chapter3. come near Hazy Shade -不穏な影-
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「………うぅ……」
僕は呻いて、感覚を誤魔化そうとした。
やだ…なんか硬いのが挟まったまま…気持ち悪い……。入ってる出っ張りが、中を刺激してくるのも。
先生はベッドに乗り上って来て、僕の身体の震えが落ち着くまで、全身を抱きしめていた。
「……天野君」
胸に僕の頭を抱え込んだまま、囁いた。
「もう時間だよ。このまま教室に戻って」
────!?
静かに耳に届く声が、信じられなくて……
「…………」
身動ぎ一つしない僕に、先生はもう一度繰り返した。
「途中で抜けないように、気を付けて。四時間目が終わったら、すぐにここに来るんだよ」
「────」
返事なんかできない。いいとか嫌とかじゃなく……
───このまま?
………このまま歩いて、教室へ行けっていうの?
…こんなの入れたまま、授業を受けろって、言うの……?
僕は、頭を横に振った。……無理だよ、そんなの。
「せん…せい……むり」
先生は身体を離して、僕を覗き込んだ。
「……歩けない?」
こくんと頷いた。それなら、許してくれるのかと思って。
先生は無言で、僕の下着とズボンを穿かせ直すと、額の汗を拭ってくれた。
「じゃあ、教室まで連れて行ってあげる」
「───えっ!?」
あっと思った瞬間、僕は先生の両腕に掬い上げられていた。同時に、授業開始のチャイムが鳴り出した。
「ほら、こんな時間だから、廊下には誰もいないよ」
「──やっ! ……待って!」
僕は先生の手を振り解いて、ベッドに降りようと、身体を捩った。
「……あぁっ!」
硬い物体が、お尻を刺激した。お腹が熱くなる。
「ほら、暴れたら余計辛い。静かに言うこと聞きなさい!」
「────っ」
いつになく厳しい、先生の口調。腕の中で、思わず先生を見上げた。
「わかった?」
「…………」
直ぐ近くに、先生の真剣な顔。
怒ってるんじゃないけど、恐い。僕はその迫力に、何も答えられなかった。
大人しくなった僕を抱えて、先生は教室の前まで行った。
「ここで降ろすけど…遅刻の理由、ぼくが先生に言ってあげようか?」
「……いいです」
保健室に行くって、霧島君に言ってない。桜庭先生が教室に入ったら、それがばれてしまう。
「授業が終わって、こっちに来るときは、挿れたモノ、出ちゃってもいいからね。一時間入っていれば充分広がるから」
「…………」
そっと、廊下に脚を付ける。お尻に違和感がすごい。
──自分の机まで、歩けるかな。
支えられてる先生の腕を振り払って、廊下の壁に手を付いた。
教室の後ろのドアを開けると、みんなが一斉に振り返った。
「………あ、すみません。ちょっとトイレ長くて」
僕はどう言っていいか分からず、嘘のつじつまを合わせた。
みんながどっと笑う。
でも僕には、今の状況や、桜庭先生にされている行為を考えると、こんな一時の恥ずかしいことなんて、どうでもよかった。
「いいから、早く席に着いて」
担任の佐藤先生が、教壇から言ってくれた。
「……ハイ」
「他に腹下してるヤツは、いないな?」
教室中を眺め回して、そんなことを言っている。
みんながゲラゲラ笑って、「いないでーす」「二人だけでーす」という声があちこちから飛んだ。
「?」
その騒ぎになんか変だなって思いながらも、机に辿り着いた。イスにゆっくり腰を下ろす。
────んっ
下から押し上げてきて、中の奥に当たってきた。硬い木のイスは、よけい感覚を強くしてくる。
はみだしているコブが、コツンと音をさせそうで恐かった。
「…………」
ゆっくり息をはいて、身体を落ち着かせる。
………霧島君。
教室に入った瞬間、僕の目に映った。
───僕を睨み付けていた。
みんなが笑っている中、一人、睨み付けてくる鋭い視線…。
………怒ってる……?
一番廊下側の、前から三番目の机。そこが僕の席だった。霧島君は、真ん中の列の後ろから二番目。席に行く間も、ずっとその目で睨み付けて……
僕はその目線に、迷い無く応えることが出来なくて、ずっと下を向いたまま移動した。
あの目を見た瞬間───
身体が辛いのも、桜庭先生のことも、一瞬、忘れた。
ただ、胸が痛かった。
不穏な影が、心に渦巻き始める。
………僕のたった一本の糸。その糸を、自分から切ってしまうんじゃないか。
───僕は…霧島君に、嫌われてしまう……?
そんな予感の、冷たい目だった。
授業内容は、散々だった。教科は国語。
「天野!」
いきなり先生に指名されて、僕は慌てた。
「はっ……ハイ!」
「はい、起立! 遅刻してきた罰! 56頁から2頁分、音読して」
────!!
やっと座ったのに……立ったらどうにかなっちゃうよ……
僕は泣きそうになって、先生を見た。
「はい、起立!」
容赦なく言う、佐藤先生……。僕は仕方なく、ゆっくり立って、言われたところを読み始めた。
……でも、声が震える。
ただ立っていると、後ろのが抜け落ちてきそうな感覚に襲われて……。とても集中なんてできない。息継ぎの合間に、喘ぎ声が出そうで怖かった。顔も、すごい火照っているはずだし。
……今の僕、みんなの目にどう映っているのか……気が気じゃなかった。
「───先生! 次、俺! 俺!」
霧島君がいきなり手を挙げて、立ち上がりながら叫んだ。ガタンッ、という激しいイスの音が響く。
僕は…クラスのみんなも、驚いて霧島君を見た。
「次は俺なんだからさ、センセ、は・や・く~!」
戯けて、そんなことまで言い出した。
みんなが大喜びで、笑い出す。変に囃し立てる子もいる。
「…………??」
まだ一頁をやっと読み終えたところだけど……。
僕が困って先生を見つめると、しょうがないというふうに頷いた。
「はい、じゃあ、続きを霧島!」
………助かった……!
ほっとして、でも用心しながら、イスに座り直した。
……霧島君……また僕を、助けてくれた。本当に助かった…。
僕は感謝を込めて、斜め後ろの霧島君を見上げた。
「───!」
その一瞬、混じり合った視線は──
余りにも冷たい、その一瞥は……僕の心に氷の矢ように、突き刺さった。
信じられなくて、もう一度見つめる。でももう、僕のことなんか知らないように、平然とした顔でさっきの続きを音読し始めていた。
─────霧島君……
また、嫌な不安感が胸に広がっていく。心に湧いた不穏な影は、僕の中でどんどん成長していった。
“不安”から“恐怖”という、真っ黒い影へ───
どうしよう──嫌われちゃう………
心の焦りと身体の高まりが、あんまりにも正反対で。僕は、霧島君を見上げながら、途方に暮れてしまった。
でも、なぜ急にあんな冷たい目をするのか、分からなかった。
いろんな事がありすぎて……直接怒らせる原因が、思いつかない。分からないから余計、不安が大きくなっていく。
───あ…
霧島君の後ろに、僕をじっと見ている顔があった。
………緒方君…?
僕の視線に気付くと、にこっと笑って首を傾げた。
「…………」
なんで僕に? 一瞬思ったけど、考えてなんかいられない。
急なそれにどう答えていいのか分からず、僕は視線を反らして下を向いてしまった。
────緒方君も……ごめんね。
………僕は、自分のことばっかりだ。とにかく今は、身体が熱くて……。
教科書を立てて、そこに顔を隠して、僕は泣いた。
どうか早く───こんな地獄、お終いにしてほしい。
「天野!」
授業が終わると、霧島君が駆け寄ってきた。
嫌われた! と思いこんだ恐怖で、僕は身を竦ませた。
「おまえ、どこにいたんだよ!?」
「──えっ?」
霧島君のその声に、反対に驚いてしまった。怒ってるけど、それ以上に……?
「なかなか戻ってこないから、心配になってめちゃくちゃ探したんだぞ!」
「………あ」
そうか、それで霧島君も遅刻したんだ……。それで、トイレって理由にしたんだ……。僕はやっと、いろんな事に納得がいった。
───まだ、嫌われてなかった!
胸が熱くなる。申し訳ないのと、悲しいのと、安心感で、また視界が滲む。
「……ごめんね」
…………迷惑かけて、ごめん。
でも……これ以上は、心配させられないよね。咄嗟にそう思って、なんでもない振りをした。
なのに。
見上げて微笑みながら……僕は涙を零していた。こうしている間も、後ろの刺激は、身体を熱くしていく。
「!?」
霧島君の眉がひそまる。
「さっき、助けてくれて……ありがとう」
ほんとに、嬉しかった。
「ああ……。いいよ、そんなの」
一瞬何の事かというように目を見開いてから、顔を赤くして、ちょとそっぽを向いた。
「それより、天野……どうしたんだよ、本当に」
「────」
「何処行ってたんだ……なんでそんな顔して、泣くんだよ?」
心配げにのぞき込んでくる。
なにも……言い訳などできない。口を開けば、嘘だらけだ。
僕は項垂れて、下を向いた。無言で首を振る。
「あまの……」
霧島君の手が、俯いた僕の肩に触れた。
「……!」
ビクンと、身体が揺れてしまった。
「!?」
慌てて、手を引っ込める霧島君。
「───天野!?」
これ以上は無理…。僕は何を言い出すかわからない。
「なんでもない。…保健室、行ってくるね」
そっと立ち上がって、霧島君を見た。
───また、そんな顔……
霧島君は、怒ったように目をつり上げながら、唇を噛み締めて…。
「そんなに、桜庭先生がいいのかよ」
「────!」
「俺じゃあ、まるっきり役に立たないんだな!」
「…………っ」
僕も唇を噛み締めた。
「天野、何にも話してくれなくなっちまった」
「…………」
「なんでだよ? 何か、変わっちゃったよな?」
霧島君の腕が、僕を掴んだ。
───あっ!
身体が痺れて、膝がガクガクした。
───立ってられない!
思わずその手を、払い除けてしまった。
「───っ!」
息を呑む気配。
「……俺なんか……いらないんだ」
「ちが…」
「……より……俺より、桜庭先生がいいんだな!」
────!!
縋ろうとした霧島君から出た言葉──
“克にぃより”……
その言葉は二人の間で、禁句になっていた。僕が取り乱すから。霧島君はその話題を一切しないように、気を遣ってくれていた。
「ちがう……」
喉から絞り出すように、声を出した。
「ちがう……ちがう……」
「じゃあ、なんだよ!? もう昼休みの花壇にも、行かないじゃないか!」
「…………っ」
「今だって、保健室、行くんだろ!?」
「───! それは……」
僕は、すぐ来いと言う、先生の言葉を思い出した。
机に突いて身体を支えていた手を、ギュッと握る。
「………ごめんね」
それだけ喉から絞り出すと、僕は教室を飛び出した。
───ごめんね……霧島君、ごめんね!
涙がどんどん頬を伝う。
他の子があふれかえる廊下を、泣き顔も隠せず、保健室まで走った。
異物の違和感に、気を遣う余裕もなかった。