chapter16. Silent Siren -11月の雪-
「……雪」
ふと漏らした僕の声に、霧島君も視線を外に向けた。
「……まじかよ、まだ11月だぜ…?」
放課後のチャイムが鳴り、人が少なくなっていく教室の中で、僕はのろのろと帰り支度をしていた。
窓側の一番前の席。その後ろは今も、緒方君だけど……
学校に通い出した僕を、霧島君は前と同じように面倒見てくれていた。休んでいた間の勉強も、学校でのいろんなことも…付きっきりで教えてくれる。
緒方君は何か言いたげに僕を見るけれど、以前のように触っては来なくなっていた。
─── そして僕は……
薄曇りの白い空を、窓ガラスの内側から見上げた。
校庭の桜の木は、まだ枯れ葉が落ちきっていないのに。
今日は冷えすぎると、何度もみんなで手をさすっていた。
「……寒いわけだね」
薄ねずみ色の空から、白い粉雪が降ってくる。
「そりゃ来週から、12月だけどさ……早すぎねぇか?」
呆れたように霧島君も、見上げながら言う。
雲の向こう側の太陽が、空を変に輝かせて。
その眩しいような白い世界を、窓際に並んで、僕たちは見上げ続けた。
『雪だね』
そう言って、窓の外を見たことがあった。
閉じこめられた部屋の中から、笑わなくなってしまった克にぃと。
……克にぃの大学受験が終わって…僕の終業式を待ってて……
黙り込む克にぃを見つめていたら、大粒の雪が降ってくるのが、後ろの窓に見えたんだ。
黒髪のシルエットの上に、音もなく、舞い落ちてくる雪。
会話も笑い声も止まっちゃったあの時の部屋では、その光景が変にゆっくりに見えた。
克にぃと一緒にいるのに、悲しかった。
隣りにいるのに、難しい顔の克にぃが、とても遠く感じたから……
───でも……
でも……それでも、側にいるだけ────良かったんだ。
「……雪だねって」
「……ん?」
呟いた僕に、霧島君が顔を向けた。
「克にぃとね、部屋から見たことがあった」
「…………」
「もう春も近かったのに……季節外れのドカ雪だって…言ってた」
「……へえ」
僕が克にぃの話しを、するなんて。
……そんな驚いた顔で、相づちをくれる。
「なんかね、思い出しちゃった。……この雪、見てたら…」
突然降り出した粉雪は、僕の心にも、思い出を降らせる。
突然消えちゃった、僕の克にぃ。
大学も辞めたって……ケイタさんが言ってたこと、ホントなのかな。
自立するために、家を出たんだよね……
大学に専念するから、出たんだよね……?
じゃあ、なんで…帰ってこないの────
どうなっちゃってるのか、知りたいのに。
とうさんに聞くと怒り出して、違うことを言い出す。
“兄離れしろ、オマエももうすぐ中学生だろう!”
かあさんも、“お父さんの言うことは聞きなさい”しか言ってくれない。
他の事なら、話しやすくなったと思う。
ご飯の時も、学校でのこと聞いてくれるし。仕事が忙しい時は、メールをくれる。
でも───克にぃのことだけは、教えてくれないから……
僕の心は、戸惑ったまま……思い出の中で、ずっと迷子。
「あ、そうだ…その日にね、霧島君…僕のウチ、来たでしょ」
ついでに思い出した、あまり楽しくないこと。
窓から見下ろしたポーチを、霧島君が傘も差さずに走って帰っていくのが、見えたんだった。
僕抜きで、克にぃと何か話したのかなって…心が嫌なもやもやになった。
「えっ…」
目を丸くしていた霧島君が、もっと驚いたように身体を揺らした。
「……そうか、あの日か」
手の平で口を押さえて、眉間にシワを作って俯いてる。
「……どうしたの?」
覗き込むと、苦虫を噛みつぶしたような、変なカオ。目だけは真剣に、横の机を睨み付けて。
……霧島君?
「……いや、嫌なこと思い出しただけだから」
俯いたまま顔の前で手を振って、何かを追い払うような仕草をした。
……かと思ったら、いきなりハッと顔を上げて真っ赤に顔を染めた。そのまま目を見開くようにして、僕をまじまじと、見つめてくる。
「……………」
「……な…なに?」
あんまりじっと見るから、変にドキドキしちゃって…僕も赤くなったと思う。
克にぃに、そっくりな顔……熱っぽいそんな視線は、まだ僕に錯覚を起こさせる。
机一つ挟んで身を寄せる僕たちは、妙に近すぎる気がした。
抱きついたり、抱き締められたり。霧島君とは今までずっと、大胆なことしてるのに。
「いや、なんでもない……それよかさ」
ごまかすように笑って、霧島君はまた、空を見上げた。
「あれからまだ、1年経ってないんだな」
「……………」
「なんか、信じらんねぇ」
「………うん」
ほんとに……
3月最後の雪…克にぃと二人だけの、どこまでも行く旅……
そして、4月の終わりに、ふっと掻き消えたようにいなくなっちゃった。
それからまだ、半年しか経っていないなんて。
克にぃなしで、生活してるなんて……
辛いこと、悲しいこと、毎日毎日色々なことがありすぎて、大変だったから。
何年も過ぎちゃったみたいだった。
「………」
ふうと吐いた溜息が、教室の中なのに、白いモヤになった。
「帰ろうぜ、どんどん寒いよ」
「…うん」
気が付いたらもう、誰も居なくなっていた。ガランとした教室の中で、僕たちは、ずいぶん長いこと雪を見続けていたみたいだ。
昇降口を出ると、直接雪を感じた。
細かい粉雪は小さすぎて、口の中に入ったときだけちょっと冷たい。
……これ、克にぃも見てるのかなあ…
眩しく光る空を、眺め上げた。
「寒いな、走ろうぜ!」
白い息を吐きながら、霧島君が笑う。
紅葉した落ち葉の上に、うっすらと白い雪がかぶってる。
それを蹴散らして、僕たちは門まで走った。
「……はぁ…」
克にぃの居ない校門。
僕はもう、泣かない。
……泣いてたって、帰ってこない。それをもう、解ってしまったから。
「今日も、俺んち来いよ」
心配そうに僕を見ながら、霧島君が言ってくれた。
“外で遊んじゃダメ”って…そう言う克にぃが、いないから。放課後も霧島君が、遊んでくれるようになったんだ。
「うん」
僕は微笑んで、後ろを付いて走った。
ランドセルが、ガタゴト。
僕、自分で次の日の用意、するんだよ。
コンパスも、三角定規も、リコーダーも忘れない。
克にぃのお荷物じゃ、ないんだよ。
心臓が嫌な音でドキドキと、音を立てる。
僕を…嫌いになっちゃったの……?
そんなはず、あるわけないって…思っているのに。
じゃあどうして、一言も連絡がないの。
悲しくて、ついそんなこと考えちゃう。
……それとも。
“大人に酷いコトされた”って、言ってた。手首を怪我してた、克にぃ…
何かあったの…?
とうさんは、何か知ってて、隠しているの…
いつかは───帰ってくるんだよね……?
ドキドキ、うるさい。心臓。
ガタゴト言うランドセルと、僕を呼ぶ霧島君の声で掻き消した。
克にぃ……
いま、どこにいるの……
早すぎる11月の雪は、無音のまま降り続いて。
積もることなく、いつの間にか消えていた。