chapter13. dangerous signal- 戸惑い -
 
 
「天野、なんかいいことあった?」
 
 終業式の日、やたらはしゃいで嬉しそうな天野に、驚いた。
 こないだまで落ち込んでふさぎ込み、笑わなくなっていたのが、ウソみたいだ。
 それに、それだけじゃない。朝、教室に入ってきた時から何か違った。目の色、唇の艶、指先の動きまで。
「………」
 何考えてんだ、俺は。机に顔を突っ伏した。天野を色っぽいと思ってしまう。
「どうしたの? 霧島君」
 なんて、顔を近づけてお気楽に聞いてくるから、反対に聞き返したんだ。
 そしたら…。
「えっ! ……うん、あった」
「…………」
 俺はびっくりした。
 天野が真っ赤になったのだ。首筋まで。そのあと極上の笑顔で微笑んだ。
 からかうつもりだったけど、その後、言葉が出なかった。
 
 6年に上がり、新学期が始まると、大学に行き出したという克にいは、私服で迎えにくるようになった。悔しいけどカッコイイ。天野のくっつき方も尋常じゃない。
 俺はいい加減、この二人に違和感を覚えていた。いくら仲のいい兄弟でも、ここまで体をくっつけ合うか? 天野はわかっていないかも知れない。ずっと小さい頃からこれだから。でも克にいは、分からないはずがない。
 いつも、問題は克にいの方だと思う。今も天野の拘束は激しさを増している。
「克にいさぁ、ちゃんと大学行ってんの?」
 天野に聞いてみた。毎日毎日おかしいだろ。
「うん、行ってるよ。近いから、すぐ来れるんだって」
「……へえ」
 俺にはよく分からないけど、本当にそうなのかな。
 
 
 でも最近、克にいの顔が、緊張してキツい表情をしていることが多くなった。さっさと天野を連れて、帰ってしまう。
「天野君のお兄さん、何か雰囲気が変わったね」
 背後から声を掛けられ、顔を向けると、校門に桜庭先生が出てきていた。
「先生…」
「半年前に比べて、精悍になった」
「?」
「天野君も変わったと、思わない?」
 腕を組んで、校門の柱に寄りかかりながら、俺に聞いてくる。天野は相変わらず俺にくっついて、保健室に行っていた。
「……はい、思います」
 何を言おうとしてるのか、俺は先生の薄く笑う唇を見つめた。
「……天使が、羽をもがれないまま、生を受けたようだね」
 くすくすと、声を出さずに笑っている。目線は天野の消えた方へ、ずっと向けたまま。
 ──空気が、いつもと違う。
 俺はこの普段とても優しい先生が、ちょっと怖くなった。なんか得体の知れない空気みたいのが、出ている。
「……桜庭先生?」
 見上げて、覗き込んだ。
「あ、ごめんね。なんでもないんだ」
 ぱっと、表情をもとに戻すと、いつもの優しい先生になった。
「柴田先生を捜しているんだ。見かけたら伝えてくれる? ぼくが呼んでたって」
 そう言って、ひらひらと手を振りながら校内に戻って行った。
「俺、帰るから知らないですよーっ!」
 数歩追いかけて背中にそう叫ぶと、校門を飛び出した。走らずにはいられない、なんだか知らないけど、どきどきした。
 ──危険信号。
 変な先生…、何を俺に聞いたんだ?
 みんな何故か、違う顔を持つ。俺だけハブだった。
 
 でも、俺が気にしてるのは、やっぱり天野だった。笑うようになったのはいいけど、殆どが拘束されている。あれじゃ何も出来ないよ。俺は放課後、遊ぶ時間を持て余してしまう。
 本当は天野と遊びたい、その気持ちを吹っ切るように、他の奴らと取っ組み合ったりサッカーしたり。そうして、いつも無茶して怪我をしてしまうんだ。
 
 数日後の夕方、そんなふうにして遊びまわって帰ってくる途中、克にいを見つけた。
「克にい!? どうしたんですか?」
 俺は驚いて、声をあげた。交差点の角で、塀によりかかって蹲っていた。始め酔っぱらいかと思ったくらい、じっと動かない。服が泥だらけだった。
 辛そうに、顔を歪めてはぁはぁと、呼吸を整えている。
 俺が声を掛けると、びくっと体を震わせた。
「霧島……」
 眉をよせて、片目で見上げる。
「なに……何があったんですか?」
 ただごとじゃないその様相に、俺は慌てた。
「天野…天野は?」
 今はもう6時近く。天野と克にいは今日も一緒に、とっくに帰っていた。迎えに来た後は、二人で一緒にいるのかと思っていたのに。
 克にいは、ふ、と口の端で笑って答えた。
「…恵は関係ない。家にいるよ」
「………」
「俺も、なんでもないよ。ちょっと…走ったから」
 なんでもないって状態じゃ、とても見えない。立つこともできないでいる。でも克にいは、俺に口止めした。
「こんなとこ見たなんて、恵には言うなよ。…心配するから」
「あ……、ハイ」
 そんなつもり、俺にもないから、素直に頷いた。
「…さんきゅーな」
 すまなそうに笑って、また顔を伏せた。あの、横柄で高圧な雰囲気が何処にもない。
 俺に無理矢理、凄いキスしたくせに。何があったんだ? 何、弱ってんだ?
 俺は腹が立ってきた。
「何でもないならっ、…早く天野のとこ、戻ったらどうですか!」
 つい、大声で言ってしまった。
「貴方が天野を拘束するから、…俺も…誰も天野の側にいられない! ……なのに、貴方がこんなとこで何やってんですか!」
 止められない言葉に、俺自身驚いていた。克にいは、憎らしげに俺を睨み付けて来た。
「…お前に言われるまでもねえよ。わかってる、そんなこと」
 静かにそう言う。でも、立とうとすると、辛いらしくて呻いた。
「ちくしょう、アイツ、無茶苦茶やりやがって…」
 口の中で小さく呟いてる。俺は克にいが喧嘩に巻き込まれて、怪我をしているのかと思った。
「……手当、必要ですか?」
 ここから、俺の家は近い。
「いや、そんなじゃないから」
 笑って立ち上がると、泥をはたいた。服がすごい乱れている。はみ出たシャツをズボンに入れて、ベルトを締め直していた。
「お前も、さっさと帰んな。物騒だからな」
 ぽんと、俺の頭に手を乗せると、そう言って背中を向けた。その顔は憎たらしい、いつもの克にいの顔だった。
 俺の身長は、克にいの胸まで伸びていたけれど、まだまだ小さくて悔しかった。
 
 
 
「天野って、克にいと二人でいるとき、何してるんだ?」
 昼休みの校庭の花壇、当然のように天野と二人きりでここに来るようになっていた。初めて天野と、二人きりで喋った場所。向こうのグラウンドからは、下級生たちの遊ぶ嬌声が聞こえてくる。
 俺は天野に、なんとなく疑問に思ったことを聞いてみた。今まではそんな話題、とりあうのも馬鹿馬鹿しいと思っていたけど。
「えー、何って、別に」
 目をキラキラさせた。こんな顔を見せられたくなかったのだ。
「……旅行の話しとか、かな」
「旅行?」
「うん、今度どこに行こう、とか、何が見たい…とか。僕が我が儘ばかり言ってる」
「……ふうん。旅行なんて、行くんだ」
 天野のおじさんが野球好きで、休日は野球しかないって言ってたから、意外だった。家族旅行、するんだ。
「俺んちも、年一回は必ずどっか行くから、ねーちゃんとたまに話すよ。こんどは何処に行くんだとか」
「………」
「でも親なんて、子供の意見なんか聞きゃしねーの。いっつも同じ海ばっか!」
 天野の部屋には、同じような土産物がいくつも転がっているだろう。鼻の頭に皺を寄せて、俺が苦々しく笑うと、天野もつられるように、ふわりと笑った。
「?」
 なんだか寂しそうに見えた。こんな顔を天野がするとき、俺はなぜか天野を抱きしめたくなる。
 
「……俺も、天野とどっか行きたいな」
 ふと思って、そう言ってしまった。天野が俺を見つめてくる。
「……なんだよ、変か?」
 俺は気恥ずかしくなって、わざとつっけんどんに言った。そしたら、天野のヤツ、困惑したように、
「…ううん。…僕と? …克にぃとじゃなくて?」
 はあ!?
 俺は相当へんな顔をしたと思う。
「なに…、なに言ってんだ? 天野…」
「だって、霧島君て、もしかして克にぃが好きなのかと思ってた」
 俺は頭が真っ白になった。
「なんでそうなるんだ!?」
 怒りさえ、湧いてくる。あんなヤツ!
「だって…。霧島君、克にぃのことよく聞いてくるし、…去年の冬、ウチに来たでしょ」
「!」
「あの時、僕に会わずに帰っちゃったし、克にぃの様子もおかしかったから」
 目を伏せて、地面を見つめながら続けた。
「二人だけで、何か話したのかなぁって…」
「───っ」
 俺は確かに、克にいのことで天野に隠し事をした。あんなことされたなんて、言えるわけないじゃないか。
 でも、あんなキス一回くらいで俺が克にいに惚れるとか、負けるとか、そんなの絶対にあり得ない。そんな誤解だけは、勘弁しろ、冗談じゃない!
「……お前の頭は……何も考えてないかと、思ってた」
「?」
「そんな、ろくでもないこと考えてたんだ」
「えーっ、ろくでもないって! 僕、ショックだったんだよっ。心がもやもやして、嫌だったんだから!」
 その時のことを思い出したのか、目が潤んだ。
「───!」
 俺の胸は熱く灼けた。
 どっちだよ。…俺と克にい、どっちを想って辛かったんだ?
 俺は天野の目を、見つめ返した。眉根を寄せて、悲しげに瞳を揺らしている。口もきゅっと結んで、泣くのを我慢しているかのようだ。
 ──そんな顔して。
 ……克にいが、そんな顔させるのか。俺だって、心がもやもやしてるんだ。……わからないんだな、天野は。
「俺は……天野とどっか行きたい」
 見つめたまま、はっきりと言った。克にいなんかじゃない。そんなの、分かれよ。
「……天野は、俺と行きたくない?」
 動かないまま、じっと俺を見る。そして、静かに微笑みながら呟く。
「…僕は、克にぃがいるから」
 ───いらない。俺は、要らない。
 そういう言葉が後ろに隠れていると思った。俺の心に、何かが刺さったような気がした。
「いつまで、克にいだよ!」
 俺は変にイラ立った。
「克にいがいなきゃ、何も出来ないのか? お前が自分でしたいこと、他の誰かとやりたいこと、やったらどうなんだよ!」
 俺の剣幕に、驚いて目を丸くする。なんで俺が怒り出したのかが、わからないでいる。
 そして俺は地雷を踏んだコトに気付いた。馬鹿だ!
「僕、克にぃがいれば、ほかは……んっ」
 俺は天野の唇に、自分の唇を押し当てていた。聞きたくない。それ以上、言わせない。口を塞いで、言葉を奪った。
「…っはぁ! ……霧島くん!?」
 顔を離すと、驚愕して俺を見た。俺だって驚いた。何してんだ、俺!
「おまえが……、お前があんまり克にい克にいって言うからッ」
 怒りなのか悲しいのか、よくわからない。
「俺は、お前の中にいるのかよ!?」
 その場にはもう居たくなかった。天野を置いて、走り出した。
 
 そのことを、後で酷く後悔した。克にいのことは言えない。俺もその時、天野を一人にしたんだ、と。
 


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