chapter11. unusually soul -異質の愛-
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“ フォーリン・エンジェル ”
そう聞こえた、囁く様な声── それがいったい何なのか、それ以上は口の端には上らなかった。
ただ妖しく微笑む二巨頭の瞳の間だけで、語られていた。
俺の叫びなど、グラディスには掠りもしなかった。
『美しく、育ったものだ』
“写真の面影が無い”と静かに笑うから、俺はまた言ってやった。
『もう7年も経っているんだ、当たり前だろう!』
それに俺は、もうずっと髪を切っていない。すでに横も後ろも肩につく長さだった。
『残念だが…メイジャーのモノでは、わたしはもう手を出せない』
綺麗な細い目に、長い睫の影を落として。銀の魔物は一瞬だけ俺に微笑むと、退室して行った。
「……外の空気が、吸いたい」
こんな真冬の夜、甲板に上がることなど今まで無かったけれど。
どうしても風に当たりたくて、俺から頼んでいた。
グラディスの出現が、心を揺さぶる。遣りきれない怒りと悔しさが、薬で霞ませている辛い記憶を呼び覚ます。
オッサン…チェイス………メイジャーだって同じだ……
─── そして、恵……
メグ…もう戻れないのなら、辛いだけなんだ。
……思い出も何もかも、俺は置いてきたのに……でも…忘れられる訳がない───
「─────」
はぁっ…と吐き出した息が、夜闇の中で白いモヤになって消えていった。
切れるような冴えた空気が、肺まで凍らせるようだ。三人分のモヤが、次々に吐き出されては消えていく。
メイジャーとシレンも、無言で黒い空を見上げていた。
降るような星………
水平線の際まで、それは続いている。遮る物は雲しかなく、相殺するはずの月光も出ていなかった。
───この世の風景とは思えない…無限の星宇宙だ……。
「寒いか」
横のメイジャーが、俺をコートの中へくるみ込んだ。
「……………」
西も東も、わからない。俺のいた世界は、どっちなんだろう……
引き寄せられたまま、デッキの手摺りにしがみついた手を離せなかった。
『どこまでもいこう』
そう言って、たどり着いた小さなホテル。あの部屋にも、これと同じ世界があったんだ。
……俺と恵だけの…小宇宙。
胸が痛くなって、視線を落とした。
停泊させた船は、真っ黒な大海にたゆたっている。
足下…手摺りの外側には、深い闇が広がっていた。
「─────」
背筋がゾクリとした。
高さも判らないほど、深い……その底から、船体に当たる波の音が聞こえてくる。
シンとした空気の中で、その音は、不気味な生き物の蠢きのように思えた。
───逃げ場なんて、無い。
船室が息苦しくて。藻掻くように、甲板に出て来たけれど……またこの思いを、味わうだけだった。
見渡す限りの星、海、……闇。
大陸の明かりが、届かない。……ここが…俺のいる場所────
「ん………いいよ…」
シレンの声が甘く響いた。
甲板から戻った後は、いつもの時間だった。
メイジャーは時々、俺の前にシレンを抱いていた。
俺は部屋を出て一人になることが許されず、その時はベッドから一番離れた奥の壁に寄りかかり、床に蹲っているしかなかった。
「あっ……いい、メイジャー…」
「シレン…」
「…あぁぁ…あん、あ……メイジャー…いく…ボク、いくよ」
喘ぎ声が絶頂に向かっていく。耳を塞いでも聞こえてくる、甘えた声。
初めて聴いた時は、思わず二人のベッドシーンに目をやってしまった。……あの時の強烈な映像が、瞼に焼き付いて離れない。
華奢な身体が、メイジャーに組み敷かれていた。分厚い身体に、白くて細い手足が絡みついていて……
頬を紅く染めたシレンが、幸せそうにメイジャーを見つめていた。
『……俺が、憎くないのか』
あの後信じられなくて、また訊いていた。
俺の存在を、シレンは……
『メイジャーを独り占めできるなんて、そんな贅沢…端から思っていません』
そう言って、微笑み返された。
『それに、ボクの事を…。ちゃんと愛してくれてるの、判っていますから』
『─────』
俺はそれを、信じられない思いで聞いていた。
“ちゃんと愛して”……そんなこと、あるかよ。
シレンの想いと同じだけのものを……メイジャーが持っているとは、とても思えなかった。
───だって、そうだろ……
「克晴」
低い声に呼ばれて、現実に引き戻された。
身体を清めたシレンが、ブラウスに袖を通している。
「─────」
……今度は俺だ…。
立ち上がった時、シレンの口ずさむ微かな歌が聴こえてきた。
「………………」
澄んで響く……女性のようなハミング。嬉しそうに口の端を上げながら、ボタンを留めている。
なんで、この人は……
「この歌姫がいる限り、オレの船は安全だ」
「……すべては、メイジャーのために…」
熱い口づけを再度交わすと、軽やかにブーツの踵を響かせた。
「………………」
───俺にとって、見せられている方が…まだマシだから……
シレンが先に退室していくのには、助けられる思いだった。閉まるドアの音を背中で聞いて、溜息をついた。
「克晴、来い」
代わりに俺をベッドに迎え入れて、メイジャーは何事もなかったように腕に抱き込んで、唇を合わせてきた。触れる肌が、冷え切っていた俺の身体には、妙に熱い。
「………ッ」
いつもより嫌悪感が激しくて、思わず逆らってしまった。
「どうした」
そむけた顎を掴まれて、視線を向かい合わされた。
「…………」
どうって……何も感じない方が、おかしいだろう。
「メイジャーも、シレンも……変だ」
ダークブラウンの瞳と、見つめ合った。
「俺には……こんなの…理解できない」
……二人の愛って、何なんだ───こんなセックス……あり得ない。
いつも通りのナイトランプ。照らされて揺れる、壁の影。でも……シーツにはまだ、シレンの体温が残っている。
耳には、今さっきまでの甘い声が、まだ聞こえるようなのに……
「シレンの後が、イヤなのか?」
目の前の髭面が、乱れていたオールバックを掻き上げながら、楽しそうに笑う。
「……誰の後も前も、嫌に決まっている! そんな事、言ってるんじゃ…」
「どうだかな」
言い終わらないうちに、口を塞がれた。熱い舌が入り込んでくる。
「……んっ」
やっぱり嫌だ。ムカムカする。
「………あ」
抵抗も押さえ込まれて、そのまま愛撫が始まった。
「そう妬くな、可愛がってやる」
「…違うって……」
両肩を上からベッドに押しつけられて、もう逃げることは出来ない。
メイジャーは、オッサンみたいな無碍な拘束は、絶対にしなかった。
でもこの巨体に物言わせた圧力で、顔の横に手を突いて、跨られただけで……囲われた檻の中に、居る気分になった。
その腕が直接、体を押さえてきたら。俺なんて、まるっきりの子供同然だった。
「今は、オレだけを見ていればいい…克晴」
耳元でズンと響く声がそう囁いて、唇が首筋に下がっていった。
伸びた髪を梳いては、耳やうなじまで舐める。
「綺麗な髪だ……」
黒いカラーは、メイジャーも同じだけど…俺のはストレートすぎて、サラサラと落ちてしまう。
「この眼に、よく似合う」
鼻が付くほどの距離で見つめられて、逸らすことも出来ない。
瞬きもせずに、睨み返した。
「そうやって、オレを煽れ」
……煽っているつもりなんか、無い。
でも、オッサンもよくそう言っては、俺の眼に欲情していた。
───嫌なのに……抗うほど、最悪になっていく。
「ん……ふ…」
何度もキスを繰り返された。触れるだけ…いきなり吸い上げる……呼吸を保てずに翻弄されていく。
「……ぁ…」
太い指が、胸を弄び始めた。摘んでは擦り、突起の感触を楽しむように、撫で回す。
「…ん……」
ビクンと胸筋が痙攣してしまう。ゾクゾクと背中が、痺れだした。
──イヤだ。
ここまでが、我慢の限界だ。目を瞑ったまま、歯を食いしばった。
「……メイジャー、薬……」
「……ッツ…」
打ち終わって全身に回るまで、暫くかかる。
仰向けの俺に、添い寝するように片肘を立てて寄り添って、メイジャーが様子を見ている。
……早く…何も判らなくなってしまえばいい……浮遊し出す感覚に、目を閉じて意識を任せた。
「……克晴」
密集した口髭が肌に触れて、唇が押し当てられた。
「……………」
………まだ早い……
さっきの嫌悪感も、残っている。
首を振って拒んだ俺に、メイジャーが笑った。
「嫌か?」
「………当たり前だ…」
余裕を含んだ笑みに、腹が立った。……判っていながら、訊いてくる。
「シレンが気になるからか…それとも、オレに抱かれるのが嫌なのか?」
大きな手が、腹から腰、太腿へと滑った。
「───ッ」
内モモ…足の付け根…と、指先に力を込めて触ってくる。
いちいち反応する、俺の身体。
「……こんな……何もかもが、全部…嫌だ……」
回らなくなってきた舌で、掠れた声を絞り出した。
……こんな状況……
ここに居ることが、俺自身がメイジャーに飼われている事が、何もかもだ。
その思いを込めて、横から覗き込んでくる顔を睨み付けた。
「しかし、チェイスよりは…いいだろう?」
「────!?」
霞んでいる頭にでさえ、その名は脅威だった。
当たり前だ…アイツを引き合いに出すなんて……! 知らずに、肩が震えた。
─── チェイスなんかに比べたら、それは…遙かに……
揺らぐような自信では無いくせに、試すような目で俺を見つめてくる。
「オレよりチェイスがいいなら、アイツに渡すぞ」
「……そんなこと、あるわけ────!」
ニッと口の端を上げたのを見て、俺は言葉を止めた。
「だったらチェイスより、オレの方が良いな?」
「──────」
俺は“メイジャーが嫌だ”と、こんな状態が嫌だと…言っていたはずなのに……
なんで、メイジャーが良いと、言わなけりゃ……いけないんだ?
……いつの間にか、話をすり替えられた……
納得のいかない苛立ちを感じて、にやついている顔を、再度睨んだ。
「どうなんだ?」
「………………」
……ここで逆らったって、いいことはない。
俺は仕方なく、小さく頷いた。
「ふ…可愛い奴だ」
片腕に抱き込まれて、ディープキス……反対の手で、背中を大きくさすられた。
───薬がかなり、回ってきた……
浮遊感と墜ちていく目眩の中に、意識を手放そうとした時、耳元に低い声が囁かれた。
「そんなに苦い顔をするな。嫌なら今日は、止めてやってもいい」
………え…?
「そのかわり、今日こそオレを愛していると、言え」
「─────!」
一瞬の天国と地獄……喜ばされて、突き落とされた。
……薬が冷めたかと思うくらい、血の気が引いていった。
「言えば、嫌なことは止めてやる。オマエを大切にすると、約束したのだからな」
両腕で俺を抱き込んで、頭を撫でてくる……。
メイジャーがよくやる、言い聞かせるときの仕草だった。
毛深い両脚の間に俺の脚を挟んで、体温を与えてくる。冷たい室温に晒されている肌は、つい安堵を覚えてしまう。
一見したら、とても大事に扱われているように見えるだろう……そして、従えば本当に約束は…守ると思う。
……でも……
「…………………」
抱え込まれた腕の中で、メイジャーを見上げて。
「どうした?」
「────」
無言で首を振っていた。……何も…答えられなくて。
「言わないという事は、犯して欲しいという事だな?」
「……あッ」
突然、メイジャーの手が、尻の割れ目を撫で上げた。
指が肉を掻き分けて、核心に迫ってくる。
「──やッ…!」
冗談じゃない、そんなつもりは……!
「嫌ではあるまい。選択したのは、オマエだ」
見下ろしてくる眼が、何を言っているとばかりに嗤った。
そのメイジャーを仰ぎ見て、ぎくりとした。
───真っ黒……?
緑がかった濃い茶色の双眸が、漆黒に変化している。
「………………」
その眼に吸い込まれるような、錯覚を起こした。
「言わないのは、抱かれたいからであろう? もう、フリなどするな」
「んッ、ぁああっ……!」