<第4部>
chapter1. begins to turn もう一つの引力
-廻り出す衛星-
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「霧島!」
不意に呼ばれて振り向いて、俺は驚いた。
「……緒方?」
……なんだって、こんなトコに。
俺は、あの体育の日以来、天野を無視してきた。
違う……
近寄れなくなっていた。
拒否されて、俺なんか迷惑だと言わんばかりの、はねつけをされて。
“それでも”って思って保健室に向かった時、天野とコイツが抱き合っているのを見て、俺は本当にもう、自分が用無しなんだと思い知った。
天野は……こいつを選んだんだ。
それでも…
それでもって、思ってしまう。
何故こんなに、心配してしまうのか。
天野が要らないと言っているのに、なんで見に来てしまうのか。
俺の足は、夏休みに入ってから、度々天野の家に向かっていた。
今日も、何となく近くの公園まで来ていたんだ。ふらっと出てくる天野を、見れるかもしれない。
アイツに会っても、何て言っていいかなんてわかんないけど。
……泣いてないか。
それを確認するだけでいいんだ。元気なら、それで。
夏休みは、あと半分も無いってのに……まだ一度も、天野を見ることは出来なかった。
俺はあいつに、どれだけ懲りずにまとわりついてしまうんだ。
俺だけがこんなにハラハラしてたって、しょうがないのは分かっているけど。ただ、いても立ってもいられなかった。
そんな時に、嫌なヤツに見つかっちまった。
振り向いた視線の先には、公園の出入り口に嵌めてあるバイク止めに、寄り掛かるように座っている緒方がいた。
半袖の白いシャツと、ベージュのハーフパンツが、全体的に薄茶色いコイツには、よく似合っている。足首まであるキャンバススニーカーが、キザっちい。
「霧島も、天野?」
優等生クサイ整った顔が、皮肉な笑いを浮かべた。
「…………」
俺はスッゲーむかついた。選ばれた者の余裕かよ!
「……“も”って、なんだよ?」
睨み付けてやると、緒方はまた、口の端を片方だけ上げた。
「……オレも、だから」
「……は?」
「霧島、天野と仲直りしたのか?」
挑戦的な笑みを含んだ眼で、俺を見返してくる。
なんだコイツ? …話しが見えねぇ。
「……ケンカなんか、してねぇよ」
一方的に、嫌われただけだ。仲直りもクソもあるか。
俺も負けじと、もう一度睨み付けてやった。
「…………」
ふいと視線を反らすと、緒方は天野の家の方へ目をやった。
「オレも。……待ってんだ。天野が出てくるとこ」
「え?」
「天野にさ、夏休み遊ぼうって言ったんだ。連絡くれって」
「…………」
「だけど、電話の一つもかけてこない」
さっきと同じ、皮肉な笑い。
「オレ、お前達が寄りを戻したのかと思った」
「は…ヨリってなんだよ。変な言い方するな!」
5メートルほど距離を保ったまま、緒方と睨み合った。
この公園は、声が出なくなった天野を見つけた場所だった。
あの茂みに連れ込まれていた天野の姿を思い出すと、今も胸が痛くなる。
あの場所を嫌がって、こっちには近づかないんじゃないか…。なんとなく、そう思って。
姿は見たいけど。直接会うのを、無意識に俺は避けていた。
「俺は…緒方があいつの面倒見てるのかとばっか、思ってた。会ってないのか?」
「残念ながらね。夏休みに入って、まだ一回も姿見てないよ」
「……俺も」
──何してんだろう、天野。ずっと一人であの部屋に、蹲っているのか?
「はは…オレたち、天野のストーカーみたいだな」
緒方が笑い出した。
「は…」
俺も、つられて笑った。
緒方とは何かと比べられて、競わされているけれど、反りが合わない訳じゃない。喋ればイイヤツなのも、分かっていた。
だから、天野が…コイツがいいってんなら、しょうがないかと思ったんだ。
「なあ、霧島。一度訊いてみたかったんだけど」
涼しい目が笑いを止めて、こっちを見た。
「天野と、なんでケンカしたんだ?」
「………」
「お前が側にいないから、あんまりに弱々しく見えて……オレ……」
整った顔を、クシャッと歪めて笑った。
「お前の場所に、入り込んじゃったよ」
「……!!」
俺は、緒方の台詞も自嘲気味の笑いも、全部自分のことと重ねてしまった。
克にいの居た場所に、入り込んで……。
「…………?」
黙ってしまった俺を、緒方が不可解そうに見上げてくる。
バイク止めの短いガードレールみたいな柵に浅く腰掛けて、普段は俺と同じ高さの目が、下から見上げてくる。
…………。
ケンカ別れする最後の方、いつも天野は、こんな風にどこかに座りこんでは俺を見上げた。
“ごめんね、大丈夫だから”って言いながら。
「なんでって、言われても…」
あいつ、何も言わないから。
わからねぇ。本当に、ホントのことなんか、何一つわからない。
ただ、一つ言えることは……
「大人の桜庭先生が、いいんだよ……あいつは」
「え?」
今度は、緒方が変な顔をした。
「何だよ?」
「うん、だって……」
一瞬視線を彷徨わせて、納得いかない顔を俺に向けた。
「“保健室はヤダ!!”って、……大声で言ってたぜ。天野」
「……は?」
「すっげー具合悪そうにしててさ、保健室行けよって言ったら」
「………」
なんだ、それ。天野は桜庭先生がいいんじゃないのか?
って言うか……
「緒方には、そんなこと言うんだ」
俺はつい、笑った。
「そんな事って?」
「俺には、何も言ってくんねーんだ。保健室が嫌だなんて…初めて聞いた」
「……へえ」
緒方も、驚いた顔を隠さない。
─── チクショウ。
悔しいと思ってしまう自分が、嫌だ。緒方に嫉妬してるみたいで、情け無くなる。
「克にいが、帰ってくれば……こんな心配…しなくていいのにな」
溜息交じりに呟いた俺に、緒方がちらりと視線を寄越した。
「……………」
暫く何も言えないで、二人で天野の家の方を眺めた。
───今、この瞬間も…あいつは部屋で、泣いているのか?
そんなことばかり、胸を過ぎる。
緒方も、似たようなモノだったらしい。ぽつりと喋り出した内容は、俺の心の内と全く同じだった。
「オレさ…天野が泣いてるの見ると、辛いんだ」
「…………」
「お前とケンカしてから、しょっちゅう泣いてるの見て……ほっとけなくなった」
「…………」
俺は何も言い返せなくて、ただ突っ立ったまま、握り拳を固めた。
俺だって辛い。
あいつを慰めるのは、俺だけだったんだ。俺だからできたと思ってた。
それなのに………今は、俺が泣かせてる。
「まあ、そんなわけだ。だからオレはオレのやり方で、天野の側にいるよ」
すっと立ち上がると、緒方はケツの埃を叩いた。またちらりと、意味深な目線を俺に向ける。
「横取りのお詫びに、教えといてやるよ」
「ん?」
「天野な、教室で……いつもお前のこと見てるよ。泣きそうな顔して」
─────!?
「本当は、仲直りしたいんじゃねぇの? あいつ。二学期には許してやれよ!」
爽やかに笑うと、“じゃな”と片手を上げて帰ってしまった。
「…………」
俺は頭が真っ白になって、ろくな返事も返せなかった。
もっと、どういうことか訊きたかった。
なんで、天野が…俺を見て泣きそうになるんだ。
泣きたいのは、俺なのに。傷付いたのは、俺なんだ……
あの、顔を真っ赤にして眉を寄せて──泣きそうで、泣き出して……それでも何も言わない、頑なな姿を思い出した。
「……保健室はイヤだ、だって?」
思わず、声にして呟いた。
「なんだよそれ……。マジ…意味わかんねぇ」
大人の桜庭先生に、天野を取られたと思っていた。あいつは、桜庭先生を選んだんだ。
克にいが居なくなって、俺に懐いたと思ってたら、桜庭先生にべったりで……最後は、緒方……?
─── そんで、今も俺を見て泣いてるって。
それだけ並べ立ててみると、本当に天野が判らない。
何考えて、渡り歩いてんだ。
何で、俺じゃダメで……それなのに“それでも”って、思わせるんだ。
俺は握ったままだった拳を、もう一度握り直した。爪が食い込んで痛い。
でもこの腕はもう、本当の痛みは感じない。
「…………」
溜息をついて、俺も家に帰った。