chapter6. alternate guardian -守護る者-
1. 2. 3. 4.
2
声を失った天野……
「そのうち、治るよ」
桜庭先生は、そう言ってくれた。俺もそう願う。
その事件のショックのせいか、天野はそれ以来、克にいのことで取り乱さなくなった。
黙って俺の後をくっついて歩く。
喋れないから、黙ってるのは当たり前だけど……俺に懐いたみたいで、妙に可愛かった。
半月前に、天野に勢いでキスをしてしまった。
あのことを、俺自身、まだよく理解していない。
それ以来、俺の中で整理出来ない感情がいくつかできてしまった。
俺はそれを持て余す。
……一人じゃ解決出来ないことばかりで。
でも今はとりあえず、天野は俺の横にいる。それだけでも嬉しかった。
あとは、最近頻繁になった“貧血”が気になっていた。そんなので天野が倒れた事は、今まで一度だって無かった。
バリバリ元気ってわけじゃないけど、病弱じゃないはずだ。そこらへんは、克にいも俺と同じ意見みたいだった。
天野に聞いてみても、首を横に振るだけ……。
目の前で倒れるのを見たことがないから、実感が湧かない。話しを聞くたびに、後味の悪い妙な感じが、いつも残っていた。
「……天野!?」
昼休みの保健室。
隅っこの洗面台でうがいをしていた天野が、コップを落っことした。
その音で、俺は気がついた。走って近づく。その間にも、天野は膝をついて床に倒れ込んでいた。
「……っ、天野!!」
俺は身体を揺さぶろうとした。桜庭先生が、片腕でそれを制し、天野の顔を覗き込む。
「……いつもの貧血かな。ベッドに運ぶよ」
「………」
初めて見た。……あんな風に倒れ込むなんて。
あんな急に……。
掬い上げた天野を、ベッドに寝かせる。上履きを脱がせてる間も、ぐったりと動かない。
「起こさない方がいいから、このままにしておくね。丈太郎はもう戻りなさい。授業が始まるよ」
そっと、布団を掛けながら、静かに俺に言った。
「……はい。天野を……よろしくお願いします」
心配で離れたくなかったけど、しょうがない。俺は一人で教室に戻った。
午後の授業が終わった頃、天野は戻ってきた。
………なんか、顔色がおかしい。
「……天野?」
伏せている顔を覗き込んでも、俺と目を合わせようとしない。
……また、克にいを思い出しているのかな。俺は単純に、そう思ってしまった。
次の日も、天野が一人で保健室にいる間、俺は教室で待っていた。
今日は、声が戻るかな……。そんなことを期待して。でも、今日は妙に遅い。
俺には関係ないから、なんて、桜庭先生には追っ払われたけど、……関係なくはないぞ。外で待ってるくらい、いいだろ。そう思って、一階の保健室に向かった。
「───!!」
……平林!?
階段を下りて廊下に出ると、向こうの方で天野を吊し上げている男が目に入った。
……あの馬鹿、なにやってんだ! また、天野にちょっかい出しやがって!!
平林には、今まで散々釘を刺した。天野にだけじゃない、いろんなヤツに暴力を振るっていたからだ。俺が駆けつけると、平林は逃げていった。
「天野! 大丈夫だったか!?」
へたり込んでいる天野の身体を支えた。
俺を見上げて、無事を知らせる天野。にっこり笑って、首を横に振る。
────うわっ……!?
俺は、その姿に………目を奪われてしまった。
頬や、唇が紅い。目元まで、薄いピンク色で。
真っ白い顔に差したその紅色は、今までも俺を時々どきっとさせていた表情の、何倍も色っぽかった。
そして、その表情を、更に引き立たせているのが、着ているシャツ……。
ボタンが外れていて、普段よりかなり胸がはだけている。
首筋、鎖骨、薄い胸筋のライン。真っ白な天野の肌が、所々、ピンクに染まっている。
───なんだ? ……なんでボタン、こんなに開けてんだ?
本当に、平林のやつ、何にもしてないのか?
俺があんまりジロジロ見たもんだから、天野が不可解な視線を向けてきた。
「────ッ!」
なに……なに見とれてんだ、俺。これじゃ、あの平林と変わりないじゃないか!
「……大丈夫……だったんだな? なにも、されてないな?」
焦りをごまかして、念を押して訊いてみた。情けないほど、声が掠れた。
頷く天野の表情から、今特に何かされたような危機感は無かった。俺はホッとした。
───平林は本当に、タチが悪い。関わらないに限るんだ。
期待してた天野の声は、まだ戻っていなかった。
立ち上がった時、目を背けて、ボタンを留めてやった。こんな格好、いつまでも見せられていたら、堪らない。
何故こんなトコがはずれているのか、聞く余裕は無かった。
“克にいが、帰ってこない。”
………それは、よくよく考えてみると、克にいが、天野を手放したと言うことなのだろうか。
天野を束縛していた、いろいろなことが、もう無い。
帰りは待たなくていい。
寄り道が出来る。
……俺と遊べる……。
───そういうことだ。
天野が保健室に行ってる間に、俺は教室でひとり、ぼんやりと考えていた。
───もし、本当にそうなら、……それはそれで、凄いことだと思った。
“待つ”んじゃない。
“いない”世界を、改めて実感した。
克にいのいない世界で、天野は……天野と俺は……どうなっていくんだろう…。
今日はもう、天野の声が出なくなって、4日目だった。
俺んち、来ないかな……。
昨日誘ってみたけど、駄目だった。
………あんな部屋、居ない方がいいのに。
俺は、天野の部屋を思い出した。
部屋の殆どがダブルベッドに占領されていた。広いシーツの海、青い掛け布団の波。
……あんな白と青だけの世界で、天野は毎日毎日、克にいと一緒に過ごしてたんだ。
───10年間。………長い長い間、二人だけで積み重ねてきた歴史が、思い出が、あそこにはある……。
俺は、またシャツの上から、心臓を掴んだ。
───とても、勝てるもんじゃない!
克にいが天野を抱き寄せる。
天野が頬をくっつける。
……安心しきっている、天野の笑顔。
二人の密着度は異常だった。俺は、見せ付けられる度に、胸が痛んだ。
天野は……克にいにしか、懐かない。そんなふうに、天野を育てておいて……
俺もやっぱり信じ切れない。克にいが、天野より自分を優先するなんて。
──克にいは………いったい、どこに行っちまったんだ……。