chapter8. remembrancer  -追憶-
1. 2. 3.
 
 2
 
「…………」
 
 俺は何も言えずにドアを閉めて、腰タオルのままベッドに戻った。
 縁に腰掛けて、太腿に肘を突いて体を支えた。
 
 ───こんな格好のまま?
 
 食事はダイニングで、食べるように言われていた。見たきゃ、テレビも新聞もリビングにある。
 
 ………でも、こんな格好で、うろつけるはずがない。
 
「…………」
 剥き出しの二の腕や足を見下ろすと、細くて頼りない筋肉が目に入った。
「…………はぁ…」
 その体勢すら、保ち続けられない。ベッドに腰掛けたまま、横に倒れ込んだ。
 
 ───体力が、無さ過ぎる………
 
 投げ出した手首のプレートを見つめた。シーツに埋もれているそれは、脚のよりは軽いけれど、かなり負担になっている。
 
 ───アイツの言い草はともかく、これはマズイか……
 
 ……でも、筋肉付けるって…。
 
 腰タオル一枚で筋トレをする姿を考えると、滑稽すぎて失笑もんだ。
「……………」
 でも、やらないと、いつまでもこんな格好のままだ。
 アイツはそういうとこ、曲げないから……
 
 横になったまま両脚をベッドに持ち上げると、腹筋を使って起きてみた。
「……くっ──痛ッ」
 さっき散々弄ばれた後ろと腰の間接が、激しく痛んだ。
 それに加えて、想像以上に思うように動けず、起きあがったまま、愕然としてしまった。 あまりの腹筋の無さに、呆れるくらいだ。
 
 ───しょうがない……
 
 溜息をついて、覚悟を決めた。
 こんなんじゃ、いざって時に動けないまま、逃げることも出来なくなってしまう。
 
「…………?」
 何回か寝て起きてを繰り返すうちに、懐かしい何かを思い出した気がした。
 腹筋を使って起き上がるときに、足首に嵌められたアンクレットが重しになって、上体を起こしやすい。
 
 ………ああ、これのせいか…。
 
 俺は、山崎の事を思い出した。
 高校の体育の授業──準備運動は、いつも山崎と組んでいた。
「天野、天野! お前、先ね」
 と、手招きで呼び寄せては、足首を持つ係を買って出る。
 
 当時俺は、「学校」に時間を取られるのが嫌だった。居残りなんて、言語道断だ。そんな場合じゃないと、思っていたから。
 だから授業に集中して、すべてがその時間内で片づくように心掛けていた。
 出来過ぎず、出来無さ過ぎず……それを、意識して。
 
 でも、体育で体を動かすのは、好きだった。
 比較的、自分から競技に参加してはプレイしていた。
 
 山崎に足首を押さえてもらい、俺はさっさと腹筋30回を終わらせる。
 それを見て、ヤツはよく口を尖らせた。
「オレが一生懸命やってんのに、天野はヒョイッとやっちまう」
 交代して俺が足を押さえると、ひいひい言いながら、起き上がっていた。
「そんな色々デキるんだから、もっと部活とか打ち込めばいいのにさ」
 勿体ないとばかりに、眉を寄せて。
「必要ないから」
 その度に、俺は笑った。
 
 ───恵以外、なにも必要無いから。
 今も、過去も、未来も………
 
 そう思っていた。
 恵のために何かになろうとは思っても、自分のために何かしたくて、打ち込むことは何も無かった。
 しいて言えば、語学か……。
 英語は何かと役に立つし、知識として興味があった。
 
 
 
「……………」
 久しぶりに心が動いたことに、驚いた。
 数回やった腹筋運動にへばって、シーツに張り付けになりながら、天井を見上げていた。
 
 思い出すんだ……そんなこと……
 こんな状況で、昔の平穏だった頃を思い出すなんて……
 
 横になったまま、プレートが重りになっている両腕を、肘を伸ばして持ち上げてみた。
「………くっ……」
 これだけで、随分な運動量になることに、気が付いた。
 
 それからの数日間、俺は出来る範囲で今まで以上に体を動かす事に、注意を払った。
 少し動き始めると基礎体力が戻ってきたようで、腹筋も続くようになった。
 
 
 
 ───運動と言えば、あれが……初めてだったかな……
 ……父さんに教えてもらった、キャッチボール。
 
 ───まだ、片手でボールを持てないほど、小さい時だった……
 
 
 
 腹筋なんてしていると、無心のつもりで、脳みそが動き始めるらしい。
 気が付くと、いつの間にか、心は昔に馳せていた……
 
 父さんは、俺に何でもさせようとした。
 習った中から、好きになれるモノを選べばいい。それを続けていけ、と。
 俺はといえば、恵が生まれるまでは、与えられる事を必死になって、こなしていた。
 いい子でいるように。褒められるように。
 父さんの褒め方は、周りに見せつけるような遣り方だったから……
 俺は子供心にそれを読み取って、周囲の人間にも、気を抜けなかった。
 
 “天野晴海の息子”
 “天野監督の自慢”
 
 そこに自分のポジションを置かされて、俺は「いい子」に育つしかなかった。
 
 ………結局、器用貧乏になった、だけだったな……。
 ───山崎に、そう言ってやればよかった。
 ふとそう思って、苦笑いをしてしまった。
 眼鏡の奥の、きょろっとした目が、不満そうにまた何か言うのが、簡単に想像できる。
 
「………ふ…」
 口の端を上げている自分に気が付いて、腹筋で起き上がったまま膝を抱えた。
 何も着ることが許されない、裸のままで……
 
 
「──────ッ」
 膝と胸の間に、顔を埋めて、溜息をついた。
 ────あんなヤツのために、身体を作る……だって?
 
 
 この数日間、俺は冗談じゃなく、腰タオルだけでダイニングを、往復させられていた。
 食事するのにその格好は、余りにも惨めで───ニヤニヤしながら絡められる視線にも、辟易した。
 パジャマ禁止になった、次の日の朝……
 理性を無くしたオッサンに、いきなり押し倒されて、犯された。
 その後も、どれだけ挑発してしまうのか知らないけど…身の危険を感じるような、セックス三昧だ。
 そんなんで、食欲なんか湧くはずもない。運動する割に食べない俺の身体は、細いまま引き締まってきていた。
 
 
「────はぁっ……」
 もう一度溜息をついて、ベッドにひっくり返った。
 
 “僕のために、綺麗な克晴でいて……”
 
 あいつの言葉が、蘇る。
 バカバカしい……そんな理由で、やってられるか!
 
 今は簡単に持ち上がるようになった両手首を、目前に掲げた。
 電灯の逆光で側面が光る、滑らかな銀プレート。
 ………自分のために。
 そう思わなきゃ。
 
 ───メグに会った時に、でっぷり太ってたら……笑われる……
 泣かれるかな……
 
『克にぃみたいに、おっきくなりたい!』
『克にぃみたいに、かっこよくなりたいよ!!』
 
 目を輝かせて、見上げてくる恵。
 いつも、俺を目標に頑張ろうとしていた。
 
 その俺が太って、人相が変わってたりしたら……やっぱ、泣くかな………
 
 また口元が緩んでいる自分に、気が付いた。
「………ふっ……」
 自嘲気味に息を吐いて、持ち上げた腕で顔を覆った。
 真っ暗になった瞼の裏に、恵の笑顔が、次々と浮かぶ。
 
 
 ───メグに会った時に……そんな時が…来るんだろうか……?
 会えたとして……今まで通りに接する事が、できるんだろうか……?
 
 
 ───なんにしても……頑張らなけりゃ………服を取り戻すためにも。
 
 
 
 
 
 オッサンの行動は、相変わらずだった。
 気の向いたときに、俺を玩具にする。その行為に朝昼晩は、関係なかった。
 ただ、以前より室内にいることが、多くなった気がする。「行ってくるね」と、ベッドの部屋に、顔を出さなくなったんだ。
 
 
 
「…………?」
 ダイニングから廊下に繋がる、扉の向こう──
 俺の世界の限界の向こう側で、ヤツはよく電話をしている。仕事の話しをし出すと、携帯したまま廊下の向こうに出て行くんだ。
 今も、朝食の途中で携帯が鳴り出して、オッサンはドアの向こうに消えた。
 その声を聴くともなしに聴いていて、気が付いた。
 
 ───英語……? …それも激しいスラング混じり……
 
 学校や塾で習うような英会話レベルじゃ、とても聞き取れない。かなり言い合っているように、声高に喋っているのだけは、判った。
 
 仕事か何か知らないけど、電話を終えて戻ってくると、比較的不機嫌なことが多い。
 また、荒れそうだな……
 そう判断した俺は、早々に部屋に戻ることにした。
 
 あれから二週間は経つのに、未だに着る服がない。裸体を晒している分、悪魔の性欲を必要以上に煽っていた。
「……………」
 食事も途中で、俺は席を立った。
 
「どこ行くの? 克晴」
 タイミング悪く、携帯を切りながら、戻ってきてしまった。背中に突きつけられた言葉に、俺は足が止まった。
「まだ、食べ途中じゃん。……しかも食器、片付けもしないでさ」
 暗く沈んだ声が、ゆっくりと近づいてくる。
 背後から首に腕を回されて、唇が耳に当てられた。
「……………!」
 腰に巻いたタオルの下に、手が伸びる。
「………ゃ…」
 出そうになった拒否を、下唇を噛み締めて呑み込んだ。
「……どうしたの?」
 わざとらしく心配な声を出して、オッサンは耳に直接、声を響かせる。
「………っ!」
 俺は首を振って、緊張する身体を解そうと、深呼吸を繰り返した。
 
「……だいぶ筋肉、戻ったね」
 首に回していた腕を、胸に移動させる。
 指が、胸の中心を這った。
「…………んっ…」
 嫌でも、身体が反応する。タオルの下の手が、後ろをまさぐった。
「…………ッ!」
「でも、まだまだ細すぎるよ。しっかり食べなきゃ」
 適当に感じるように、気まぐれにあちこち触る。
 不機嫌なままの沈んだ声が、俺の心臓を早くさせた。
 こんな時は、ろくなことがない……。
 
 


NEXT /1部/2部/3部/4部/Novel