chapter5. absolute shutout -鎖された心-
1. 2. 3.
 
 1
 
 天野が一週間ぶりに登校した。
 久しぶりの花壇で、天野が俺の隣りにいる。
 その横顔は教室の騒がしさに当てられたみたいで、かなり疲れているようだった。
 
 
 ──── 一週間。
 
 俺はずっと天野の家に泊まり込んで、そこから学校に通っていた。
 学校に天野がいないのは寂しかったけど……。それ以外の時間は全部、天野と一緒だった。
 帰ったらその日の授業内容を、横に張り付くように机に並んで座って教えた。ご飯も一緒に食べて、寝るときも同じベッドの中。
 まるで自分が天野の全部を独り占めしているみたいで、嬉しかった。
 だから……今日、クラスの奴らに囲まれて心配されている姿を見たとき、ちょっと残念に思ってしまった。
 照れて困ったように笑い返している。その笑顔は、俺だけに向いてればいいのになあ。
 
 そんなことをふと思って、赤面した。
 …… 一週間、天野の側にずっといて、思ったこと。
 ──克にいは、こうやって天野を独り占めしていたんだ──と、いうことだった。
 学校以外部屋に閉じこめて、他人の視線に晒されないように。天野が他の人を見ないように………。
 そして、天野はその通りに育って、克にいに懐いた。
 
 
 そして同時に、俺は気付いてしまった。
 ───俺は、そんな天野を好きだったんだ。
 克にいが大切にした、克にいしか見ない……天野を。
 
 
 横で眠っている天野の顔を見ては、俺は一人で泣いた。
 
 今、俺がここにいるのは間違ってる。克にいじゃなくてゴメンなって、思うと……胸が痛くて。
 
 克にいの、雨に濡れたあの顔を思い出すと、どうしようもなく哀しくなる。
 俺は……あの憎たらしい兄貴なんかに、絶対負けない!
 そう思ってたんだ。
 ───いつか、天野の意志で、俺を見てくれたら……ホントにそう思っていた。
 だから、こんな形で俺がここに居たって──勝ったことにはならないんだ。
 
 ちくしょう……バカにい……バカにい……早く帰ってこいよ……!!
 
 声を殺して、天野に背を向けて、流れる涙を止められない。
 温かい天野の体温を背中に感じながら、俺はそうやって、最後の何日かは泣きながら眠った。
 
 
 
 
 
「…………」
 
 あ、まただ。
「──天野?」
 小さくため息をつく天野を、のぞき込んだ。
「疲れたか?」
「……うん」
 小首をかしげるように、俺の方へ顔を向ける。
「ちょっとね」
 そう言って微笑む仕草が、なんだか頼りない。
 
 一週間休んでいる間に、天野はだいぶ元気にはなっていた。いろんなことのショックから落ち着くのは、大変だったけど。
 
 ぺったりとくっついて離れない、天野。
 部屋で勉強してても、飯の時も、寝るときも。不安げに、肌が触れるほど側にいようとする。
 また克にいと錯覚しているのか…と判断が付かなくなる時もあった。
 それでも、俺に懐いたなぁと思って嬉しくて。親を追いかけるヒヨコみたいだけど、俺はそれでも良かった。
 
 でも、やっぱ後遺症……かな。人の多いところが怖いのか、登校してからの天野は元気がない。何かに怯えているように、尚更俺にくっついていた。
 
 
 親と言えば、一週間天野の家でご飯をご馳走になってて、気付いたことがあった。
 食事の時の会話だ。
 おじさんの会社の話、野球の話、それに関連した場合だけ、俺にも話を振る。たとえば、俺は野球をするのかとか、塾はどこへ行ってるのかとか──
 ずっとにこやかで、重苦しくはならないけど…。
 天野は聞いてる風でもなく、もくもくと手を動かしては、不器用に箸を口に運んでいた。下手すぎを見かねて、俺が大皿からよそったおかずだった。
 あとで聞いてみても、ウチでは昔からそうだと、言うだけ。
 ……お母さんも、天野に声をかけないし。
 
 初めて一晩泊まった時は、気が付かなかったなあ…。
 あの時、天野はめずらしくとうさんがよく喋ってた、なんて言ってた。…でも、あんな内容だったっけな?
 俺は料理が美味しくて、天野と一緒だしって、…そっちばっかに夢中になっていた。
「…………」
 ちょこんと横にいる天野を見る。
 親が構わないようなこと…前、言ってたんだ。
 俺んちなんて、姉ちゃんや母さんの会話が騒がしくて。黙ってりゃ具合が悪いのかって心配するし、風邪でも引いた日には明日の心配も煩いほどしてくる。
 ──そういう感じが、まるでなかった。
 そういう会話も、本当に克にいとだけで、していたのか…。
 ちょっと寂しく感じて、やっぱ克にいが近くにいない天野が、気の毒に思った。
 
「みんな…天野が出てきて、喜んでるから…」
 中休みの数分も、天野の席に来ては大丈夫? と声を掛けるクラスの連中に、実際俺もちょっと疲れていた。
 普段はしゃべりもしない奴等でも、一週間も休んでたとなると、心配にもなるよな。
「そうなのかな…」
 お前は人気者なんだぞ、と、わざとらしく励ましてるのに。意味が分かっているのか……聞いているのかも、怪しい。
 うつろに弱々しく返してくる微笑みを、じっと見つめ返して。何もしてやれない自分が、焦れったかった。
 ──克にいだったら、どんな慰め方をするんだろう。
 つい、そんなことまで考えてしまい、頭を振った。
 あんなヤツの真似して、どうする! 天野が喜べばいいって問題じゃ、ない!
 
 
「………?」
 天野の目の色が、変わった気がした。顔が真っ白になっていく。
 目線を追って振り向くと、桜庭先生が来ていた。今日も百葉箱の温度計チェックだ。天野のいない間、俺の暇つぶし相手は、桜庭先生だった。
 
「……ですか?」
 天野が、なんか言った気がした。桜庭先生が、それに頷いている。
「天野君、久しぶり」
 
 そっか、まだセンセんとこ、行ってなかったな。
 休んでいる間中、桜庭先生は天野のことを心配していた。
 俺は、天野の声が出るようになったことは伝えたけど、他のことは言えなくて……。嘘はついてないけど、本当のことも隠した。
 
 
 
 
 
「桜庭先生……」
 
 
 
 呟きながら、天野がゆっくりと立ち上がった。
 ───え?
 先生の所へ行こうとする、天野。思わず、天野と桜庭先生を交互に見た。
 
「ごめんね、霧島君」
 
 きょとんとしてる俺に、天野がぽつりと言った。
 ───なんだ?
「……天野?」
「僕、ちょっと………行ってくる」
「ちょっと、…って……おい?」
 なんか、……変な顔して、微笑み返してくる天野。
 
 何がなんだか、分からない。
 なに急に、そんなことを。
 
「……なに…どっか悪いのか?」
 
「ううん……うん、ちょっと朝起きるのが辛くて…先生に相談してたの」
 
 否定を、すぐさま言い直して……。そう言って、先生の方へ一人で歩いていく。
 ───相談?
 ……先生に?
 
「ああ、でもお前……相談って……」
 
 
 天野の背中にそう言うと、ゆっくりと振り向いた。
 真っ白な顔。
 大きな目が。
 俺に懐いて、今は俺しか見なくなったと思っていたその目が……俺をじっと見て、揺れた。
 
「先に教室、戻っててね」
 
 にこりと微笑む。
 困ったような、照れたような、よくわからない顔。
 
 先生の手が、天野の肩に回る。
 
 …………。
 
 その二人の後ろ姿を、俺は呆然として見ていた。
 
 天野と俺の空間。二人だけの秘密と、頑張り。
 それがいきなり、破られた気がして。
 
 だって、相談て……。
 声が出るようになってから、今日初めて登校して。……1分たりとも側を離れていない。
 天野が先生の所に「相談」に行く時間なんて、なかったはずなんだ。
 
 ───そんなの、いつしたんだよ。
 
 
 もう振り向かない、天野の背中。そこに掛かる先生の手。
 
 
 克にいが、俺に見せ付けるように天野の肩を抱いて、帰って行ったことがあった。
 なんとなく、それを思い出した。
 
 かなわない。
 大人の克にいには、かなわない──そう思い知らされて、悔しかった。
 
 なんでか、あの悔しさが蘇った。
 
 ──俺は──天野にとって、まだ……
 
 それが訳分からずに、悔しくて。早く『大人』になりたいと無性に思って、握り拳を震わせた。
 
 
 
 それっきり、天野は「先生、先生」と言う。昼休み、給食が終わると、保健室にすっ飛んで行ってしまう。
 ……毎日だ。もう、花壇にも行かない。
 
 俺は一人で、二人の特等席に座ってぼんやりしていた。
 
 いつもなら、足元に天野が蹲っている。休んでいるときは、桜庭先生がいた。
 桜庭先生も今は、日課の筈の温度計チェックに来ない。
 当たり前だ。天野と一緒にいるんだから。
 
 ───先生……ずるいよ。俺だけハブだ……
 
 俺は、天野の一番近くに行けたと思っていた。克にいの居た隙間に、入り込んで。ずるいとは思ったけど、頼ってくれるのは、本当に嬉しかった。
 アイツには、もう俺しかいないと、そう思っていたのに……
 
「霧島? どうした、一人で」
 声に驚いて、振り向くと、柴田先生だった。
 
「うわ、センセ。……びっくりした」
 
 あんまり真剣に考え込んでいたから、人の気配に気が付かなかった。
 俺は、久しぶりに見る柴田先生を見上げた。先生のことが不思議で、……よく眺めたっけ。
 
 先生ってみんな、担任じゃなくなると、なんかよそよそしくなる。
 自分の親みたいだったのに、いきなり他人の顔になるんだ。余所んちの親になったみたいに。
 ……でも、柴田先生は違った。変わらない優しい顔で、俺を見返す。
 
「……先生」
「ん?」
「俺、…早く大人になりたい」
 
 先生の目が丸くなった。
「……図体は、だいぶ育ったけどなあ」
 笑いながら言う。
 先生が担任になった頃、俺はまだ3年生で、先生の腰までしか身長はなかった。
 
「霧島。ちょっと、立ってみ」
 花壇から俺を立たせると、柴田先生は横に並んだ。
「おっ!」
 俺も驚いた。先生の胸まで顔が来ていた。
「無駄に伸びたな」
「ムダって、なんだよ!」
 俺はブスくれて、笑ってる先生をまた見上げた。
「今年で、卒業だもんな。大きくもなるな」
「うん。俺、30センチ以上伸びた」
 
 柴田先生の手が、ぽんと頭にのっかった。
「そうやって、いつの間にか大人になってるから」
「………」
「焦らなくても、いいんじゃないか?」
 
「……うん」
 俺は、どう答えていいか、分からなかった。
 俺が大人になりたい……というか、天野がそれを必要としてるなら、そうなりたい……
 そう、思ったんだ。
 
 柴田先生の手は、大きくて。なんか、安心感が広がってくる。
 
 ……天野は、きっとこれが欲しいんだ。
 だから「大人」の桜庭先生が、いいのか。
 同級生の俺なんかじゃ、駄目なのかな…。
 
 


NEXT /1部/2部/3部/4部/Novel