僕のお仕事 index/novel
5.睦月さん 2 1.2.3.
1
「君が好きだよ、巽君………」
瞠目して鳶色の瞳を見返す。
「君の声、身体、仕草が堪らなく愛しい。その心さえも、ぼくは欲しい」
ベッドの脇から半身を乗り上げて、横になったままの僕を頭ごと抱え込む。
「君の総てをこうやって抱え込んで、この手の中だけで……ぼくだけに笑って欲しい。ぼくが与える快楽だけに、悦びを感じて欲しい」
「…………」
「昨日一晩、そう思って君を抱き締めていたんだ。無防備な君は、ずっとぼくの中に居てくれた」
白いシャツと喉元、それ以外見えないほど抱え込まれて。
睦月さんの吐息がかかる。
…………熱い。
睦月さんの鼓動が聞こえる。
僕の心臓も高鳴る。
唇が耳たぶに押し当てられた。耳が灼ける。
「巽くん……」
ビクンと肩が震えた。
睦月さん…、睦月さん……僕は………!
僕は目を瞑って、体を硬くした。
ふう……、とため息が聞こえた。
「でもね、それはいけないことなんだ」
腕をゆっくりと放す。
熱い熱に包まれていた僕は、部屋の冷気に冷まされていった。
悲しそうな瞳で僕を覗きこむ。
「君の意思を無視して、ぼくだけの我侭で、そんなことは許されない。………それに、そんなことがバレたら、ここをクビになってしまうからね」
長い睫毛が濃い影を作って、切なく揺れた。失敗した微笑。
「ぼくは、こんな性格だから、言わずにはいられなかった。自分も、相手にも、はっきりしていて欲しい。密かに想うなんて、嫌いなんだ」
頭を優しく撫でられて、僕は辛かった。
だって僕は……。
僕も悲しい顔をしていたのだろう。
頬を両手で挟まれた。
「そんな顔しないの」
にっこり笑ってくれる。
「ぼくが君に付いてる間は、君はぼくのもの……」
はっとして、目線を合わせる。
「それは、嫌?」
優しい笑顔。ちょっと困ったように眉を寄せる。
僕は頭の中がぐるぐるしたけど、やがて首を横に振った。
「………嫌じゃ……ない」
眼が完全に細められて、愁眉が開かれた。
「そう、良かった」
ほっとしたように呟く。
「その間はぼくだけを、見てね。そしてもし、その間にぼくが君の一番になれたら、その時は教えてね。………ぼくは、ものすごく気が長いんだ。いつまでも待ってる」
髪を撫でてくれながら、ふっと、微笑む。
「それまでは、この事は他の人には内緒、ね。だけど、ぼくが君を好きなこと……それを忘れないでいて」
その日から数日間は、僕はまともに歩けなくて、仕事にならなかった。
起きられるようになると、社長に事務を手伝わされた。
「睦月が心配してるわよ。凄い反省してる」
「はあ……」
パソコンの前で、ボンヤリ答えた。
僕が回復するまで、ずっと面倒を見てくれた。
でも、あの熱い抱擁は、あの時限りだった。
君がすき……そんな熱っぽい視線も、もう送ってこない。
あの優しい口づけも、もう無い。
口づけ……。
光輝さんのキスは、いつも貪るように僕を吸い上げてきた。睦月さんとは、正反対だ。
僕は時々、あの時の最後の痛いキスを思い出した。
睦月さんは僕を好きだと言って、キスをくれる。
……光輝さんは?
僕を吸い尽くしてしまうような、激しいキス。
なぜあんなキスをしたの…… その心裏を知りたかった。
僕は複雑に絡み合う心を、持て余していた。
「ところで、巽君。これはないんじゃないの」
苦々しい顔で、一枚のレポートをひらひらさせる。
僕が今回提出したやつだ。
「しょっぱなから、随分がんばったものね。それはいいんだけど、でもここ。”アナルスティックは、内臓を掴んで洗濯板にこすり付ける感じ”…なにこれ」
社長は苦笑して、その後声を上げて笑い出した。
僕も一緒に笑ってしまった。あの時はほんとにそう思ったんだから。
「でも、こっちはいいわね。”スティックの長さが気になる。慣れてる人はいいけれど、下手をしたら内蔵が危ない”」
ふう、と息をつく。
「そうなのよね。刺激を求めすぎて、ついつい行き過ぎになりがち。そこら辺の安全対策はとても気を使っているのよ。でも使う側が無茶して規定を守んない場合が困るのよね……」
思案顔で、唇に人差し指を当てた。
僕は、レポートの感想をきちんと教えてくれる社長に、心で頭を下げた。
………睦月さんにも。
── 良いも悪いも、言わなければ伝わらない。遣り甲斐がない。──
本当に、その通りだと思った。
1週間後、僕は全快して、改めて睦月さんと個室で会った。
「……よろしく……お願いします」
上目遣いで、睦月さんを見る。頬が赤くなってしまう。
相変わらず綺麗で、ドキドキした。
今日は、首が折り返してあるハイネックのセーター。クリーム色のそれはふんわりと暖かそうで、よく似合う。
すらりとした脚は、キャメルカラーのデニムパンツ。
「どうしたの?」
ふと、微笑んで首を傾げる。
「……睦月さんは、いいなあ。背が高くて」
「そう? 君もそんなに小さくは、ないんじゃない?」
「165cm。特別小さくはないけど……」
もっと高い方が、かっこいい。180はありそうな睦月さんを見上げる。
「……睦月さんくらいあると……脚が長くて、かっこいい」
「………!」
噴き出して、僕の頭を胸にくっ付けるように引き寄せた。
「君みたいに目のデッカイ、カッコいいお兄さんはやだなあ」
笑いながら、僕の頬を押さえて覗きこむ。
「今の君が、一番いいと思うよ。可愛い」
ぽん、と頭に手を置いて、ベッドの向こう側、サイドボードへ歩いていった。
”今の君で………”
ぽわん、としながらその言葉を反芻していて、思い出してしまった。
響くバリトン。
”それも含めて、全部可愛い”
またチクリと胸が痛んだ。
僕はどうしたいのだろう。
この気持ちは、本当はなんなのか。
睦月さんに告白された時、僕の頭には光輝さんがいた。
光輝さんがいるから、睦月さんには応えられない。……そう思った。
僕は……光輝さんが、好きなの?
でも、僕は光輝さんの何を知って、どこが好きなのか……。
会うと怖くなる。
怒らせて、後悔させてしまう自分が、いつか本当に嫌われてしまいそうで。
僕はただ、あのカッコよくて素敵な笑顔を見ていたい。
僕にもあの笑顔を保っていてほしいだけなのに……。
……だから、逃げた。
自分から、光輝さんの前から姿を消した。
それがよかったのか、悪かったのかなんてわからない。
少なくとも、まだ同じ会社にいれてるってことが、僕を光輝さんと繋いでいた。
ぼんやりと、ベッドの向こうに立っている背中が、視界に映る。
サイドボードに向って、じっと動かないでいる睦月さんが。その背中がやけに、細い。
………いけない。睦月さんの前で落ち込んじゃ。
ハタと気づいて、睦月さんの隣まで走って近寄る。
「何、見てるんですか?」
睦月さんは、何かを並べて、う~ん、と思案していた。
僕は覗き込んでぎょっとした。
この間とは明らかに違う分野の、どぎついモノがサイドボードに並んでいた。
「ん? そうだねぇ、巽君、どれがいい?」
お菓子でも選ぶように聞いてくる。
僕は眼を白黒させながら、もう一回見た。
ひゃー……これ、どうすんだろ?
カタログに載っていないようなものもいくつかある。
「これ……は?」
ものすごくシンプルな物に気が付いた。
長さ2cm、直径3cmくらいの筒状のリング。透明なシリコンみたいだ。
「これ? これかあ」
摘み上げて、意味ありげに笑う。
「巽君が、物凄く喜ぶか、いらないって言うか……どっちだろう?」
悪戯っぽい眼をして、僕を見てくる。
「わ……わかりませんよ。それが何か知らないんだから!」
どきどきして、突き放す。
「そうだよね。じゃあこれと。もう一つは?」
「えっ、まだ選ぶんですか?」
ぎょっとして、睦月さんを仰ぎ見る。
さっきのが何かわかんないけど、そんなに色々するんだろうか。
こないだは、あれ1本で僕は壊れちゃったのに。
蒼白になりながら、またもや一つの物が眼に留まる。
これもシンプルだなぁ。
まるで、ガラスで作られた雨樋。細竹を縦に割っただけみたいな30cm位の長い半円の棒。
クリスタルのように全体が透き通って、固くて冷たそうだ。
円の内側は、前面きらきら乱反射して、どうなっているのかよくわかんない。
手に取ろうしたら、さきに睦月さんが拾い上げた。
「あ……」
「これね、わかった。相変わらず、良いチョイス」
柔らかに笑って、枕元にそれらを置いた。
「さ、おいで」
ベッドに僕を導く。