chapter5. calling you 君を呼ぶ -重力の宿命-
1. 2. 3. 4. 5.
1
天野を泣かせない。
そう、誓ったのに。
俺は、自分から手を離した。
この腕は死んだ、と思って。
アイツにはもう必要ないんだって、傷ついた自分の心を、天野のせいにした。
そして、まんまとサクラバに嵌められて、縛られて……
本当に、目の前で泣いている天野を助ける事も、抱き締めることも出来なかった。
それでも、叩かずにはいられなかったんだ。
あいつのバカな我慢を……
俺だけには、言って欲しかったって!
……でも、殴れるはずなんか……ない。
あの我慢の延長みたいな、ぎゅっと瞑った目を見たら……俺の方が、泣けてきた。
ごめん……ごめんな……
何があっても、どう突っぱねられても……
変だと感じる限り、危なげなコイツの手を、絶対に離しちゃいけなかったんだ。
頬に触れた瞬間、ふんわりと。
肩を抱いた腕に、じわっと……天野の体温が、伝わってきた。
その熱を感じて、俺の両腕…生き返った。
『あっ……あぁん』
『可愛いよ……天野君』
『ぃやあ…ぁああ……んぁあ…はぁ』
『ふふふ……もっともっと、イイ声だそうね』
『───────!?』
何……してんだ?
天野の声……普通じゃない……こんな声……
俺は何も見えなくて、声だけ聞かされてるのに焦れた。
「何……なに、されてんだよ……天野!?」
思わず叫んでいた。
俺はこの夏、篤志たちのスケベな本で、いろいろ知った。
仲間の中じゃ、知らなさすぎたから。あいつらと付き合うだけのことは、あったと思った。
…………それにしたって。
『霧島君……見ないで…!』
『─────えッ!?』
いきなり取られた目隠しのせいで、一瞬何も、見えなくて…。
霞んだ視界に、ぼんやり浮かんできた天野の姿は……
夏前に、公園で倒れていた姿を、思い出した。
あの時はほんと、酷くて……
───でも、ちょっと待てよ。
───これ……なんだ。
天野は素っ裸に、靴下と長袖シャツ一枚……一番下のボタンだけ、留めてるけど、左右の合わせがずれてる。
それで、隠してるつもりなのか…? …ソコは…ほとんどが、見えていた。
その格好だけでも、俺の心臓は飛び跳ねた。
───なんてカッコ…………ウソだろっ!?
桜庭先生の前で……先生にソレが見えてるのは、気にしてないようだし……。
そして、それよりなにより……身体中のあちこちに、紅い斑点。
首、胸、足の付け根……ケツのほうまで……
スッゲ……ヤラシイ───
こんなことって、あるかよ……
一人で我慢して。
いつも泣いてて。
どんなに訊いたって、首振るだけだった。
そうだよ……歩けないほど、ふらついたり。
顔が真っ赤だったり、体中、熱かった……
こんなこと、されてたんだ。
───俺なんかに、わかるわけねぇ……
言えるはずも、無かったんだ。
泣きそうなのに、………あいつ見て、掛ける言葉もなかった。
サクラバと、ありえねーキスを始めた天野は……
その光景は、凄すぎて。
スケベな本やビデオなんて、比べモンにならない。俺なんか手の届かない、別の世界みたいに見えた。
『……………』
『……見ないで』
息を呑んだ俺に、そう呟いた。その声で、俺は自分を取り戻した。
───なにやってんだ、俺…!
───驚いている場合じゃねぇよ!!
どうしようもなく、許せねぇ……
怒りが足元から、湧き上がる。泣かせてるサクラバにも、俺にも!
『天野───ッ!』
気が付いたら、叫んでいた。
俺が出来ることと言ったら、呼び続けることぐらいだったから。
─────天野! 天野! ─────
心の中でも、それだけをくり返す。
あいつを助けたい。一人で我慢して、今も一人で泣いてやがる……
あの声が、そして俺の声も…お互いに届かなかった。
それが悔しくて───
教えてくれって、どんなに思ったか。
何でなんだって、どれだけ悔しかったか。
───だから、……だから、この声、天野の心に届いてくれ!!
『……天野ッ、言えッ!! お前が言わなきゃ、何も変わんねーんだよッ!!』
「丈太郎! ……ジョウ!?」
俺を揺り起こす声で、目が覚めた。
「うわッ……ねーちゃん?」
ほっとした顔が、俺を覗き込む。辺りはまだ真っ暗だった。
「あんた、また寝ながら…泣き叫んでるから……」
「え……」
頬を触ると、濡れてる。
慌てて布団で、顔中擦った。
あれから毎晩うなされていて、姉ちゃんに度々起こされていた。
「もう、うっさすぎ! 気になって眠れないじゃんか!」
「……ごめん」
「またなんか、悩んでんでしょ? 相談してみろ、小学生!」
「イテッ」
ゴチっと、げんこつで頭を小突いてきながら、膝を抱えて横に座りこんでるねーちゃん。
襖一枚で仕切っているだけの部屋だから、何かあったらすぐ見に来てくれる。
「……平気。もう解決したんだ」
「そうなの?」
「うん……ちょっと、後遺症みたいのが、残って…」
「コウイショウ!? 生意気なッ! そんな言葉、使うようになったか~っ!」
笑いながら、ヘッドロックをかけてきた。
「ぐえ!」
脇に俺の頭を抱え込み、反対の腕をテコにしてグイグイ首を締め上げてくる。
「ねーちゃん、胸! 胸!」
当たってるっつーの! ったく、コイツは!
「あ、そうか! 女の子だ!? ジョウもオトコノコになったんだね~!」
「────ぎゃッ」
……握りやがった!! 信じらんねーッ、クソ姉貴!
「姉貴! てめ……」
「おお!? テメーとか言うか! ココこんな硬くしてーー!!」
楽しそうに、俺の股間を揉んでくる。
「…………………………!!!」
声にならない叫び声を上げながら、布団の上で取っ組み合いになった。
「煩い! 何時だと思ってんの!!」
下から母ちゃんが叱りに来て、その場はやっと収まった。
「ジョウ、強くなったねぇ」
ねーちゃんが、振り乱した髪を掻き上げながら、ニカッと笑った。
「……まあね!」
俺もニッカリ、笑い返した。だてに鍛えて無いっての!
……それでも、この怪物姉貴と、それからその彼氏…タクマさん。この二人にはまだまだ全然勝てない。
俺は早く、もっと早く大きくなって、強くなりたかった。
「ジョウ、なんだったら拓馬に相談してみ。ねーちゃんが、言っといたげる!」
「え…いいよ! んなこと!!」
すっごい格闘マニアで、ワザはいろいろ教えてもらってはいるけど。
そんな相談なんか、考えもしなかった。
ナニを想像したのか、ニヤニヤしながら消えた襖めがけて、枕を投げつけた。
「はぁ──ッ!」
寝っころんで布団をかぶり直して。なにはともあれ、静まってくれた下半身にホッとした。
“コウイショウ”だと思った。……こんなの。
あの時、サクラバにも、コレを見抜かれちまって。
「……はぁ…」
天野があんな事されてるとき、俺の身体は変になっていた。
天野の声を聞くと、……身体の芯が熱くなって。
アイツのハァハァ言ってる声と一緒に、自分の荒い息も、ずっと聞こえてた。
── そして、やっと目隠しが取れた時。
あまりに色っぽくて、卑猥なカッコの天野に、一瞬なにもかも……わからなくなった。
「最低だ……俺」
腕を持ち上げて、目を覆った。
余計瞼の裏に、あの姿が浮き上がってきた。
『……天野!?』
やっと抱き締めることができた身体から、力が抜けていった。
崩れ落ちた天野を、柴田先生が抱えて、病院に連れて行った。
俺が負ぶって、俺が連れて行って、やりたかったのに。……それができない非力さが、やっぱり悔しくて。
でもせめてと、服は俺が着せた。それだけは、俺がやった。柴田先生だって、見ちゃダメなんだ。
見て欲しくなかった……アイツのあんな身体。
「───はぁッ…」
腰がまた、熱くなって来やがった。
布団を引き寄せて体中に巻き付けて、寝返りを打った。
“ジョータロー、知らねーだろ。アレ、スッゲ、気持ちいいんだぜ!”
何かを掴むように、右手の指で輪を作って、腹の前で上下に動かしてみせる。
篤志たちは、もうやってるって言ってた。
でも…それは、あのスケベな本を見ての話しだ。
俺は────
天野に対して、こんな事思っちゃうの……
俺……おかしいんかな……
天野は一週間、入院することになった。
誰にも内緒だから。
俺だけ毎日、一人で見舞いに通っていた。