chapter12. keep my mind -こころをつないで-
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「なあ、これスゴイな」
いつの間に持ってきていたのか、照明のリモコンを手にしていた。
「俺の部屋なんて、ヒモだよ、ヒモ! せめて入り口にスイッチがあればいいのにさ」
「うん、それもとうさんの部屋のお古」
「お古?」
「うん。このベッドもそうだよ」
「……ああ、そうなんだ」
「僕が8歳の時のね、誕生日プレゼント」
僕は懐かしくて、口の端を上げていた。
「天野、ヤラシ。思い出し笑い」
「えっ、違うよ!」
横目で見てくる霧島君に、焦って言い返した。
そりゃ、イロイロあったけど、今僕が思い出したのは……
「このでっかいベッドにね、初めて乗るとき、海みたいだねって言ったの」
「………」
「ばふんて飛び乗って、四つん這いで布団の上、動き回って」
「……うん」
くすりと、霧島君も笑った。
「誕生日で…大きいベッド、大きい布団。何もかも僕には嬉しくて」
隣に、克にぃがいたんだ。僕に布団を掛けてくれた。
克にぃの体温と匂いが、僕をすぐに眠らせてしまった。
「……おとなになっていく……そう、実感してくのが……」
声が震えている。それ以上続けられなかった。
「…天野」
笑っていた霧島君の顔も、辛そうに顰められていた。
「もう、いいよ。寝よう」
その顔を見ていて、僕は我慢できなくなってしまった。
「うん……霧島君。ごめんね僕…」
布団の中で身体を動かすと、霧島君の身体に、ぴったりとくっついた。霧島君は驚いて、間近に迫った僕を見つめた。
「………」
そして、ふと笑みを零した。
「──俺、克にいになるって…言ったもんな」
僕の方へ身体を向けて、腕を伸ばしてきた。
「………」
一瞬、克にぃに抱きしめられたかと、思った。
ふわりと温かい。
匂いは違うけど。時々霧島君に感じた、克にぃと同じ雰囲気。オトナの空気。
妙に懐かしく感じて、僕はまた泣いてしまった。
霧島君は、僕をずっと抱きしめたまま眠ってくれた。
僕は学校に行くのが怖くて、体調不良を理由に一週間休んだ。
その間、霧島君はずっと僕の部屋に寝泊まりしてくれた。学校から帰ってくると、授業の内容を教えてくれた。だから、久しぶりに登校したときも、勉強には付いていけたんだ。
一週間。
それ以上は、休ませてもらえなかった。
僕が、本当に恐れていたことは……
「今……ですか?」
「そう、今」
無情の返答に、頭の中が真っ白になった。
久しぶりの登校。
久しぶりの授業。教室。クラスメイト。……賑やかすぎて、疲れてしまって。
霧島君と、いつもの花壇に避難していた。本当はここも嫌だった。
でも、うまく説明できなくて……。だってここは、僕たちの特等席。ほとんど毎日来てて、もう4年目だった。
───そこに、桜庭先生も来た。僕を見るなり、あの呪詛を唱えた。
おいで
その呪縛……僕の全身に、鳥肌が立った。
「久しぶり、天野君」
有無を言わせない命令が、声に秘められていた。
僕は、自分の首に嵌められた首枷を感じた。そこに繋がれた鎖を、桜庭先生が引っ張る。
ゆらり、と立ち上がった。
隣の霧島君に声を掛ける。
「ごめんね、霧島君」
「……天野?」
いきなりの僕の行動に、面食らっている。
「僕、ちょっと………行ってくる」
先生に相談してた、なんて嘘までついて。……行くしかなかったから。
「ああ、でもお前……相談って……」
納得いかない声が、僕の背中を追いかけてくる。
………霧島君。
僕はゆっくり振り向いて、その顔を見つめた。
僕を守る──そう言って、泣いてくれた優しい目が、そこにあった。
ずっと一緒だよ──そう言い続けてくれていた、克にぃの顔が、そこにあった。
──タスケテ──
ぼくは、その顔に…微笑む。
「先に教室、戻っててね」
同時に、肩を掴まれた。
桜庭先生が、克にぃの指定席の場所に、手を置く。
克にぃみたいに、身体を着けて歩く。
見えない鎖なんかじゃない。本物の腕が、僕を捕らえていた。
───怖い!
公園の茂みを嫌でも思い出す。あんなに怖くて、痛かったことはない。体が本当に、引き裂けた。
先生は、痛くはしなかったから…嫌悪しても、どんなに嫌でも、恐怖を感じたことはなかった。
でも………
あんなふうに、誰かに無理矢理服を脱がされて“やられる”ことが、酷すぎて。人形に暴力を振るうみたいに、僕のことなんか、どうでもいい。
本当に……一方的なアレは、恐怖と痛みだけだった。
先生とも、もう怖い。
保健室。
今は僕の牢獄。背中を押されて、久しぶりに入った。
先生が触ってくるだけで、怖い。身体が勝手に震えた。
「天野君……」
唇を重ねられた。
先生の舌が入ってきた途端、僕は吐き気を覚えた。
それでも、受け容れなきゃならない。僕は、泣きながら我慢した。
はやくこの時間が終わって──! それだけを、祈って。
僕の異変に、先生が気が付いた。
「───天野…くん?」
唇を離すと、顔を覗き込んできた。
公園で酷いことをされたなんて、あのこと……先生には言えない。
なんでか、知られるのは嫌だった。
恥ずかしいのと、悲しいのと、悔しいのと、怖いのと……色々ごちゃ混ぜで。
いっぱい質問されたら、苦しくなる。あのショックが戻ってきそうで、怖い。
でも…僕はここで悪戯されながら、乱暴された事を隠してるなんて、変な気がした。
やってることは、同じだった……やっとそれが、わかった。
先生の、一方的に身体だけ求めてくる行為。僕の気持ちなんかどうでもよくて…ただ痛くしないようにだけ、優しくしてくれた。
……こんなの、克にぃが教えてくれたのとは、ぜんぜん違ってたんだ。
僕にはみんなが普通なコトが、ちょっと足りない。でも、どのくらい足りないのか分からないんだ。先生にこんなことされてるのも、ホントはもっと……僕が思うよりもっと、異常なことなんだと…。
……自分が何をされているのか、そのおかしさが、やっと分かった気がした。
震えて泣いている僕を、桜庭先生は頭から抱え込んだ。
僕は怖くて固まってしまったけど、先生はただ優しく抱きしめていてくれた。
先生の匂い。
大好きだった……でも大嫌いになった匂い。
もう僕には、辛い記憶しか呼び起こさない。それでも、ずっと抱きしめてくれる先生の胸は、温かかった。
僕の身体は、いつの間にか震えを止めていた。
……教室に、戻りたい。
ちょっと動いた僕に、桜庭先生が気が付いた。
「……大丈夫?」
優しく聞いてくれるから、僕は許されると思ってしまった。
「……せんせい……」
安心感から、思わず呼んでいた。
「───んんっ!!」
いきなり唇を塞がれた。安心感なんて、いっぺんで吹き飛んだ。
恐怖と一瞬ですり替わる。
「んんっ、……やっ…やぁ!!」
力一杯、振り解いた。
驚いた先生が、僕を見る。
それでも、先生の僕への呪縛は続いた。
「天野君。………言うことを聞く約束は?」
僕は首をゆるく……横に振った。
「せんせい……ぼく……いや」
もうやだ。
先生に毎日こんなことされるの、もう本当に嫌だ。
“ヨゴされた”
その思いが、あの乱暴された時から付いて回る。
僕の身体は、汚された。
克にぃだけのモノだったのに。自分で、そう言っていたのに。
悲しくて、心が痛くなる。克にぃに、なんて言えばいいの。もう、触ってもらえないかな。
こんな僕の身体、もう……嫌いかな。
この一週間、そんなことばかり考えては、泣いていたんだ。
先生だって同じだ。
僕が克にぃだけのものでなくしてしまったのは……まずは先生なのだし……
あんまり優しく触れるから。痛くしないから…暴力的な恐怖は、湧かなかった。
でも、もう……怖いよ…。
「もう一度言うよ、服を脱ぎなさい」
命令してくる声が、冷たく響いた。
……嫌だ……先生…なんか本当に、怖い!
心からそう思った瞬間、
「───!!」
僕は手首を掴まれて、シャツを脱がされていた。
こんな乱暴にされた事はなかったから、びっくりした。
「──せ、せんせい!?」
手首をヒモで結ばれて、ベッドに身体を押し上げられた。
───あ……無理やりだ!!
押さえつけられた怖い感覚を、思い出した。
「先生! やだっ……!!」
叫んだ僕に、桜庭先生はタオルを噛ませて、首の後ろで結んでしまった。
……苦しい!
「んん──っ!」
暴れる僕を押さえ付けて、先生は優しいキスを何度もした。
おでこに、鼻の頭に、頬に。何度も何度も。
……何度も何度も。
あんまり優しくて、僕は抗うことをだんだん出来なくなっていった。