chapter17. reveal the love -到達-
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1
「アッ…!」
衝撃を受けて、視界が揺れた。床に全身を叩き付けられて、天地が回る。
「………!!」
俺は訳が判らないまま、必死に顔を上げていた。
「やるじゃねぇか……カツハル…」
怒りと薄ら笑いで顔を歪ませた、猛獣────
ずっと後退りをしていたはずの、チェイスが……拳を振り下ろしたまま、息を荒げて、俺を見下ろしている。
………反撃…された……?
我に返った俺は、やっと何が起きたのかを、把握した。
倒れ込んだ衝撃が今更のように、殴られた痛みとヤツへの恐怖を、目覚めさせてくるようだ。
焦点の合ってきた視界の中で、ニタリと笑う巨体が、近付いてきた。
消えろ…
────消えろ……消えろ!!
ただそれだけ、胸中で叫んでいた。
目の前に立ち塞がる“壁”、俺はソイツを消したかった。
他には何もない。
頭も心も、真っ白になって、弾丸のように突っ込んで行って────
「……ウオオオオッ……!」
「グォッ…!?」
オッサンの体を飛び越えて、がむしゃらに出したフックが、チェイスの左頬にヒットした。不意を喰らって、驚いたような顔。
「……うがぁあああッ!」
叫びながら更に一撃、鈍い音と、拳への反動……そんなもの、俺にはすでに聞こえない、感じもしない。
ぐらりと揺れた体が持ち直す前に、腹、胸、肩へと、連打を喰らわせた。
「うぁああ……うわあああッ!」
もう一発、もう一発! 喚き叫びながら、ひたすら分厚い体に、拳を叩き込んだ。
───攻めろ! 攻めろ! 攻めろ! ───耳鳴りのように、わんわんと響く。
倒せ、倒せ、倒せッ、倒せッ! 動かなくなるまで殴れ、殴れッ!
───倒れるまで、攻め続けろッ!!
……ハァッ、ハァッ、ハァッ! ……体中が燃えるようだ。全身がバネの様に弾けて、足も腕も一体になって───
仕留めることだけに、夢中になった。
熱い炎も、息苦しさも、恐怖も怒りも……真っ白な意識の中には、存在しない。
オッサンがどうなったかなんて、判るはずもない。
気圧されたように後退するチェイスを追いかけて、部屋を出ていたことにも気付かなかった。
「……どうしたよ? カツハル」
憎々しげに、挑発するような声。
「……………」
俺はもう一度、無様に転がった身体を起こしながら、煙る廊下を見渡した。
反撃した位置で足を止めたまま、赤い炎に照らされた巨体が、俺を見下ろしている。
……ハァ…ハァ…
ズキズキと痛み出す右肩に、心臓の音が合わさる。
それをごまかすように、俺は床に着いた手をぎゅっと握りしめた。
───手応えを、感じたのに……!
倒しきれなかった悔しさが、今度こそ全身を駆け巡った。
「子猫ちゃんだと思って、甘く見たぜ」
ゆらゆらと身体を揺らしながら、チェイスがゆっくりと距離を詰めてくる。
「来いよ、もう終わりじゃねぇだろ? 可愛がってやるよ…カツハル」
……俺の柔パンチなんかじゃ、倒せないのか───
一瞬、背筋がゾクリと震えるのを感じた。───いや……!
「くそッ…!」
床を蹴って飛び起きると、チェイスの横を擦り抜けて、居住区の方へ躍り出た。
「……ッ!」
脇を抱えられそうになるのを、身を捩って回避した。そのせいで、また肩から床に転んでしまった。
「ヒャハハ…威勢がいいな!」
チェイスが、嗜虐的な笑みを作った。
「オレを誘ってんだろ? 逃げる振りして、身体を見せつけてやがる…」
怪しげに眼を光らせて、両脇に裂けそうなほど口の端を持ち上げて笑う。
その様は、今まで以上に不気味さを煽った。
「もう一度、オレに抱かれたいから、戻ってきたんだよなぁ!?」
歓喜に声を踊らせて、両腕を伸ばしてきた。
「………冗談ッ!」
俺は急いで立ち上がると、襲いかかってくる巨体から、身体を後ろに逃がした。
───やっぱりだ…!
さっきから、何となく気が付いていた。
体が軽い……信じられないくらい、手も足も身軽に感じる。
───捕まってたまるか!
間隔を置いて壁や天井まで焦げている通路を、俺はとにかく走った。振り向いては、チェイスの攻撃を避けて。
船がかなり傾いているのか、斜めになって滑る床が厄介だ。チェイスの手下らしき塊が、走る先々に焦げて転がっている。
「くっ…」
転びそうになっては、踏みつけて走った。何でこんなになってんのか。凄惨な現場も、今を生きようとしている俺には、ただの障害物だった。
でも俺は、それらを飛び越えながら、ますます身体の変化を実感していた。
軽すぎて、つんのめりそうになるくらいだ。
プレートを外したせいなのか……いや、プレートを嵌めていたからなのか…?
「──ハッ…」
走りながら、俺は皮肉な笑いで声を漏らした。オッサンの拘束で、総てを奪われ変えられてしまったのに。
……解放の置き土産が、こんなことなんて……
感謝する気にもならないけれど。これに勝機を見い出すのか……なんて思うのが、シャクだった。
俺の表情に気が付いて、チェイスもまた碧眼を輝かせた。
「身体が疼き出してんだろ? そろそろ逃げるのも、飽きたんじゃねぇのか」
下卑た笑いを、背中に降らせてくる。
「………!」
こんな状況で、ヤツの股間が膨れているのが、視界の端に入った。
「アッ…」
しまった───
見慣れた階段と横通路の近くまで来て、何処へ逃げようか、一瞬迷った。
その途端、足を何かに取られてふらついた。
「捕まえたぜ、カツハル!」
スピードが落ちた俺の、セーターの襟首を後ろから掴まれた。
「離せッ…!」
止まってもつれ合いながら暴れていたら、セーターが脱げてしまった。
それでも体が離れたので、僅かでも距離を取った。
「ヒャハハ…! 一枚一枚、剥いでいってやるよ」
嬉しそうに、銀獣が舌なめずりをする。
「………」
周りは炎が燻って、シャツだけでも熱いくらいだった。顎に滴り落ちた汗を袖で拭いながら、もう一度チェイスと対峙した。
「ハァッ…、ハァッ…」
間合いを計って、お互い睨み合う。
肩で息をしながら、俺は自分の呼吸を聞いていた。さっきまで夢中で聞こえなかった音も、耳に入って来る。
足下から響く振動が、どんどん酷くなっている。床もかなり傾いていて、どこかで新たな火を噴く破裂音が、聞こえた。
ふと、違う恐怖が俺を襲った。
───この船が……本当に沈むのか…?
俺を閉じこめた、異世界……初めて見た時、この通路は不動の要塞のようだった。
あの鉄壁の冷たさと威圧感が、今は見る影もない。
炎と煙の中にあるのは、焼け焦げた鉄壁、外れたドア、剥き出しになって切れた配線…転がる死体───
……ここは、メイジャーの世界だった。
俺にとって、第三の世界。ここに居るしかないと諦めて、覚悟を決めたのに……キングを失ってしまった。
そしてまた……生死の瀬戸際で、こんな状況に陥っている。
どうしてこうなるんだ。俺は自分で決めた道を、進めない。
「……………」
歯痒い苛立ちを、思い出していた。
“なんでこうなるんだ……どうして俺なんだ……” ───それは今も、終わった訳じゃなかったんだ。
「そんなセクシーな眼で誘うなよ。…直ぐに、ヨがらせてやるぜ」
距離をとって睨み上げる俺に、チェイスが荒い息を吐いた。淫猥な光を、碧眼に浮かべている。
「……………」
俺の上から下まで、舐め回すように視線を走らせて、膨らんだジーンズの前を弄りだした。
……こんな時に、正気の沙汰じゃない。
「オマエのイク時の顔、たまんねぇぜ。スッゲェ興奮する…締まりのいい尻も、忘れられねぇな…ハハッ」
「………黙れ!」
恥辱の言葉……最悪のいたぶり方だ。
怒りと羞恥で、顔が赤くなっていくのがわかる。
「ヒャハハ…もっと喜べよ、褒めてんだぜ!」
紅潮した顔で、濡れた舌を見せた。右手の指を執拗にしゃぶっては、ヨダレを垂らして笑う。
「……?」
……何か変だ……いくらチェイスでも、この状況で、こんな発情の仕方は…
「……え」
ヤツがジーンズのポケットから引っ張り出したモノを見て、まさかと目を瞠った。
「ヒャハハ…効くぜぇ、コイツ! 流石だぜ…」
指に付けては舐め取っている……その手にしている小袋は、あの薬───
「気持ちイイゼェ……ヒャハッ! カツハルもキメろよ」