夜もカエサナイ
 
5.
 
「千尋、誕生日おめでとう」
 
 
 あの病院事件があった二日後の晩、ケーキを持ったまま、後ろから抱き締めた。
「ひゃぁ……、え? ……ぇえええッ!?」
 台所に立っていた千尋は、帰るなり抱きついてきた俺にビックリして、その言葉にもう一度ビックリした。
 
「これ、バースデーケーキ」
 
 目の前にぶら下がる白い箱を両手で受け取ると、首だけ振り向けて、俺を仰ぎ見た。
「……徹平さん」
 煌めき出す瞳に、微笑みかけた。
「2月は過ぎちまったけど、やろうって言ってたろ?」
「はい~……でも、こんな急に……」 
「本当は昨日がよかったんだ。けど、プレゼント探すのに手間取った」
「……プレゼント?」
 無邪気な輝きが、笑顔に交じる。
「はは、後でと思ったけど、今渡すわ」
 
 俺は用意しておいた小さな包みを二つ、隣りの部屋から持ってきて、千尋の手のひらに握らせた。
 一つはとっても小さい。
 もう一つも片手で握れる。
 
「…………」
 千尋は手の中の包みを、俯いてじっと見つめていた。
 
 だいぶ暖かくはなったけれど、まだまだ寒い。
 千尋は暖かそうなモスグリーンのセーターに身をくるみ、濃紺のデニムパンツ。それと、モコモコスリッパ。
 俺はと言えば、まだ着替えてもいず、紺青のスーツに、黒のロングコート。
 歳が近いとは思えないくらい、俺らの格好にはギャップがあって。
 台所なんかで立ち尽くして、こんな誕生パーティーもないもんだと、内心苦笑いだった。
「ごめんな。特別な誕生パーティーにしてやりたかったけど、ちと急いだからな」
「え?」
「……何でもねぇよ、早く開けろ!」
「は…はいっ!」
 
 
「あっ……これ……」
 
 
 先に開けたのは、小さい方だった。
 白い包装紙の中から、メタリックグリーンが顔を出す。
「緑色の鍵……。約束だったからな。……探したんだぞ」
「…………」
 
 真新しいそれは、キズ一つ無く輝いている。
 
「うそ……うそみたいです………これが、目の前にあるなんて……」
 
 薄茶色の双眸に輝くグリーンを映して、言葉を詰まらせた。
「……貸してみ」
 緑色の鍵を受け取ると、千尋の首に掛かっていたシルバーチェーンも外した。
「ほれ、あっち向け」
 銀の鍵と付け替えて、もう一度首に掛けてやる。
 後ろから手を回して、目の前でゆっくり降ろしながら……
 胸に納まった、メタリックグリーン。
「…………」
 無言で見つめる千尋を、そのまま抱き締めた。
「嘘みたいだな……ほんとに、あの時のままだ」
「……はい」
 
 俺たちが居た空間……
 事故ったあの日が繰り返しエンドレスで……そこに迷い込んでいた。
 自分たちで強引に季節を動かし、春を呼び、夏を呼び……
 その中で、千尋はこの鍵を大事に大事に、していたんだ。
 
「ボク、絶対……失くしません」
「……お前の絶対なんて、信用しない!」
「えっ!」
「だから、これはスペア。……これも大事にしとけ」
「……ハイ!」
 さっきまで首に掛かっていた、銀色の鍵を千尋に握らせた。
「もうお前を、閉め出したりしたくない」
「……徹平さん」
 嬉しそうに、顔を振り向けて、瞳をキラキラさせる。
(こんな顔、出来なかったのにな…)
 上から逆さにキスをしてやった。
 
「こっちも、……開けてみ」
 後ろから抱き締めたまま、促した。
「はい~!」
 嬉しそうにさっきのよりは大きめの包みを開けて、えっ! と眉をひそめた。
「……徹平さん…これ」
「ゴメン。千尋はイヤかもしんないけど……それは、俺のエゴ」
「…………」
「俺、スッゲー後悔したんだ。もう、お前の顔、誰にも見せたくない」
 千尋の手から、それを奪い、折りたたんであったツルを広げた。
 ダサイ細長型の、四角い眼鏡。
 今までの丸いのなんか今時売ってないし、同じのは俺が嫌だった。
「こんなのしかなくて……でも、イケてんのは、目立っちまうだろ」
「…………」
「お前を拘束することになるし、嫌なこと思い出させてしまうと思う……」
「…………」
「でも、無防備にさせておけない」
 バカバカしい拘束だとは、思う。
 だけど、その点だけは、アイツの気持ちが解ってしまった。
 ……ヒデノリだって、コイツが大切だったんだ。
 独り占めしていたかったんだ。 
 
「お前が嫌ならいい」
「…………」
「こんなのしなくったって、危険な目に遭わなきゃ、それでいいんだ」
「…………」
 一言も、何も言わない。
 千尋は俯いたまま、ずっと目の前に掲げられたそれを見つめていた。
 
 
「────」
 ふう、と溜息をついて、俺は眼鏡を折りたたんだ。
 
「やめやめ! ごめんな! コレは無しだ!」
 スーツのポケットに押し込んで、左手で千尋の頭をクシャクシャにした。
 右腕で、ぎゅうっと身体を抱き締めてくるみ込んだ。
「……俺、どうかしてた。ごめんな」
 耳元で囁いて、この話題はヤメにした。
 
「メシ作ってる途中だったな、すまん。俺、着替えてくるわ」
「………はい」
 身体を離すとき、小首を傾げて俺にふと笑いかけた。
 その微笑みは、あの心の入らない諦めきった顔に見えた。
 
 
 
「……徹平さん」
「ん?」
 北側の一番小さい部屋を、荷物置き場にしていた。
 衣装持ちでない俺たちには、備え付けのクローゼットで充分間に合っていた。そこにコートを引っかけようと苦労していると、千尋が入ってきた。
「すみません。ご飯、煮込みモノが、もうちょっとかかるので……」
 言いながら近寄ってきて、コートを俺の手から請け負い、丁寧にハンガーに掛けた。
「先にシャワー浴びてください」
 こっちに向き合うと、ネクタイをするりと抜いて、シャツのボタンも外し始める。
「…………」
 右手が上手く使えないから、今朝もスーツを着せてくれていた。何も頼んでいないのに、自然にそういうことをやる。
「……ああ。いいけど」
「こっち、濡らしちゃまずいですから、ビニールかけますよ」
 シャツの袖から腕を抜くと、昨日と同じく包帯の右手にスーパーのレジ袋を被せた。
「はい、行きましょう」
 俺をアンダーシャツとボクサーパンツだけの姿にさせて、背中を押した。
 
「万歳してください」
 脱衣所で上を脱がせて、次にボクサーに手を掛けた。
「お、おい。……いいよ。自分で脱ぐ」
 何となく恥ずかしくなって、手を払ってしまった。
 それはまるで他人の、介護士か何かのようで……
 あの優しい雰囲気を纏った、千尋の手ではない気がした。
「ダメですよ~。こんなの引っ張って脱ぐのだって、力が要ります」
 言葉は、変わらない千尋なのに。
 俺の腰元に跪いて、両手をボクサーのゴムの端に添えた。
 ロゴ入りの太いゴムを外側に広げながら、下げていく。
「…………」
 俺の逸物が現れたとき、一瞬手を止めた。それはまるっきり反応していなかった。
 すぐにそのまま下ろして、何事もないように脱がせた。
「ボクが洗います……徹平さんは座っていてください」
 そう言いながら、顔を股間へ寄せてきた。
(───えっ!?)
 俺の萎えているブツに、唇を這わせる。
「おい……千尋!?」
 突っ立っている俺に腕をまわし、腰にしがみつく様にして、フェラを始めた。
(…………!!)
 柔らかい咥内に全てを含み、舌先で先端を舐め回す。時々吸い上げては、上あごと舌面で挟んで転がす。
 
「いいって! やめろ」
 
 千尋の頭に手を当てて、強引に引き剥がした。
 千尋の口から外れたそれは、少しボッキしていた。
(……情けねぇ…俺)
 
「こんなこと、俺はちっとも嬉しくない!」
 跪いたままの目線に遭わせて、俺もしゃがんだ。
「だって……」
「なに?」
 放心したような顔は、目が潤みだしていた。
「徹平さん…勃ってない……」
「は?」
「ボクのせいで……」
 ポロポロと泣きだした。
「ったく!」
 顔を胸に押し当てるように、抱き締めた。
「それが俺のデフォルトみたいに、言うな!」
「……ボクの前では……いつもそうですぅ」
 胸の中で、もごもご言う。
 
「……お前は、自分の価値が解ってないなぁ」
「……?」
「こんなテクが上手いから、いいんじゃない」
「………」
「メシ作るのが上手いから、好きなんじゃない!」
「………」
「お前が笑顔なら、それだけで俺はいっつも勃ってんだよ!」
「……!」
「お前が嫌なら、あんな眼鏡、もういいんだ」
「──────」
 腕の中で、頬を紅くさせた千尋が上を向いた。
 
「すまん…悪かったよ───お前のそんなカオ───俺は……眼鏡じゃなくたって、帽子とか…他になんかあっただろうに…」
 
「──────」
 
「だ・か・ら、俺のせいで、お前から笑顔が消えたから、反省してんだ! ココも!」
 下を指さして、目を丸くしてる顔に睨み付けた。
「言わせんな、そんなこと!」
「……徹平さん」
 ポロポロと、泣き続けている。
「わかったら、もう気にするな! ケーキ美味しく食べような?」
 軽く唇にキスをして、笑ってやった。
「うん……ボク…どうしていいか、わからなくて……」
 また胸に顔を埋めた。
「せっかく徹平さんが誕生日って……なのに……」
 俺は小刻みに震えている頭を、撫でていっそう抱き締めた。
 先にシャワーなんて……今のフェラも……。
 不器用なコイツなりの、精一杯か。
 あの空気のままじゃ、楽しくパーティーってわけには、いかなかったもんな。
 
「………千尋」
 あんなタイミングで渡した俺が、やっぱ馬鹿だった。
 再度反省を、口にしようとしたとき、
 
(……ん?)
 胸の辺りが、くすぐったい。
 なんかぬめった温かいモノが這い回りはじめて……
「お……、おまっ!」
 慌てて千尋を引き剥がした。
 俺の乳首を舐めやがった!
「徹平さん、硬くなってます~」
 舌先で唇をなめ上げながら、嬉しそうに微笑む。
(─────!!)
「寒いからだ! ボケッ!!」
 
 実際には下もデカくなってて、大バレだったが。
 千尋は嬉しそうに、そこも丁寧に洗った。
「ボクの徹平さん、復活~」
 なんて、言いながら。
 
 夕食は普段通りに食べて、食後にケーキとロウソクで雰囲気を出した。
「おっさんにも、祝ってもらわなきゃな」
「はい~!」
 あの写真もテーブルに置いた。普段はテレビ台のローボードの上に飾ってある。
「徹平さん、さっきの眼鏡……もう一度、ボクにください」
 照明を落とした、仄かにオレンジの灯りの中で、千尋が笑顔を向けた。
「……いいのか?」
「はい……ボクも、反省したんです」
 悲しげに眉を寄せて、俯いた。
「だって、徹平さんがくれる物なんです。…それは、絶対に過去に戻るモノでは……有り得ないんです」
「……千尋」
「こんなこといつも気にしてたら、ボク、嫌われてしまいますぅ……」
 また悲しげに微笑んだ。
 ローソクの揺らめく灯りの中で、それは妙に儚げに見えた。
(…………)
「さっき萎えていた俺のブツが、よっぽどショックだったのか?」
「!!! えぇ~っ! …ちっ……違いますぅ~!!」
 目を見開いて、顔を真っ赤にした。
 ちょっとズレたことを言って、笑わせようと思ったんだが。……図星か?
 
「んじゃ、改めて。23歳おめでとう」
「……ありがとうございますぅ」
 持ってきた眼鏡を両手で受け取ると、下を向いてそれをはめた。
 ゆっくりと顔を持ち上げる。
「……どうですかぁ?」
 眉をハの字にして、上目遣いで俺を見る。
 
(か……かわいい)
 ──失敗か?
 あの丸眼鏡のときの野暮ったさが、出ない……
 
「……」
 俺が言葉を詰まらせていると、泣きそうな顔になった。
「……似合わないですかぁ?」
「あ、いや…似合っちゃ困るんだ、本当は……」
「?」
 小首を傾げる仕草が、また可愛い……
「つ…使いづらかったら、取り換えるからな! ちゃんと言えよ!」
「はい!」
 ──クッソー、ガラにもなくしどろもどろだ! 情け無ぇ、俺ッ!
「……千尋」
 手を伸ばして、頭を引き寄せた。
 向かい合ったテーブル席でお互いに身を乗り出して、キスをした。
「あ……写真」
「こんぐらい、見せてヤレ」
 伏せようとした千尋の手を掴んでもう一度唇を重ねた。
 今度はディープキス。
 どうせ毎日、これぐらいは見せてる……
 
 その後は電気を点けて、ケーキを食べて、俺の時間だった。
「さあ、お返しプレゼントをくれ!」
 千尋を横抱きに、抱え上げた。
「えっ!」
 驚いて、腕の中で暴れ出した。
「ダメですよ! 運動は禁止だって……!」
 生きのいい魚を抱える様に、俺はそれを押さえ付けた。
「今更、何言ってやがる!」
 昨日と同じコトを言って、お姫様抱っこしたまま、千尋を寝室まで連れて行った。
 
 俺のベッドに寝かせると、上から見下ろして顔を近づけた。
「俺が勃起してない方が、いいか?」
「………」
 頬を真っ赤にさせて、首を横に振った。
「んじゃ、しょうがねぇよな」
 軽いキスをした。
「この身体で、責任取ってくれ」
「……はい」
 潤んだ目になって、俺の寝間着のボタンを外し始めた。
 上半身裸になったところで、俺は手伝っていたその両手首を捕まえた。
 
「この手は、封じる!」
「えぇっ!?」
 


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