chapter17. reveal the love -到達-
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6
「…グフッ」
拳を震わせたチェイスが、奇妙な唸り声を上げた。
怒りに狂って、殴りかかって来るかと思った。
でもその場から動かず、チェイスは握った拳をこめかみに当てて、吼えた。
「ゥォオ……ウオオオオオ……ッ!!」
両目から、大粒の涙が零れ出した。
「ウオオオオオオオ……オオオオオ……」
「─────」
……泣いている……このチェイスが、泣くなんて……
俺は……唖然としながら、それを見ていた。
そして、その声の中に響く“哀しみ”が、聞こえてくるようで……
───コイツが、心の底から悲しんでいる。
それが伝わってくるのが、酷くショックだった。
「この銃をグラディスから受け取ったとき、ボクは今度こそ、確信した」
また一歩踏み出して、シレンが追い打ちを掛ける。
「オマエの命なんか、あの人は構ってはいない……心底、愛されてないんだってね!」
その言葉は、決定的だった。
「ウガァアアアアア…!」
意味不明に喚いて、チェイスの眼が怒りに燃えた。
「言うな……ウルセェんだよ!!」
牙を剥いて、ダンッと床を踏みならした。
「ぶっ殺してやるッ」
銃口を前に、2.3メートルの距離を置いて、拳を構えた。
そして、何かに気付いたように鼻で笑い出した。
「……ガタガタ、震えてんじゃねぇか……撃てるのかよ?」
「…………」
その言葉通り、シレンの腕はずっと震えて、肩での呼吸は治まらないでいた。
「たっぷりと、薬漬けにしてやったよなぁ……その体……」
余裕を取り戻したように、ギラギラと碧眼を光らせる。
「カツハルの後、オマエももう一度、可愛がってやるぜ……」
厭らしい笑みを浮かべて、唇の端を舐め上げた。
「………ッ」
シレンの呻き…屈辱に震えるように、銃先がぶれた。
その時、今までにない爆発が足下から、起こった。
船体を揺るがす衝撃と爆裂音、熱が近すぎる───
「……うあ…ッ!!」
床を通して風圧に当てられたように、俺たちの身体は跳ね上がって、よろめいた。
シレンの背中が俺の胸に倒れてきて、二人でもつれて転がり、チェイスもその場で足を取られたように、転倒した。
───でも、その隙をチェイスは、見逃さなかった。
四つん這いに身体を起こしたまま、床を蹴って突進してきた。
「ウオオオオオオォッ…!」
獣のような唸り声。
「………アッ!」
俺の叫び……
総てが、スローモーションの様だった。
あんなに消耗していた体のどこに、そんな力が残っていたのか……
一緒に倒れたシレンが、バネのように跳ね起きて、足を開いて踏ん張った。
そして、両腕を真っ直ぐに伸ばした。
いつか見た、標的に照準を定める、綺麗なポーズ。
踵に重心を掛けて腰を落とし、グリップを握り込んだ右手を、左手が下からホールドして……
ぶれない腕───ビシリと決めた構えは、コンマ何秒という一瞬だっただろう。
でも俺の眼には、それは余りにも鮮やかで、綺麗に映った。
そして躊躇無く、トリガーを引いた。
ダ─────ンッ
鼓膜をつんざくような銃声と共に、チェイスの額が血飛沫を上げた。
悲鳴を上げることもなく、巨体が仰け反って、はじけ飛んだ。
「…ゴブッ」
体が床にバウンドする時、肺から漏れるような音が、最後の呻きとなった。
「……メイジャー仕込みの腕だ……外すはずが…ない」
涙しながら、シレンが呟く。
「たった一発……お前が撃ち残した、銃弾が……」
大切そうに両手でリボルバーを包むと、鉄音を響かせて弾倉を外した。
「メイジャーからの…贈り物だった…」
カランと空薬莢が一つ……足下に落ちて、俺の方に転がってきた。
「……シレン…」
細い体でスラリと立つ。それを見上げながら、俺は記憶を辿った。
あの時チェイスは、何発撃ったんだ……?
思い出したくもない、残酷な場面。
夜の甲板で、銃声が響く。メイジャーに…数発…そしてカルヴィンに、一発……
「残りはその、一発だけだったのか……」
シレンが俺を振り向いて、フ…と口の端を上げた。
───哀しい微笑……
「復讐は、……終わった」
静かに涙を伝わせながら、微笑む。
たった今見せた勇ましい姿が、ウソのように儚い……そして、力尽きたように、へたりと俺の横に座り込んだ。
「……シレン…大丈夫か?」
俺は飛び起きて、細い肩を支えた。
そして、やっと映画の幕が上がったかのように、ハッとして、我に返った。
余りに立て続いた予想外の出来事に、タイムリミットのことが、意識から消えていて……
「シレン…逃げるんだ、上で船が待ってる」
間に合うかなんて、もう判らない。
さっきの爆発───あれを聞いて、グラディスの船がまだ残っているとは───不安が駆け巡るのを全部押し殺して、シレンを立たせた。
「………ボクは…行かない」
寝室での激しい抵抗とは、違う。……総てを放棄したような、力のない声で。
「……もう、思い残すことは無いから…」
薄く笑って、俺が引っ張るのを、嫌々をするように首を振る。
「…………」
予想はしていたけれど……
また嘆きの海に潜ろうとする。その心をどうしても、浮上させたかった。
「だめだ…死んじゃ、ダメなんだ」
「……なんで? ボクはもう、待ってる人なんて…」
そこまで言って、シレンは初めてちゃんと俺を見るように、顔を上げた。
赤い髪を涙と汗で顔に張り付かせて、少年みたいに頼りなかった顔が、わずかに引き締まった。
「克晴……君は、好きな人がいるんだよね」
「………」
「君は、帰らなきゃ……助からなきゃ───」
「……待って無くたって!」
恵のことを急に思い出させられて、心がざわついた。
そうだ…帰らなけりゃ───
わかってんだ、そんなこと。でも、どうしてもシレンを放っておけなくて……
俺は、自分のこのどうしょうもない気持ちが何なのか、判らなかった。
駆り立てられる。
メイジャーとシレンを思い出すと、俺とメグを想うみたいに、心が熱くなる。
見捨てられないんだ……
「死なせるなって……メイジャーから頼まれた」
「……え?」
小首を傾げて、灰色の双眸を、僅かに瞠った。
「メイジャーが…俺に最後に言った言葉───シレンを死なせないでくれって…」
こうなることが、あの瞬時にメイジャーには予測できたみたいに。
……自分が今、海に落ちるって時に……最後までそんな心配をした、キング───
でも……その遺言は、俺には重すぎた。
ボロボロにされたシレン……薬でとは言え、あんな……
ベッドの上で、チェイスに言わされた言葉───それでも生きろと…?
メイジャーのいない世界で……そんなの、俺に言わせるなんて。
「俺は……伝えていいか……ずっと迷ってた」
シレンにとって何が一番良いのか、判らなかった。
でも…違うんだ。
メイジャーが、シレンに生きて欲しいと願うなら……
俺は、それを守りたい。メイジャーの想いを、俺も守りたかったんだ。
「どうしても、シレンを助けなきゃ…この想いは、メイジャーのものなんだ」
だから、一人だけグラディスの船に乗って逃げるなんて、出来るわけ無かった。
駆り立てられる想いの正体───それは、これだ。
メイジャーの守りたかった愛を、俺も、守りたかったんだ。
「あの人……そんなこと、言ったの…」
新しい涙が、頬をするすると流れていく。
頬を赤くして、哀しげに眉を寄せて……一瞬、微笑んだかに見えた。
……シレン
細い肩を、俺はメイジャーみたいに抱き締めた。
「ファミリーって、言ったろ…」
「……………」
「メイジャーとシレンと、俺で……いいファミリーに、なれるって」
「俺、嫌だったけど…その言葉は、嬉しかった。……そう言ってくれた、メイジャーを愛したシレンを、助けたいんだ」
「……克晴」
腕の中で、俺を見上げる。
「シレンを死なせたら、メイジャーは…哀しむ」
「…………」
こくん、と小さく、白い顔が頷いた。
俺はホッとして抱き締めていた腕を放した。
「……あ」
力尽きたように、シレンの膝が緩んだ。
「……シレンッ!」
しゃがみ込む体を、必死に掴み上げた。
「ごめん……もう、動けない」
弱々しく灰色の目が、見上げてきた。……涙を滲ませながら。
「克晴だけでも…行って」
「………バカ言うなッ」
やっと言い聞かせたのに……生きるって、思ってくれたのに。
俺は細い腕を引っ張って、強引に背中に負ぶった。
「行くぞ」
「…………」
苦しそうな呼吸だけが、耳元で聞こえた。
信じられないくらい、軽い体。
あんなに、痛めつけられていたんだ……限界の体を、ずっと気力だけで動かしていたのか───
脚を抱える腕に、力が籠もる。……このまま沈んで、たまるか!
「……メイジャーだったら、横抱きにして、運んだな」
グラディスを思いだして、変なことを口走ってしまった。
「………うん」
シレンがクスリと嬉しそうに、耳元で笑った。
「克晴…ありがとう」
「………ああ」
俺も、片方だけ口の端を上げて、笑った。
部屋を出るとき、大の字に手足を広げて、動かなくなったチェイスが目に入った。
「…………」
今度こそただの肉塊となった、怪物の成れ果て………
額を打ち抜かれたそのカオは、苦悶の歪みを浮かべて……涙の痕も、そのままだった。
───あの慟哭……
チェイスは……グラディスに愛されていないことを、判ってたんじゃ……
心の底では──それをあんな形で、決定的にされて。
シレンの追い打ちに怒った時、俺には地団駄を踏んで、黙らせようとしている駄々っ子のように見えた。
…………どうかしている。
自分の心に湧いた感情に気が付いて、苦い唾が出てきた。
……コイツに、哀れみを感じるなんて。
追っても追っても、手が届くはずのない兄……それの代わりのように、暴力で総てを手に入れようとした。
“グラディス”を兄なんかに産まれ持った、コイツの悲劇だ。
……ただ、どんなに歪んでいても、チェイスの“愛”も…コイツなりに、ホンモノだったんじゃないかって……
「──────」
だから何だって言うんだ。
そんなことが判ったって……今の俺には、どうでもいいことだ。
感傷も、憎しみも、全部チェイスの上に投げ捨てて。
俺は振り向きもせず、通路に出た。