chapter6. icebound spirit -凍てつく 魂-
 
 
 教室に戻ってからの、残り少ない休み時間。
 天野は、一生懸命口の中のものを飲み込んでは、頬張った。
 それを見てるのも、楽しかったけど。食べ切ったのを確認して、安心した。
 もっと体力をつけないと…って、心配だったから。
「よかった」
 俺が笑うと、天野がじっと見返してきた。
 
「僕、保健室行くの、放課後にする」
「………天野?」
 なんだ? ……また、いきなり。
 
「昼休み……また花壇、行こうね」
 そう言って、ふわっと笑った。その笑顔が、眩しくて……
「……ああ」
 俺は目を細めた。
 
 
 
 
 戻ってきた……? 俺の、天野───
 
 
 そう、思いたかった。
 昼休みは、前みたいに二人で花壇に行ったし。よく笑うようになったし。
 でも保健室には、毎日通っていた。
 ───毎日。
 それが何故だか、わからない。……そんなに相談することって、あるのか?
 
 俺じゃ、頼りにならない。
 やっぱそう突き付けられているようで、そこだけは、心が暗くなった。
 
 
 そして……この間と同じように、天野が俺の前から姿を消した。
 
 たった10分しかない、授業の合間の休み時間。その時間を使って、着替えなきゃいけないのに。
 次は体育なのに───始業ベルが鳴っても、天野は帰ってこなかった。
 
 でも今回は、探さなかった。
 天野を信じて待つ。
 そう決めて、誰もいなくなった教室でずっと待っていた。天野の後ろの席に座って、横の壁に寄りかかった。
 
 
 朝のことを、何となく思い出す。
 ───今朝……あいつ、頑張って笑ったんだ。
 酷い顔色して、教室に入ってきた天野。驚いて見つめたら、元気な声で挨拶して。
 『あはは、変な顔! 霧島君らしくないよ!』
 って………笑った。
 
 俺らしいって、なんだろう。あの時思った。
 克にいには負けない! なんて思いながら、克にいの真似して、振りして、天野を独り占めしようとしている。
 それが、ホントの俺だと思う……。
 
「………」
 思わず溜息を付いた。
 
「ああ…もう! ……うわあああぁぁ!!」
 
 誰もいないのをいいことに、大声で叫んだ。
 こんなふうにウジウジ考え込むのは、止めだ! 今朝の天野は、頑張ってた。笑顔を俺に見せようとして、一生懸命笑ってた。
 だから俺も、さっぱりとしてなきゃ!
 そう思ったら、急に身体を動かしたくなってきた。
「よっしゃ!」
 机の間で、ストレッチを始めようと立ち上がった時、天野が戻ってきた。
 
 
「……………」
 ───天野
 
 たった今の決意は、どっかに吹っ飛んでしまった。
 自分の顔から、笑みが消えるのがわかった。
 
「大丈夫か?」
 
 余りに、様子が変で。
 顔中真っ赤で、目も潤んでいる。額だけじゃない、首の方まで汗を掻いている。壁に突く手だって、震えて…。
 
 風邪…なんてもんじゃない。額に手を当てると、凄い熱い。身体中熱かった。
「…保健室行ったほうがいいな」
 体育どころじゃないだろ。寝てなきゃ……。
 
 
「……いい。見学する」
 俺の言葉に、反発するように声が返ってきた。
 
 
 ───はあ?
 ……俺に、意地でも張ってんのか?
「何言ってんだよ! こんな状態で見学なんかしてても、悪化するだけだろ?」
 
「いいの、見学する!」
 
 ──いいって……
「意味、わかんねーよ! いい訳ないだろ!?」
「平気! ……見学する!」
 下を向いて、首を振って……俺を見ようともしない。
 壊れた人形みたいに、ただひたすらそれだけ繰り返す。
 
「───おい!?」
 つい、怒鳴りつけた。
 俺の言葉、聞きもしないで、念仏みたいに否定し続けるから。
 でも、その様子はどんどん辛そうに見える。
「なんでいいのか、言えよ!!」
 
「……………」
 一瞬止まった天野の動きが、また再開する。───無言で、首を横に振るだけ…。
 
 まただ! 
 また、だんまりで……なんの説明もしない!!
 俺なんかに、言う必要はないのか……?
 
 心はまた通えたと、思っていた。それは、俺だけだったのか──
 
 
 
 
 思わせぶりな天野。懐いたり、離れたり……
 なんで今、こんなに嫌がるのか、まったくわからない。
 俺が言うから、行かないのか?
 
 天野が俺を嫌いなら、もう仕方無いと思う。
 だけど、なんだか頼りないんだ。
 桜庭先生がいいなら、先生にべったりして、克にいの時みたいに幸せな顔を、すればいいじゃないか!
 それなのに、なんか危ういんだ。いつも泣きそうな顔をしている。最後は、俺に縋るみたいに見る。
 なのに……
 俺の差し出した腕は、ことごとく宙をさまよった。
 こいつは、その影だけを残して、もうそこにはいない。
 
 
 ───その度、俺の心は剔られ、冷えていった
 
 
 
 
 せめて説明してくれれば、俺だって、こんなにしつこく言わないのに。
 ほんとに、なんでなんだ? 
 ……俺がわかるように、納得させてくれよ!
 胸の中で、モヤモヤが爆発した。
 
 
「天野!!」
 怒りに任せて、天野の両腕を掴んだ。
「言うこと聞けよ! ……なんだよ、あんな毎日、保健室行ってるくせに! 天野は、桜庭先生がいいんだろ!!」
 
 
「…あッ!」
 天野の悲鳴。
 
 俺の悲鳴と、同時だった。俺の、心の────
 
 
 
「……天野」
 
 
 また振り解かれた、俺の腕は───もう、痛みを感じない。
 
 必要とされない腕。ここまで拒否されたら、……俺…無理だ……
 
 
 
「俺、もう……天野がわかんねえ…」
「───!!」
 
 
 
 傷ついた顔をして。俺の手を振り解いた奴が、一人で、そこに立ちつくす。
 
 わかんねえ…
 なんで、おまえが傷ついてんだ。……俺だろ?
 
 今のは、余りにも痛くて、心が痛くて……
 
 
 氷のかさぶたが、その傷を覆っていく。
 熱い血が噴き出す前に……。
 冷やせ、冷やせ………熱い涙が流れないように……
 ────冷やせ、冷やせ!
 
 
 何故、こうまで天野が変なのか、追求できなかった。
 そんな気持ちは、痺れた腕の痛みと共に、どこかへいってしまった。
 
 それでも、何か言うと思ったんだ。
 涙を流しながら、俺を見つめて、
「きりしま……くん……」
 俺を呼ぶ。
 何か言いたげに、俺を見る。
 
 でも──
 その唇は、それ以上動かなかった。
 
 
 感覚の戻らない拳を、グッと握りしめる。
「もう……勝手にしろ!」
 
 これ以上は、何を言ってしまうか分からない。
 怒りなのか、哀しみなのか。とにかくその場から、俺は逃げた。
 
 体育館に走って、授業に没頭した。何も考えられなくなる程、身体を動かしたかった。
 
 
 
 あの天野の、腕のはね除け方は……
 心底嫌がった、動きだった。
 
 俺であること。
 それは、天野の保護者。
 天野に触れていいのは、俺だけで……
 俺だけは、天野を抱きしめることを、許されていると思っていた。
 
 あの一瞬…
 その、全てを否定された気がしたんだ。
 俺が存在することが、それがもう、疎ましいとでも言うように……。
 
 腕の痺れが治らない。感覚が戻らない。
 天野に振り解かれて、必要とされなくなった俺の両腕は……
 あの時、死んでしまった。
 
 傷付くたびに冷えていった心は……俺の魂は、氷のかさぶたで全体を覆い被した。
 
 それでも──
 それでもって、思っていたのに……
 
 
 
 
 
 
 
 ─────!!
 
 
 
 自分の目に映った光景が、信じられなかった。
 天野に冷たく当たり、放課後は待たないで帰ってしまった。
 何日も──
 
 それは、見捨てられたと、思ってたから。
 でも、俺が見捨てていたのか?
 
 やっぱり心配になって、足を向けた保健室の前で。
 
 天野は、緒方に抱きついて、泣いていた。
 その肩には、緒方の腕が巻き付いていた──
 
 
 
 
 
 
 俺を少しずつ覆っていた、分厚く高い氷の壁。それが、完成してしまった。
 
 
 氷に閉ざされた、俺の心。
 
 
 鏡の欠片が心に刺さったカイの様に──。
 俺も自分が、わからなくなった。
 
 
 
 凍てついた心はもう、なにも映さない。
 
 


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