chapter1. begins to turn もう一つの引力
-廻り出す衛星-
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「……あ」
9月も終わる放課後、引き出しの奧に、くちゃくちゃになったあの紙を見つけた。
俺はまたあのイライラを思い出して、プリントを睨み付けていた。
「ジョータロー、ゲームで集まるけど、お前も来るだろ?」
最近遊ぶようになった篤志の声で、我に返った。タカシも後ろにいる。
「……ん」
教室内を見回したけど、天野の姿はもう無かった。……緒方と帰ったか。
「…ワリィ……今日はパス」
天野が克にいに独り占めされている時も、放課後、俺は一人だった。
クラスの連中と遊んでは、無茶してケンカして。……体育の最中とか、帰りがけの昇降口とか。
学校にいても、所構わずだ。ケガしちゃ、保健室に駆け込んで……その時、必ず天野は一緒に付いてきた。
外で遊べない分、学校では居れる限り一緒にいたのに。
ふわふわの髪が…柔らかい身体が……最後はずっと抱き締めていられたのに。
かき消えるみたいに、俺の横から居なくなっちまった。
「…………」
面白くなくて、花壇の方へ一人で歩いていると、ムカツク原因に呼び止められた。
「霧島!」
「……柴田センセ」
いつもだったら、センセーは好きだから、嬉しいけど。
「……なんすか」
今の俺は、ひねくれていた。
「おっ! 機嫌悪いな、どうした?」
いつも通り、優しく笑いながら隣りに並んで歩く。俺を覗き込むようにして、話す。
「ケータイ持ってるヤツの相談しか受けないセンセーは、嫌いだ」
俺は足を止めて、先生を睨み付けた。
別に、相談したい訳じゃない。天野との、何を話すってんだ。
そうじゃないけど、結局柴田先生も、他の先生達と同じ……その他大勢の大人の一人なんだって、つまんなくなっちまった。
「え、アレそんなふうに読めるか?」
驚いた顔で、俺に訊き返してきた。
「そうとしか、読めないよ」
そうでもないけど……大げさに言ってやった。
「文章、悩んだんだ。あれでも……そうか~」
握り拳を震わせて、うなだれてしまった。
「………」
言い過ぎたかな。
柴田先生が、生徒のこと一生懸命なのは、俺もよく知ってる。だから、好きなんだ。
「先生…なんで、あんなの作ったの?」
「……ま、いろいろ考えてな…」
俺と先生は、花壇まで歩いて、いつもの指定席に着いた。
もう風は涼しくて、吹かれていると気持ちがいい。
下級生の育てた朝顔の鉢が、立ち枯れたままいくつか放置されている。毎年見てる風景だけど、今年は一人で眺めてんだ。
そう思うと、なんか胸が締め付けられた。
今年で卒業なのに……最後の夏だったのに……
黙ってる俺の横で、先生も溜息をついた。
「最近は、相談してくれる生徒が少なくなってね」
「……それで?」
「匿名なら、言いやすいかと思ったんだ」
「とくめい?」
先生は、自分の首にぶら下げていた携帯を取り出した。
「おまえは、携帯持ってないんだな」
そういいながら、メール画面を見せてくれた。
「名前を書かずに、この携帯に手紙を送れる。誰かなんて、ホントに判らないから、送る方は気が楽なんじゃないかって」
俺は、発光している白い画面を見続けた。
「……誰か判らないんじゃ、答えられないじゃん」
「返事はできるんだよ。そのメールに送り返せるんだ」
知ってるよ、そんくらい。
俺はぷいと顔を正面に戻した。
横からまた、俺を心配そうに覗き込む。おっさん臭く七三に分けた前髪が、風にそよいで束を崩した。
「そうじゃなくて、そいつが何を悩んでんのか、名前もわからなくて……相談なんか、乗れるのかよ」
「…………」
目線だけ先生に向けて、ぶすったれたまま俺は言った。
「例えば、……“どうしたら、いい?”って……」
「え?」
「それだけ送られてきたら、先生…なんて答えるのさ」
睨み付けた目線の先で、先生の困っていた顔が微笑んだ。
「“何を?”って訊く」
「……答えが返ってこなかったら?」
「………」
「そいつが、それ以上何を訊いていいか、判らなかったら?」
「………」
「誰だか判ってれば、もしかしたら何を悩んでるのか、判るかもしれないのに」
「……霧島、そのことで怒ってんのか?」
「え?」
俺は、自分のモヤモヤがなんなのか、判らないでいた。先生のプリントを見たとき、すっごいムカついた。
……それは、ケータイ持ってるヤツを優遇してるからだと、思ってた。
それもあるけど……。
「誰でも、何でも来い……なんて、そんなの……相談する方には、軽薄に見える」
「霧島……」
それが嫌だったんだ。
生徒を心配するような、フリだけの先生なんて沢山いる。柴田先生も、そんな事し出したのかと思って、幻滅したんだ。
「先生はさ、今までで充分頼りになるのに、なんでそんな無理すんの?」
「無理?」
「うん、ムリヤリ相談させようとしてるみたい」
「はは、そうだよ。当たりだ!」
俺の頭をバシバシ叩くと、笑い出した。
「霧島みたいに、言葉で言えるヤツばっかじゃ、ないからな」
「…………」
「だいたい、お前が悩みを持つってのが、驚きだ」
「ひっでー」
俺も笑った。
「でも、やっぱ携帯持って無いヤツにはヤダと思うよ、アレ」
俺の言葉に、柴田先生も顔を曇らせた。
「うん…それについては、貸し出しも考えてる」
「貸し出し!?」
「ああ、俺のポケットマネーでな!」
先生が自分の胸をバシンと叩いた。
「ひえー…すっげー」
俺だって、知ってる。高いんだぞ、ケータイは。
「と言うか、もう始めてるんだ」
「……………!」
そこまでやっているとは思わなくて、俺は先生に悪いことした気分になってしまった。
「霧島」
絶句している俺を、不意に呼んだ。
「どうしていいか、わかんないんだ?」
直球のように、俺を真っ直ぐ見て、先生はいきなり言った。
「……!!」
俺は顔を上げたまま、硬直した。───バレてた!
「ん?」
確認するように、覗き込んでくる。
「……うん」
「それは、……家族? 勉強のこと? ……それとも、友達か?」
言いたくなきゃ無理して言わなくていいんだぞって、眼で言いながら、ゆっくり訊いてくる。
「…………」
言ったら天野のことだって、気付かれそうで、俺は何も言えなかった。
「…ま、言いたくなったら、いつでも来いよ」
またポンと頭を叩くと、先生だけ立ち上がった。
「そうだ、桜庭先生もカウンセリングやってるから。あっちのほうが、言いやすいこともあるだろ。保健室に行くのも手だな!」
「えっ! 桜庭先生?」
俺はビックリして、柴田先生を見上げた。
「ああ、だいぶケガも良くなったみたいだし。あの先生は、頼りになるぞ! お前も行ってみれば?」
「………うん!」
柴田先生は、ニコリと笑って校内に戻っていった。
その笑顔が少し寂しそうで、俺はちょっと胸が痛くなった。
───相談出来なくて、ごめん……センセー…。
でも俺は、思いもつかなかった提案に、ドキドキしてしまった。
……そうだよ。桜庭先生に聞くの、有りだよな。
だって、天野が桜庭先生に相談してるんだ。
俺だって、“どうしたらいいか”くらい、聞いたっていいはずだ。
そんで、天野のことも何か、聞き出せるかもしれない!
『2学期は、許してやれよ!』
緒方の言葉を、思い出した。
………許すとか、そんなんじゃない。俺たちは何かが、間違ってるんだ。
それを追求しないで、このまま卒業なんて、嫌だった。
天野の笑顔を思い出すと、どうしょうもなく胸が痛くなる。
あいつを好きだって、気が付いてから……あいつを守るって決めたのに。
天野との4年間が、このままじゃ本当に壊れてしまう。
「………うっしゃ!」
俺は立ち上がってケツの埃を叩くと、保健室に足を向けた。