真夜中のページ・ボーイ
20. 真 実
「失礼します。ルームサービスをお持ちしました」
いつも通り深夜零時に、僕は№101に入った。
「…………」
ソファーに座っているレンを確認して、安心した。
また、ソファーが空だったら……そんな恐怖が拭えなくて。
僕の不安なんて知るはずもなく、レンは相変わらず大股を広げてふんぞり返っていた。
「……今日は、オーダーがないかと思いました」
ワインクーラーとグラスをテーブルに置きながら、その眼をちらりと見た。
「───何でだ?」
「……何となく……」
なんとなく……僕を、敬遠するんじゃないかって、気がしたんだ。
「それでも僕は、……来るつもりでした」
「────」
レンが驚いた顔で、僕を見つめた。
「僕は──貴方のヘルプだから」
金色と明茶が、ゆらゆら煌めきながら入れ替わる双眸。
その目が、苦しそうに細められる。
「ワイン、開けますよ? ──僕は飲めませんけど……」
「……ああ」
「……今、老人は?」
扉を振り返らず、僕は訊いた。
「……薬で、眠らせている」
……やっぱり。
昨日、その単語を聞いて、何となくそう思っていた。
「いつも……お前が来る零時に寝込むように、一服盛っていた」
「…………」
「あの時、予想外に早く効き目が切れて……起き出したときは……」
ワイングラスを受け取ったレンは、顔を顰めて言葉を切った。
…………
「お前には…………知られたく、なかった」
やっと絞り出したような、掠れた声───。
「……知らなきゃ、僕はアンタを憎んだままだった」
睨み付けた僕の目に、同じようにキツイ目線で返してくる。
オープナーを片づけていた手首を掴まれて、強引に引っ張られた。
「…………!」
男の膝の間に、跪かされる。
「───制服が……!」
「うるせえ」
乱暴にカフスボタンを外すと、袖をまくり上げた。
「…………ッ!!」
───また、確認!?
ベストのチェーンとシャツのボタンも、外された。首と鎖骨を剥き出しにして、覗き込んでくる。
「……んっ」
鎖骨の下に噛みつくようなキス、強く吸われて、思わず声を上げた。両肩を掴まれていて、逃げられない。唇がそのまま胸の中心に降りていって、舌先がそこを舐め上げた。
「んっ……ぁあ……」
震えてしまう。
「……やだ……」
喘ぎながら、抗った。
───沈んだ顔なんか、見たくなかった。……コイツらしくない。
そう思って、ついレンを煽ってしまった───
けど……こんな急展開は……
「ん……ぁ……!」
腰に響く疼きが、頭まで痺れさせる……
いろいろ、訊きたいことがあったのに。
まだまだ得体が知れないコイツに、問い正したかったのに……!
スラックスの前だけ開けて、手を突っ込んできた。
「──あぁっ……」
既に反応している僕のそれは、完全に上を向いていた。
「ヤラシイな……お前」
鼻で笑われて唇を噛んだ。こういうとこ、意地悪だ……。真っ赤になって睨み付けると、顔が近づいてきた。
今度は唇にキス……舌を密着させながら、僕の身体はソファーに横たえられた。レンの片手が、スラックスとインナーを剥いでいく。
「ん……」
濃厚すぎるキスに、目が回った。
蠢く舌が、僕の口内を余すことなく自分のものにするように、絡んでは吸い上げる。
───え……
「……んんーっ!?」
レンの手が僕の屹立に触れた。包み込んで上下し出す。
──ちょ……
僕は焦った。僕だけこんなふうに、いきたくない……!
「やめろ! ……ヤダッ…!」
唇を振り解いて、目の前の顔に叫んだ。ぎらりと琥珀が煌めいた。
「あ…………!」
身体を下げたレンが、熱くなったそれを咥えてしまった。
「や……ヤダって言ってんのにッ……!」
生温かい感触を誤魔化したくて、その前髪を両手で掴んだ。グイグイと押すけど、離れない。
──あ……ぅあぁ……
舌先が先端の割れ目を嬲る、唇が全体を上下する……
「んっ!」
充分濡れてしまった後ろに、指が差し込まれた。
──あ……ぁああ……!
「やっ……レン……」
中に入ってきた異物が、内壁に刺激を与える。前と後ろを同時に高められた。
「…ぁ……はぁッ…」
手の動きに合わせて、無意識に脚が開いてしまう。腰が震えて、背中を仰け反らせて……
「…………ぁあっ!」
疼きが絶頂を迎えて、体中が震えた。
……………!!
僕はレンの咥内で、いかされてしまった。
「……はぁ……はぁ」
悔しくて、涙目で足元の男を睨み付けた。
「…………」
唇をぺろりと舐め上げてから、ニヤリと笑う。
「お前のその顔が、見たくて……」
「…………!!」
僕は真っ赤になった。
「…あ……悪趣味ッ!!」
また僕だけ下半身脱いでいて……もう、こんなの嫌なのに……!
「うぁ……」
もっと文句を言おうとしたら、頭ごと抱きすくめられた。
厚みのあるレンの身体に押さえ込まれて、ソファーとの隙間でジタバタした。
「……今日は、無事だったようだな」
「────!」
やっぱ、さっき確認したんだ……!
僕は、どうしょうもなくそれが悔しい。腹が立って、横っ腹を拳で殴った。
「それが何だよッ!? ……離せっ!!」
「──あと2、3日は、用心しろ」
────?
「今の今、すぐに左遷てわけには……いかなかった」
………なに…言ってんだ……?
抗うのをやめて、耳元の声に集中した。
「狩谷紀之……旧館の、ベルボーイ課チーフ」
「───えっ!?」
「“旧館の狩谷チーフは使えるから、あっちへ送ったらいい”」
…………………。
「そう上に助言しただけだ。一見、出世の移動──恨みが残らない方がいい」
──何だ……それ……
「なんで、チーフのこと……」
暗い光が、琥珀に灯った。
「ちょっと考えりゃ、わかるだろ。ベル課のチーフで、時間が自由になるヤツなんて」
……それは、そうかもしんないけど……それだけじゃない……左遷て…?
「今回は、“俺”が直接言ったからな」
また、ニヤリと口の端を上げる。
───織部財閥の……ひ孫……
朝倉マネージャーが教えてくれた情報が、蘇る。
「あんた……ウソついたね」
「……………」
「でなきゃ、なんか隠してる……」
誰……なんて、生易しいモンじゃない……
「───アンタ、何者なんだよ!?」
腕の中で、精一杯見上げた。
肘を張って、出来る限り身体を離して。
「何者に……見えるんだ?」
「…………!」
「俺は……お前の前では、見たまま全てだ……」
「─────ッ!!」
あの眼……。無感情に見下ろしてくる冷たい眼。でもこれは、あの眼だ……。
───哀しみを、奥底に湛えている……
独りで彷徨ってきた、寂しい瞳。
僕の本能が……もう一つのセンサーが、間違いないって言ってる。
シグナルは……青だ……
「………………」
僕は、レンにしがみついた。
胸に顔を埋めて、背中に腕を回して……
「レン……僕に、信じさせて……」
いつものコロンの香り、厚みのある胸、耳元で聴こえる…息遣い──
「何があっても驚かないから……全部、教えてよ……」
「……晃也」
──────!!
脳髄から、身体が痺れた。
「…………蓮……」
首を伸ばして、さっきより、もっともっと、上を向いて……
僕たちは、唇を重ねた。
お互いが離れられないような、抱擁とキス。
助けて……と発して。
寂しいと啼いて……。
僕は……レンが発する信号だけを、真実だと信じた。
背後に何があろうと、どんな人生だろうと、どんな凶暴性を持っていようと……
今、目の前にいる “蓮” が、啼いている。
それだけが真実なんだ。
僕にヘルプを求めた───孤独な魂……。
……僕が、助ける
……一緒に、この迷宮から抜け出すんだ……
唇が離れた。
「…………」
お互いに見つめ合う。
レンの唇が、ぎゅっと引き結ばれた気がした。
見届けないうちに、再び胸中に抱き込まれた。
「……俺が、織部一族なのは…本当らしい……」
………………。
「でも、ひ孫だとか、可愛がられてるなんてのは、アイツが作り上げた偽物だ。……名前もな」
「…………!!」
「俺は、本当の父親なんて、知らない。……アイツが調べ上げて、裏で動いていた」
レンの声は……他人の人生を、淡々と読み上げているみたいだった。
哀しいことも、辛いことも、既に通り過ぎたそこには、何もないように……。
「“織部一族の恥”として認知された俺は……同時に、アイツの弱みにもなった」
「…………」
「……愛人だからな……アイツの」
─────!!
「織部財閥に対して、賭をしたヤツは、めでたく俺のホテルでの位置付けと、付随する諸々の権利を手に入れたんだ」
「…賭け?」
「中埜御堂には一切関わりのない、別名義の一室借り上げだ。好都合にも、妾腹の存在で綾部本家を脅すことが、できた。事実を密する代わりに、俺に見せかけの地位と名前を…とな」
「…………」
「俺は、最初の5年は完全にヤツに囲われていた。一人では部屋からも出してもらえないくらいにな」
「その時、この部屋独特のルームサービスのルールが、出来上がった」
「…………?」
「基本、オーダー表は玄関横の、小さいボックスに入れておく。そこに書いてある通りのサービス遂行はもちろん、その一切を質問してはならない。……他言無用」
─────え?
「ボーイは、ただそこに置かれた紙の通りに、動くだけだ」
「……じゃあ、…塩崎さんは……」
「俺の書いたオーダー表を、爺さんのだと信じて……せっせとお前に渡している」
─────!!
なんだ……そういうことか……。
直接、手渡されているのだとばっか、思ってた。
それで、当の本人は……あの老人は、僕を知らなかったのか……
納得いって見上げた僕の頭を、大きな掌が撫でた。
「でも、いくら口外禁止と言った所で、いつか噂は立つだろう。爺さんはそれを恐れて、自分の周りから他人の気配を一切消したって訳さ……」
「…………」
朝倉マネージャーや塩崎さんが、№101には一人しかいないと信じて疑わないのは、日々運ばれる食事が、一人前より増えることは無いからだった。
「そして、個室を与えられた俺は、昼間はそこで執筆して、夜は毎晩、真夜中に通うことになった……」
…………!!
「───なんで逃げないのか」
「お前、そう訊いたよな」
「……………」
僕は無言で、頷いた。
「……織部側からも、命令が出ていた……」
─────?
不意に言葉を切った不自然さに、僕は顔を上げた。
「…………あっ?」
僕の両目を覆うように、掌が顔に当てられた。
「……見るな……聞かせるだけで、精一杯だ」
「…………」
「“爺さんの気を、惹き続けろ。……お前のカラダを、飽きさせるな”」
───────!?
「アイツの弱みである俺が、アイツに飽きられて捨てられるような事になったら──お互いのバランスが崩れてしまう」
「…………」
「この身体を使って、アイツを俺の虜に…させ続けろって、……そういうことだ」