chapter17. reveal the love -到達-
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3
いきなり光臨してきた、天上人…輝ける白銀の王───
黒煙と白煙の入り交じる中で。
汚れ一つ無い、端麗な顔と純白のロングコートが、スラリと目の前に立ち塞がった。
「……どうして」
俺はそれを見上げながら、呟いていた。
余りにも場違いな空気を一人纏う、その姿を目にして。存在そのものが、ウソのように思えた。
この男が、一人でこんな所まで………
傷だらけの俺たち二人は、さぞかしボロボロに映っていることだろう。
「…………」
立ち尽くす俺に、グラディスは一瞥だけよこして、オッサンを横抱きに抱え上げた。
───驚いた…
俺の肩から引き剥がして、軽々と両腕に掬い上げる仕草は、よほどの力を必要とするはずだ。華奢のように見えて、どれだけ強靱な肉体をコートの下に隠しているのか。
正体のないままオッサンの顔は、ボアフードに包まれて白カシミアの胸に埋もれた。
「お前が、マサヨシを連れ出そうとするとは……どういう心境の変化だ」
綺麗に響く低めのバリトンが、薄い唇から零れた。少しだけ見開いた銀細工の眼が、見下ろしてくる。
「──────」
どうしてと、聞いたのは俺だったのに。急な質問返しに、戸惑ってしまって……見返したまま、言葉を呑んだ。
………俺だって、判らない。
『ごめんね』
そう言った、オッサンの最後の声……どうしても、それが消えなくて。
肩に担いでいる意識のない体は、重すぎて。それでもそれを引きずりながら、考えていた。
なにしてるんだ、俺。置いていけよ、こんなヤツ。
総ての元凶だろ……助ける義理なんて、ないじゃないか。
チェイスと戦っている時だって、自分で解せない、矛盾した感情があった。
“権利”とか言いながら…俺はあいつを、庇ったのかって……。
「俺は……オッサンが憎かった。自分勝手な事ばかりで……」
「──────」
「……でも」
『克晴…君だけは』
そう言って、命がけで俺を逃がそうとした。……あの時のオッサンは、今までと違う。
変わったと思った。
信じられないことだけど……“俺だけ”…その想いが、今までとは違うって。
「…………」
目の前で抱えられている、酷い怪我で腫れ上がった顔…開かない目は、もう俺を見ることはないかもしれない。
それを見つめながら、やはり思うのは……
「オッサンの中に…愛を感じた───なんて…笑うか?」
言った俺が、自嘲気味に片頬を上げていた。
「─────」
見下ろしてくる表情は、動かない。
パチパチと火の爆ぜる音の中で、俺も何を言っているのか、自分でも判らなかった。
ただ、整理の付かないこの気持ち───吐き出してしまいたかった。
「……だから、それに報いたいと思った。それでいいじゃないかって……そう思ったって、いいんじゃないかって」
グラディスに言いながら、俺は自分に言い聞かせていた。
「……………」
冷たい彫刻のようだった白い顔が、また少し目を瞠るようにして、言葉を紡いだ。
「マサヨシが変わったなら……お前も──と言うことか」
「─────」
置き換えて、言い直されたその台詞。
それは…どう言葉にしていいか判らなかった、俺の想いだった。
赦せない感情が強すぎて、わだかまってしまった心のモヤ。俺は……解放する言葉を、探していた。
「……そう、俺も…変わった」
オッサンの、歪んだ愛……
こんな風に形を変えて、届くこともあるんだって……驚いた。
それを受け入れた、自分にも。
───そこに辿り着いて俺は、雅義との関係に……やっと決着がついたんだと、実感した。
「……お前の眼は、綺麗だ」
何のてらいもなく、グラディスが俺の眼を覗き込んだ。
「昨晩の輝きとは、また違う。成長しながら、お前はますます美しくしくなる」
「─────」
さらさらと肩を流れ落ちる銀髪が、腕に抱いた雅義をその奥に隠して。
首を伸ばして近付いてきた眼が、俺の体の中まで見通すように、見つめてくる。
「魅惑的なボーイ… wonderful doll ……この呼び名を、気に入らなかった様だが」
「……当然だ…!」
ムッと顔を顰めると、
「わたしはその本質を見抜いて、賞賛したのだ。……見込み通りだった」
綺麗とか…言葉じゃ言い尽くせない、宝石のような眼を持っている男が、満足そうにそんなことを言う。
それに、オッサンが見せた写真──俺が中1の時のだ……あれで勝手な想像をされていたのは、やっぱり面白くない。
「……………」
でも───成長…?
そんな単語が出てくるのは、意外だった。……どう答えていいか判らず、呆然と見上げていた。
「グラディス……あんただって…」
不意に湧いた思いを、口にしようとした時、
「………?」
部屋の入り口で黒い影が動いた気がして、視線を向けた。
煙の中に、シルエットが二つ。
全身を黒衣装に包んだ同じ顔の青年が二人、姿を現した。
「グラディス様。そろそろ行かないと、危険です」
凛とした声が響く。
───あ……
さっき、通路の向こうで動いていたのは……彼らだ。
グラディスの部下だったのか……道理で…!
明らかに船員とは違う、異質な雰囲気だった。
野暮ったさが、まるで無い。煙を切るような流麗な動きは、しなやかな鞭みたいだ。
二人は音もなくグラディスの両脇に立つと、雅義を引き受けようとするように、腕を伸ばした。
「……いや…」
短くそう言って、グラディスはオッサンを静かに抱え直した。
二人は心得たように下がり、踵を返した主人の背後へ並んだ。
「…………」
流れるような、淀みのない遣り取り。言葉を必要としない洗練された動きに、俺は目を奪われていた。
ドアを潜る時、グラディスがチラリと俺に、視線を投げた。
それを受けるように、左側の青年が言った。
「貴方も早く……この船は間もなく、沈みますよ」
その声に我に返って、俺はハッとした。
沈むって───
それで思い出した、色々な不安……。
急な爆発、消えたシレン、転がる死体……今朝まで、チェイスの天下だったこの船が、あっという間に変貌を遂げてしまった。
「ちょっと待て……他の船員は?」
部屋を飛び出して、白い背中に叫んだ。
「シレンは、無事なのかよ!?」
ずっと誰かに訊きたかった。何が起こってるんだって。
「なんでこんな事に、なってんだよ……これは、アンタの仕業なのか!?」
タイミングの良すぎる助け船は、却って疑惑を呼ぶ。
……でも、腑に落ちない手際の悪さもあって、判断がつかない。
グラディスが仕組んだのなら、オッサンがここまでボロボロになる必要は……無かったはずだ。
黒い砦の向こう側で、歩きながらも振り向いた銀の王が、肩越しに一瞥を投げてきた。
「わたしではない。……それぞれが、勝手に動いた結果だ」
冷たい光───
その感情の無さに、ゾッとした。
この熱くなった船内でそれは、俺の背筋を一瞬で凍り付かせるのに、充分だった。
その時、正面の煙の中から、また一人、同じ背格好の黒衣装が現れた。
───三つ子…!?
驚いて、眺めた。
3人揃って、同じ衣装、同じ黒髪を後ろで束ねて……スラリとした体躯は、目を瞠るものがある。
……でも、ちょっと違う……? 変な違和感。でもそれを探っている所じゃなかった。
「積み荷は完全に、移し終わりました」
駆け寄りながら、報告している。
………積み荷?
それへグラディスが頷くと、すぐさま右側に立つ同じ顔へ、声を掛けた。
「プルクス、上を手伝え」
「k」
それは、あっという間の出来事で。
声を掛け合った二人は、掻き消えるように姿を消した。
───積み荷って……新薬のことだよな……そのために?
………チェイスを裏切ったのか………
俺はてっきり、オッサンと俺の二人を連れて、下船するだけだと思っていたんだ。
まさかそれを奪って、船を沈めるなんて。
動転した俺の脳裏は、考えつく限りの疑惑を、空回りさせた。
後から考えれば、とんだマヌケな発想だった。
でも、この時の俺には、情報が足りなさすぎた。
グラディスの行動は、不可解なことばかりで。冷徹な言動と表情からは、真意が読めなかった。
……薬を打たれて犯られてる俺を、真横で観察してたり……。
だから──どんなに否定してみても、結局は弟の味方だと……そう見えていたんだ。
「おい…言い逃れすんなよ! やっぱりアンタが…」
食ってかかった俺の肩を、黒シャツの腕が押さえた。
「……!」
残ったもう一人だった。少し高い位置から見下ろしてきて、クスリ…と、眼を細めて笑う。
「敵を欺くには…。───見事に、嵌っている」
「………え?」
「貴方は勘違いしている」
「…………」
神秘的な顔立ちで、妖しげに黒い瞳を煌めかせる。
「無法者の手によって、主の消えた船が沈む───我々は、それによる損害を、最小限に抑えるだけです」
「カスター、お前も上に」
遮るように、グラディスの声が響いた。
「………」
一礼すると、その青年も音もなく煙の中に消えた。
「──どういう…」
説明を求める俺の声に、つと、階段の前まで来て足を止た長身が、俺の方へ向き直った。
「チェイスは、この世界の法を破った」
「……それは、奴の終わりを意味する」
正面を向き合って言い放つ、機械的な物言い。その顔には、何の感情も無い。
「─────」
シレンが教えてくれた。メイジャーとグラディスの、立場とバランス。
そして、最後の叫び…『この世界は、お前を許さない!』
じゃあ……
不正を制裁していたという、銀の王。
グラディスは取引の守番として、均衡を崩した男を──始末したと…?
ヤツの味方なんかじゃ、なかった……それどころか…
── チェイスを追いかけて来て、裁くであろう追手は、すぐ後ろに居たんだ。
「でも…何で船まで……」
こんな惨事にしなくたって、この男なら、直ぐにチェイスを始末出来たはずだ。
「さて……わたしは何もしていないと、言ったはずだ」
クスリと、笑い出した。
「都合良く沈んでくれて、幸い。……暴かれてはならない秘密が、守られる」
「…………」
「メイジャーの船内を、世界的に公開させてしまうのは、この世界では大いなる損失なのでね」
どこまでも、他人事のように───
でも、チェイスを倒したのは、俺だ……。そう言う意味では、手を下してはいないだろうが……
「………そんな言い訳…積み荷だけは、ちゃっかり搾取だろう?」
平然とした涼しい笑いに、嫌味を言いたくなった。
でも、グラディスは思い掛けず、微かに眉をひそめた。
「万が一のことがあったら……積み荷は返さなければならない」
「……万が一?」
聞き返した瞬間、何度目かの爆発に襲われた。
上からは、叫ぶ声。
「────」
グラディスは、オッサンを再度抱え直すと、俺にはもう構わずに階段を上りだした。
俺も後を追って、甲板に降り立った。
「…………ッ」
煙にやられていたのか、冴えきった外気が目に染みた。
顰めた視界の中で、吹き上げてくる風に長い銀糸が、水の流れを泳ぐように、夜闇へ舞った。コートの翻る音は、喧噪に掻き消された。
セーターも脱げてしまっていた俺の身体は、たった今まで掻いていた汗と共に、一瞬にして冷やされた。
「……うわ…」
デッキは、想像以上の惨状だった。
完全に陽が落ちた闇の中で、燃え上がる炎が、甲板を明々と浮かび上がらせていた。
噴き出す業火は、鉄板の繋ぎ目を割き、クレーンを足下から焼いている。
そこかしこから熱風が、寒空に向かって触れそうなほどはっきりとした形の煙筒を、何本も立ち上らせている。
その混乱の中、チェイスの手下たちが、逃げ場を求めて蠢いていた。
「─────!?」
慣れてきた目に映ったのは、それを襲う黒い青年達だった。