chapter6. alternate guardian -守護る者-
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「…………」
うっすら、目を開けた様だった。
俺はその目を覗き込む。
ベッドの横で膝を付いて、ずっと動かない天野を見つめていた。
勝手に家に上がり込んで、天野を背負って運び、ベッドに寝かせていた。
「…………」
意識は……あるのだろうか。
半分開いた瞼の奧で、瞳を左右に動かしている。
だんだん焦点が合ってきた…茶色い澄んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見た。
………天野。
声が掠れて、呼べなかった。
その、大きな目がゆっくり細められる。口元も、左右にひき上がっていく。
……華やかな笑顔が生み出された。
「───克にぃ、おはよー」
俺は天野の部屋の外で、ドアに寄りかかって蹲っていた。
膝を抱えて、額をそこに付ける………途方に暮れていた。
───天野は、錯乱している───
俺を克にいと間違えていて……克にいが帰って来ないことすら、忘れている。
今の天野に、辛い現実はどこにも存在しない。今までのは夢で、やっと起きたかのような、そんな目つきだった。
俺は自分の唇を、指で触った。
天野の感触……。
「克にぃ……」
目を覚ました天野は、微笑みながら、俺に両腕を差し出してきた。
上に屈み込んでいた俺の首に腕を巻き付けると、ほっぺたをくっつけた。
……うわ……
密着する、頬と頬。温かくて柔らかい。ふわふわな髪の毛も、顔にくすぐったい。
「……………」
俺は身動ぎもせず、声一つ出せない。
「ん…克にぃ……いつもの……」
そう言うと、天野は頬をずらして、唇を合わせてきた。
「─────!」
天野の舌が、俺の中に入ってきた。
「……ん」
俺は思わず、その舌を自分の舌で絡め取った。優しく吸い上げる。
「んん~」
目を細めて、可愛い声を出す。
喜んでいるのか?
「ん、……」
でも、天野の舌は絶妙に動いて、誘導しているはずの俺の舌で、遊びだした。
───天野……なんてキス、するんだ…!
身体の芯が熱くなってくる。
克にいと、毎朝こんな……?
そう思い至ったとたん、いたたまれなくなった。さりげなく、唇を剥がした。
「……克にぃ…?」
「……まだ、夜だよ。もっと眠ろう」
「……うん」
絡みつく腕も解いて、布団に収めてやる。
瞑った目が開かないように、髪の毛をそっと梳く。前髪に指を櫛のように入れて、後ろに流してやる。
天野は気持ちよさそうに、また眠りに落ちていった。
暫くそうしていた。
それから、俺は部屋を逃げ出して、外の廊下にドアを背にして座り込んだ。
「……………」
今度は怖くなってしまったんだ。天野の目に映ることが。
だって……真っ直ぐ俺を見て、嬉しそうに言った。
『克にぃ……』
あんな目で、……あんな声で。あいつは克にいに、甘えるんだ。
毎朝、あんなことしてたんだ。
どんどん見えてくる、二人の生活。
見せ付けられる。どれだけ、くっついていたか。
俺が知ってる学校での、天野なんて……ほんの一部だった。
それに打ちのめされていた。
───克にいの、あの自信。今なら、わかる気がする。
天野が選んでいるのだから。この態度の差で、それは歴然としていた。
胸が苦しくて痛い。
どこまで行ったって、克にいに追いつけやしない。……天野は、俺を見ない。
蹲ったまま、動けなかった。
ごとん。
室内で、何かが落ちるような音がした。
「……天野!?」
慌てて立って、中に入る。布団を身体に巻き付けた天野が、ベッドの脇に倒れていた。
「だ……大丈夫か!?」
「───こないで!」
助け起こそうとした俺に、天野が鋭く言った。驚いて天野の顔を見つめる。
「……きりしまくん」
俺を見返して、天野は小さくそう言った。
……俺がわかるのか…。
「天野……」
「……ごめんね、今は…ちょっと……触れないで」
顔を横に振る。
目から大粒の涙が零れた。身体に巻き付けた布団の端を、震える手が掴んでいる。
───全部、思い出して……
自分がどうなったか、思い出してしまったのか。
「天野!」
「──っ!!」
全身を硬直させて、天野の身体は凍り付いた。俺はそれでも構わず、抱きしめる腕に力を込めた。肝心な時にまた、側に居てやらなかった!
一人で泣かせやしない。
天野の痛み、俺もわかりたい、俺が癒したいんだ……。
天野は、俺の腕の中でそれ以上暴れることはなかった。抱きしめられたまま、身体を震わせてずっと涙だけ流していた。
俺たちは、天野の声が戻ったことを確認しあうことさえ、忘れていた。
天野は泣き疲れたように、また眠ってしまった。身体をベッドに抱え上げなおすと、布団を首まできちんと掛けた。
───天野を一人にしたくないな……。
寝顔を見ながら、そう思う。
出来ることなら、ここに泊まり込むとか、天野を俺の家に連れて行くとか、したかった。
一人で目覚めさせて、一人で泣かせたくなかった。
階下に降りると、いつの間にか帰っていた天野の母さんがキッチンにいた。
俺は、天野の具合が悪いから、明日学校を休ませるのと、俺が泊まり込んでいいかを聞いてみた。
天野の母さんは、目を見開いて驚いていたけど、最後はにっこり微笑んでくれた。
「恵にも、貴方みたいなお友達がいたのね……よかった」
俺はどきどきして、その顔を見ていた。
天野が口紅を付けたら、こんな顔になるのかな……なんて思ったりもして。
その晩の天野は、ちょっと起きてはすぐ眠ってを繰り返して、殆ど意識がなかった。
翌日、学校が終わった俺は急いで校門を出た。自分の荷物を取りに、一回戻んなきゃならない。
今にも雨が降りそうな空が、気を焦らせる。
───降る前に、天野んちに着きたいなあ。
空を見上げながら、学校横の近道に足を踏み入れた。細くて暗くて見通しが悪いから、通学路に指定されていない。
物騒だから通っちゃだめだと言われている、裏道だった。
「────!!」
───えっ!?
そこには……克にいがいた。
「……………」
俺は、声も出せずに、立ち尽くした。
克にいは、見たこともない明るい雰囲気の派手目のシャツを着て、そこらへんの軟派なお兄さんみたいだった。
それに、もの凄い痩せていた。顔がやつれて別人みたいだ。
だから……、一瞬わからなかった。
でも…道ばたの植え込みに蹲って、じっと動かない。……そのシルエットは見覚えが、あった。
「かつにい!?」
半月前、交差点で見かけた時の克にいも、こんな風に塀によりかかって動けないでいた。
「……霧島」
顔だけ上げて、俺を見た。
「…………」
二人ともそれ以上何も言わない。
俺が握り拳を振るわせて、凝視していると、克にいが辛そうに口を開いた。
ただ一言……。
「……恵は?」
「─────っ!!」
俺の頭の中で、何かがぶち切れた。
拘束するだけしといて、何日もいなくなって、天野がおかしくなっちゃって。
自分だって、どう見ても普通じゃないくせに!
「何してたんだよ! ──こんな大事な時に!」
考えるよりさきに、口が動いていた。
「そんな心配……俺に訊くぐらいなら、天野の所に、早く戻ったらどうですか!!!」
天野、大変な目に遭ってるのに!
誰のせいだよ!!
──帰ってきた!!
あまりに急な克にいの姿に、俺はいろいろがいっせいにごちゃごちゃになった。
でも何よりも、怒りが込み上げる。
「なんでいきなり、いなくなったりしたんですか!? 天野……どれだけ……ッ」
興奮しすぎて、喉が詰まった。
咳き込みながら克にいを見て、ますます言葉がつまった。
「────────」
怒り。
眉を吊り上げて、睨みつけてくる。
「………うるせぇ」
舌打ちと一緒に聞こえたそれは、ぞっとするほど低い、歯の隙間からすり潰すみたいな声だった。
────うるせえって……、そんな言い方!
やっぱ、いつもの横柄な克にいだ!
「せ、説明くらい……、なんかあるだろ!?」
迫力にちょっと負けそうになったけど、俺だって負けない。怒りにまかせて、声を出した。
でもそれっきり。
「……………」
苦しそうに息をして、睨み見上げてはくるけれど、何も言わない。
一瞬恐かった眼光も、直ぐに消えてしまった。言い返しも、説明もしてくれないで、ただ俺を見る。
服が違うし、やつれてるし……やっぱ、克にいじゃなくも見える。
「…………」
いつもの克にいと、そうじゃない克にい。その理由なんか、わかるわけもなく…
……なんで、黙ってんだよ?
───ガキ扱いかよ! それとも、俺なんかどうせ関係ないから?
なんか悔しくて、ますます怒りが強くなった。
説明を欲しがってた天野。
心も身体も傷ついた天野。
ずっと泣き続けて……
俺だって、天野の涙を止めてやりたかったのに…
それができるのは、どう頑張ったって、克にいだけなのに……
……なのに……
悔しさが爆発した。
「……貴方はもうムリだ!」
また叫んだ俺に、克にいが、ハッとした眼をした。
……“克にぃ”のくせに……天野をあんなふうにしたくせに!
握り拳を作って、声も震えて、言葉が止まらない。
「貴方には、貴方の世界がある! もう……天野だけの兄ちゃんじゃ、なくなってるんだ!」
…そうだ、そう言って泣いたんだ、あいつ。────予兆は、あったんだ。
「面倒みきれないのに、天野から何もかも奪うのはよせよ!!」
「……………」
克にいの顔が歪んだ。
また奥歯を、噛み締めている。
俺はさらに強く、拳を握りしめる。
克にい───俺でさえ……ちょっと懐かしい。
その顔を見て、心のどこかで何かが安心している。
でも……天野が見たら?
安心させて、泣かせて、そしてまた、いなくなるのか?
だって、そうだろ?
そうでなきゃ、なんでこんなとこ、いるんだよ。
まっすぐ帰って、ずっと一緒に居てやればいいじゃないか!
安心させて、またいなくなる……
そう思うだけで、狂いそうに全身が熱くなった。
……泣き続ける天野……今度こそ、おかしくなっちまう!
俺は克にいを目一杯、睨み付けた。
「奪ってばかりでなく──必要なものもあるんだ! 俺がそれになる…貴方の代わりに、天野を守る!」
「───────」
雨がとうとう降ってきた。
大粒の雨で、どんどん二人ともびしょ濡れになっていく。アスファルトは、あっという間に真っ黒になった。
俺は、一歩にじり寄った。
克にいの、普段は見上げているはずの顔を、見下ろす。
真剣な視線が絡み合った。
「天野を……天野を俺にください。俺は絶対傷付けない。裏切ったり、置いてけぼりにしたりしない!!」
頬を濡らすのは、もはや雨なのか涙なのかわからない。
でも、俺の心は泣いていた。
天野抜きで、こんな事言ったって、………きっと天野は…。
ぐっと、奥歯を噛み締めた。
それでも……克にいがフラフラ出てきたら、そんなのもっと駄目なことぐらいわかる。
またこんなふうにいなくなるくらいなら、もう、───会わない方が、いいんだ!!
克にいは、黙ってずっと俺の叫びを聞いていた。
横柄で、散々俺のことをガキ扱いしていた、克にい。
雨でずぶぬれになっている、その顔が……。
真剣な眼差しが、俺を射抜いた。
「───今は……頼む」