお坊ちゃんかと思ってたんだ」
「え~、なんだよそれ」
「恵なんて名前もさ、幸せじゃなきゃ付けられないよ」
「家族はね、恵まれてたよ。だけど僕が恵まれてるわけじゃない」
 僕は下を向いて言った。
「キライだ。こんな名前」
「…俺はいいと思うけどなあ」
 横目で見ながら言ってくる霧島君に、僕は無言の視線を返した。自分はそんなかっこいい名前だから、人の気持ちなんてわかんないんだ。
 でも、一人で何も出来ないのは、当たっていた。
「克にぃにはめちゃめちゃ甘やかされてるからね」
 そう思うと嬉しくて、思わず笑みが零れた。
 
 そんな風に、霧島君と話すようになって、僕はジガを持つようになったんだと思う。
 ジガってよくわかんないけど、ようするに自分のことを考えるってことだ。放課後に克にぃが迎えに来るのを、霧島君にいつも見られていて、ちょっと恥ずかしくもなった。
「克にぃ、ムリしないでいいよ。僕、一人で帰れる……友達できたし」
 試しに言ってみたこともあった。ジッサイ迷惑をかけてると思ってたから。
「友達? そいつか、変な入れ知恵したヤツは」
 克にぃは全然聞いてくれなかったけど。
 
 でも僕は気付いてしまったんだ。
 僕が克にぃみたいにカッコよくなるには、僕がオトナにならなきゃいけないってことに。どうしたらそうなるかはわからないけど、ジコシュチョウはしようと思う。
 だって、今年僕は8歳になるんだ!
 
 そして、僕は一つオトナの仲間入りをした。
 8歳の誕生日の夜、克にぃにお尻を触られて、毎朝弄くられるようになって。初めは泣いてしまったけど、だんだんと慣れた。
 “気持ちいい”が少し分かるようになった。
 そしてなによりも嬉しかったのは、その行為が克にぃとの二人だけの秘密だということだった。
『秘密』それは魔法の言葉。
 けしてバレちゃいけない。そう思うだけでワクワクする。
 初めて秘密を持った僕は、ちょっと強くなったと思う。
「なんか天野、最近変わったよね」
 霧島君が時々言うようになった。
「そう?」
 僕が嬉しそうに笑うと、
「ほら、そんなとこで笑わなかった。もっとどうでもいいって感じだった」
 まぶしそうに目を細めて言う。
 
 それでも平林君の虐めには、へこんだ。
 もう滝下さんともそんなに話してないのに、しつこく僕に何か言ってくる。
「おい、男女! 女子更衣室はあっちだぜ!」
「いつスカートはいてくるんだ? めくってやるのに」
 じっさい、よく女子のスカートをめくっては、先生に怒られていた。
 先生といえば、担任の柴田先生は、時々何か言いたそうに僕を見る。でも決してそれを口に出すことはなかった。
「なあ、こんど平林に、悪口やめないと滝下にオマエが好きなことバラすぞって、脅してやろうか」
「えっ」
 霧島君が、耐えかねたように言ってきた。
「最後の切り札。暴力ふるってくるなら、言ってやる」
 僕もそんな気配を感じて、怖くはなっていた。最近は、口だけじゃない。突き飛ばされたり、物を隠されたりした。
「それまでは、この事は二人の秘密な」
「!!」
 にやりと、口の端を上げて悪戯っぽく笑う霧島君。
「うん、秘密!」
 僕の秘密は、二つになった。
 
  


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