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「荻野先輩ーっ!」
「お、深澤」
頭一つ低い小柄な男が、片手を振りながら、事務所から走り出てきた。
俺の直下に配属になってそろそろ一年になるヤツで、俺の中では一番の有望株だ。
コイツを探して、表門の側までうろついていた所だった。
「チョコくれるって、ホントですか!?」
走ってきた勢いで懐まで飛び込んできたから、俺は慌てた。
「バカ! 声がデケェよ!」
「あ、すみません……」
傍目から見てもおかしいほどコソコソと、俺たちは社屋の影に移動した。
「おら」
赤面している顔に、袋から取り出したチョコを突き付けた。
「絶対に内緒だぞ! 知ったらやっぱ傷つくからな」
「うわー! ありがとうございます!」
「早くしまえ! いいな、絶対に内緒だぞ!」
「はいー!!」
深澤は嬉しそうに顔を綻ばせて、さっきと同じように手を振りながら走って帰っていった。
「……はーっ」
一仕事終えた俺は、深く溜息をついた。
「荻野! こんな所にいやがったか!」
「おう、竹村」
一仕事のあとは、もう一仕事だ。物流課の竹村は、毎年言わないでも来る。
「おら、チョコ!」
「おお、さんきゅ! おぅ、こんなにいいのか?」
渡した4箱の包みに驚いて、俺を見る。
「ああ、みんなヤル」
「さんきゅ~! 姪っ子達が喜ぶわ!」
子供好きしそうな愛嬌のある顔が、白い歯を剥いた。
「え、ちょい待ち。ガキにやんなら、これはやめとけ」
俺はブランデー入りのボトル型チョコを、その腕から抜き取った。
「あ~、それは無理だな」
あからさまなガッカリ顔で、苦笑いをする。
「でも荻野。それ、持って帰んのか?」
「…いや」
「じゃあ、俺が食う! くれ! 戻せ!」
片手でチョコを抱え直して、もう片方の手をニュッと突き出してきた。
「戻せってなあ……んならいいけど。絶対ガキに食わせんなよ」
「わーってるって! お前からの愛情チョコだと思って、大切に食うよ! んじゃな!」
竹村も手を振りながら、走って門を出て行った。
「気持ちワリーこと、言うんじゃねぇ! ボケッ!!」
背中に叫びながら、仕事鞄だけになった荷物を持ち直して、俺も駐車場に向かうべく、通用門に足を向けた。
──────え?
俺は……自分の目を疑った。
そこには、表門の直ぐ横にある小さな通用門の鉄柵に、しがみつくようにして立っている、千尋がいた。
───その顔は
「……………」
泣きそうに眉を寄せて、目を潤ませて…
それこそ「信じられない」と、書いてあった。
「……あっ、おい!」
背中を見せて走り出した千尋を、俺は慌てて追いかけた。
「千尋! 待てってんだよ!」
でたらめに走って、細い路地の奧に逃げ込んだところを、やっと捕まえた。
腕を掴んで、俺に振り向かせる。
「……ないしょって…!」
抗って手を振り解こうとしながら、俺を見上げた。
泣きそうだった眼鏡の奧からは、涙が零れていた。
「傷つくからって……あんなとこで……!」
泣き声は、それ以上声にならなかった。
「勘違い、すんな!」
見上げたままボロボロと涙を零す、真っ赤になった目。
その顔に、俺はどう言っていいか迷った。
一番始めにチョコを分けてやった、営業の小林も言っていたが…
『怪我してからのお前、変わったからな! 今年は特にモテモテじゃねえか!』
『なんかやたら貰うんだが……んなに、違うか?』
『ああ、とっつき難かったっての? なんつーか、チョコを気軽に渡せる雰囲気じゃ、なかったな』
『へえ…しかしそう言う小林だって、結構貰ってんじゃんか。だいたい、そんなに持って帰ってヤバくねぇのか?』
『見栄だよ、ミエ! こういうのは多い方がいいの! イベントなんだから』
『へえ』
『チョコいらねーとか言う、荻野がカワイソー! 嫉妬深い彼女に、ヨロシクな!』
軽くウィンクなんかしやがって。ケラケラ笑いながら、さっさとチョコ袋を抱えて、帰っていった。
実際、毎年数個は貰っていたが、今年は異様な数だった。
以前は竹村とか、欲しがるヤツには1.2個渡して、残りは持って帰っていた。
でも今年は、1個だって持って帰るわけにはいかない。そう思って、口の堅いヤツだけに、配って回っていたのに。
───よりによって、あんな場面を見られていたとは……
「あ~、内緒ってのは、くれた女の子達にで……」
「…………」
「傷つくだろ? 自分があげたはずのチョコ、他の男が持って帰ってたら」
「…………」
じっとして聞いていた顔が、悲しげに歪んだ。
(ああ……だから、持って帰らないように配ってたのに!)
鞄を足元に落とすと、両手で千尋の頬を挟んだ。
「お前にそんな顔、させたくなかったんだ!」
「…………」
「義理チョコでも、見たくなかっただろ?」
「…………」
こくんと、小さく顔が頷いた。
「だから、誰も傷つかないように、始末してたんだよ! まさかお前に見られるとは、思いもしなかった!」
「……てっぺーさん………」
「なんだ? まだ何かあんのか?」
両手の間から、眉を寄せたまま見上げてくる。
納得しきっていないような目の光りが、モノ言いたげだった。
「もう一人のヒト……徹平さんからの…愛情チョコ…って」
「──!!」
俺はガクッと、力が抜けた。
あの、アホな言葉まで……
「あれは、タチの悪い冗談だ! あんなの真に受けんなよ!」
ややこしくしてくれた竹村を恨みながら、千尋を睨み付けた。
バサバサになった前髪の隙間で、情け無い顔をいつまでもしている。
背中を塀に押し付けて支えている身体が、ヤケにか細く感じた。
(……しょうがねーな)
俺は周りを一瞬見渡して、唇にちょんとキスをした。
「おら、逆チョコ代わり!」
「……!!」
「これで、許してくれ!」
さすがに俺も照れて、赤面ものだ。
さっさとこんな恥ずかしいことは終わらせて、帰りたくなった。
「逆チョコって…なんですかぁ?」
丸くなった目で、恐る恐る訊いてきた。
「知らん。今年はそれが流行だとか、社内で盛り上がっていた」
実際には、誰もやってねーけどな、そんなの。
「要するに、男が女…好きなヤツにチョコをあげるんだと!」
「……」
目を見開いたまま、頬が真っ赤に染まっていく。
「……ボク…、徹平さんと後輩さんの姿見て…もう、何がなんだか…」
塀に背中を預けたまま、真っ直ぐに顔を上げて、俺をみつめる。
その眼からは、また涙がポロポロと零れ出した。
「……俺って、そんなに信用ねぇか?」
なんか、腹を立ててもいい気がしてきた。
「いえぇっ! ……ただ、徹平さんならモテるだろうから、たくさんのチョコは覚悟してました……」
必死に首を横に振りつつ、また不安げに眉を寄せる。
「だけど…徹平さんが、誰かにあげるなんて……ボク……考えてもなくて……」
(……はぁっ)
俺は心で、盛大な溜息をついた。
白いファー付きのハーフコートと、真っ白いセーター。
淡いグリーンのチノパンと黄色いスニーカー。
少し早まった春っぽいこの格好が、まったくよく似合う千尋。
この男が、俺をどれだけおかしくしていると思っているのか……。
「お前の鈍さには、頭が下がる」
「……え~」
遠慮がちにも、下から不満の目を向けてきた。
「どんだけ自分が判ってないんだって、言ってんだ! 俺のこともな!」
ほっぺたをつねってやった。
「ぅあぁ……!」
「お前以外、俺が誰を好きになるって?」
人通りが無いのをいいことに、千尋を電柱の影で塀に押し付けて、身体を密着させた。
「俺のここが、こんなになるの……お前だけだ」
膝の間に足を割り込ませて、腰と腰を擦り合わせた。
「……ぁあっ…」
唇も奪ってやった。
「ん……」
深い口付けに、鼻から抜ける甘い響き。
「……その声も」
───ヤベ……止まんねぇ……
「てっ……徹平さん……ッ」
泣きそうな声で、千尋が抗った。
「…ごめんなさい……許して…ください~!」
身動いで、身体を剥がそうとする。
そんな動きが、ますます腰に刺激を与えた。
(……マジ、やべーなぁ)
運転に集中出来なくなるほどの、危険性を感じる。
まさか、ココで押し倒すわけにもいかないし…。
「……はぁ…」
千尋も観念したのか、動きを止めた。
俺の胸に顔を埋めて、熱い吐息を吐いている。
「…………」
丸い頭を撫でながら、俺は思いついたことを耳に囁いた。
「な、このままホテル行こうぜ」
「……え?」
「たまには、カップルみたく、そういうのもいいよな」
「……ひゃぁ……カップル…ですかぁ…」
熱っぽく潤んだ双眸が、胸の中から、俺を見上げた。
そこは、ロッジのような小屋が、少しずつ距離を置いて、広い敷地に点在していた。
各部屋の入り口に、直接車を横付けできるのがいい。
前から目を付けていたホテルだった。
「時間が早いおかげだな。まだ空室がある」
「はい、よかったです~!」
千尋を車に残して受付を済ませ、部屋に向かった。
「趣、ありますね~」
きょろきょろしながら、千尋が言う。
室内も山小屋のような作りで、黒い梁と茶色い木目の壁だった。
ベッドや椅子などの調度品も全て木製。
床の真ん中には、円形のラグマットが敷いてある。
この上でヤルのもいいな~などと、俺も目線を泳がせてしまった。
「ここは、一度来てみたかったんだ」
「…………」
はしゃいでいた千尋が動きを止めて、俺をじっと見つめるから、その身体を抱き寄せた。
「もちろん、お前とだよ!」
『嫉妬深い彼女に、ヨロシクな!』
小林の言葉を、思い出した。
……嫉妬してんのか。
思わず口の端が上がる。
千尋にも”独占欲”が湧いたんだな、と。
そんなことすら、俺は嬉しかった。
「まずは、風呂だよな!」
「さすが、広いですね~!」
たっぷりと張った湯の中で、目を輝かせながら、天井を見上げている。
俺も見上げて、頷いた。
湯気が黄色い照明を、ぼんやりとさせている。
黒い梁と木目の浮いた天井が、旅館の温泉風呂のような風情を漂わせていた。
「そう言えば、なんであんな所にいたんだ? お前」
まだそれを訊いていなかった。
まさかの事件が起きたのは、そのせいなのに。
湯に顔を半分沈めていた千尋が、目だけで俺を見る。
「……ごぽ」
「…………」
(──?)
(……今の……ジョークか?)
湯の中で一言喋った千尋を、まじまじと見つめてしまった。
「そんな顔で、見ないでくださいぃ~っ」
顔を全部出すと、目をきゅっと瞑って、真っ赤になった。
「今のは笑うトコなんですよ!」
バシャバシャと湯を掻き立てて、俺に引っかけてくる。
(……やっぱり)
可愛くて、笑ってしまった。
「すまん…面白かった!」
手を押さえ付けて、無理矢理キスをして誤魔化した。
千尋にしては、上出来だけど……
(笑うトコなのか……ッ!)
「…今日は、親方が仕入れの勉強にと、市場へ行く車に同乗させてくれたんです~!」
違うツボにはまって笑い続ける俺に、拗ねた顔で説明しだした。
「へえ」
「その帰りに、近くを通りかかったから、ボクだけ降ろして貰って…」
俺が掴んだままの手が、ぎゅっと握られた。
「擦れ違って会えなくても、一度見てみたかったんです。徹平さんの会社」
「…………」
「そしたら、後輩さんと徹平さんが物陰でチョコを……」
また、うるっと目が潤みだした。
「後輩さんの顔、忘年会や新年会の写真によく写ってるから…すぐに判りました」
「わかったわかった、タイミングが悪かったな!」
頭を引き寄せて、広い浴槽の中で身体中を抱き締めた。
湯気と自分たちの熱い吐息が立ちのぼって、視界が霞む。
「あの遊園地の、温泉みたいですね…」
懐かしそうに、千尋が呟いた。
「……ああ、そうだな」
俺も口の端を上げる。
あのクリスマスから、もう2ヶ月も経ったなんて。
「楽しかった…ですねぇ」
微かに動く唇が、上を向く。
湯で温められて、紅く艶めく。
「ああ」
それに俺も唇を重ねて、舌を絡めた。
お互いを感じ合うように、唾液を交換する。
「ん……」
苦しいのか、途中でいつも甘い声をあげて息継ぎをする。
(…そろそろ、限界だ)
俺の下半身が、湯よりも熱い熱を、千尋の太股に知らしめていた。
あんま我慢すると、乱暴にしてしまいそうで、それは避けたかった。
「今日は俺が洗ってやる」
「えっ、いいですよぉ……」
「いいから、言うことを聞け!」
鏡に向かって千尋を座らせると、俺は自分の手にボディソープを直接付けた。
「ひゃあぁぁ」
背中を撫で回すと、くすぐったそうに飛び跳ねた。
「……じっとしてろ」
背中を俺の胸に寄り掛からせて、泡だらけになった手を胸に回した。
「……ん」
指で突起を摘むと、いつもより滑る。つい、何度も摘んで遊んでしまった。
「ん…ん…」
肩口から覗き込んでいた俺の耳に、切れ切れに喘ぐ声が煽情的すぎる。
首筋にキスをしながら、両手を下の方へ下ろしていった。
「あっ……」
下腹部の、既に勃ちあがっている部分に指が触れたとき、またぴくんと身体が跳ねた。俺は両手を滑らせながら、竿や袋の裏までくまなく洗ってやった。
「ん……ん…、もう…いいですぅ……」
「動くな。手、退けろ」
阻止してきた手を振り払って、半分被っている皮をそっと剥いた。
「……」
息を呑む千尋に俺も呼吸を止めて、そっと、出てきた括れに指を這わせた。
「ふ……」
くるりと溝をなぞって、鈴口を縦に撫で上げる。
「や…徹平さん! それ…洗ってるのと違いますぅ…」
また腰を跳ね上げて、俺の腕を押さえた。
浮いた腰の奧にも、指を這わせた。
「んぁ!」
泡で滑る中指は、簡単に千尋の中に吸い込まれた。
「ぁああ! 石鹸が……」
「直ぐ出してやるよ」
指を二本に増やして、ピストンを速めた。
「んっ…あぁ……!」
後頭部を押し付けるように、俺の胸で仰け反る。
湯で熱くなった身体が、心地よい。
預けてくる体重を胸で受けとめながら、更に指を増やした。
「ひゃあっ……ボク……もう、ダメです……」
曇った鏡にうっすらと映る可愛い顔は、唇が真っ赤になって酷く色っぽい。
「いつも、自分でしてるよな。今日は俺がやってやる」
指を抜くと、シャワーノズルを引き寄せた。
「え!! や…いいです…やめて…」
また暴れる千尋を押さえ付けて、湯を出すとヘッドを外した。
「徹平さん……」
「怖いこと、ないだろ?」
横から覗き込むと、唇を噛み締めてこくんと頷いた。