chapter9. Antinomie -二律背反-
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「克晴……よかったでしょ?」
何度イかせたか、僕でさえ分からない……。
僕は相変わらず欲望の求めるままに、寝続ける身体を抱いていた。
腕の中で、小刻みに震える克晴に、そう問い掛ける。
額や首筋に、汗が伝っている。たった今、イッたばかりで、僕にも余韻が伝わってくる。入りっぱなしの僕のペニスを、ぎゅうっと締め付けて……
体力を失った、細い身体。
車の中で、6年ぶりに見た時のあの、生き生きとした力強さ、瑞々しさが、今は見る影もない。
痛々しい、その細い顔を見つめる。
……愛しい……
「……かつはる……ねえ?」
気持ち良かったって、笑顔を見せてよ。せめて僕を見て、頷いて欲しいのに。
「…………………」
閉じた瞼。荒い呼吸しか吐かない、紅い唇。張り付く髪の毛……熱い身体。
この横顔は、僕を見ない。僕に笑わない。
この腕は、僕を求めない。僕を……必要としない。
「─────」
胸のどっかが、引き絞られるみたいに、キリキリと痛み出す。
「克晴……僕、克晴の笑顔、見たことあるよ」
腕の中になおも抱き締めながら、耳に囁いた。
「………サイコーにいい、笑顔だった」
「─────」
聞いているとは思うけど、ピクリともしない。
「……あの笑顔、見たいなぁ」
「…………ん…ッ」
切なくて、耳たぶにかじりついちゃった。首を竦める仕草が、可愛い。
日本に戻ってきてすぐの時、克晴を見に、天野家の近くまで行った。
あの時見掛けた、克晴の笑顔。笑い声。
優しい目線………
恵君には──あの子には、あんな顔見せてたのにさ。
………あの声で、笑って!
……あの輝く笑顔を見せてよ!
その思いが、僕の胸を締め付ける。──それだけで、僕の魂は休まるのに。きっと、酷いことしなくて、済むのに。
あの笑顔を思い出すと、どうしようもなく胸が妬ける。
6年間、僕は克晴を想い続けてきた。
向こうでは、辛くて辛くて……何度も、挫けたけど、克晴だけを想って、耐えてきた。
その痛みとは、全然違う。
───コレは、嫉妬だ。……こっちの方が、イタかった。
僕はやっぱり、思う。
心を開いてくれない限り、この想いは平行線だと。
満たされない僕の欲望は、この行為を、繰り返してしまう──
───僕は……まだ、気づくことが出来なかった。
哀しみの人形の、心を動かすための、キーワードを。時々ちらりと寄越す、視線の意味を───
そしていつまでも、縛り続ける。
「かつはる……」
何度でも、腕の中の愛しい身体を、抱き締める。こうしている限り、僕のものなんだから。
心は違っても、想いは他にあっても。今は僕だけに反応させて、僕だけしかその視界に映させない。
「……克晴」
呼びながら、堪らなくてキスをした。まだ震えてる。まだ、繋がったままだもんね。
………その薄目で睨み付けてくるの、大好き。
一週間経っても、克晴の努力は見られなかった。相変わらず、身体を支えられないでいる。
約束したのに。
心配してるから、言ってるのに。
素直じゃない僕は“心配してる”なんて、言えなかったけどさ。
お仕置きをしなけりゃ。僕の心は、踊った。
心配と同時に、「お仕置き」ができるという楽しみで、相反する二つの気持ちが同時進行で動く。
───健康でいてほしいのに。
そう、純粋に心配する気持ち。
───どんな「お仕置き」をしてやろう。
苦痛に歪める顔を想像して、身体が熱くなる。
ちょっとやそっとじゃ、ダメだ。
あれだけ酷いコトして、ハイと言わされたのに、守らなかったんだから。
そうだな。克晴の嫌がる事と、言ったら───
散々その身体を堪能したあと、僕は、ソファーで新聞を広げながら考えていた。
克晴はシャワーを浴びに行った。やっと立ち上がったけど、一人じゃバスルームまで歩けないってほど、弱ってる。
あんなんじゃ、ホント、駄目だよ。
………克晴もカッコ付けだ。
恥ずかしい事を強いられるのを、特に嫌がる。
制服プレイなんか、そうだった。
脱がしもしないで、局部だけを弄くって──制服を着ながら、乱されている自分のギャップに…その非現実性に、打ちのめされていた。
反対に、素っ裸にさせて抵抗を封じたときも、泣きそうな顔をする。………絶対に、泣かないけど。
隠せない自分の身体に、僕の意識が集中しないように、目線で煽るんだ。
睨み付けて。
この眼だけを見ていろと、言わんばかりに。
………可愛いな……
そんな心の動きがすぐに読み取れてしまう、克晴……。
思わず、クスクスと笑ってしまった。
どうやって羞恥を煽ってあげようか。
結局、衣服を奪うことにした。唯一身体を隠す、パジャマ。あれは、心の防波堤の一つのはずだった。
下着のない克晴は、パジャマを剥ぐとき、すっごい不安そうな顔をする。
どれだけ脱がしてるか、わからない。なのに、毎回それにしがみついているんだ。身体を晒すことを、頑なに嫌がる。
「………決めた」
僕はソファーを立つと、克晴の部屋に入った。ベッドの足元の方に、さっき脱がしたパジャマがそのまま丸まっていた。
「…………」
それを拾い上げて、抱きしめてみる。顔に押し当てると、克晴の匂いがした。
同じ石けん使ってんのに、克晴の匂いなんだよなぁ……
「…………はぁ」
……さっき何度も抱いたばかりなのに。腰が疼いちゃった。
今日は、玩具を使った。それも嫌がるから。そんなものに感じてしまう、羞恥心……。
それを表情に表すとき、めちゃくちゃ愛しくなる。そんな顔をさせているのは、自分なのに、護ってあげたくなる。
大抵ローターで遊ぶけど、今日はちょっと大きめのバイブを挿れてみた。
『…………ッ!』
嫌だと全身で拒否する、目を瞠って、呼吸が止まる瞬間。
アレを見たときの克晴の青ざめ様は、思い出しても腰が疼く。
ごめんねと心で謝りながら、脚を開かせる。ローションをたっぷり塗ってあげて、後ろにそれを、埋め込んでいく。
『ん………ぅあ………』
剔るたびに、熱くなっていく吐息…額に光る汗。
嫌だと首を横に振るけれど、勃ちあがっていくペニス。中でそれを締め付けて収縮しているのが、押し込んでいる指に伝わってくる。
『気持ちイイでしょ?』
僕は訊くけど、相変わらず今日も否定し続けていた。
声を殺そうと固く引き結んだ唇を、解いてあげたくてそこに自分のを重ねる。その唇は、条件反射のように薄く開いて、僕を受け入れるようになっていた。
濃厚なキスを与えながら、埋め込んだバイブのスイッチを入れてみた。
『………んんっ…!!』
身体が、ビクンと跳ねる。色っぽい声が、苦しそうにキスの合間に漏れる。
『ぁああっ……ゃ……ぅああぁ!』
バイブの振動に絶えかねて、克晴の声が激しくなる。勃ちあがった先端からも、透明な液体が後から後から零れる。
こんなに乱れても、認めないんだ……克晴は。
僕はもう、それを強制的に認めさせるのは、ちょっと諦めていた。
涙を流して、泣きだしたあの時。
何故いきなり涙を零したのかは、ちっともわからないけど……僕は反省した。
言葉で言わなくたって、感じてるのなんか、手に取るように分かってるんだから。
克晴の精神力は、常人より遙かに強い。だから身体の方が、責めに耐えられなかったのかも………
そんなふうに、思っていた。
バイブで1回、イかせた。
前を扱くのもあまり待たずに、イッた。
『すごい、克晴。すぐイっちゃったね』
いつまでも振動を止めないで、体内に入ったままのそれに焦れて、克晴はまた睨み付けてきた。
───判ってる。……抜いて欲しいのも、怒った顔してるけどホントは困っているのも。
僕は嫌がってる顔を見続けたくて、バイブを取り出せないまま、可愛い克晴を抱きしめた。そして、勢いで言いそうになる。
───大好き……
僕もその言葉を呑み込むために、抱きしめる腕に力を入れる。
『………限界。…入れるよ、かつはる』
その分、いつも身体を欲してしまった。バイブを抜いて、僕の熱くなってる塊を代わりに押し当てた。
『んぁあ、……ぁああッ………!!』
いやいやをするように、必死に顔を振って、抵抗する。僕を拒否する。もう言葉では言わなくなったけど、聞こえてくる。
───止めろ、オッサン、俺に触るなッ!!
そしてそれは、小さい頃のそれとは、意味が違った。
───何だかわからないけど、イヤなんだ!
それだけだった。そう言っていたのに……
今は、もっと明白だ。
───俺は、お前がイヤだ! ……オッサンが嫌いだ!!
そうはっきり言っている。……それが辛い。
だから、わからせようとしてしまうんだ──その身体に。もう、僕のモノなんだから。受け入れなきゃ、いけないんだって!
そう思うと、もう止まらない。克晴の中に、熱い僕の想いを打ち込み続ける。
『ぁああ…ぅぁああっ!!』
最後は絶叫して、意識が飛んでしまうときもある。今日は、なんとか大丈夫だったみたいだけど。
終わった後、ぐったりしたまま痙攣しているのも、愛おしい。
僕がそうさせた。僕が、克晴の全てを奪った……そう実感出来る、瞬間だから。
心で泣いてる克晴を抱きしめながら、僕も泣き続けた。
早く心を開いてよ。
そしたら、2人で気持ちよくなれるのにさ……。本当は、泣かせたくなんか、ないんだから……!
明日なら……明後日なら………
1週間後? ……1ヶ月後?
───いつになったら、克晴は、ほんとのイイ子になるの………
さっきの、終わったあとの克晴の顔を思い出して、切なくなった。
胸が搾られるみたいに、痛い。
抱きしめた克晴のパジャマを、涙で濡らしてしまった。僕は、こんなに簡単に泣けるのになぁ……
「ああ、シャワーから出てくる。新しいパジャマ、引き上げなきゃ」
脱衣所の定位置に置いておいた、着替え用のパジャマを掴んで、北側の自分の部屋に片づけてしまった。
こっちまでは、克晴は来れない。廊下に出たところで、センサーが働くから。
あの逃走未遂の一件以来、すっかり懲りて、試そうともしていないようだった。
「……着替えは?」
リビングのソファーに戻って、新聞を読み直していると、克晴が声を掛けてきた。
───来たな。僕は内心、にやりとした。
どれだけ取り乱してくれるかな。大声で詰るかな。
「ないよ」
僕はなるべく、つっけんどんに言ってあげた。
「……無いって?」
事態が飲み込めていないようだ。
それ以上待っても、克晴の言葉は期待できないと思った。
「………」
───溜息だ。
新聞を置いて克晴の方を向くと、扉の影から出てこないその顔に、冷たい視線を送った。
「克晴……僕の言うこと、聞かないから」
腹筋するって、約束したのに。
「まさか、忘れてた訳じゃないよね?」
そんな子じゃないのは、ホントは僕が一番良く知ってる。
───でも、僕のために……そう言って、約束させたのに、それを破ったんだ。……それはダメだよ、克晴………
その後も、辛抱強く言葉を待った。何か言ってくれるかと……でも、それっきりだった。
「だから、お仕置き。イイ子じゃない克晴は、パジャマもダメ!」
僕の言葉に、言い返すことも出来ず、静かにドアを閉じてしまった。
……もっと、声が聞きたいのに。
文句でも、叫びでも。怒りでいいから、僕にぶつけて……克晴を見せて欲しい。
罵りに耐えきれずに、言葉を封じたのは僕なのに…つい、そんなことを思ってしまう。
罵りは嫌だ。傷つくだけだ。
でも、怒りや文句は大歓迎だった。だって、克晴の心を見せてくれるって、ことだもん。
「────」
暫く閉じられた扉を、見つめ続けた。
そこはまるで、開かない克晴の心の要塞……
克晴を閉じこめているはずなのに。僕がそこから、締め出しをくっている気がした。